ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「人間、がんばれば…………」とは。

2015-10-09 06:27:13 | 日記
ノーベル医学・生理学賞に輝いた、大村 智氏。
続いて物理学賞に輝いた梶田隆章氏。
嬉しいニュースが続きました。
『科学への道は「消去法」で選んだ』
と語られた梶田隆章氏は、やっぱりエリートです。
村上春樹氏は残念。

ノーベル賞受賞のニュースを聞いていた大学生のG君、
「消去法でいったら、オレ、なーんも残んねえよ」
と、やや、自嘲気味にボヤキました。

“そんなことないわよ、人間、がんばれば…………”
などとは言葉にできませんでした。
小学校低学年の児でもあるまいし、二十歳(はたち)を越えた青年に、
そんな言葉は嫌味としか響かないでしょう。
せいぜい
“まぁ、無い物ねだりしてもはじまらないし、自分の持っているものを活かし、
努力することでしょうね”
などと、ごまかしました。

やっぱり、何かを受賞するということは、ノーベル賞のような大層な賞でなくとも、
持って生まれた「能力」と「運」と「巡り合わせ」に因るものだと思います。
運を掴める、ということも、努力できる、ということも、また能力の一つですから。

まだ学生だった頃、私は校長先生の訓示が嫌いでした。
入学式や卒業式で、校長先生が、
『皆さんの未来は開けている。希望をもって打ち進み、努力すれば何にでもなれる』
という「お言葉」を聞くたびに、心の内で〈あかんべー〉をしていたのです。

《頑張ったって、出来ないものはできませんよ。
私が、いくら励んでも、オリンピックで、世界記録などは出せません。
人間の脳みそだって、遺伝的に量・質共に差があります。
何にでも成れる、何でも出来る、などと、いい加減なことは言わないで下さい》

などと、心の中で“ふん!”と悪態をついていたのです。
今でも、そうした生意気さから抜けきれない78歳です。

だから、やっぱり、金子みすゞ、が好きなんです。

   『私と小鳥と鈴と』
                     金子みすゞ
   私が両手をひろげても、
   お空はちっとも飛べないが、
   飛べる小鳥は私のように、
   地面を速く走れない。

   私が体をゆすっても、
   きれいな音はでないけど、
   あの鳴る鈴は私のように、
   たくさんな唄は知らないよ。

   鈴と、小鳥と、それから私、
   みんなちがって、みんないい。

飛べなくったって、
走れなくったって、
唄えなくったって、
「消去法でいったら、なーんも残んなくったって」、
あなたが、あなたであれば、それでいいよ。
私は、大学生のG君の背中に、無言のエールを送りました。

そして、言葉をかけました。
“G君、ご飯食べていかない?”
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする