Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

Depok車庫訪問1

2016年01月28日 01時14分08秒 | インドネシア
昨日は1月17日の出来事ということでBukit Duri車庫訪問を中心に述べましたが、本日は1月18日の出来事ということで、Depok車庫訪問を中心に述べていきたいと思います。
この日の朝は17日の朝にCikini駅のホームで撮影しようと思い来てみたもののPKDの兄さん曰く、駅員の許可が必要とのことで、撮影をすぐに断念してしまいましたが、朝8時頃には担当者が出社するだろうとのことで、私も8時頃に再度許可を取るためCikini駅の事務室に寄ってみました。ところが担当者はいつもであれば8時には出社しているものの、この日は車の渋滞に巻き込まれているためか、8時15分頃になっても現れないため、夕方にまた撮影の許可を得るため戻りますと受付の方に言い残し、Kota駅を目指すことにしました。
というのもこの日の午前10時から正午12時にかけてDepok車庫で撮影する許可を得ていたために、まずはJuanda駅下にあるKCJの事務所に広報部の担当者にご挨拶と許可証をいただくために先を急いでいたのですが、ちょっとKota駅の様子を見たいということで、Juanda駅を通り過ぎKota駅まで来てみました。


Cikini駅で運良く元南武線の205系10連に乗車でき、Kota駅に到着すると一番南側の12番線にはこれも元南武線による編成で初めて12両編成を見ることができました。11番、12番線ホームは10両までしか対応しておらず、9番、10番線のホームは12両に対応すべく工事が実施されていました。

すぐに列車でJuanda駅に戻り、KCJの事務所に到着したのは9時30分頃でしたが、パスポートのコピーを見せてKCJ広報部の担当者に面会を申し込むとすぐに事務所内へ案内されました。事務所内には下の写真のとおり、JRの社員がペットボトルのキャップで作成した205系のキャップアートパネルが展示されており、H39編成の新津への配給時に1号車の車内にあったのを確認しましたが、H39の前面に付いていたHMは残念ながら見かけませんでした。


すると広報部のスタッフが現れ、念のために持参した撮影申請書を提示し、撮影許可証にサインをするとお礼のお土産を渡して、H39に取り付けられていたHMについて聞いてみたのですが、そのHMは今どこにあるのかわからないとのことで、見ることはできませんでした。あればちょっとお借りして、車庫で取り付けて撮影させていただきたいと目論んでいたのですが、残念ながらその夢は叶いませんでした。
その撮影許可証を手にして1人でDepokまで向かったのですが、Depokに着いてみると中線には私がCikini駅からKota駅まで乗車した元南武線の205系10連の編成が停車しており、運転士にこの列車は車庫へ入庫するのかと尋ねるとそうだと言うので、撮影許可証を見せてその列車に乗車させていただきました。


列車はすぐに発車し、ゆっくりしたスピードで下り本線を渡って入出庫線へと進みましたが、この入出庫線を乗車するのは久しぶりであり、おそらく前回この区間を乗車したのは5年ぐらい前かもしれません。


車庫の手前には現在でも警備員によるチェックがあり、ここで一時停止します。
私も車庫が完成した当時はこの区間で103系のハンドルを握らせていただき、ちょっとだけ運転させていただきましたが、現在ではおそらく運転することはできないのかもしれません。


チェックポイントを過ぎると広大な車庫を目にしますが、14線の留置線があり、かつ2群に分かれており、建設当時、8両編成28本=計224両の収容能力を有しているが、現在では編成増強を見越し12両編成28本=336両も収容可能であり、この車庫内を徒歩で移動するだけでも結構大変なものです。また、車庫完成当時はこのDepok車庫内で2度のジャカルタ訪問で寝泊まりし撮影していたことがありますが、これも規律の厳しい現在ではできないものと思われます。


列車は南群に停車し、乗務員はここで降りて行きました。当然、私もここで降りて撮影開始です。


南群電留線の西側には部品取り用になっていると思わしき東急の8039F、先月までManggarai~Duri間のManggaraiフィーダー運用を中心に入っていた103系が留置されていました。8003Fについては検査を終えKCJカラーになり、8007Fについては検査中でそのうちこちらもKCJカラーで出場するものと思われますが、この8039Fについては車両の籍があるものの写真のとおり各所で部品が供出されているようですので、もしかすると復活は難しいのかもしれません。また、103系は検査時期については今年の10月末ではあるもののMGなどが故障し修繕が必要とのことですが、社内幹部の方の話ですと時期は今のところ決まっていないが廃車になるかもしれないとのことで、私としては何とか現在行われている115系の廃車からMGなどの提供を受けられれば復活はあり得るものと期待しておいりますが、KCJ、PT.KAI側がそこまで部品の調達に力を注いでくれるのか少しでも期待したいところです。


さらに西側にはドイツ復興金融公庫の資金協力により製造されたKFWが5本ほどと元南武線の205系の余剰車両が留置されていました。


また、電留線の脇の空き地には60両あまりの車両が土の上に放置され、いったいこの車両はこのまま放置されてしまうのか、それとも一時的な措置なのか気になるところですが、PurwakartaやCikaumに送られ、無造作に積み上げられた廃車体を見ると、これらの車両も一時的な措置ではなく、長年の歳月の風雨で朽ち果てるを待つのみになってしまうのかもしれません。


大部分が元都営6000形ですが、中には現地で先頭改造された元都営6000形やメトロの6000系も含まれています。



東急ファンの方にとっては悲しいことかと思いますが、8611Fも含まれています。


ということで、話はまだまだ続きますので、この続きは明日以降とします。
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Bukit Duri車庫訪問

2016年01月27日 01時07分18秒 | インドネシア
ジャカルタ遠征の続きということで、本日は1月17日の出来事について少々報告します。
昨年9月も泊りましたが、今回もSudirman駅近くのトレインビューホテルであるStudio Oneという名前のホテルにお世話になりました。それも線路際の部屋をゲットしたのですが、ここは朝4時過ぎから電車が通過するため、つい何が走っているのか気になって窓の下を覗いてしまい、逆に落ち着いて眠ることもできませんが、この路線に走るのは203系や元ハマ線の205系、東急8500系、メトロ6000系など多種な形式が見られるものの、私のお目当ての元南武線の205系の姿はこの時点では見られませんでした。
7時過ぎにホテルを出たあと、やはり元南武線の205系を撮影したいということで、Sudirman駅から列車に乗車し、Manggarai駅の北側のいつものお立ち台で撮影しようかと思っていたのですが、お立ち台のところを見ると新しい架線柱が下の写真のように建てられており、撮影する上では少々危険に感じることと、駅員に予め撮影の許可をいただくことを考えていたものの駅員がどうもいないようでしたので、諦めて中央線の隣駅であるCikini駅に行ってみることにしました。


Cikini駅に到着すると上りホームのKota寄りの先端でバックの中からカメラを取り出し、スイッチをonにしても画像が出てこないので、電池を充電したままカメラの中に入れることを忘れてしまったことにすぐに気づき、もういちどホテルに戻るハメになりました。列車で戻るには結構な時間がかかりますので、タクシーでホテルとCikini駅の間を往復しCikini駅に戻ってきて、再び上りホームの先端で撮影していたのですが、最初の203系を無難に撮影したあと1人のPKDのお兄さんがこちらに近寄って来て、許可を取ったのかと言い出し、今日は駅員がおそらくいないので明日朝だったら居ると思うというので、結局、Manggarai駅の南側のBogor線とBekasi線の分岐する付近で撮影することにしました。


Manggarai駅一帯にはPKDのお兄さんたちが万遍なく張り付いていますので、駅付近での撮影は難しいということでBogor線Bekasi線の分岐するあたりに行って撮影しておりましたが、ここであればPKDのお兄さんたちもいませんし、列車に十分気をつけていれば思う存分撮影できるということで、1時間30分ほど撮影しておりましたが、元南武線の205系も5本ほど通過し、初めて営業中の姿を撮影できました。


やって来る列車はほとんどが205系ですが、時々、JR以外の車両の姿を見ることができます。
現在、Manggarai駅周辺では、架線柱の取り替えが進められているとともにカテナリーもヘビーシンプル方式からシンプルに変更されているようです。


圧倒的に元埼京線の205系や元ハマ線の205系の姿を見ることが多いのですが、変化に乏しい205系では単純すぎて面白みが少なく、元南武線のように帯の色を変えてくれると楽しいのかもしれません。


そのような中で、都営6000形の6181Fの8連が唯一、譲渡されてから16年経った現在でもBogor線、環状線系統に走り続けていますが、今後も末永い活躍を祈るばかりです。


東急の8500系が増殖していた当時は、東急の天下かと思われていましたが、JR軍団の205系の大量の投入によって、すっかり東急の姿は見る機会が少なくなったものの、今後はKCJカラーになって活躍することを期待したいものです。


ということで1時間30分ほど撮影していたものの多くの列車を撮影することができたのですが、この日は12時からBukit Duri車庫へ訪問することになっていましたので、現地マニアの方と一緒に訪問させていただきました。
現在、Bukit Duri車庫内の撮影においても予め撮影許可申請が必要ということで、私も慣れないインドネシア語でフォーマルなレターを作成し、区長宛に撮影許可の申請をお願いさせていただきましたが、区長は以前から存じ上げていたせいかもしれませんが無難に撮影許可をいただき、この日の日曜日に出社されているので訪問してくださいという連絡をいただきましたので訪問させていただきました。
この車庫の在籍車両は実際には205系のみで、元埼京線の205系全部と元ハマ線の205系が14本、元南武線の8両編成1本と6+4の10両編成2本ということになり、下の写真に写っているメトロの6000系や05系は本来Depok車庫の所属となります。


元埼京線と元ハマ線の205系の編成の向きはKota寄りが奇数側の編成も多く、元南武線の編成のように編成の向きが一定しておらず、何か問題を起こした時や修繕をする上では向きを統一したほうが良いのではないかと思っています。


車庫の奥側は各編成の頭が綺麗に揃い、このような姿を撮影できて嬉しいと言えば嬉しいのですが、ここまでKCJ色が浸透してしまうと逆につまらないような気にもなり、もう少し形式別に色を変えるとか、以前の東急8500系のように編成ごとに帯の色を変えて遊び感覚があったほうが良いような気もします。その上で元南武線カラーのKCJ色化は私自身としてもつまらないものにさせてしまいますが、今後、急速的に実施されるのか、とりあえずは様子見というところでしょうか。
次回はDepok車庫訪問についてお送りします。
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ジャカルタの元南武線205系近況

2016年01月22日 22時29分51秒 | インドネシア
前回のブログ更新からすでに1ヶ月以上となり、年末年始もロクにご挨拶もしておりませんでしたが、本来であれば南武線の205系の話題を中心に報告させていただきたいところ、12月からクリスマス、正月もなく忙しい日々が続き、かつ15日深夜から20日までジャカルタで活躍する元南武線の205系を中心に追いかけるため、今頃になって新年のご挨拶と南武線に関係するご報告ということで簡単ではありますが、述べていきたいと思っております。


南武線の205系H46で最後を飾ったありがとう運転に関することについては後日報告させていただくとし、今回はジャカルタで活躍する元南武線の205系について報告させていただきたいと思いますが、昨年7月1日にジャカルタのTanjung Priok港に南武線205系の第1陣上陸から始まり、今年1月5日の最終第5陣の上陸により、20編成計120両の譲渡が完了し、埼京線の205系計180両と横浜線の205系計176両と合わせると500両にも迫る計476両がKCJに譲渡されたことになり、KCJにとっては205系王国を短期間で築きあげました。
元埼京線や元横浜線の205系については両数的に結構多いことから、元南武線の205系についてだけ状況を説明したいと思いますが、1月19日現在の編成表については下記のとおりで、8両編成が1本、6+4の10両編成が5本、6+6の12両編成が3本、整備中の6両編成が3本、そして余剰になっているMM'が4本となっていますが、つい最近、H40+H41のH41の4両編成側にMM'が元に戻されたようで、6+6の12両編成が4本に増強されたようです。


また、18日と19日にはDepok車庫にお邪魔させていただいたのですが、最終の第5陣で搬入されたH12、H34そして南武線オリジナル顔の最終編成となったH39が譲渡整備中であり、当然、南武線カラーとして当初は整備されていたもののなぜなのか詳しい状況はわかりませんが、KCJ色への変更が実施され、H12の前面帯、側面帯ともに18日は南武線カラーであったものの19日の確認では1日でKCJ色へと変更されてしまいました。
下の写真が18日撮影のH12で、一夜にしてKCJ色に変更されてしまったことに驚きです。


下の写真はH39の前面帯部分で、わざわざ南武線カラーの新しい帯を貼ったにもかかわらず、おそらくこのH39もKCJ色にすぐに変更されてしまうものと思われます。


下の写真はH39の側面であり、ところどころKCJ色の帯が貼られており、このような姿は貴重かもしれません。


19日時点ではH12はKCJ色へあっという間に変更されてしまい、南武線ファンの私にとっては非常に残念でした。


Depok車庫幹部の方の話では、今後においても南武線カラーの編成は次の検査時を待たずにKCJ色へ変更するとのことで、できれば残りの約100両を今月中に終了させるというような発言をされており、今後、フレキシブルに編成替えに対応すべく措置のようで、南武線カラーは急速的に見れなくなってしまうのかもしれません。Depok車庫においては予備編成が4本あるとのことで、南武線カラーの編成は一時的に運用を外れこの洗浄線でKCJ色変更の作業が実施されるものと推測されますが、本当に短期的に南武線カラーがなくなってしまうのであれば私にとってはとても悲しいことであります。


また、19日はH43+H38の10連で、H43側の4両編成に元々のMM'を元に戻し、6+6の12両編成に組成する作業が実施されていました。入れ替えにおいてはINKA製のトラックモーターカーが使用されていました。


MM'79の1ユニットを予備が留置されているところから、このトラックモーターカーによって引っ張り出し、H43の編成の中に組成後、ジャンパ栓接続などが実施されました。


他の留置線を見るとこのような姿を見ることができましたが、通常、乗務員は行先表示や種別表示をいじることはよっぽどのことがないかぎりありませんので、よっぽどコアな人間の仕業かもしれません。


続いて、元南武線編成の運用状況ですが、基本的にBogor線・中央線系統に充当され、8両編成のH11+H10のみはBogor線・環状線系統に充当されていますが、Nambo線の運用にも充当されることがあるようで、Nambu線がNambo線で活躍しているようです。


H7やH8の車内、戸袋部分にはH39の編成に飾られていた南武線沿線の子供たちの絵が飾られていましたが、ヘッドマークについては現在のところどの編成にも付けられていませんでした。


この他、元南武線の車両には中吊りで12両編成の車両ではCawang駅とPasar Minggu駅において、Jakarta Kota方面では前2両、Bogor方面では後ろ2両の乗降ができないことを注意喚起しています。


以上、簡単に元南武線205系の近況についてご報告いたしましたが、次回もジャカルタでの話題について触れていきたいと思います。





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KFW I-9000の現状と今後の活躍

2015年10月10日 22時30分29秒 | インドネシア
先日のBalai Yasa Manggarai(Manggarai工場)訪問の報告に続き、本日は9月のジャカルタ遠征の報告の最後として、KFW I-9000について簡単に述べていきたいと思います。
KFW I-9000は地元の鉄ちゃんの間ではKFWと呼ばれ、ドイツ復興金融公庫からの支援を受け、ボンバルディアの機器を使用し、2011年からINKA(国営鉄道車両会社)で組み立てられ、4両編成10本の計40両が製造されましたが、機器などの不調から本格的に全車両が営業運転で使用されることはあまりないようで、私が滞在した9月6日から8日時点では、計10本中4本のみが使用されていました。
その4本の編成は2本が1編成に組成され、8両編成として運用に充当されていましたが、1編成は環状線のManggarai~Duri間のManggaraiフィーダーに使用されていました。


もう1編成のほうはというと、こちらも軽めの運用でKota~Kampung Bandan間のフィーダーに使用され、Manggaraiフィーダーともに重要な任務から外されていることから、信頼のできる形式とは言えないのかもしれません。


残り6本がDepok車庫などに留置され、運用についているKFWも時々他の形式の編成が使用されているようですので、今後もこのKFWの全車両が使用されることは難しいのかもしれませんが、機器の大規模修繕を実施し、INKA製造の車両の信頼回復ができるのか注目されます。
また、2016年完成目標のスカルノ・ハッタ空港とManggarai間を57分で結ぶ空港鉄道用車両においてもボンバルディアの機器を使用し、INKAで組み立てられると思われますが、このKFWを見ていると心配になるばかりです。


次回はジャカルタを離れ、マニラへと飛びます。
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Balai Yasa Manggarai(Manggarai工場)訪問

2015年10月03日 22時59分36秒 | インドネシア
9月遠征時のジャカルタ、マニラレポートの続きですが、本日は10年間の長年に渡りお世話になっておりますPT.KAIのBalai Yasa Manggarai(Manggarai工場)に勤務するR氏のご好意により、Depok車庫以上に入ることが厳しいこの工場にお邪魔させていただきました。
先日も報告しましたように、9/7にManggarai工場にお邪魔する予定でありましたが、ちょうどR氏の上司の方が来られているとのことで、しばらく門の外で待っていたものの入ることが出来ず。暇つぶしにManggarai駅方向へ行ってみると、留置されていた南武線205系が行ったり来たりしているところへこの工場に勤務するA氏に声を掛けていただき、この日は南武線の205系を中心に撮影させていただいたのですが、他の車両については全く撮影ができませんでしたので、翌9/8もお邪魔させていただくことにしました。
工場の中へ入ると、早速、R氏にご挨拶し、R氏から紹介を受けた方が案内していただきましたが、まず、目にした車両はジャワ島MadiunにあるINKA(国営鉄道車両会社)で、2001年に組み立てられたKRL-Iの2本と元東京メトロの5000系のDjoko Visionで、素人の私でも見た目使えそうにも見えますが、しばらくここに置かれているところを見ると、検査を通して復活するようなことは残念ながらないのかもしれません。また、ちょっと奥には1994年から導入されたボンバルディアのVVVF車であるHolecの懐かしい姿も見られました。


下の写真は2005年頃に撮影したものですが、この当時、KRL-Iはご覧の色で、Tanah Abanag~Bogor間のEkspres(急行)に充当されることが多く、2008年頃から環状線に充当されていたものの、故障しがちなのか2本が揃って運用されることは少なかったようにも感じます。2003年に初めてこの車両を見た時には斬新な車両で、今後はこの車両が増えていくものと思っていましたが、僅か10年ちょっとで役目を終えてしまうのは寂しいものがあります。


続いて、下の写真はHolecですが、見た目ゲゲゲの鬼太郎に出てくる「ねずみ男」に似ているので、私もそのあだ名を付けさせていただきましたが、日本のVVVF車両では聞くことのできないパルスモードが非常に早く、モーター音好きな方にとっては印象の強い車両であります。


さらに奥のほうへ歩いていくと元東京メトロの05系が置かれていましたが、おそらくこの車両は2012年10月にCilebut駅のホームで脱線し、床下機器を大きく損傷した車両かと推測されます。こちらの車両の復活も難しいのかもしれませんが、KCJの広報誌や一部のメディアでは現状8両編成については、12両編成にするとまで書かれており、余剰の車両や部品取りなどになっている車両も復活させるのか気になるところです。


先程の05系の反対側には今となっては非常に珍しい2扉のKL3-76型が留置されていました。日本の車両メーカーによって製造されたものですので、ソウルの1000系と同様に103系とどことなく似ておりますが、車両の構造的には1Mで、編成はTcMMTcという4両編成が基本です。2編成分で8両編成を組むことはよく見られましたが、希に4両編成単独の列車やTcMMTcMMTcの7両編成も見られました。


検修庫の裏側へ行ってみると、これもVVVF車でありますが、Hitachiが留置されておりました。両数が少ないためなのかもしれませんが、なぜか私はこの車両には縁がなく、あまり乗車した覚えがありませんので、モーター音がどのような音色であったのかわかりません。というかEkonomiの車両自体、夜間は電灯も付かず走っていた車両が多く、暗闇の列車に乗車することを避けていましたので、今となってはもう少し冒険してみても良かったのかもしれません。


最後に非常に貴重な電気機関車ESS3201号、あだ名「Bon Bon」で、1925年にインドネシアの旧宗主国であるオランダで製造されたようですが、確か昨年の報道では、今年からこの機関車を使用してジャカルタ首都圏で観光列車として走らせる予定と言われていたものの、いまだに運行されていないところをみると、どうもその話はなくなってしまったのかもしれません。
また、この「Bon Bon」の後ろには昨年12月にSerpong線、Bintaro付近の踏切でタンクローリーに衝突され焼失した元東京メトロの7000系がそのままになっていました。


以上、通常の車庫では見られない光景もあり、今回は電車を中心に見させていただきましたが、次回も訪問できるようなことがありましたら、客車や気動車なども見させていただき、時間がありましたらご報告させていただきたいと思います。
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ジャカルタの205系近況

2015年09月26日 20時44分53秒 | インドネシア
先日の9月23日夕方にKCJの本社のあるJuanda駅で発生した事故の余韻と言いますかショックが抜けきらない状況でありますが、事故の詳細についてはこのブログにもリンクさせていただいていますJABODETABEK COMMUTER NEWSのパクアン急行様のご報告のとおり元埼京線の2編成(20両)が被災されてしまいました。事故による車両への損傷状況についてはわかりませんが、幸いにも205系同士が同じ編成の向きで正面衝突しましたので、損傷程度の軽い車両同士を組成して1編成作り上げるということも可能かもしれませんが、これらの車両については不死身な車両も含めて検証作業などしばらくは使えないでしょうし、このあとの車両のやり繰りをどのようにしのぐのかマニア的には面白いところもあるのかもしれません。
また、元南武線の205系を使ってBogor線・中央線系統とBekasi線・中央線系統で12両編成を運行させる計画が出ており、早速、9月16日から混雑が最も激しいBogor線・中央線系統で運行開始されましたが、事故によって失った205系20両を補完する上で、元南武線の205系9本分のうちの一部の車両・編成が使用されるのか、それともほとんど休車状態にあるKFWやDepok車庫で寝ている元都営6000形(検査切れかな?)の出番となるのかマニア的には面白いところでもありますが、今までのジャカルタ首都圏で起こる数々の事故を見てきて、素人の私でも車両を増やすよりもそろそろ抜本的に安全対策に重点を置けと言いたいところです。

それはさておき、今回は9月に訪問しましたジャカルタ遠征時に撮影した元南武線を除く205系の写真をアップしたいと思います。
今回は先日も述べましたように環状線を走る103系を撮影したいということで環状線Sudirman駅近くのホテルにチェックインし、朝はSudirman駅近くで撮影しておりました。
環状線は10両編成が運行されておりませんので、205系については8両編成の元横浜線の車両が充当されております。


1日5往復程度しかないNambo線Nambo行きのサボが見たいということでこれも楽しみにしておりましたが、Nambo行きにはこれも元横浜線の編成が使用され、Bogor線と同じ赤色のサボが使用されていました。
また、205系の編成の向きの多くはKota寄りが偶数方で、BogorやBekasi寄りが奇数方ですが、稀に逆向きの編成もあります。
以前はManggaraiから中央線を通り、Kota、Kampung Bandanを経由し環状線に入るという運用もありましたので、このように編成の向きが逆になってしまうことがありましたが、現時点でそのような運用があるのかどうかはわかりません。(今回は運用表をいただいておりませんのでわかりません)


下の写真は環状線Tanah Abang~Duri間で撮影したもので、前回の103系を撮影した場所と同じところですが、Bogor線・環状線系統には203系も充当されているようで、203系の姿をこの環状線で見かけることが多くありました。


場所を変えてKota駅に行ってみましたが、運良く全てJR車両による8連が並んでくれました。


そしてここは必ずおきまりのManggaraiですが、Bekasi線下りの地方列車待避で2番線に入り、Bekasi線上りと並んでくれました。
Bekasi線のサボは青色ということで、私のお気に入りの色でもあります。


しばらく待っているとハエ23がやって来ましたが、このハエ23(Tc142,T'c142)の行先表示はLEDが使用されているもののよく見えません。
これであればサボのほうが良いかもしれません。


またまた場所を移して、Serpong線のPalmerah駅近くで、Serpong線を走る205系を撮影してみました。
運行番号が「48K」と示されていますが、Kはハマ線時代も使用しており、偶数の48という数字は東京では山手線の内回り以外では奇数が使用されるためだれかがわざと設定したのかもしれません。
また、編成札も残っていると良かったのですが、Serepong線特有の緑のサボは元ハマ線の編成にはお似合いかもしれません。
Tangerang線もDuri駅で撮影しておりますが、こちらのサボは茶色が使用され、元ハマ線の205系はジャカルタのほとんどの路線で見ることができます。


変わり種ということで、たまたま先頭車が広告車両であるクラH6(T'c66)がBukit Duri車庫に留置されていました。
広告はSunsilkで、日本にはあるかどうかわかりませんが、東南アジアではよく使われているシャンプーなどのメーカーです、


最後にBalai Yasa Manggaraiで検査入場していたハエ22です。
元南武の205系4本がBalai Yasa ManggaraiからDepok車庫へ回送されたのが9/7で、もしや戻って来ているかもしれないということで、9/8も中に入れさせていただきましたが、やはり元南武の編成はいませんでした。


ということでジャカルタの205系の近況は以上でありますが、次回はBalai Yasa Manggaraiの様子について、簡単にご報告させていただきたいと思います。
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ジャカルタの103系近況

2015年09月22日 23時16分23秒 | インドネシア
3回に渡り、元南武線の205系について報告しましたが、本日は103系について報告したいと思います。
昨年9月のジャカルタ訪問時点では、103系は中央線・Bekasi線系統と環状線・Bogor線系統の運用に充当されていましたが、最近では環状線のManggaraiフィーダーと呼ばれるManggarai~Duri間の区間運転に充当されることが多いようで、撮影する上ではあまり苦労なく、何度も撮影できるのではないかと思っておりました。
また、既に私は妻子持ちであるため、できるだけ宿泊費を抑えつつ、この103系を難なく撮影できるようにということで、この私のブログにリンクさせていただいている「地球公務員 落花生。再び」の落花生。様の記事を拝読させていただき、Sudirman駅から環状線沿いを西方向に5分程歩いた所に位置する「Studio One」というホテルがご紹介されていましたが、私にはピッタリだということで、ジャカルタへ行く2週間程前にネットで予約し、環状線に面した部屋を押さえました。
先日、15日のダイジェスト版の記事でも述べましたように、初日の6日は深夜2時頃にこのホテルにチェックインし、すぐに寝たのでありますが、朝5時頃から下を走る列車の音が聞こえ、通るたびにどのような列車が通過しているのか、ベットから起きだし何度も窓から眺めていたため、初日からぐっすり熟睡とはいきませんでした。

私の部屋は5階の南西側ですが、部屋の窓からはこのような感じで、列車全体を撮影する上では隣のビルがどうしても写り込んでしまいます。
また、部屋から通過する列車を全て観察しておりましたが、朝7時になっても103系は確認できず、1階で朝食を取っている間にどうも103系が通過してしまったようで、この日はまともに103系を撮影できませんでした。時刻表で最初からよーく確認していれば、どの時間に103系が通過するか確認できたはずなのですが、103系好きな私としてはドジを踏んでしまいました。


次の日の7日からドジを踏まないよう気をつけて観察し、103系がManggaraiからDuri方向へ通過して行くのを確認すると、ホテルから東方向に歩き、Sudirman駅からさらにManggarai方面へと歩いてみたのですが、7時頃ですと沿線の樹木の影がManggarai方向へ行く列車にも若干かかるようですので、再び西方向に戻ってSudirman駅近くで撮影することにしました。
7日朝は下の写真のとおりで、前面のサボにはManggaraiのみが掲出されていました。


続いて8日朝は下の写真のとおりで、前面のサボにはManggaraiとDuriの両方が掲出されていました。


日中の4時間程はBukit Duri車庫でお休みということで、車庫でお休みのところも撮影したくなるのは心情でもありますが、実はKCJの広報部の担当者に車庫内での撮影許可申請書を予めメールで送っていたものの、担当者から何の返事もなく、直接、KCJ本社を訪ねて確認してみると、その広報部担当者は2ヶ月間も妊娠のために休暇を取っており、結果的には許可証の発行はできませんでした。
ならば、直接、車庫へ行って、訪問する前に何か良い理由を考えた結果、車庫の警備員に区長さんにお土産を渡したいことと車庫内で撮影させていただきたいと伝えたところ、最初はダメとのことでしたが、お土産は是非渡したいと伝えると車庫内へ通していただき、難なく撮影させていただくことに成功しました。


反対側は低運ですが、行先表示のHゴムの部分の腐食とスカートの折れが痛々しいです。


103系は午後2時30分過ぎから再び運用に入りますので、今度は高運のほうを狙いたいということでDuri駅近くに行ってみることにしました。
下の写真はDuri近くで撮影したものですが、103系はAngkeまで回送されるのではなく、単純にDuri駅で折り返すため、光線の状態からDuri駅の南側で待ち構えていました。Duri駅ではKFWの折り返しが発車していなかったため、満線状態となり、103系は信号手前で3分程待たされました。


ということで、赤信号で停止しているところを前からもバチリといただきました。
窓の横にあるインドネシアの国旗、Merah Putih(紅白)がささやかなアクセントになっています。
諄いようで恐縮しますが、このインドネシア語のmerah(赤)はタガログ語でpula(動詞はmamula)、putih(白)はタガログ語でputiと似ています。


日がかなり傾いたので、先程のDuri駅近くからTanah Abang方向へと歩き、直線区間からちょうどカーブするところで待つことにしました。
下の写真がその場所でありますが、103系がDuri駅で折り返し、Manggarai駅に向かっているところで、103系が再び戻って来るまでには1時間程待たされました。


所定の時刻よりも約30分程遅れて戻って来ましたが、走行写真の撮影には限界である夕闇の迫る時刻でありました。


次回のジャカルタ訪問時に103系が活躍しているのかどうかわかりませんが、元南武線の205系が続々と投入されますので去就が注目されますし、来年の春頃には場合によっては検査入場も予測されますので、再び私のデザインを採用していただけるのかどうか難しいかもしれませんが、いくつかの新たなデザインを提案してみたいと考えております。
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快速川崎行きでDepokへ

2015年09月21日 19時14分16秒 | インドネシア
昨日の続きになりますが、昼飯も食わずにBalai Yasa Manggaraiで元南武線の205系の撮影に夢中になり、12両に組成されたナハH44+H35の回送列車に乗せていただけることになったのですが、時刻は午後3時近くになり、さすがにお腹の中に何か入れないとということで、Manggarai駅構内のセブンイレブンでパンを2個ほど購入し、言われた仮設ホーム?の7番線でパンを頬張って待っていると、行先表示が「快速川崎」のままの列車がゆっくりと入線してきました。

写真に駅構内の配線図も入れていますが、赤線が当該列車の走行部分で、上がBogor方面、下がKota方面となります。


現在では、このような回送列車や試運転の列車に乗車することは通常禁止されており、7~8年前ぐらいから乗務員室への立ち入りも禁止されていましたが、以前は乗客の降りたいところで、チップを運転士に渡せば自由に降りることもできましたし、手を振ると列車が止まってくれて乗せてもらえるというようなこともありましたので、このような現在の厳しい規律の中で回送列車に乗車でき、それも私の元地元を走る南武線だけに感無量でした。

それはともかく話しを進めたいと思いますが、列車が停止する否や乗務員室から乗り込み、5分ほど停止したのち、列車はゆっくりと発車し、ダブルスリップのポイントからBogor線の本線へと入って行きました。先行列車は10分前ぐらいにManggarai駅を出発していますので、列車はおおよそ70km/hで快調に進み、各駅通過手前でタイフォンを鳴らしながら通過していきますが、駅のホームで待っている乗客は特に通過するこの列車には当然目もくれませんでした。

既に205系がジャカルタに投入されてから約2年近くになりますので、運転士はかなり手慣れた手つきでマスコンとブレーキハンドルを扱っていました。


Manggarai駅を出発して、約10分ほどでPasar Mainggu駅を通過しましたが、この駅は2面4線の待避可能な配線となっており、以前であればEkonomi列車が待避し、急行列車が通過していくということはよくありましたが、現在では急行列車も廃止されてしまい、待避の役目や折り返し列車もありませんので、待避線はまったく使われていません。


Pasar Minggu駅を過ぎると沿線の緑が濃くなり、学園地区のUniv. Pancasila、Univ. Indonesiaと進みますが、このあたりから先行列車との間が詰まり、信号機は注意と停止が続きます。また、下の写真はUniv. Pancasila~Univ. Indonesia間で見通しの良い直線区間となっており、下り線にはオランダ統治時代の架線柱も残っていることから、私もこの場所でよく撮影しております。


Univ. Indonesia駅手前の信号機で1分程停止したのち、ゆっくりとUniv. Indonesia駅を通過しましたが、この駅のBogor寄りにはダブルクロスのポイントがあります。日本であればこのポイントが無意味に感じますが、Bogor線においては車両故障や架線切断などが頻発しており、このポイントと一方の線路のみを使って両方向の列車を運行することもたびたびあります。


Univ. Indonesia駅を過ぎたあたりから横浜線が相模原台地を登るように勾配が少しずつきつくなっていきますが、205系であればそのような勾配は大したものではなく、ましてや8M4Tのこの列車は簡単なようです。
また、対向列車はこのBogor線においては、東急8500系をはじめメトロ05系、6000系やJR205系などと擦れ違い、最も多種な形式を見ることのできる面白い路線かもしれません。


列車はDepok Baru駅の手前で一旦停止したのち、ゆっくりとDepok Baru駅を通過しました。
この駅の配線は日本の幹線で見られるような構造になっており、中線が設置されていますが、中線は現在では使用されることは頻繁にないものの、時々、回送列車などに使用されることがあるようです。
また、このDepok Baru駅は隣駅のDepok駅と対比されることがあり、Depok市の中心商業地のあるほうがDepok Baru駅で、急行列車が走っていた頃はこちらのDepok Baru駅に停車する列車が多くありましたが、Depok駅にはほとんど停車していなかったと記憶しております。
この他、現地の方々や鉄道職員はDepok駅をDepok Lama駅と呼ぶことが多く、混同することを避けています。
(baru=新しい、lama=古いという意味で、同じマレー系のタガログ語(フィリピン語)ではbaru=bago、lama=lumaと似ており、タガログ語とインドネシア語にはかなり多くの同じ単語や近い単語がありますので、私としては助かっています)


Depok Baru駅の次はDepok駅(Depok Lama駅)で、私の降りる駅ですが、列車はこのままDepok車庫へと向かいますので、私もこのまま乗車し、Depok車庫へ連れて行ってもらい、そこで再び元南武線の車両を中心に撮影させていただきたいと企んでいたのですが、この乗務員2人に聞いてみると、それだけはできませんとのことで、やむを得ずDepok駅で降りることになりました。


ということで、束の間の約30分の乗車でしたが、私にとっては先程も述べましたように元地元を走る南武線の205系に添乗させてもらえるとは夢にも思ってもいませんでしたし、Balai Yasa Manggaraiで撮影できたこともミラクルかもしれませんが、やはりある程度の現地の方々とのコミュニケーション能力や交渉能力があり、現地の方々の性格や考え方がわかっていれば、海外での撮り鉄、乗り鉄も楽しめるものとあらためて認識した思いです。



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元南武線の205系を求めてBalai Yasa Manggaraiへ

2015年09月20日 10時45分21秒 | インドネシア
昨日の続きですが、本日は9/7の出来事ということで述べていきたいと思います。
この日は前日お世話になりましたPT.KAIのR氏の職場のあるBalai Yasa Manggaraiを訪問することになっており、11時頃に訪問することになっておりましたが、ちょうどその時R氏の上司が来ており、接待できないとのことでBalai Yasa Manggaraiの門の前で1時間ほど待っておりました。
以前も説明したかもしれませんが、Balai Yasa ManggaraiはPT.KAIの車両とKCJの車両を修繕する工場であり、施設自体はPT.KAIのものでありますので、JuandaのKCJ事務所で入場許可証は発行できず、しかも以前から入場は厳しいということで、この私も数える程度しか入場したことがありませんが、長年お世話になっておりますR氏がBalai Yasa Manggaraiに復帰され、このR氏もある程度の地位におられるということでご招待いただき、この工場の中にいる元南武線205系4本(ナハH2、H4、H35、H44)を拝むことになっておりました。
正午過ぎになってもR氏から連絡は来ずということで、Balai Yasa Manggaraiの脇にある東海色の103系でも見に行くことにしました。
するとBalai Yasa Manggaraiの門の所からナハH35がスルスルと外に出て来たところをキャッチし、やがて工場の中に戻っていたのですが、この姿を見ただけでも南武線ファンの私にとっては痺れます。
奥にいる編成はナハH4です。


やがて、ナハH35の動きはありませんでしたので、そのまま東海色の103系を見に行くことにしました。
Googleマップの空撮でも確認できますが、すでに1年以上もここに置かれている103系8両は、廃車置場のあるCikaumやPurwakartaに送られることなく、少しずつ朽ち果てていますが、このままこの場所を墓場とするのか、それとも上記の場所に運ばれる時期が来るのか注目されます。
103系のデザインをBalai Yasa Manggaraiに提出させていただき、その中で私自身のオリジナルのものではありませんが、見事に東海色を選んでいただき、私としては感慨深いものが当時あり、この姿を見ると複雑な気持ちになります。


しばらくこの103系を撮影していると、やはり工場から南武の205系が再び出て来ましたので急いで近寄ってみると、今度はナハH2が入れ替えを行っていました。
そこで写真を撮っているとこの工場に勤務するA氏が声をかけていただき、「入りたいのかい」との問いかけに「南武の205系を撮影したい」と告げると、なんとこのナハH2の車内に入れていただき、そのまま工場の中に入って行ったのですが、するとなんと9/6のDepok車庫に引き続き、南武の205系の3並びが実現しました。
下の写真は左からナハH35、H4、H2です。


ヤッホーということで、この3並びを撮影しているとゲートの番人であるセキュリティーが私のところへ近寄って来て、「入ってはいけませんよ」と外へ出ることを促されましたが、「A氏の許可を得ている」と説明すると、そのまま撮影が継続可能となり、セキュリティーは引き上げて行きました。
A氏の説明によれば、今日は全ての編成をチェックし、その後、Depok車庫へ12連で回送するとのことで、ちょうどその場面に出くわしたのですが、電源も入っていることだし工場の中に入ってしまえばこっちのものだということで、行先を変更させていただき、遊ばせていただきました。
ということで、まずは私の好きな「快速川崎」に設定してみました。


続いて、南武線でもまず見ることのできない「矢向」に設定しました。


これもよほどのことがないかぎり見れないかと思いますが、「快速登戸」に設定し、「快速稲城長沼」をやろうと思っていたところ、すぐに動かすというので断念しました。


感動に浸っているところナハH44とH35を連結し、12連にするのでということで、そのまま連結作業とジャンパ栓の取り付け作業を見守っておりました。


車内についてはDepok車庫に留置されている編成と同様に車内にモニターは取り付けられておらず、JR時代そのままになっています。


ドア上部にはKCJ管内の路線図とドア部分には禁止事項のステッカーが取り付けられています。


車端部の号車番号にはモハやクハ部分が消され、KCJ特有の号車番号が付いていますが、南武線オリジナルの黄色の号車番号も引き続き使用されています。
また、号車番号は12連でも1~6号車ということで使用されています。


先程の12連になったナハH44+H35は午後3時頃にManggaraiを出発し、Depok車庫へ運ぶとのことで、そこで、その回送列車に是非添乗させていただきたいと質問してみると、「いいですよ」という嬉しい返事をいただき、私はこのあとその列車に乗車させていただくことになりました。
下の写真は工場を出場し、Manggarai駅に転線するナハH44+H35で、行先も私の好きな「快速川崎」に設定し、そのまま走ることになりましたが、この添乗レポートは次回ということで報告したいと思います。


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元南武線の205系を求めてDepok車庫へ

2015年09月19日 23時59分59秒 | インドネシア
先日のジャカルタ、マニラ遠征の報告ということで、本日は元南武線の205系の話題から進めていきたいと思います。
近況についてはこのブログにもリンクさせていただいているパクアン急行様のJABODETABEK COMMUTER NEWSをご覧いただければと思いますが、元南武線の車両が全て揃い、Bogor線及びBekasi線のホームが12両に延伸対応されてから営業されるのではないかと思っていたところ、私がジャカルタを離れマニラへ戻ったあとの10日から運用に入るとは寝耳に水で、結果的には営業のシーンは撮影できなかったものの、Depok車庫とBalai Yasa Manggaraiにおいて、元南武の編成、全9編成を撮影できたのは個人的に良い結果だったと考えております。

まずはジャカルタ初日の6日は当初の予定では、10年もお世話になっておりますPT.KAIのR氏の仕事先であるBalai Yasa Manggaraiへお邪魔することになっていたのですが、ご自宅の屋根を修理しなければならないので遅れるとのことで、ならばDepok車庫への入場はいかがですかとR氏から変更を進めらました。結果的にこれは私にとって良かったようで、元南武5編成(ナハH7、H8、H11、H40、H41)が見れましたし、元南武の3並びは夢の夢でしたが、初っぱなから見れるなんてついていました。
左からナハH11、H40、H8です。


南武の帯がやけに明るいなと思い、近づいて指で帯をめくったところ、元南武の色が見えました。どうもジャカルタにおいて新たに南武の帯の色を貼っているようで、今後もジャカルタではこの南武色をそのまま使用するようです。本来のナハH2~H6は色がもっと褪せた色ですので、並べれば違いがはっきりするに違いありません。



こちらはナハH7とH41です。Depok車庫に留置されていた5編成の前面の行先方向幕はほとんどが抜かれ、H11の偶数方のみに方向幕が残っていました。


ナハH11の偶数方には方向幕が残っていたものの電源が入っていないため、行先表示を変えることは容易ではありませんが、それでも手でまわすことを試してみたものの固くて途中で諦めました。


この編成は相模線205系投入前に乗務員室に独自のモニターが付いていましたが、その後取り外されました。
ジャカルタではクハやモハという文字は当然消され、車内の車両番号も消されています。


所属表記と定員も消され、日本からのお下がりであることを払拭しているようにも見えます。


車内はJR時代とあまり変わりなく、KCJ特有の号車番号のステッカーやインドネシア語表記の優先席ステッカーが取り付けられたのみで、車内のあのうるさいモニターは取り付けられていません。いずれは付けられてしまうと思うのですが、私にとってはこのままのほうが良いですし、車内の自動音声もないほうが良いかと思います。


駅名対照表はそのままであり、方向幕があれば南武時代の姿を楽しめます。
しかしながらDepok車庫では電源が入っていなかったため、いじることはできませんでしたが、Balai Yasa Manggaraiでは夢の南武幕にKCJバージョンを楽しむことができました。


運転台も変わっておらず、モニターの快速「通過設定」のステッカーもそのままです。
南武線では横浜線と違って、快速を運転する場合、運転台の左にあるアクリル製の快速、普通種別の札を使っておらず、それぞれ運転士がオリジナルの快速札を持って乗務しています。


その他の面白いものとしては、ハエ31の奇数方のTcはかわいそうに部品取りになっていました。


また、東急8611Fも部品取りに供出され、多くの先頭改造の編成やオリジナルの都営6000形も留置されていました。


以上、1時間ばかりDepok車庫で撮影させていただきましたが、次の日の7日も南武線ファンの私にとっては嬉しいことが続きましたので、この続きは次回報告させていただきたいと思います。
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