観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

柳沢発言と人権教育

2007年02月10日 | 日記
柳沢大臣の女性に対する発言が厳しく追及されているのは、単に舌足らずで、表現方法を誤ったという訳でも、知識不足から出た発言でもないからだ。ましてや、彼の揚げ足を取って非難しているのではない。あきらかに、大臣の発言は本音であり、彼は、女性を差別しているからあのような発言になったのである。
ところで、2000年12月6日に「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」という法律が公布、施行されている。
この法案に対して以下のような決議がなされている。
「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律案に対する附帯決議」(衆議院、2000年11月15日)
”この法律の施行に伴い、政府は、次の点につき格段の配慮をされたい。
1 人権教育及び人権啓発に関する基本計画の策定に当たっては、行政の中立性に配慮し、地方自治体や人権にかかわる民間団体等関係各方面の意見を十分に踏まえること。
2 前項の基本計画は、「人権教育のための国連10年」に関する国内行動計画等を踏まえ、充実したものにすること。
3 「人権の21世紀」実現に向けて、日本における人権政策確立の取組みは、政治の根底・基本に置くべき課題であり、政府・内閣全体での課題として明確にするべきであること。”
そして、法務省のホームページを見ると「人権教育・啓発に関する基本計画」というのがあり、そこの「第4章 人権教育・啓発の推進方策 」に各人権課題に対する取組が載っており、課題のトップが「女性」となっている。
さらに、「人権にかかわりの深い特定の職業に従事する者に対する研修等」という項目を転記すると、
”人権教育・啓発の推進に当たっては,人権にかかわりの深い特定の職業に従事する者に対する研修等の取組が不可欠である。
 国連10年国内行動計画においては,人権にかかわりの深い特定の職業に従事する者として,検察職員,矯正施設・更生保護関係職員等,入国管理関係職員,教員・社会教育関係職員,医療関係者,福祉関係職員,海上保安官,労働行政関係職員,消防職員,警察職員,自衛官,公務員,マスメディア関係者の13の業種に従事する者を掲げ,これらの者に対する研修等における人権教育・啓発の充実に努めるものとしている。これを受けて関係各府省庁では,それぞれ所要の取組が実施されているところであるが,このような関係各府省庁の取組は今後とも充実させる方向で積極的に推進する必要がある。その際,例えば,研修プログラムや研修教材の充実を図ることなどが望まれる。
また,議会関係者や裁判官等についても,立法府及び司法府において同様の取組があれば,行政府としての役割を踏まえつつも,情報の提供や講師の紹介等可能な限りの協力に努めるものとする。”
国会議員は、公務員ではないか、ましてや厚生労働大臣は、厚生労働省のトップではないか。真っ先に人権教育、啓発を受け、他の範とならなければならないのではないか。
このような人権意識の大臣をトップに戴いているお役所の職員の意識はどうなんだろうか。
海の向こうの米国では、世界最大の小売りチェーン「ウォルマート・ストアーズ」社の女性従業員らが給与や昇進で差別を受けたとして訴えた裁判で、連邦高裁が2月は6日に2004年の連邦地裁の判決を支持し、約150万人もの原告集団訴訟を認める決定を下している。



ホワイトカラー・エグゼンプション

2007年02月08日 | 日記
柳沢大臣の所管している厚生労働省は、旧厚生省と旧労働省が一つになった省である。旧厚生労働省のほうは、年金とか少子化関連の法案で脚光を浴びることがあるが、旧労働省サイドの方は分が悪い。ところで、国会対策を受け持つ官房長、官房総務課長はともに旧労働省出身である。だから、今期通常国会には法律の提案を断念したが、参院選において自民公明両党で議席の過半数を獲れば、ホワイトカラー・エグゼンプション法案を秋の臨時国会に提案し、成立を図りたい。
ホワイトカラー・エグゼンプションについては、
知っていますか?ホワイトカラーエグゼンプション が分かりやすい。
この法律が通ると、なし崩し的に適用除外水準が緩和されていき、最終的にはほとんどの労働者が対象になるのではないかという危惧がある。
対象となる所得制限を800万円としたとしても、(今国会に提案しようとした案は400万円)法律でなく政令で金額を定めておけば、その制限額は政府によって簡単に緩和される可能性が高い。
このため、経済界や政府サイドとしては、秋の臨時国会には、さんざん悪名をなしたホワイトカラー・エグゼンプションという名前でなく、高度専門職年俸制というような名前で法律の効果を宣伝してくるかもしれない。
ところで、日本の労働事情を全く無視した、ホワイトカラー・エグゼンプションなるものが、何故、急に登場したかと言えば
2006年日米投資イニシアティブ報告書の10~11ページの記載がそもそもの発端であろうか。
仮に、この法律が成立すれば、労働時間は経営者の管理権限の対象から外れるので、万が一従業員が過労死した場合でも、従業員の自己責任で片付けられる可能性がある。
すでに、人材派遣会社ザ・アールの代表取締役(日本郵政株式会社社外取締役、日本アムウェイ諮問委員、ローソン社外取締役)の奥谷禮子氏は、「週刊東洋経済」の中で「過労死は、自己管理の問題です。」と言っているのである。
このことは、
薔薇、または陽だまりの猫に詳しく載っている。
立場の弱い正規のサラリーマンは、この法律によって、次第に非正規の派遣社員に変わっていくという恐ろしいシナリオが考えられる。格差がますます進み、米国並みの格差社会になるのだ。サラリーマンでないからどうでもいいでは、いられないのだ。
人口の急激な減少は避けられない日本が、少子化とは無縁の米国や中国に蹂躙されないためにも、一般のサラリーマンには、これからの日本を頑張って支えてもらわなけばならない。それには、それなりの健全な環境が必要である。

柳沢発言

2007年02月07日 | 日記
我々世代は、多少なりとも女性差別主義的な感覚を持っている人間のほうが多い。あらゆる面で男女平等を主張する人は、フェミニスト視され、そのほうが特別な見解の持主だとされている。また、フェミニストの男性は長らく女性にもてないとされていた。
一方、「女性は子どもを産む機械だ」と発言した柳沢厚生労働相は、フェミニストの対局にいる人であり、いわゆる玄人の女性に好まれるタイプの人のようだ。
彼の座右の銘は、「交友須帯三分侠気」だそうだ。「友に交わるにはすべからく三分の侠気を帯びるべし」という意味らしい。侠気というのは、男気でまさに男性優位を信じて疑わない種類の人間のようだ。
ところが、現在の若い世代は、今までフェミニストといわれた人たちの見解が普通の認識らしい。かつての一般的な考え方の持ち主は、時代錯誤はなはだしい女性差別主義者とされている。柳沢大臣の意見は、中高年の一般男性の本音に近いが、若い人々の認識とは全く異なるらしい。
「産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」は、少子化問題についての柳沢大臣の発言である。しかし、どう考えてもあきらかに女性差別主義者の発言で、機械とか頑張ってもらうしかないという発言は、不適切である。
この発言の前段の「(子どもを出産可能な)15-50歳の女性の数は決まっている」というのは事実である。もうすでに生まれている女性の数だけは増やしようがないのだから、手の施しようがないからである。だから、彼は、当面の人口減少を少しでもくい止めようとするには、一人の女性が少しでも多く産んでくれるしか手はないと主張しているのである。
しかし、子どもを産むかどうかは女性の意思を尊重すべきで、産む産まないは強制すべきでもない。むしろ、子どもを何人も安心して産み育てられるような環境とほど遠い、現在の状況を解決するほうが重要なのである。
なかでも格差の問題が飛び抜けて大きい。子どもを金持ちにまでとはいかないとしても、せめて、ワーキングプアにしないためには、非常に金もかかるのである。
また、女性の場合、子どもを産んだら、大半の女性は元の収入を得ることは不可能となる。そのような状態で子どもを育てるとということは、自分たちが貧乏になってしまうということになるのである。
私たちの学生時代までは、貧しい家庭で育っても一流大学を卒業し、立派に活躍している人物は結構多い。しかし、今ではそういう人は、ほとんどいないらしい。現在の教育には、とてつもなく金がかるらしい。
と、昨日はここまで書いて途中で止めたら、今朝の新聞に「若い人たちは、結婚したい、子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる」という柳沢大臣の新たな失言の記事が載っていた。
同じく今朝の毎日新聞に「どうなる日本の人口 許されぬ甘い見通し」という記事に「90年生まれの女性―1/4は生涯未婚」というショッキングな見出しがあった。
少子化担当の柳沢厚生労働大臣、早く辞めたほうがよいのでは。

偏屈な人間が世界を変える

2007年02月05日 | 日記
「偏屈な人間が世界を変える」と何かに書いてあった。
偏屈といえば、織田信長がそれまでの日本の体制を大きく変えたが、小泉純一郎前首相も日本の社会を大きく変えた。功罪半ばというより罪のほうが大きいが、グローバルな社会というかけ声の下に、弱肉強食の競争社会に拍車をかけ、ギスギスした世情は子ども社会にまで及んでいる。
という話は置いて、IT社会はまさに偏屈な人が作り上げたといえるのではないだろうか。
とりわけ、アップル社のスティーブ・ジョブズは、著しくバランスの欠けたアクの強い性格と言われている。まさに偏屈中の偏屈のようだ。
彼が中心となって創ったアップル社を彼がスカウトした人物によって追放されるという経歴を持ち、駄目になりかけていたアップル社に復帰後は、iMacやiPodであっという間に立て直すという手腕を持つ。
と書いてはみたものの芸術の世界も同じではないのか。ダヴィンチもピカソも偏屈だと言われているし、結局、パイオニアはみんな偏屈な人間なのだろうか。
「偏屈な人間が世界を変える」は、妙に納得させられる表現である。

不都合な真実3

2007年02月04日 | 自然・環境
米国のヤフーニュースから
25,000人以上のインターネットユーザを対象としたACNielsen(市場調査会社)が調査した結果、世界中の人々の57%が球温暖化を「非常に深刻な問題」と捉えている。 調査では、91パーセントの人が地球温暖化について知っており、50パーセントの人が、温暖化は人間の活動で引き起こされると理解している。
しかし、地球上のすべての温室効果ガスの約4分の1を排出する米国では、温暖化を「非常に深刻」ととらえる人が42%にとどまる上、13%の人は「地球温暖化について読んだり、聞いたりしたことがない」と回答していることが分かった。
一方、ラテンアメリカでは、回答者の96パーセントが、地球温暖化について知っており、75パーセントの人が「非常に重大である」と認識している。
この認識の差は、非常に重要な問題である。
ノーベル平和賞候補に挙げられている元米国副大統領のアル・ゴア氏は、1,000回以上も講演活動を実施しており、映画「不都合な真実」もヒットしているのに、お膝元の米国がこのような状況ではどうしようもない。
首都ワシントンがカトリーナ級のハリケーンに10回襲われるというよう事態でも起こらない限り、どうしようもないのか。


ノーベル平和賞候補(不都合な真実2)

2007年02月02日 | 自然・環境
ゴア前米国副大統領の「不都合な真実」をテーマにしたブログの続きを書こうとネットで検索をしていると、ゴア氏がノーベル平和賞候補に推薦されたという小さな記事を見つけた。
記事の内容が詳しくなかったので、ノーベル賞の地元ノルウェイの昨日付の英字新聞を当たった。翻訳辞書と格闘すると、ノルウェーの国会議員のBørge Brende と Heidi Sørensen がカナダ人の自然保護活動家のSheila Watt-Cloutier女史と元米国副大統領のAl Gore 氏を共にノーベル平和賞に推薦したという記事だった。(ノルウェーの国会議員はノーベル賞候補者を推薦できる権利がある。)
両議員は2人をノーベル平和賞候補に推薦した理由は、グローバルな政治課題である気候変動と戦うのは、世界平和のための非常に重要な仕事であるからだと言っている。
カナダ人のイヌイットであるシェイラ女史の推薦理由は、北極で起こっている急速な温暖化の問題に世界中の人々の注意を向け、北極が地球という惑星の気候変動のバロメーターであると世界的指導者に説明するための大変な努力をしたことである。
ゴア氏が候補に挙がるのは想定できたが、シェイラ女史のことは知らなかった。