ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

兵士の語る言葉は、

2015-10-15 06:24:20 | 日記
以前に比べると、NHKのニュース番組を、あまり見なくなりました。
見るには見るのですが、何となく首を傾げたくなることも多かったからです。
「偏っている・政権より」などと言えないこともないのですが、これも主観が強く入りますので、
私としては以前のようには重んじなくなった、そんなところです。

10月11日(日)放映の
BS1スペシャル『私は何を運んだのか』
――元LST乗組員が見つめるベトナム戦争――
は、いい番組でした。

内容の一部です。
今年の7月、一人の日本人・五味 実さん(76歳)が、40年ぶりにベトナムを訪れました。
五味さんは、かつて、ベトナム戦争当時、戦地へ物資を運ぶアメリカ船・LSTに乗って
仕事をしていました。
当時、およそ1400人の日本人が船員として乗りこんでいて、任務中6人が死亡しています。
アメリカ軍は、「日本人は安く雇えて腕がいい」ということで雇っていたとのことです。

五味さんがベトナムを訪れたのは、
任務中に、ロンタウ川で南ベトナム解放戦線からの攻撃を受け死亡した同僚を弔うためでもありました。
五味さんは、川に お花を投下して合掌しました。

そして、戦争中、ベトコンと呼ばれた解放戦線の一人の兵士にも会いました。
兵士は、アメリカ兵との戦闘で左腕を失っています。
お二人の会話の一部です。

  (兵士)  『日本は戦闘に加わらなかったけれど、
        物資を輸送してアメリカを後方で支援していました』
  (五味さん)「でも、LSTがベトナムに運んできた荷物の中には、
        お米とか食料もたくさんありました」
  (兵士)  『その目的は、ベトナムでの戦争のためでしょう。
        だから、私たちは攻撃したのです。
        武器だろうと何だろうと、何かを運んでいれば、すべて攻撃対象です。
        日本人が、直接戦闘に加わらなかったといっても、
        私たちにとっては戦争に参加したことと同じです』

兵士の語った言葉は、道理です。
50年の時を隔てて解放戦線の兵士と向き合い、兵士の語る言葉を聴く五味さんの表情は複雑で、
戸惑いがちで、悲しげでした。
兵士の語る言葉は、私の胸にも突き刺さる思いがいたしました。

帰国後、五味さんは、
「最初から、そういう物資を運ぶことが分かっていたら志願はしなかったですね」
と語り、
「50年前、自分は、なにを運んだのか」
と、自身に問うような表情は淋しげでした。

五味さんは、また、「枯れ葉剤被害者保護センター」を訪れた後、
枯れ葉剤の後遺症を負って暮らしている子ども達を見て、
  “ちゃんと、正座して土下座しようと思った”
  “子ども達に対しては、大人としてね、申しわけないという気持ちでいっぱいだった”
と、悲しげに語ったのです。

安保関連法が制定。
自衛隊も、後方支援ということで、様々な危険に遭遇するかもしれません。
相手国の人々に対して、様々な痛みを負わせてしまうかもしれません。

国会での政府の答弁などを思い出しながら、番組を観終えました。
いい番組でした。
                                    〈ゴマメのばーば〉
コメント (2)
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