ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「まっ いいか、懲りずに、また行こう」

2015-10-26 06:25:51 | 日記
JR東日本で出している『小さな旅ホリデー・パス』というのがあります。
利用できるのは、土・日・祝日で当日限りの1日間。
指定されたフリーエリア内で、普通列車(快速含む)が乗り降り自由。
通常大人、2670円ですが、「大人の休日倶楽部」会員用ですと1850円。
私は、時々利用して楽しんでいます。

昨日、25日(日)も出かけました。
もちろん、一人旅。
東北本線→仙石線に乗り、石巻港まで行くつもりでした。
先の震災で、一部通れなかった仙石線の区間も全て走れるようになったことも嬉しく、
この目で復興の姿も見てみたい、というのが出かけた理由です。
そして、もう一つ、ある店の「海鮮丼」を食べる(これが、メインだったかも)。

朝起きたら、青空が広がっていました。
空気が ひんやりしていたので、すこし厚めのコートも持参、
ルンルン気分で列車に乗り込んだのです。

少し早めに乗車して、一番前の車両、運転士席のすぐ後部に座席を取りました。
「出発進行」
私も運転士の「目」になったつもりで、線路前方の信号を指差喚呼(声は出しませんでした)。
もうすっかり幼稚園児の遠足よろしく、運転士さんになってしまって、
  ♪運転士は君だ 車掌は僕だ
   あとの四人が 電車の お客
   お乗りは お早く 動きます
   チン チン♪
などと、鼻唄まじり。

ところが、福島を過ぎ、白石あたりで信号機が「赤」。
列車は、強風と、前を走行している電車車両内のトラブルとかで、停止・徐行を繰り返し、
ほぼ2時間、大幅に遅れて仙台着となりました。

一つの路線電車に遅れが生じますと、他の路線電車にも遅延等が波及します。
さて思案のしどころです。
仙台駅構内のレストランで、昼食のスパゲティを食べながら考えました。
石巻まで辿りつけたとしても、行く目的は叶いそうにありません。
下り電車も、遅れている模様です。
結果、今日は、ここから戻ろうと決心。

電車を乗り継いで、夕方我が家のある駅に到着。
めっぽう、つかれたような、損をしたような。

でも、
「まっ いいか、懲りずに、また行こう」
と、気を取り直し、我が家へのバスに乗り込みました。
“うっ さむっ!”

我が家には「こたつ」が出ていました。
                                    〈ゴマメのばーば〉
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静謐さと余白の豊饒さ

2015-10-25 05:33:05 | 日記
知人で、お世話になったMさんから お便りをいただいて「書」の記念展へ行って来ました。
二十五周年「蒼筆会記念展」。
Mさんの作品も二点出品されていました。
いい作品でした。
私は、Mさんの「書」が好きで、毛筆の年賀状を頂くのを、毎年楽しみにしています。

数年前、年賀状を〈作った〉時の日記です
《パソコンが少し いじれる様になったので、年賀状を作ってみた。
パソコン内のテンプレートを使って、数枚の年賀はがきをデザイン。
これは新鮮な驚きであった。
クリップアートから、様々な絵や図形をダウンロードして出来上がった仮刷りの幾枚かを手にした時は“ばんざい”と言いたい程の満足感。
昔、「オール天然色映画」を初めて観た時にも似た感動を味わう。
あの方にはこのデザイン、お世話になっているS先生には此れ、親しい友人にはこちらなどと、
受け取った方々の顔など思い浮かべながらの終始楽しい作業であった。

ところが、こうして仕上げた「年賀はがき」であったが、二三日経ってみると、
どうした訳か“なんだかなぁ”と、見飽きた様な気分に陥ってしまったのである。

この急速な心変りは何なのだろう。
何度も眺め返してみると、賑やか過ぎて騒々しい。
つまり『過剰』なのだ。
子どもの頃着せられた七五三の晴れ着にも似て、可愛らしくはあっても、シンプルさに欠けている。
可愛らしい干支のウサギの絵なども、子どもじみていて私にしっくりと寄り添ってくれない。
「私の年賀状」という愛着が持てない。
暖色を使っていても温もりが無い。

ところで、絵描きさんのSさんから頂いた年賀状は、さすがプロの作品。
干支であるウサギの顔がデザイン化されてシンプルに描かれており、二つの耳が大きく長い。
顔にはヒゲが左右二本ずつ付いているだけ。
シルエット内のグラデーションにも深みがある。
「お見事!さすが!」
長い兎の耳からは『眼聴耳視』という言葉さえ聴こえてくるではないか。

“やっぱりねぇ”と、改めてプロのすごさを知らされた思いである。
書道家のMさんから頂いた年賀状は、いつも新年にふさわしい品格を備えていて、
私の心まで清々しくなる筆跡。
筆字の落ち着きと静謐さと余白の豊饒さに充ち満ちていた。
私の作った年賀状は、テンプレートのあれこれの寄せ集め細工に過ぎず…………。》

“やっぱりかなわないなぁ”
カルチャーセンターで、講師も務めているMさんと、しばしの歓談。
元気なMさんと、いい作品に触れられて、いい一日でした。
                                    〈ゴマメのばーば〉
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今年も、柿が、

2015-10-24 06:40:26 | 日記
今年も柿が実りました。
父が植えてくれた柿の木です。
今年は実の数が少なかったせいか、いつもの年より大きな実になりました。
まるで、桃の様な形です。

まだ柿の木の葉っぱがたくさん残っているのに、柿の色付きが、あっという間に進んだので、
もいで渋抜きをしました。
一番姿かたちが良く、大きなものを選んで、今日墓参りに行って柿を供えました。
“今年も、柿がなりました”
と、報告し、
“一緒に、食べましょう”と、生きている人に言うように語りかけて、柿を食べました。
《うん。甘いな》
父がそう言ったような気がしました。

見上げると青い空が。
新幹線も走って行きます。
父が あちらへ逝って50年経ちました。
こうして、墓参りをしますと、父を身近に感じるのです。
あちらが近づいて来たものか、私が近づいて行くのは、
どちらからとも、判然としません。
でも、心は安らいでいます。

連れ合いや、近くに住む娘が、
“お墓まで、クルマに乗って行ったら”
と、言ってくれるのですが、いつも お断りしています。
バスを乗り継いで、郊外の景色を眺めながら、一人故人を偲ぶのもいいものです。
故人と会うための、アプローチロードですから。

  『素朴な琴』
                      八木重吉
  このあかるさのなかへ
  ひとつの素朴な琴をおけば
  秋の美しさに耐へかねて
  琴はしづかに鳴りいだすだらう

高台にある お墓の坂を、ゆっくり ゆったり降りてきました。
振り向いて、
「命日の日に、また来るね」
と、言って、「琴の音」に耳を澄ませました。

秋日和です。
                                    〈ゴマメのばーば〉
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喜んでいるのは、自民党・安倍政権の皆さま。

2015-10-23 06:16:02 | 日記
維新の党。
何だか ごたごたしています。
政党ですから、党員もそれぞれの政治主張はあることでしょう。
でも、傍から見ていますと、あまり喜ばしい状況ではありません。

私は、「維新の党」の党員でも支持者でもありません。
でも、先般の国会で質問に立った議員方々のなかには、
“あぁ、この様な方もいたのだ”
と、改めて いい意味での評価が出来る方も発見して嬉しく思っていましただけに、
今回のごたごたは、残念のひと言です。

喜んでいるのは、自民党・安倍政権の皆さまではないでしょうか。
野党勢力に亀裂が生じ、野党の力がそがれれば、相対的に与党は安泰。
政権側が、かなり えげつない施策を打ち出しても、批判できなく、
いや批判力に不足をきたしてしまいます。

先国会の大詰めあたりで、橋下徹氏と安倍総理が会ったあたりから、
何やらキナ臭さは感じていました。
憲法すら無視した政治を行っている自民党政権に対して、
野党が、『NO』と言わなければならない時に、このごたごたは実に残念としか言えません。

《政党交付金の奪い合いが、対立の根源》
とも評されていますが、維新の党に一票を投じた個々の有権者の意向などは、
一体誰が拾ってくれるのでしょうか。

“ったくもう!”
と、政治に嫌気がさして来て、
〈もう、後期高齢者なんだから、あれこれ、つべこべ もの言いなどせずに、
 せめて、心のあり方だけでも、余生を穏やかに過ごそう〉
などとの誘惑にも駆られます。

でも、作家の高橋源一郎氏が、
著書『ぼくらの民主主義なんだぜ』で、紹介している なだいなだ氏の言葉に触れたりしますと、
そうはいかない気持になってくるのです。

  《…………なだいなださんは、晩年、インターネット上に「老人党」を作り、
   平易なことばで、発言を続けた。
   なださんは、絶筆の一つで、手術のできない癌にかかっていると告白した後、
   こう書いている(※)。
  『正直言うと、どうせ死ぬんだから、ふがいない政治、今の社会をいっそ見放してしまえ、
   と冷めた気持になることもないとは言えません。
   だけど私はやはり、生きている間は社会に責任があると思っています』と。》

             ※ なだいなだ著『人生の終楽章だからこそ〝逃げずに″生きたい』
                                    
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今年の「10月21日」

2015-10-22 06:20:59 | 日記
昨日、「10月21日」晴れ。
雲ひとつなく、空が高く澄み渡っていました。

そんなわけで、南会津地方に紅葉を観に行って来ました。
国道4号線を南下、白河市から国道289号線を西へ。
雪割橋の紅葉を眺め、甲子トンネルを抜け、下郷町の道の駅で、三本槍岳を眺めながら、
ソバを食べました。
ついでに、ソフトクリーム。

観音沼の遊歩道を暫く散策。
さしたる風もないのに落ち葉がさらさら、からからと舞い落ちてきました。

紅葉した山の佇まい、透き通る風の中にいますと、自分も山々や風と同化してしまいます。
溢れんばかりの木漏れ日の中で、
ただ、しーんと、鎮まって。

帰りは、国道121号線を北へ。
会津若松へ出て、お城近くにあるレストラン『アドリア北出丸カフェ』で、コーヒーとケーキを。
私の好きなレストランです。

さて、帰り道となりました。
お日様は大分西へ傾き始めました。
磐梯山を眺めながら、
“はて、今日は何日だっけ”
と。

「10月21日」です。
あっ、と思いだしました。
72年前、雨の神宮外苑で、「学徒出陣壮行会」が行われた日でした。
いつも、この日は、「あの日」を思い出して平和への希求を強めていましたのに、
今年は、すっかり忘れていたのです。

心の中で、「ごめんなさい」と謝りました。
東條首相の訓示、
出陣学徒の行進、
「抜刀隊」のメロディー、
最後に「海行かば」の大合唱、
この壮行会に出た出陣学生のうちの多くが、戦死したのです。

国立競技場が、東京五輪のメーン会場として建て替えられるため、
競技場内にある〈学徒出陣の慰霊碑〉は、一時、撤去されたはず。
元学徒や、遺族の方たちが集まって追悼会を開いた際、参加された方の一人が、
  『彼らが生きていれば、もっと楽しかったり、
   面白かったりする人生を送れるはず……』
と語った言葉を思い出しました。
ふるさとの秋を眺めることも、コーヒーを飲むことも出来ずに
逝ってしまた多くの若者たちでした。

“ごめんなさい、今日の記念日を忘れていて”
私は、もう一度、つぶやくように言いました。
夕日に、猪苗代湖の湖面がきらきら輝いていました。
                                    〈ゴマメのばーば〉
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