散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

京都を再建した山本覚馬~八重の桜の世界

2013年08月14日 | 歴史
ドラマでは八重の兄・山本覚馬が京都を再建した姿が描かれている。山口昌男「「敗者」の精神史」(岩波書店)の表現では、「会津の敗者たちの中でひときわ際だっているのは、山本覚馬の場合である」(P184)。8/11放送の「第32回 兄の見取り図」がそのクライマックスになる。八重はその取組に協力していく。
 
本の中では山本覚馬に始まり、様々な交流関係が広がっていく処が描かれている。「これらはいずれも、薩長の藩閥政府の秩序感覚に慣れ親しんだ感性からは出てこない近代日本の関わり合い方であり、それ故に「敗者」の精神史を貫く糸となるような関係または系譜であると言えるであろう」(P217)。

ドラマの冒頭、京人形の業者たちに、外国への輸出を奨める。日本の人口3500万人全員へ売っても60年間ではいくらになるのか?との問いかけから輸出へと話を進める。これも本に書かれている処だ。

博覧会は東京での開催の前をいき、第1回は明治4年西本願寺、第2回は本願寺、建仁寺、知恩院で行われた。この企画の話もドラマに載せられている。そして物語の中心となる同志社大学創立へと導かれる。新島襄の登場だ。

岩倉具視率いる欧米使節団の通訳として新島は参加している。不平等条約改正を断られた時、木戸孝允と大久保利通が一大使節団の派遣でやり合う場面が設定されているが、単なる政局の口喧嘩の域を出ず、使節団派遣の意味等の深い議論には全く届いていない。

会津の仇役として、描いているだけの様に見え、これではドラマが安っぽくなるだけだ。三島由紀夫であれば、木戸対大久保に岩倉を絡ませて、明治政府の苦しい立場とそれを乗り越えるアプローチでの対立へ昇華させたであろう。あでやかな山川捨松の登場の導入役だけになり、残念なプロットではあった。

今後は覚馬を脇役にして、八重と新島との出会いから結婚へと話は進むであろうが、覚馬は「置き去りにされ負け派の都市と何ら異なることのなかった京都を、ほとんど一私人で立ち直らせ、その後の時代への適応を助けた」「覚馬なくば、京都は学問の府の位置を獲得することなく、陰の薄い第二の奈良というに止まっていたかも知れない」(P194)、重要な仕事をした人物であった。

しかし、NHKドラマは京都を会津と同じく敗者の地として描くことが出来るだろうか。

      

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