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Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

Djoko Lelono 2で思わぬ小旅行

2010年09月26日 08時54分55秒 | インドネシア
ジャカルタ滞在最後の日である9月1日に今まで電車でTanjung Priokまで行ったことがありませんでしたので、初めて行ってみることにしました。この日の朝Cikiniで撮影したのち、Kota経由で環状東線とTanjung Priok線の分岐点であるRajawaliに向かいました。Rajawali9:15発のTanjung Priok行きに乗車しようとうまく時間を合わせて、9時過ぎにRajawaliに到着したのですが、発車時刻になってもTanjung Priok行きは到着しませんでした。しばらく木陰で待ち続けることおよそ20分、ようやくTanjung Priok線のホームに猫バスこと4両編成の6000形Djoko Lelono 2が到着しました。

Rajawali駅ではホームの嵩上げ工事とホーム屋根の設置工事が行われていました。
また、Tanjung Priok線のホームは東側を使用し、一番東側の線路は使用されていません。(単線運転です)


Djoko Lelono 2は40km/hぐらいのスピードでゆっくりと進みました。車内を見ると乗客は1両にほんの2~3人程度と、これでは空気を運んでいるようなもので、日本であればいつこの列車が廃止されてもおかしくないほどであります。列車は次のAncol駅に到着するとほとんどの乗客が降車しました。この駅でもRajawaliと同様にホームの嵩上げとホーム屋根の設置工事が行われ、現在、列車の通っていないKota方面のホームに対しても工事が同時に行われ、Kota方面へも近々に列車を運行させることがうかがえます。
Ancolから先は私にとっては今まで乗車したこのない未知な区間となりますが、Kota方面からの線路とRajawali方面からの線路の計4本が2本になることなく、そのまま複々線のままTanjung Priokを目指しました。複々線の線路4本は下の写真のように使用できるものと思われますが、現在、使用されている線路は南側から2本目の線路だけを使用しているようです。


しばらく進むと体育館のドーム型の屋根が見えてきました。ここが終着駅Tanjung Priok駅でありますが、ほとんど利用者のいない静まりかえった駅にゆっくりと列車が到着しました。この駅を見るとKota駅と同様にオランダ植民地時代の歴史を感じる駅なのですが、ほとんど利用者が少ないためか寂しさを感じてしまいます。おそらく植民地時代には利用者が多くKotaと同様に活気のあった駅ではないかと想像するのですが、今後、Tanjung Priok方面へ乗客を増加させるためにも、この駅周辺で大規模な開発を行えば乗客も増えるのではないかと思います。


列車はすぐに折り返しBekasi行きということで、切符を購入しようと思ったのですが、撮影などをしているうちに時間がなくなってしまい切符を購入しないまま列車は静かに発車してしまいました。まあいいかと思いつつ乗り続けていると、乗務員から「この列車はBekasiには行きません。クーラーの故障でBukit Duri車庫へ回送します。」とのことで、私もBekasiへ行って、Bekasiに留置されている車輌を撮影しようと思っていたのですが、このまま乗り続けBukit Duriを目指すことにしました。私の計画に対して反したとしてもこれも天からの思し召し、このような時には私は基本的にそのまま逆らわないことが信条であります。
列車はそのまま来た道を戻り、先程、乗車したRajawaliから環状東線へと入りました。列車は回送ということもあり、駅には止まらないで通過してしまいます。Bekasi方面への利用者がこの列車に乗車しようと考えていた人がいると思うのですが、そのへんはインドネシアではお構いなしに無視してしまいます。どうもインドネシアでは昔の日本の国鉄のようで、乗らせてあげているということがいまだに浸透しているようです。


列車は地方へ列車が発着するターミナル駅Pasar Senen駅もゆっくりと通過しました。このあたりから線路は複線となり下町を走るのですが、沿線には高い木々が連なり、鬱蒼としたジャングルの中を進みます。Manggarai方面からの線路が近づき、大きくカーブするとJati Negaraに到着しました。
ジャカルタの路線図が頭に叩き込まれている方であれば列車がこれからどのように進むのかすぐにわかりますが、このJatiNagaraでスイッチバックし、さらに次のManggarai駅で再びスイッチバックするという二重の手間が発生します。

Jati Negaraで進行方向が逆になります。


列車はJati Negaraで5分ほど停車したのち、Mnggarai方面へと進みました。Manggarai駅が見えてくると一番駅舎に近い1番線へと列車は進入しました。


列車はこの駅でも5分ほど停車したのち、再び進行方向が逆になり、Bukit Duri車庫への引込線へと進みます。Jati Negara方面からの線路を横断し、Bogor線と寄り添うようにしばらく進みますが、最初の踏切を越えると引込線は大きく左へとカーブします。


単線の引込線が左へカーブしたまま進むと前方にKRL-Iの姿が見え、我々の列車の前を下の写真のように車庫へ向けて走っていました。そのKRL-Iの後ろに追随する形でBukit Duri車庫へ無事に帰還すると早速検修の方が見にきました。


列車から降りると2本の05系が留置されており、8月31日にBalai Yasa ManggaraiからBukit Duriに移送したとのことでした。これから転入整備をこのBukit Duriで行うとのことですが、7000系のように派手な赤色を基調にした姿に変身するのではないかと思われます。私としては暑い土地がらなのですからせめて涼しい色を纏ってほしいもので、このまま東西線の色で十分だと思うのですが、そこはインドネシア人のへんなこだわりがあるのか色を変えないと気がすまないようです。
というワケで本来Bekasiへ行くことを予定していましたが、Bukit Duriへと連れて行かれ、05系と再び御会いできたことは私の行動を天に任せて良かったのではないかと思っております。