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Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

南武線ウォッチング

2013年06月24日 21時06分16秒 | 南武線
またまたご無沙汰になってしまいましたが、先週末は時間が取れましたので、恒例の南武線ウォッチングを行い、稲城市内で進めれています連続立体交差事業の観察や南武線を撮影してみました。

まずは稲城市内の連続立体交差事業の様子ですが、南多摩駅では6月8日から通路が変更になり、仮通路から今後、本格的に使用される駅出入口側に通路が移設されました。
駅出入口の北側と南側はシャッターが閉まっていますが、上り線高架時にはおそらくこのシャッターが開けられ、南北方向に通行が可能になると思われます。


南多摩駅ホームの川崎寄りは下り線を撮影する上で良い撮影地でもありますが、立川寄りも川崎寄りほどではありませんが新たな府中街道のアーチ型の橋のオブジェと上り列車をいっしょに撮影する上で良いかもしれません。


続いて稲城長沼駅ですが、5月7日にお伝えした時に比べて着々とホームが整いつつあります。上り線の架線も部分的に張る工事も行われており、来月中には架線工事が終わってしまうのではないかと思いますが、信号設備などの工事も順次行われ、来年春の暫定完成予定が今年の12月に前倒しされる公式発表がそろそろあるのではないかと思われます。


6月に入り、南武線内を2本の臨時列車が運行されましたが、1本は485系華による快速「お座敷山梨さくらんぼ」号で、川崎~竜王間(下りは甲府まで)に運転されました。ちなみに昨年は485系いろどり(彩)による運転でした。


また、南武線の立川~府中本町間を経由する形で、青梅~鎌倉間に大宮の183系による快速「鎌倉あじさい」号が運転されました。15、16、22日はこの列車の約10分後にやはり183系による団体列車が運行されたため、南武線沿線にはギャラリーの姿も多く見られました。


その他、沿線や駅で南武線の205系や209系も撮影してみましたが、上記の臨時快速列車を撮影するついでに多摩川橋梁でサイドを撮影してみました。譲渡されるのかどうか正式な発表がありませんので真相はわかりませんんが、KCJに譲渡されることも予想し、KCJのデザインを考えてみるために撮影してみたのですが、たまたま並走する武蔵野南線にEH200が擦れ違いました。


また、電車に揺られて矢向駅のエレベーター利用者用の通路から鹿島田方向を狙ってみました。この駅では休日において1分差で上下線の列車が擦れ違うことがあるため、上下線の並びを狙ってみましたが、なかなかそううまくいかず、良い並びは撮影できませんでした。


というようなことで簡単にレポートしましたが、今後も時間があるかぎり稲城市内の連続立体交差事業の観察や南武線の205系や209系の撮影にもより力を入れていきたいと思いますので、定期的にレポートしたいと思っております。

185系、南武線に入線

2013年06月16日 17時46分59秒 | 南武線
6月9日~14日にかけて、185系、B7編成4連が中原区に貸し出され、乗務員訓練として南武線に入線しました。貸し出された編成はTc316 MM'232 T'c216で、編成の向きは逆向きで入線しました。
かつて、185系は南武線の府中本町~立川間及び浜川崎線の尻手~浜川崎間に入線したことがありますが、それ以外の南武線の区間においてはいまだに入線したことがないと思われ、中原区の入線も初めてのことになるかと思われます。


中原区に到着後、編成は武蔵新城寄りに留置されました。


10日~13日にかけて、その185系が武蔵中原~立川間において、乗務員訓練と思われる試運転が1往復実施されました。表示は「回送」ですが、「試運転」という表示がないために回送表示になっています。


また、185系が中原区に入線したためか、12、13日には10~11時半という短い時間ながらミニ撮影会が実施され、185系はもちろんのこと中原区の205系も撮影することができました。
185系は「水上」や「草津」、「踊り子」、「はまかいじ」などあらゆる表示に設定していただき、今後見られるのかどうかわかりませんが「修学旅行」という表示にも設定していただきました。


この他、205系の先頭改造車である1200番台が留置されていましたので、まぼろしとも言える「快速ハイキング号川崎」をリクエストさせていただくと、ご親切にその表示に設定していただき撮影することができました。残念ながら南武線の生え抜きのほうの車両は留置されておらず、種別に「快速」、行先表示も「快速○○」ということまでは叶いませんでしたが、オリジナルの山手車において「快速稲城長沼」などのふだんは見れない表示も見られました。


今後、183系が185系に変更され、南武線の団体列車や修学旅行列車として使用されるのか動向が注目されますが、今まで使用されている183系の去就も気になるところです。
最後にこのようなミニ撮影会を実施していただいた中原電車区の皆様方に御礼を申し上げるとともに、今後も電車区の一般公開が定期的に実施されることを期待しております。

尻手~武蔵小杉間連続立体交差事業着手は早くても2019年度?-その4

2013年06月14日 23時30分40秒 | 南武線
昨日の続きということで、本日は向河原周辺について述べ、尻手~武蔵小杉間の連続立体交差事業等の話しは最後としたいと思います。
平間~向河原間において、おおよそ矢向~平間間のように線路に沿って都市計画道路はありませんが、線路の西側に三菱ふそうのグラウンドや橘高校、玉川中学付近においてはある程度のスペースがあることから、仮線を現線路の西側に敷設する方法が最も短時間でかつ事業費が安いのではないかと個人的に予測しております。
下の写真がちょうど玉川中学のあたりから撮影した写真で、線路西側にスペースがあります。以前はこのあたりに武蔵中丸子駅がありましたが、終戦間際の昭和20年4月の空襲で駅舎は焼失してしまい、いつの間にか廃止されてしまったものの、地元で駅の復活運動が行われましたが、駅間が短いなどの問題により結局復活しませんでした。


向河原駅周辺においても、かつてこの駅から新鶴見操車場の市ノ坪まで貨物線が昭和48年まで営業していたことから、向河原駅西側には貨物線用の線路がありましたが、現在では線路が撤去され、一部は駐輪場として使用されていますが、このような線路西側のスペースも仮線を敷設する上では有効であると思われます。
また、向河原駅前踏切付近から横須賀線交差部にかけてスロープ部分になると思われますが、線路西側一帯は日本電気が立地しているため、現線路に沿って仮線を敷設されることが予想されます。
下の写真が向河原駅前踏切から立川方を臨んだところで、今では数少ない南武鉄道時代の架線柱と東電中原線の特高圧線の門形鉄塔が残っています。南武鉄道の架線柱は現在も宿河原駅付近と登戸駅付近などに僅かに見られ、東電の門形鉄塔についてはかつて尻手~武蔵新城(中原電車区付近)間で見られましたが、10年以上前に先程紹介させていただきました武蔵中丸子以南は残念ながら特高圧線が廃止されたため鉄塔の上部が撤去され、武蔵小杉以北も連立によりなくなりました。
また、昔話になりますが、この踏切の西側にある日本電気に引込線が南武線に沿ってあり、ワムなどの貨車が止まっていたのを今でも覚えています。


下の写真も数少ない東電の門形鉄塔であり、南武線の風景としては欠かせないものです。私が幼かった頃は霧雨が降るとこの鉄塔の碍子付近から「ジー」という音が聞こえ、何らか体に悪い影響を与えているのではないかとか思わぬことを考えており、とてもこの鉄塔が不気味に思え、早く撤去してもらえないものかと思っていました。


向河原駅舎入口の上部をよく見ると小さいながらステンドグラスがはめられています。書籍などにも紹介されていませんので駅員さんに尋ねてみたのですが、だいぶ前からあるようで厳密にいつという時期はわからないようです。


ということで昔話も交えて、尻手~武蔵小杉間の連続立体交差事業に関連する話しもさせていただきましたが、早くて2019年度に都市計画決定というような状況であり、都市計画決定から完成までには少なくとも10年はかかるかと思いますので、今から20年後に完成するのではないかと私個人としては予測しております。
この事業について、今後の予定や計画について知りたい方は下記のウェブサイトをご覧いただければと思います。
http://www.city.kawasaki.jp/980/cmsfiles/contents/0000046/46723/250529machi2-1.pdf

尻手~武蔵小杉間連続立体交差事業着手は早くても2019年度?-その3

2013年06月13日 23時36分02秒 | 南武線
お約束どおり先日の続きということで尻手~武蔵小杉間で計画されている連続立体交差事業について、本日は平間周辺のことで述べていきたいと思います。
平間駅周辺は鹿島田駅と比べて大規模な工場が立地していなかったことから住宅が密集しており、駅周辺を中心に商店街が形成され、比較的庶民的な街であると言えるかと思います。今後においても駅周辺では市街地再開発事業や民間による大規模開発は予定されていないことから、連続立体交差事業を実施するにあたって高架方式を採用した場合は仮線の線路を敷設することは困難と予測されることから、おそらくかつての武蔵新城駅のようにこの駅周辺において直上高架方式による方法が最適なのではないかと予測されます。その場合、稲城市内の連立のようにグランドレベルから線路面の通常の高さ5.5~6mよりもさらに高くなり、事業費の上昇、日照権などの問題も出てくるのでないかと予測されます。


平間駅の川崎寄りは府中街道の朱印橋交差点付近までは南武線の線路に沿って西側に都市計画道路矢向鹿島田線が整備されるため、南武線の仮線を敷設することが予想されますが、朱印橋交差点から北側は線路西側に都市計画道路はないため(府中街道自体が平間駅入口交差点付近まで都市計画道路)、平間駅付近においては直上高架方式により事業が行われる可能性があります。
下の写真は平間駅付近から川崎方面を臨みましたが、意外と知られていないことは南武線の中で直線部分が最も長く、鹿島田駅を越え、矢向駅直近までの2.3kmにおよびます。また、南武鉄道の建設当時の話しをしますと、南武鉄道の敷設工事を行っていた大正末期に鉄道省から一方的に新鶴見操車場を建設するという文章と図面が南武鉄道に送られ、南武線の路線変更を余儀なくされています。本来であれば鹿島田駅付近から府中街道の西側に直線的に沿って(ほぼ二ヶ領用水にも沿って)市ノ坪を通り、今井上町付近に抜けるようでしたが、鉄道省が示した新ルートに従い、ほぼそのルートの線形に近い形で線路が敷設されました。この他、当時、武蔵小杉駅付近において、東京横浜電鉄も工事の認可を受けて突貫工事で大正14年2月に開通させてしまいましたが、南武鉄道との交差部はかつての阪急西宮北口のような形で平面交差し、南武鉄道の工事車両と東横の車両が7ヶ月間に渡って行き交っていましたが、工事の認可をあとに取ったのは東横側でしたので、東横側が折れて高架橋を建設し、その費用は東横、南武、鉄道省の3者が分担したようです。
(これらの話しは多摩川新聞社の南武線物語、著者=五味洋治氏に書かれています)


話しが昔の話しに逸れてしまいましたので、平間駅周辺の話題に戻しますと、平間駅周辺の最も賑やかな通りは東西に走る県道大田神奈川線ですが、基本的に平間駅周辺においては都市計画道路として指定されているものの未整備の状態であり、歩道も部分によっては十分な幅員が確保されておりません。ですので、自動車交通と歩行者や自転車利用者が安全に行き来することが困難であり、早期の道路整備が望まれますが、将来的に新鶴見操車場にかかる御幸跨線橋と直線的に結ばれるものの府中街道との交差部において大きな高低差が生じるため、事業実効性を高めるルート等の検討が行われるようで、道路整備にはまだまだ時間がかかるかもしれません。


この他、平間駅前は駅前広場がなく、駐輪場スペースも狭小であり、これらを抜本的に確保するスペースはないことから、南武線の連続立体化によって、高架下にこれらの施設を整備できると思われます。


本日は平間駅周辺について、現状や昔話も交えて述べましたが、最後は向河原周辺について述べていく予定です。

尻手~武蔵小杉間連続立体交差事業着手は早くても2019年度?-その2

2013年06月07日 23時23分12秒 | 南武線
先日は尻手~武蔵小杉間で計画されている連続立体交差事業について、矢向周辺における昔の出来事とともに、今後の懸念される点について述べましたが、本日は鹿島田周辺について述べていきたいと思います。

以前も述べたかもしれませんが、鹿島田は私にとって長年暮らしてきた街であり、約15年間住んでおりましたので、今まで住んできた街の中で最も愛着を持っております。私が暮らしていた昭和40年代から50年代の鹿島田駅周辺の街は、駅前を東西に走る「かしまだ駅前商店街」から南側は大規模な工場が立地し、南武線の東側に東芝タンガロイ、西側には日立精工があり、多くの労働者が鹿島田駅を利用し、賑わいもありました。現在は駐輪場などになっていますが、下り線ホームの西側には日立の体育館があり、たしかホームとその体育館の間に日立の工場へ導くための引込線の線路が存在し、その引込線から南武線の川崎方面へポイントで繋がっていましたが、私の記憶の中では残念ながら貨物列車や貨車の姿を一度も見たことがありません。

下の写真は鹿島田駅西側の駐輪場であり、現在の鹿島田駅は立派な橋上駅舎に生まれ変わり、かつてあった東芝タンガロイや日立の跡地は高層マンションやインテリジェントビルが乱立し、さすがに快速列車が停車するだけあって隣りの矢向や平間と比べ垢抜けています。


鹿島田駅周辺は川崎の副都心として位置づけられ、平成10年に5,0haにおよぶ市街地再開発事業を決定し、この鹿島田駅西側から新川崎駅東側の区域で整備が予定されていましたが、事業の見直し等により区域はほぼ都市計画道路古市場矢上線(鹿島田駅と新川崎駅を結ぶ道路)の南側約2.3haが開発されることになりました。
再来年の春には47階の住宅棟と商業施設等が入る生活利便施設棟が完成する予定で、同時に駅前広場の整備と駅からペデストリアンデッキも整備される予定です。

駅北側の南武線西側に沿う形で都市計画道矢向鹿島田線が一部整備されていますが、府中街道(国道409号)が交差する部分においては直近に川崎堀踏切が位置するため、鹿島田駅までの区間を開通させたとしても現状のままでは安全性が保たれないため、南武線の連続立体交差事業とともに一体的に整備されることが望まれますが、この道路が本格的に使用されるのは相当先のことではないかと想像しています。


府中街道には川崎駅と溝の口駅などを結ぶ東急バスが運行されていますが、朝のピーク時を中心に定時性運行に支障が出ていると思われます。特に臨港バスの川崎駅と元住吉駅などを結ぶ路線においては、矢向と鹿島田間にある塚越踏切の直近で曲がり、かつ鹿島田踏切を通過するため、定時性運行に相当な支障が出ているのではないかと想像し、先程、直接バス会社に問い合わせしてみたのですが、ダイヤにある程度余裕を持たせて運行させているが、多少の遅れがありますとのお返事でした。


以上、鹿島田周辺について述べましたが、現状で線路西側に都市計画道路が整備されることから、高架方式により事業を実施する場合、一時的にこの都市計画道路上に仮線を敷設して事業を進めることが最も合理的であると想像しておりますが、高架構造物と現在の橋上駅舎やペデストリアンデッキのクリアランスをどうするのか、線路東側においては日照権などの問題も発生するのではないかと思っています。

本日も話しが長くなりそうですので、明日以降、平間以北について述べていきたいと思います。




尻手~武蔵小杉間連続立体交差事業着手は早くても2019年度?

2013年06月04日 19時46分06秒 | 南武線
稲城市内で実施されている第2期区間の矢野口(稲城大橋)~府中本町(多摩川橋梁)間の上り線工事が大詰めを迎えていますが、朝のラッシュ時の1時間に方方向で24本の列車が運転されている川崎方においては、これ以上の増発は無理であり、かつ開かずの踏切が日常化している尻手~武蔵小杉間の踏切では大きな問題となっています。
2000年頃から尻手~武蔵小杉間の連続立体交差事業の基礎調査・検討が行われ、川崎市の都市計画マスタープランにおいてもこの区間の連続立体交差事業の記述が盛り込まれていますが、京急大師線の連続立体交差事業の進捗を見極めながらと記述されていることから、本格的な調査・検討があとまわしにされてきたようです。
しかしながら、今年3月策定の川崎市総合都市交通計画の中では、今後10年以内に事業を着手とすることが記述され、京急大師線の事業の進捗とは別に動くようで、来年度から2年かけて事業調査に取り組み、その後の3年程度で詳細調査を実施し、事業着手は早くても2019年度以降になる見込みとのことです。
この事業の対象区間は約5.5kmであり、駅は矢向、鹿島田、平間、向河原の4駅、踏切は13箇所で、このうち矢向第2、塚越、鹿島田、平間駅前踏切の4箇所は自動車交通の渋滞が顕著化しており、この13踏切の最大遮断時間の平均が40分で、最大が49分となっています。
また、この事業での構造形式は高架方式となるのか地下方式となるのか決定されておらず、検討段階のようですが、高架方式の場合はおおよそ700億円程度、地下方式の場合は高架方式の2倍の事業費が予想されますが、一部、南武線の西側に線路に沿う形で都市計画道路が整備されることやある程度のまとまった用地があることから、武蔵小杉~武蔵溝ノ口(第3京浜)間の第1期区間と同じように仮線高架方式で事業が実施されるのではないかと予想されます。

ということで、この事業の実施までにはまだまだ長い時間がかかりますが、ちょっと興味がありましたので、この区間の沿線ウォッチングに行って参りました。
それでは川崎寄りから見ていきたいと思います。
矢向駅構内はご存知のように昭和35年まで車両の修繕などを行う電車区があり、中原に電車区が設置されたあとも電留線として機能しています。
以前でしたら川崎発この駅止まりの矢向行きや矢向始発の立川方面行きの列車もありましたが、現在では3番線(貨物1番)から立川方面へのポイントも撤去され、矢向始発川崎行きのみが旅客扱いし、川崎発矢向止まりは全て回送扱いとなります。


矢向駅の駅前広場には南武鉄道が開通したのを記念して記念樹がありますが、昭和20年の空襲により矢向駅周辺は焦土化したものの、3本の記念樹のうち楠だけが奇跡的に蘇生し、90年近くが経過する現在でも繁茂し続け、この駅や街の象徴として人々から愛着が寄せられています。


下の写真は鹿島田・新川崎地区にある新川崎三井ビルディングから矢向駅構内を眺めたものです。
私自身の矢向駅の昔の思い出ですが、昭和40年代は3番線に貨車と連結したDE10らしき機関車が止まっており、当時、多摩川近くの河原町団地南側にあった川崎河岸駅で貨物列車が止まっているのを府中街道を走る路線バスから見たことがありますが、この3番線(貨物1番)に止まっていた貨物列車はおそらく川崎河岸へ出入りしていた列車ではないかと思います。
また、ストライキの日に車両が日中でも留置されていましたので、旧型のクモハ73の500番台に乗り込んで、方向幕を回して普段は見れない青梅線の方向幕にして遊んだことも今となっては良い思い出になっております。


話しが昔話になってしまいましたが、この駅周辺において連続立体交差事業で懸念される点について述べますと、矢向駅構内は川崎市と横浜市の境界線上であり、かつ電留線が現在も使用されているということです。尻手駅から矢向駅までは横浜市域ですので、横浜市として連携し事業を実施することが最適であり、一昨年6月に川崎市と横浜市の両市域に関わる交通網について密接に連携協力しつつ、効率的かつ効果的に検討を進めるための覚え書きが交わされていますが、果たして横浜市が連携して事業を一体的に進められるのか懸念されます。電留線の扱いについてはJR側と協議し、矢向以外に車両を収容できる場所を新たに設けるのか、既存の収容能力を維持して矢向駅構内に電留線を設置した場合、行政側の負担が問題になるかと思われます。(さらに電留線施設内に川崎市と横浜市部分がありますので、負担割合の話し合いで時間がかかるかもしれません)
この他、尻手側には尻手短絡線と呼ばれる尻手~新鶴見信号所間の単線の短絡線が、尻手第3踏切と日枝踏切において南武線と平行しており、この短絡線も含めて立体化を行う場合、構造的に問題が出てくることが予想されます。

次は鹿島田以北へと話しを進めていきたいところですが、どうも話しが長くなりそうですので、本日はこのへんで終了し、明日以降とさせていただきたいと思います。

103系投入当初の頃の南武線Part4

2013年05月29日 23時29分56秒 | 南武線
本日は久しぶりに南武線の103系投入当初の思い出について述べていきたいと思います。
103系投入当初の頃の思い出については今から6年前にいろいろと述べましたので、詳しいことについては過去の記事をご覧いただければと思いますが、南武線に初めて103系が投入された当時は私はまだ高校生であり、南武線を利用して学校へ通っておりました。101系オンリーだった南武線において103系は電動機やコンプレッサー、ブレーキの緩解などあらゆる面で私にとって新鮮であり、かつ衝撃的な出来事でしたので、できるだけ103系に乗車するように心がけておりました。
103系が南武線に投入されることを知ったのは、103系が投入される前の昭和57年5月だったと思いますが、豊田区からオレンジ色でそのまま転入されるのであろうと思っていたところ、最初の1編成はカナリアに色替えの上転入するとは思ってもいませんでした。当時、鹿島田から登戸まで南武線に乗車し、中原電車区の様子を見ながら通っていましたが、6月12日頃かと思いますがカナリア色のT'c526の1両が車庫の南側の留置線にポツンと留置され、行先表示が「奥多摩」を表示していたかと思いますが、私にとっては衝撃的なシーンでありました。その後、残りの5両もカナリア色で転入し、1編成が組成できるような状態になりましたが、6両貫通編成ではなく3+3編成で登場することになりました。
6両が揃ったところで、あとは営業につく段階となった時、どうしても初の営業に乗車してみたいと思い、中原区に尋ねて教えていただきました。
それは今でも忘れられない7月23日の1740デからですが、この41運用は武蔵中原→川崎→登戸→回送→宿河原(夜間滞泊)と短い運用とわかっていたものの、やはり103系好きにとっては絶対乗るべきということで、武蔵中原駅に出区の数分前にホームで予め待ち続けていると真新しいカナリアの103系が入線しました。私は川崎寄り2両目のM'260に乗車し、川崎で折り返したのち、そのまま登戸まで乗車し、初の103系乗車を堪能しました。

下の写真は初の営業運転を終え、宿河原へ回送される前のシーンで、編成はMc121 M'260 T'c526 Mc57 M'157 T'c528です。
最初の編成の電動機は全てMT55(低音)でしたが、川崎寄りのMM'ユニットと立川寄りのMM'ユニットで音が異なり、立川方のほうが若干高い音であったことを記憶しています。(明らかにMT55Aではない)


ここで、南武線103系第1陣の車両番号と転入日を下記のようにまとめました。
昭和57年6月11日 T'c526(カナリア)
昭和57年6月16日 Mc121 M'260(カナリア)
昭和57年7月6日 Mc57 M'157(カナリア)
昭和57年7月17日 T'c528(カナリア)
昭和57年7月31日 T142(カナリア)
昭和57年8月11日 Mc69 M'177 T760 M167 M'314 T'c525(オレンジ)
昭和57年8月17日 Mc46 M'142(オレンジ)
昭和57年8月21日 Mc54 M'153 T168 M'149 M'280 T'c582(オレンジ)
昭和57年8月28日 T771(カナリア)
昭和57年10月14日 M749 M'2006 T770(オレンジ)
昭和57年11月9日 M165 M'310(オレンジ)
昭和57年12月14日 Mc42 M'135 T211 M93 M'132 T'c608(オレンジ)
昭和57年12月17日 T759(カナリア)
昭和57年12月26日 Mc55 M'154 T761 M170 M'325 T'c507(オレンジ)
昭和57年12月28日 Mc11 M'84(カナリア)
昭和58年1月7日 T767(カナリア)
昭和58年1月19日 Mc53 M'152 T'c523 T'c614(オレンジ)
昭和58年2月1日 Mc59 M'160 T'c513 M103 M'164 T'c576(オレンジ)
昭和58年2月23日 Mc58 M'158 T766 M142 M'267 T'c515(オレンジ)
昭和58年3月1日 Mc84 M'200 T'c539 Mc56 M'156 T'c510(オレンジ)
昭和58年3月23日 Mc85 M'201 T210 M96 M'141 T'c509(オレンジ)
以上71両が豊田区から中原区に転入しました。

オレンジ色のMc69~の編成が2本目として営業に就き、同じくオレンジ色のMc54~の編成が3本目として営業に就きましたが、私はこの3本目の編成がお気に入りであり、昭和58年10月まで長きに渡り車両の差し替えがなくオレンジ1色で維持し続けました。


豊田区から中原区に転入する103系は大部分が3+7の編成からでしたが、昭和57年8月~10月にかけて、10両貫通編成のうちの一部の車両が転入し、方向幕のないT770とT771(1次冷改)の異端児と当時、南武線では唯一のユニット窓で電動機がMT55AのM749 M'2006が転入しました。もちろん私はこのM749 M'2006のユニットがお気に入りであり、電動機と消音器の付いたコンプレッサーの音が好きでしたが、晩年の頃は松戸区に転出し、いつの間にか低音のMT55に換装され、車両番号と同じ2006年まで活躍し、常磐線さよなら103系としても活躍した車両でもあります。


103系投入当初の頃はオレンジ色同士の並びも珍しくなく、101系非冷房のオレンジ色との並びも見られましたが、残念ながら101系と103系のオレンジ色同士の並びは撮影しておりません。


以前にも述べたことがありますが、Mc85が転入してきた当時、なぜか山側の乗務員扉が黄色のものとなっており、中原区の職員に頼み込んで撮影させていただきました。営業に就いた時点では残念ながらオレンジ色の扉になっていました。


T'c608が最も最後にオレンジからカナリアに色替が行われ、昭和59年9月までカナリアとオレンジの混色編成が見られましたが、途中、昭和59年3月にT210とT211が松戸区と豊田区に転出する代わりに松戸区から非冷房のM319 M'475が中原区に転入し、その後、3色混色編成が見られました。


豊田区からの転入が一段落した昭和58年5月1日時点の編成表は以下のとおりです。
(一番左の数字は編成番号で、この当時は編成札は使用していません。)
1 Mc42 M'135 T767 Mc58 M7158 T'c523
3 Mc57 M'157 T211 M93 M'132 T'c608(T211 T'c608はオレンジ)
5 Mc56 M'156 T761 M170 M'325 T'c614(全車両オレンジ)
10 Mc11 M'84 T766 M142 M'267 T'c507(T766 M142 M'267はオレンジ)
12 Mc69 M'177 T760 M'167 M'314 T'c525(全車両オレンジ)
15 Mc84 M'200 T759 M103 M'164 T'c576(T759以外はオレンジ)
18 Mc54 M'153 T168 M149 M'280 T'c582(全車両オレンジ)
21 Mc121 M'260 T142 M165 M'310 T'c528(M165 M'310はオレンジ)
27 Mc85 M201 T210 M96 M'141 T'c515(T'c515以外はオレンジ)

その他(検査など)
Mc53 M'152 T'c509
Mc55 M'154 T'c510
Mc59 M'160 T'c513
T771 T'c539
(T'c513 T771以外はオレンジ)

本日は103系投入当初の頃の思い出や混色劇などを述べましたが、今後も南武線の車両に纏わる面白いエピソード、思い出などがありましたら、写真とともに公開していきたいと思っております。









南武線ウォッチングー稲城市内連続立体交差事業第2期区間進捗状況等

2013年05月07日 23時18分30秒 | 南武線
このゴールデンウィークは時間が取れましたので、久々になってしまいましたが南武線ウォッチングを行ってきました。
まずは稲城市内で現在進められている第2期区間の連続立体交差事業の状況ですが、上り線を高架化させるための工事が進行中で、構造物自体や軌道敷の設置もほとんどの部分で完成しております。今後は架線や信号設備の設置、稲城長沼上り線用高架ホーム完成に向けて工事が行われるかと思いますが、工事は大詰めの段階に来ているような状況かと思われます。

下の写真は稲城長沼駅上り線用ホームの様子を撮影したもので、屋根の設置やホーム上設備の工事が行われている段階です。


立川方では上り線から下り中線へのポイントも設置され、下り中線から本線への部分においてかつてあったバラストも取り除かれています。


今後の予定として、公表されているスケジュールでは平成26年春頃に上り線を高架化(稲城長沼駅上り線は上り中線を使用)、27年春頃には稲城長沼駅2面4線化完成予定で、上り本線が使用可能になる予定ですが、実際の動きとしてはもう少し予定が早まりそうで、今年12月までに上り線の高架化が完成し、稲城長沼駅の2面4線化についても前倒し(平成26年内?)になるかと思われます。


現在、快速運転が川崎~登戸間で実施されていますが、矢野口駅の川崎市側にある踏切において、快速列車と各駅列車では警報機が鳴りだす位置が異なりますので、稲城長沼駅の2面4線化が実現された以降に快速列車の運転区間が登戸から稲城長沼に延長されることも予想されます。その際には今後の利用状況に応じて快速の停車駅も決定するかと思われますが、京王相模原線との乗換駅であり、かつ乗降客数の多い稲田堤が快速停車駅になるのではないかと想像しています。また、快速列車運転区間の延長に伴い、快速列車と各駅列車の緩急の接続を武蔵中原もしくは他の駅で実施するのかどうかも気になるところです。

下の写真は大丸踏切より南多摩駅を撮影しましたが、北側の風除けもほとんど完成しているようです。


下の写真は元々富士通のあったところから撮影したもので、ちょうど高架区間の終わる取り付け部分となりますが、南武線を撮影する上では今のところ適した場所です。


最後に上記の連続立体化のこととは関係ありませんが、中原区の209系全車に対して更新工事を行うとJR側は公表しておりますが、南武線生え抜きのナハ32編成は快速列車の運転が実施される前に行先表示がLEDに変更されたものの更新工事がいまだに実施されず、今後、更新工事を行うことになるのか、それとも廃車になってしまうのか、今後の動きに注目しております。





南武線近況報告

2013年02月17日 20時51分26秒 | 南武線
昨年の6月以来、南武線近況報告がご無沙汰になってしまいましたが、皆さんもご存知の中原区の縁の下の力持ちであったクモヤ君が先日12日に廃車回送され、静かに消えていきましたので、その話題と近況報告ということで簡単に述べていきたいと思います。

まずは毎年恒例となっている修学旅行列車が昨年の10~12月にかけて運行されました。
この列車に抜擢なれたのはいつものとおりマリのあずさ色183系6両編成であり、中原出区直後に中原入区の車両とのツーショットが連日見られました。


南武線内において、この修学旅行列車を順光で撮影することは困難であり、できれば明るい曇り空のほうが適しています。


続いて11月18日に特急色のOM102編成が、南武線内を団体列車として運行されました。
いったいどことどこの間を走ったのか忘れてしまいましたが、南武線内ではあずさ色に比べて特急色のほうがインパクトがあります。


それから1986年(昭和61年)3月にクモヤ90とバトンタッチする形でほぼ同時期にクモヤ145-110(5年後小山区に転出)と一緒に配属されたリモコンで動くクモヤ145-116が遂に廃車回送されてしまいました。実に27年間も在籍し、中原区にかつて在籍していた101系や103系よりも長い間働き続けたのですが、一般の人にとっては見向きもしない車両であり、中原区ではいつも夢庵の脇で静かに留置されていました。
中原区の社員が列車番号をいじったのか、休車していた先月は立川方が「39145」(サンキュー145)、川崎方が「5963」(ご苦労さん)となっていました。


廃車回送日の2月12日、中原区のことですから旅発つ前に何か労ってくれるのではないかと期待してみるとささやかでありますが、花飾りが貫通扉の中央に取り付けられていました。


101系や103系が在籍していた頃からもそうなのですが、墓場前の車両が走る南武線と言われようとも中原区の検修の方々は熱心に車両のメンテナンスを行っており、車両に対して非常に愛着心を持っていることが伝わってきます。


中原出庫直前に花飾りも剥がされてしまったようですが、武蔵中原駅では平日にもかかわらず大勢のギャラリーがシャッターを切っていました。(私もその1人ですが)


最後に本日久しぶりに南武線ウォッチングを行いましたが、マリのあずさ色183系が南武線内に団体列車として運行されました。「高津歩こう会」の団体による列車のようで御殿場線の下曽我まで運転されたようです。


クモヤ145が去ってしまい、また話題が1つ消えてしまいましたが、今後も時間があるかぎり南武線ウォッチングを行い、南武線の近況報告や101系・103系在籍時の話題も提供していきたいと思っております。


南武線に各種ジョイフルトレイン運行

2012年06月12日 02時01分53秒 | 南武線
5月ゴールデンウィークの更新からご無沙汰になり、大変申し訳ありません。4月訪問時のフィリピン国鉄の話題についてはとりあえず報告しましたので、ひとまずは話題を変えて南武線の話題などを今後お届けしていきたいと思っております。
今年も例年どおりにジョイフルトレインなどによる臨時列車が運行されていますが、ここ最近の動きを簡単にまとめてみました。
5月18~20日にかけて立川~伊豆急下田間に「リゾート踊り子号」が運転されました。
今回は2月に使用されたアルファ・リゾート21により運行され、沿線住民や利用客の目を引いておりました。


多摩川で撮影すると車両サイドの斜めのストライプが際立って見えますが、南武線においてはグリーン車(ロイヤルボックス)を除いた6両編成で運転されたため、少々華やかさが欠けてしまいます。
1993年製造のこの車両、製造から既に20年近くになり、205系や209系とほぼ同世代なのですね。臨時列車として運転されている「リゾート踊り子号」が軌道に乗り、定期列車として運行されれば、数年後には新型車両が運行されるのではないかと思われますが、今後の行方が気になるところです。


続いて6月9、10、16、17日に快速「いろどり山梨さくらんぼ号」が川崎~竜王間に、同日に快速「鎌倉あじさい号」が青梅~鎌倉間に運行されています。
まずは485系「いろどり」を使用した快速「いろどり山梨さくらんぼ号」が今年も運行され、送り込みの途中で武蔵中原に30分ほど停車します。
ですので、3番線に武蔵中原止りの南武線の車両と並びを見ることができます。


また、快速「鎌倉あじさい号」は立川~府中本町間のみ南武線を通りますが、普段はあまり見ることができないあさま色の189系であり、ギャラリーを多く見かけました。


7月以降も南武線には各種臨時列車が運行されますので、できるだけ南武線車両とのツーショットを狙っていきたいと思っております。