散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

哲学的表現としての「生活世界」~自分史余滴(3)

2022年06月03日 | 個人史

 自分史の表紙には、
 表題「或るベビーブーム世代の生活世界」、 
 副題「個人・住民・citizen」、
 更に加えて「市井人の自分史」、
 及び「社会史の中の個人史」も表記してある。
それぞれが筆者の「自分史」を構成するキーワードになる。

表題で『生活』を避け、哲学者フッサールがその現象学で展開した言葉「生活世界」を選んだ理由は、その言葉が示すイメージによる。即ち、「生活=日常生活」から生まれる一般的な生活習慣の連想が、漫画「サザエさん」的な生活循環イメージに繋がることを避けたかったからだ。即ち、その表題から社会的・政治的な関心・活動のイメージを発想する余地は乏しいように感じるからだ。

一方、「生活世界」は哲学的発想から「人間とは?」に迫った言葉として幅広くイメージを想起させる用語と考えた。従って、「私の履歴書」ではない「市井人の自分史」を「社会史の中の個人史」として成立させる媒介役として、この用語が適切と判断した。

『現代人の思想15 未開と文明』山口昌男編著(平凡社:1969年)の冒頭の解説「失われた世界の復権」において、氏はフッサールの近代哲学批判『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』フッサール(中央公論:1974年)、即ち幾何学的方法が日常的生活世界に「理念の衣」を被せたとの指摘を引用する。
その後、山口は哲学叢書『文化と両義性』(岩波書店:1975年)において「日常生活を生きる人間の主観的意識を通して捉えられた世界が、究極的に理解されるべきこと」を更に引用して、生活世界の「多次元性」を論じる。そこでは(社会)学の対象として「生活世界」を構成したアルフレッド・シュッツが紹介される。この頃に筆者は木田元『現代哲学』(日本放送出版協会:1969)から現象学に関心を持つことになるのだが。

上記の三点は「生活世界」に係る哲学的参考文献です。一方、社会科学的参考文献は以下の三点になります。

 1)『生活世界の構造』シュッツ&ルックマン(ちくま学芸文庫:2015年)
 2)『日常世界の構成』ルックマン(新曜社:1977年)
 3)『社会的世界の探究』山岸健(慶応通信:1977年)

結論的には哲学的に提起された「生活世界」を受けて、1)においてその構造が整理され、更に具体的に2)、3)で展開されている。

 


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