ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

固くて小さな丸い芽が、紅色を帯びて。

2015-10-27 06:33:29 | 日記
昨日は、日曜日(25)日と うって変わり、風もなく穏やかな秋日和。
25日は、「小さな旅ホリデー・パス」を使って石巻方面へ行くつもりが、
強風やら列車内のトラブルやらで、行けず終いでしたので、天候が一日ずれてくれれば、
と残念でもありました。

朝は かなりの冷え込みで、寒がりの私はストーブを点けました。
まだ室内に取り込んでいない君子蘭も寒さが こたえたことでしょう。
夏の強い日射しを避けて東北側の軒端に鉢を置き、水やりやら、施肥などをしてきましが、
もう室内に入れなければいけない時期になったのです。

そんなわけで、今日は午後から、花木の鉢類を家に取り込みました。
日射しは斜めに、明るく輝いています。

コーヒーを淹れ、
炬燵も つけ、
自分も、花木達もあったかくなったような気がしました。
暑い季節に涼しい部屋で過すことは 気持がいいものですが、
寒くなる時期に、あったかい所にいる様な安らぎはありません。
寒くなる季節は、あったかいモノをも、併せて届けてくれるようです。
早めに、夕飯の支度をし、ホッとしていましたら、この春、結婚した孫から電話が入りました。

来年、夏の初めに、ひいばぁちゃんになれそうです。
うれしい電話でした。

20年ほど前、私は副鼻腔に腫瘍ができて摘出手術を受けました。
術後の不安な期間を過していた時、離れ住む5歳と2歳の孫たちが見舞いにやって来ました。
病棟の食堂にあたる大広間を元気に動き回る孫たちの姿を、私は今も鮮明に覚えています。
そして、
“あぁ、これからは「この いのち達」が生きて行くのだ”
と思ったのです。
少し早いけれど、死が訪れたとしても受領出来るようにさえ思え、
私は穏やかな気持ちで入院の日々を過すことができました。

我が子を育てていた時期には、〈この子等を育て上げるまでは死ねない〉と、
強く念じていましたが、孫は違います。
孫は、あちら側に行く時に、その橋を安らかに渡らせてくれる存在なのだと思います。
いのちの継承・近未来の具現なのですから。

ひ孫ちゃんは、一体、何を私に届けてくれるのでしょう。
地球の長い、長い歴史を一年ほどで駆け抜け、来年 顔を見せてくれる小さき者へ、
ひいばぁちゃんは、心を込めて言いましょう。
『ようこそ いらっしゃいました』と。

一昨日の風で、生垣のドウダンツツジも大分葉を落としてしまいました。
葉の落ちた小枝の先々には、固くて小さな丸い芽が、紅色を帯びて、春を待っています。
                                    〈ゴマメのばーば〉
コメント (8)
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