散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

敗戦の日と終戦の日の違い~権力から社会への「情報」の循環

2013年08月20日 | 歴史
8/15は終戦の日と呼ばれる。何故、敗戦の日ではないのだろうか?この疑問は多くの人に共有され、マスメディアでも時に浮上するが、大きな話題になることはない。どこかで抑制が効いている感じだ。これも「空気の支配」なのだろうか。

勝利を祝うことはあっても敗戦を記念する必要はない。これは敗戦の日と呼ばない明快な理由だ。スポーツ大会でも負けたものは単に帰るだけだ。「終戦」は勝者/敗者の共通する事象であるが、問題は勝敗だ。しかし、直接に戦ったのではないが、その中で被害を被ったものたちにとって「終戦」は切実だ。

やっと終わったか!これが玉音放送に対する一般人が感じたことではないか。太平洋戦争末期、東京大空襲を始めとした各地の空襲、一般人が巻き込まれた沖縄上陸戦、広島・長崎への投下、ソ連の参戦、この時期の何かのときに「いつ終わるのか」との思いを抱いたとしても、当然のことだ。

天皇を始め、戦争指導者層はポッツダム宣言の「無条件降伏」が出された時、戦後処理を覚悟したはずだ。この時、近いうちに「敗戦の日」になることは共通の認識になったはずだ。それ故、「一億玉砕」を主張する人間もいたのだ。しかし、それは権力集団内部の戦いで、一般社会からは閉ざされた世界のことだった。

その社会から隔離された権力を、情報経路として再び社会へ開放したのが玉音放送であった。それを聴いた一般人の様相がメディアを通じて権力側にも伝達されたはずだ。ここで天皇と一般国民の間に「情報の循環」が生じる。指導者層、中間層もまた、同じ情報に接したはずだ。

一般国民の圧倒的な支持、何も言わずに黙認という形であるが、これが聴く側の態度だと、権力側は感じたに違いない。サイレントマジョリティという言葉を使うには、この時が一番適切で、後にも先にもこれに及ぶものはないだろう。

後に60年安保闘争の中で当時の岸首相が「後楽園で野球を見ている人」と国会で答弁したが、その象徴性は玉音放送と比べようがなく小さいのだ。

その意味で「終戦の日」を決めたのは一般国民の黙示的反応が基盤にあったからだ。従って、それは決して「敗戦の日」にはならない。召集され戦った人たちも含めて戦後はここから始まるのだ。


      
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