ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『菊日和と、秋日より』

2015-10-13 06:27:25 | 日記
『75歳以上の体力、過去最高==運動習慣で維持』
などと報じられますと、私は、何となく肩身が狭い気がいたします。

運動嫌いな私です。
今のところ、歳相応に健康だと思ってはいますが、身体のあちこちのネジが緩んだり、
油が切れてきて不思議ではない年齢です。
健康作りの運動などに参加しないと、「一億総活躍社会」などと銘打つ社会では、
それこそ「非国民」などというレッテルを貼られかねません。
それも、社会保障費・医療費を無駄喰いする悪徳老人でもあるかのように。

でも、何を持って「健康」とするのかは、
これまた価値観と共に、多様な定義があるのだろうと思います。
若い人間は生産性の高い人が、
老いては、社会の邪魔にならず、
ボケたりもせず、
「ピンピン ころり」を良民とする…………。
そんな目的志向の世の中は、あまり住み心地は良くない気がいたします

先日の日曜日の礼拝で、牧師先生が玉木愛子さんの詩を教えて下さいました。
  『イエスさまの 懐にいて 菊日和』
随筆家で俳人である玉木愛子さんは、小学校へ入学した頃からハンセン病の症状が出ました。
病気による様々な苦労を身に負いながら、キリスト教の信仰を持ち、生かされている意味と、
神の恵みに感謝して人生を終えられた方です。

こうした方を見ますと「健康」とは何か、と改めて考えさせられます。
高齢になっても、50代の体力・知力・認知力があったからと言って、
人としての「健康度」が優れているとばかりは言えないのではないでしょうか。

今日は、秋日和です。
夏ものの衣類を、すっかり風通しをして整理しました。
さっぱりしました。
部屋の中には、かすかに樟脳のにおいが残っています。
考えてみれば、こうした日常こそ幸せの形なのかもしれません。
健康にせよ、暮らし方にせよ、何でも平均とか標準とかが最良とは言えない様な気がします。
パソコンにだって、「カスタマイズ」があるのですから。

二階の窓から眺める空は高く、斜めになった日射しの ずっと遠くの山並みは、
秋をまとい始めました。

『イエスさまの 懐にいて 菊日和』
を言い換えて、
『イエスさまの 懐にいて 秋日より』
などと言いながら、夕飯の支度を始めました。
                                    〈ゴマメのばーば〉
コメント
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