ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

静謐さと余白の豊饒さ

2015-10-25 05:33:05 | 日記
知人で、お世話になったMさんから お便りをいただいて「書」の記念展へ行って来ました。
二十五周年「蒼筆会記念展」。
Mさんの作品も二点出品されていました。
いい作品でした。
私は、Mさんの「書」が好きで、毛筆の年賀状を頂くのを、毎年楽しみにしています。

数年前、年賀状を〈作った〉時の日記です
《パソコンが少し いじれる様になったので、年賀状を作ってみた。
パソコン内のテンプレートを使って、数枚の年賀はがきをデザイン。
これは新鮮な驚きであった。
クリップアートから、様々な絵や図形をダウンロードして出来上がった仮刷りの幾枚かを手にした時は“ばんざい”と言いたい程の満足感。
昔、「オール天然色映画」を初めて観た時にも似た感動を味わう。
あの方にはこのデザイン、お世話になっているS先生には此れ、親しい友人にはこちらなどと、
受け取った方々の顔など思い浮かべながらの終始楽しい作業であった。

ところが、こうして仕上げた「年賀はがき」であったが、二三日経ってみると、
どうした訳か“なんだかなぁ”と、見飽きた様な気分に陥ってしまったのである。

この急速な心変りは何なのだろう。
何度も眺め返してみると、賑やか過ぎて騒々しい。
つまり『過剰』なのだ。
子どもの頃着せられた七五三の晴れ着にも似て、可愛らしくはあっても、シンプルさに欠けている。
可愛らしい干支のウサギの絵なども、子どもじみていて私にしっくりと寄り添ってくれない。
「私の年賀状」という愛着が持てない。
暖色を使っていても温もりが無い。

ところで、絵描きさんのSさんから頂いた年賀状は、さすがプロの作品。
干支であるウサギの顔がデザイン化されてシンプルに描かれており、二つの耳が大きく長い。
顔にはヒゲが左右二本ずつ付いているだけ。
シルエット内のグラデーションにも深みがある。
「お見事!さすが!」
長い兎の耳からは『眼聴耳視』という言葉さえ聴こえてくるではないか。

“やっぱりねぇ”と、改めてプロのすごさを知らされた思いである。
書道家のMさんから頂いた年賀状は、いつも新年にふさわしい品格を備えていて、
私の心まで清々しくなる筆跡。
筆字の落ち着きと静謐さと余白の豊饒さに充ち満ちていた。
私の作った年賀状は、テンプレートのあれこれの寄せ集め細工に過ぎず…………。》

“やっぱりかなわないなぁ”
カルチャーセンターで、講師も務めているMさんと、しばしの歓談。
元気なMさんと、いい作品に触れられて、いい一日でした。
                                    〈ゴマメのばーば〉
コメント
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