先日の203系の話題に引き続き、本日はキハ52の話題に参りたいと思います。
PNRには計7両のキハ52が在籍しており、新潟色のキハ52-102,120,121,123はTutuban~Ligao間に運行されているMayon Limited Ordinaryに充当されていましたが、度重なる乗用車との衝突事故を繰り返し、6月22日朝、Bicol地方のIrigaにおいては、トライシケルというフィリピン特有のサイドカーの付いた乗り合いバイクと衝突し、小学生を含む5人の死者と8人が怪我をするという傷ましい事故が発生しました。度重なる事故の影響か部品が必要となり、ついにはそのうちのキハ52-123が部品供給用となり、床下の部品から取り外しが行われているようです。
下の写真はついに部品供給用となってしまったキハ52-123で、残りの3両はGMお気に入りの色である青+金帯のまさにブルートレイン色に変更されています。ブルートレイン色に変更された3両は、7月21日にTutubanの駅で目撃したものの撮影せず、23日のPNR事務所訪問で撮影できるかと思いきやMayon Limited Ordinaryに充当されていたことをすっかり忘れていましたので撮影できませんでした。見たい方はこのブログにリンクさせていただいている「地味鉄庵」様の7月26日の記事をご覧いただければ、すっかり変貌してしまった姿をご覧いただけます。
一方、国鉄色のキハ52-122,127,137は今まで予備として待機することが多くありましたが、Tutuban~Alabang間で運行されている韓国Rotem製車両の不調により、最近では充当されることが多く、Tutuban発車基準で5:05,7:05,10:05,13:05,16:05に充当されているようです。
私がPNR事務所へ訪問した7月23日も13:05と16:05発にキハ52が充当されている姿を目撃し、PNRの上層部の方に頼み込んで16:05発のキハ52の乗務員室へお邪魔させていただきました。
ということでTutubanからSan Andresまで乗車することとし、今回、私のお供をしてくれたのは2人の地元の鉄男君と鉄子さんで、鉄男君であるM君は21日にTutubanの駅でお会いし、23日も午前中にTutuban駅に行ってPNRの事務所を訪問するよと伝えていたものの、結局、私がTutuban駅に到着したのが午後1時でした。しかしながらこのM君、朝から私の到着を朝飯も食べないでずっとTutuban駅で待っていたようで、私が列車でTutuban駅に到着すると私をすぐに発見し、何か悪いようなことをしてしまいました。(そのあとは昼食をおごったのですが、このM君、細身の体でありながら、ご飯が無料のためか3杯もおかわりしていました)
下の写真は16:05発に充当されたキハ52とAlabangから到着したばかりのRotem製DMUで、ホームにはお供をしてくれた鉄男君ことM君と鉄子さんの姿です。
それでは出発時間も近づいてきましたので、キハ52の乗務員室へお邪魔しましょう。
貫通扉はご覧の通り冷房が付いていないため開けっ放しで、走行写真を撮影する上で奇麗な姿を撮影できませんが、これもフィリピンならではということなので致し方ありません。
16:05、キハ52はTutubanを定刻に出発しました。車内をお邪魔させていただくと、下の写真のとおり席はほぼ埋まっていました。
地図をご覧いただければすぐにわかりますが、Tutubanを出発するとしばらく北にまっすぐ進みますが、1kmちょっと走ったところでAlabang方面の南方線は北へまっすぐ進むCaloocan方面の線路と分岐し、90度東へと向きを変え、90度曲がりきったところでCaloocan方面からの線路と合流します。(デルタ線が形成されています)
かつてはCaloocanとAlabang方面を結ぶ列車が設定されていましたが、現在ではTutuban~Caloocan間の軌道整備がほぼ終了し、高床式ホームも設置されたもののこの区間を行き来する列車はCaloocan工場とTutubanヤードを回送する列車のみで、運行開始の目処はたっていないようです。
しばらくするとLRT1号線のBlumentritt駅が見え、そのLRTの下にはRizal Ave.がこのPNRと平面交差しています。
踏切は全て自動化されていませんので、踏切の番人は連絡を受けて、列車が近づく30秒前ぐらいに横断する自動車に制止を呼びかけますが、中には頑固なドライバーも多く、制止を振り切って列車と衝突する事故も多く発生しているようです。(Buendia Ave.踏切の番人との会話の中で)
最初の停車駅であるBlumentritt駅のホームにはたくさんのお客さんの姿が見られます。果たして全員乗車することができるのでしょうか。
乗り込み開始ですが、無難に全員乗車できたようで私も一安心です。
また、PNRにおいて韓国Rotem製DMUは3両編成のうち進行方向先頭車が女性専用車ですが、このキハ52も同様に先頭車が女性専用車となります。おかげで男性陣は後方2両のみに乗車できるという何とも肩身が狭いですが、このフィリピンにおいては女性上位やかかあ天下(under the saya=スカートの下)の社会がアメリカの影響なのか早くから構築されています。(結婚して亭主関白を押し通す男性はフィリピン人の嫁さんはもらわない方がいいかと思います)
無事に全員乗車できたものの車内は既に乗客達でいっぱいのようで、乗務員室後方の客室へカメラの向けようがありません。
仕方ないので運転士にカメラを向けるとテンガロンハットを冠ったエグザイル風のキザなあんちゃんでした。PNRの職員には日本の鉄道会社と同じでどちらかというと地味目な人が多いのですが、このような垢抜けたドライバーがいるなんてビックリです。
列車はこのまま軌道強化された線路を進みますが、整備される前は線路近くまで不法占拠の住宅が建てられ、軌道はデコボコだらけで、所々で排水ができていないためか大きな水溜りができ、列車通過とともにその水溜りの汚い水をかつて私は大量に被ってしまったことがあります。今では見違えるほど立派に整備され、長期的にはNorth Railからの標準軌がこのPNRの真上に建設、もしくは並走する形で建設される計画がありますが、いつのことになるのでしょうか。
いつの間にか私の知らないうちに先程の鉄男君ことM君は乗務員室のマイクを勝手に取り、「España Station, España」と車内アナウンスをしているではありませんか。このM君はもちろん将来はPNRに就職したいようなのですが、時間がある度に乗車し、車内アナウンスを勝手に行っているようで、PNRのスタッフもほぼ彼のことが知られているのか乗車の際、切符はただのようです。日本の鉄道マニアであれば列車を運転する次にやってみたいのが扉の開閉と車内アナウンスだと思いますが、私も次回はPNRに乗車させていただき、英語、フィリピン語、加えて日本語の車内アナウンスに挑戦してみたいと思います。
列車はEspaña駅に近づいてきましたが、この駅でも大勢のお客さんが待っていました。どうも話しを聞くとこの列車の前の列車が運休してしまったため、その乗客達もこの列車に乗るハメになったのですが、車内は既に250%程度の混雑を呈しており、降車があまりなければ乗車することが難しいようです。
やはり降車が少なく、なんとかほとんど乗り込めたものの、乗車を諦めるお客さんの姿も見られ、車掌は次の列車をご利用くださいと促していました。
しばらくすると列車はLRT2号線の下を潜り、Sta.Mesa駅に近づいてきました。
このSta.Mesa駅も先程のEspaña駅と同様で、乗車できないお客さんが見られ、先程よりも積み残しが多く見られました。
Sta.Mesa駅を出たところで、下の写真のようにスケーターの姿が見られましたが、整備される前のようにどこでもスケーターの姿が見られなくなり、私としてはManilaの混沌としたかつての街の姿が失われつつあることを実感しております。
列車はManilaの母なる川Pasig Liverを渡り、しばらくするとPaco駅が近づいてきました。
私も20年ほど前にTutubanと同様にPaco駅は大きな駅であったことをかすかに思い出しますが、新駅舎の建設が途中で長期間ストップしてしまったのか、廃虚化した駅舎が現在も残され、近年のフィリピンの経済を象徴するかのような出来事にも思えます。近くにある日本のキリシタン大名、高山右近の銅像もきっと嘆いているに違いありません。
列車はPaco駅を出発すると大きく左にカーブし、South Super High Way(SLEX)に続くOsmeña Ave.と並走します。
ここから中央線の東中野~立川間のような直線が10数キロに渡って続き見通しがききますので、次に来るTutuban方面の列車が見えたら、その列車でTutubanへ戻ることを予定していましたが、この大きな左カーブを曲がって直線区間に入った瞬間、2km先にその列車の姿が見られ、本来予定していたVito Cruz駅での降車を諦め、1つ手前のSan Andres駅で降車しました。奇しくもこのSan Andres駅は今回同行していただいた鉄子さんの長年育った街でしたが、短い時間ながらも日本の中古車両のキハ52に乗車でき、楽しいひと時でした。