散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

ロシア革命におけるレーニンと古儀式派~下斗米伸夫教授のトークショー~

2013年05月12日 | 政治理論
渋谷の小さな映画館でロシア特集と共に下斗米伸夫・法大教授のトークショーがあることを知って出掛けた。一年半前(2011/9/21)の台風による大雨の日であった。映画「大祖国戦争」は典型的なプロパガンダ映画で、ときたまウツラウツラしながら観ていた。しかし、(筆者にとって)肝心のトークショーでは眠気も覚めて、現金なものだ。

前半は「映画のタイトル、『大祖国戦争』です。『第二次世界大戦』ではない、この差異に先ず注目!」から入り、第二次世界大戦におけるスターリンを中心としたソ連の状況を生々しく描写した。歴史的事実とその解釈に引き込まれた。

続いて後半が(筆者にとって)白眉であった。
レーニン主義というのを私自身は別な角度から見るようになっています。」「ロシア帝国とソ連帝国という二つの帝国が終わって初めてよく見えたことのひとつに、宗教、とくに古儀式派という異端の潮流があります。」に引き込まれる。

聴いているときは“コギシキハ?”であり、聴き取り概要がネットに掲載され、始めて“古儀式派”とわかった。「ロシア帝国以前の古いロシアの人々は別の儀式で信仰を維持してきた。」

「彼らから見るとロシア帝国は宗教的な裏切り者、サンクトペテルブルグは反キリストの街である。自分たちの本当の信仰はモスクワである。モスクワは第3のローマだ、という考え方を持つ非常に原理主義の流れが二百数十年間生き残り続けます。これが20世紀に再生したのです。日露戦争での帝国ロシアの動揺、そしてロシア革命です。ロシア革命もこの流れを見ないとわからない。」

これにはビックリだ!ロシア革命がロシア正教以前の旧い原理主義、宗教シンボリズムの匂いを漂わせ反ロシア帝国の“コギシキハ”と密接に関わっているとは!「これが20世紀に再生した」との言葉からな永井陽之助のいう“グノーシス主義”が想い浮かんだ(『二十世紀と共に生きて』「「二十世紀」の遺産」(文藝春秋社1985) P32)。

ここから「スターリン体制の“全体主義”的性格の思想的根源にレーニン主義がある。」(『戦争と革命』「現代と戦略」(文藝春秋社1985) P284)までは頭の中で繋がっている。アジアから中南米、アフリカへと伝搬する“現代の革命”の根源!本日の日経の書評に下斗米氏の新著「ロシアとソ連 歴史に消された者たち」(河出書房新社)が紹介され、「ロシア政治史」にパラダイムチェンジを図ると書かれている。

      

自衛権の発動は「正義の戦争」~自民党・憲法改正草案・第九条~

2013年05月10日 | 政治理論
今から2年前、オバマ米大統領はビンラディンを米軍が殺害したときに、テレビで「正義はなされた」と演説した(ビンラディン氏の死(2011/5/3))
自民党の憲法改正草案を読んだとき、これはアメリカの「戦争と平和」のイデオロギーを保持するものだと仰天した。その第二章第九条・戦争の放棄は以下である。

『第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。第2項 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。』

第1項の規定は現憲法とほぼ同様で有り、第2項は現憲法を真っ向から否定したもの、即ち、自民党が本当に入れたかったことの前段である。そして、第九条の2・国防軍、第九条の3・領土等の保全等が本論であって、自衛権を基盤に集団自衛権、国連軍参加などの規定を盛り込んでいるのだ。

現憲法は第九条第2項において「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」として、第2章・戦争の放棄を正面から規定しているのに対し、自民案は全くの尻抜けである。

更に第1項に謳った「正義を基調とする国際平和」を希求する立場から放棄した戦争のなかに、第2項に基づく、自衛の戦争は含まれないことになる。逆に言えば、第九条の2,3に基づく武力の行使も「正義の戦争」の範疇に入ることになる。

平和憲法における「正義」の問題を米国自由主義イデオロギーとして取り上げ『このイデオロギー側面は、徹底的に再検討しておかないと、今後、平和にとって極めて危険な爆発物になる』と指摘したのは永井陽之助である(「平和の代償」P164、以下同様)。

簡単に触れれば、グラスルーツ(草の根)民主主義に基因する村落者の平和哲学であり、禁酒法、独占禁止法と共通の発想である。そこで、日本人の「自然村」秩序観がその内面で一致すると考えれば、第九条が日本で受け入れられた理由も理解できる。

以上から、自民案第九条は平和憲法と自衛権を接ぎ木することにより、グロテスクな「正義の戦争」憲法を構想したことになる。おそらく、自民党の誰しも、このことに気づいていないであろう。それこそが最大の問題である。

     



主体的浮動層の重要性~投票動向の変化から見出すもの~

2013年01月04日 | 政治理論
選挙での投票を分析するのは、単に政党間の消長を議論するだけではない。それでは、単なる勝負の問題だけになる。本ブログでは、過去3回の選挙における全国の得票結果を踏まえて、その基本動向を以下のように捉えてみた。

1)小選挙区制は「有権者による政権交代」という機能を十分に発揮している(12/23)。
2)改革志向層は、小泉改革自民党、民主党、第3極と選挙毎に漂流している(12/24)。

ここでは、抽出した改革志向層から更に“主体的浮動層”の問題に踏み込んでみる。主体的浮動層とは組織・利害に固定されず、また、日常の行動を一定方向へ流し込む圧力等から自らを解放し、都度、政治行動を能動的に選択する層のことだ。多数決原理・二大政党制は、一方に固着せず、常に自主的判断で浮遊する層がいて成り立つ(『二大政党制の理論と実態』永井陽之助「政治意識の研究」(岩波書店)P233)。この視点から次の表を説明する。

衆議院選挙 比例代表区 投票・得票の前回との差(万票・パーセント)
 衆院選挙 「小泉政権」 「郵政改革」 「民主改革」 「自民再政権(現状)」
 期日     2003/12    2005/09   2009/08     2012/12       
 投票率   59.8%   67.5%  69.3%    59.3%
 投票数   5950    +831   +256  -1020  6017
 自・公    2939    +537   -790   -313  2373
 民 主    2066    +37    +881  -2022   962
 維・み               0    +300  +1450  1750

左右両端のカラム、2003/12及び9年後の2012/12の選挙を比較する。2003/12選挙は、自由党が民主党と合併、自民と民主の二大政党が小泉政権下で出揃った処だ。一方、2012年選挙の投票率は2003年選挙とほぼ等しく、得票数では「自・公20%」「民主55%」減少し、「維・み」は「自・公」の75%、「民主」の2倍を占め、同じ自民党の政権とは言え、2003年選挙とは意味合いが大きく異なる。

ここで、全国区での得票率が高い「維・み」(維新の会及びみんなの党)は連合を組めず、小選挙区でも十分の候補者は立てられなかった。一方、「民主」の得票率では小選挙区で「自・公」に勝てる選挙区は極めて限定され、時の野田首相の決断は民主党の起死回生には結びつかず、この“ねじれ”が響いて「自・公」圧勝へ繋がった。

結果論であるが、小選挙区・二大政党制選挙の制度的な意味合いが大きく崩れた選挙と言える。しかし、そのねじれを生んだ、その間の改革を巡る2005年及び2009年選挙の動向が持つ意味が重要になる。票の中間にある3カラムはそれぞれの選挙での投票・得票の前回との差である。

上記の二つの選挙に挟まれた2005年及び2009年両選挙は投票率が70%近くになったことが特徴であり、2003年及び2012年選挙と比較し、800-1,100万票程度多い。これは「郵政改革」「政権交代」との掛け声を聞く熱気に包まれた雰囲気の中で行われたからだ。従って、その勢いに乗って2005年「自・公」、2009年「民主」が大きく伸びた。更に、それぞれが後退するなかで、第三極が今回の2012選挙で本格的に台頭した。

改革志向層が「小泉-民主-第三極」と改革の主体を求めて移り変わる一方で、2005年に2003年から約1,000万増えた投票層の多くは改革の実態に飽きて、再度の棄権に回ったように見える。さて、9年間の変化を以上のように捉え、類型化し、主体的浮動層に焦点を当て、考察しよう。

各政党支持の固定層が安定の要因となり、一方、変化の要因となる浮動層を主体的浮動層及び客体的浮動層(メディア等による空気に左右され易い層)に分ける。類型は以下になる。他に「アノミックス型…変化・非同調or過同調型」も考えられるが、ここでは省く。
 「各政党固定層…安定・同調型」
 「主体的浮動層…変化・自主型」
 「客体的浮動層…不安定・同調型」
 
但し、上記の類型は必ずしも固定ではなく、各人それぞれの要素を持ち合わせ、状況によって異なる反応もする。すなわち、個人を分けるための類型ではないことに注意が必要だ。

票数の単純なデータであるため、状況も同様に簡単化、投票動向の全体を素描する。
先ず、「自・公」「民主」「維・み」の固定層は現状の票をベースに浮動票を引けば良い。下記の式を参照しながら、主体的浮動層α,β,γに注意しながら簡単に説明しよう。

「自・公」固定層は票全体か減少傾向であり、依然として、主体的浮動層も残存(α)。
「民主」固定層は極端に減少、「維・み」へ逃げた可能性あり、βはゼロに近い。
「維・み」固定層は得票をベースに、主体的浮動層α,β,γ及び客体的浮動層ηを引く。

主体的浮動層、客体的浮動層は、本来すべての政党にいるはずだ。
しかし、主体的浮動層の圧倒的多くは「維・み」支持(γ)、「民主」には残っていない。
客体的浮動層は、ほとんど「維・み」(η)と考え、他に今回は棄権に回った1,020万票を考える。
 「自・公」固定層… A=2,370万-α
 「民 主」固定層… B=960万-β
 「維・み」固定層… C=1,750万-γ-η
 主体的浮動層 … X=α+β+γ
 客体的浮動層 … Y=η+1,020万
 A+B+C+X+Y=6,000万

「自・公」は必死に固定層を守り、「維・み」は巨大な浮動層(おそらく「η≫γ」)を獲得した。おそらく、改革志向層は「X」とおおよそ重なるだろう。その数は読み取れない。

以上のような非常に荒っぽい素描であっても「全体像」を描くことは重要と思われる。何故なら、「主体的浮動層」が浮上し、比較的少数であっても、キャスチングボードを握ることが、大衆民主主義の時代における政治社会の“進展と安定”を確保する道だからだ。一方、政治エリートの世界でも、優れたリーダーを中心とした意思決定システムを確立する必要がある。

現状は、例えば、政府が執行する政策をマスメディアが批判し、それを受けて世論形成が行われる。その民意に議員が発言し、政府も対応する。更にマスメディアが…という風に、頭と尻尾が結びついて循環し、意思決定の所在が不透明になる。客体的浮動層がツイッターなどのネット世論も含め目立つからだ。有権者側における世論形成のスタイルを確立するためには、「主体的浮動層」のネットワークを働かせる方法論が必要だ。

      
               

石原慎太郎、最後の我欲~『太陽の季節』の帰結としての権力欲~

2012年11月04日 | 政治理論
石原慎太郎氏は東京都知事時代の2011/3/14、震災への国民の対応について記者団に問われ、「津波をうまく利用して我欲をやっぱり一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」などと発言したことが報道されている。あとから、陳謝して取り消したそうだが。

政治家・石原知事であるから取り消したのだろうが、作家・石原慎太郎であれば取り消しなど、しなかったろうに…。作家から政治家への道に進んだ処に石原氏自身の我欲が表現されている。即ち、“権力欲”である。1955年に発表され、石原氏の名前を一挙に、社会に晒した作品『太陽の季節』をウィキでは次のように紹介している。『裕福な家庭に育った若者の無軌道な生き様を通して、感情を物質化する新世代を描く』『弟・裕次郎の噂話が題材という』『倫理性の点で、一般社会に賞賛と非難を巻き起こした作品』。

「感情を物質化」とは良くわからない表現であるが、感じたことを具体的に欲する、とでも解釈しておこう。要するに“我欲”である。それが本の中では、として表現されている。裕福な家庭に育った新世代の若者は、その後に続く戦後世代の象徴であり、先駆けでもある。

『ナンパした少女と肉体関係を結び、その後、付き纏われるのに嫌気がさし、兄に彼女を売りつける』。ここには、裕福さで物質欲を満たした孤独な若者が、次に肉欲を満たすと共に性を通して女に対する征服欲に目覚め、その負の表現として、金銭を介して少女を捨てたことが描かれている。これが我欲に関する作家・石原慎太郎の表現であれば、賞とそれを介した名誉欲だけに我欲が終わる作家に飽き足らず、本人の行動として政治へと向かうのは成行きとも言える。

『性と政治は、性衝動と権力欲という「要注意」の爆発物にかかわる点で、きわめてアナロジカルな関係に立つ』(永井陽之助「現代政治学入門」P7(有斐閣))。そこで、「英雄、色を好む」という言葉も頷ける。性欲と身近な権力欲(征服欲)を合わせて満たす対象になるのだ。更に、そこから生まれる世継ぎは、自らの権力の継承を意味し、その権力は永遠へ近づく。

今回の都知事辞任、新党結成のタイミングは、長男・石原伸晃が所属の自民党総裁選で敗れたことから選ばれた、と言われている。1989年の自民党総裁選に出馬したが、海部俊樹に敗れ、その後、1990年の衆院選挙で、石原伸晃が立候補し、親子揃っての議員ができあがった。それが、1995年の議員在職25年表彰において辞意を表明し、議員としての後継は長男に譲り、満を持して1995年の東京都知事に打って出た。成る程と思わせる経緯である。

都知事四選出馬も自民党幹事長としての石原伸晃からの出馬を要請があった。これも『我欲がいつまで続くのか?』との見方ができる。更に、その知事も途中放棄で新党結成に走った。橋下維新との接触は、政策の議論ではなく、は何が何でも国家権力へ近づこうという姿しか、見えてこない。結局、石原の最後の我欲は『太陽の季節』の帰結としての権力欲であり、橋下氏もまた、それに巻き込まれる存在なのか、試されている。

        

領土問題における“国家”と“社会”~「戦争」対「人間関係のネットワーク」~

2012年08月25日 | 政治理論
野田首相は8/24の記者会見で『李明博大統領宛てに送った親書を、韓国政府が日本側に送り返したことに関し、韓国が島根県・竹島を不法占拠していると明言し、竹島を含めた領土や領海を不退転の覚悟で守る考えを強調する一方、韓国に対して冷静な対応も求めた』ことが報道されている。領土問題は基本的に“国家”、即ち政府間の問題である。それは暴力(戦争)によって決着させる現実的可能性を含むからだ。

改めて強調すべきは、日本と韓国の“社会”の問題ではない、ということだ。それにも関わらず、筆者の社会活動の領域である地域少年サッカーにおいて、夏休みの「日本―韓国」の交流が今回の騒動の余波を食らって中止になるケースが出ていると仄聞している。これは今に始まったことではなく、日本と韓国の国家間での問題が起こる度に繰り返されることである。これは日本も韓国も“社会”が“国家”から自立できていないことを示している。

社会の自立は、日本において地方自治、特に住民自治の程度によって診ることができる。現在の地方分権は団体自治の実現に色濃く傾斜しおており、それもまた、その団体の主張の半端さと国の官僚機構の権限確保によって停滞しているのが現状である。

更に、国と社会、特に住民レベルとを繋ぐ政治的回路は国・地方の議会・議員だ。しかし、地方では「議会改革」という言葉に象徴される状況が未だ続いている。一方、今回は国会で竹島、尖閣諸島に関する決議を行った。国家レベルでの対応をしたことは良い。しかし、これを地方にまで持ち込まないことが大切であろう。

一方、住民レベルを繋ぐ情報回路はマスコミ報道であるが、これもテレビ・新聞の全国的な普及によって情報が一方的に社会へ供給され、情報と共に固定観念も合わせて供給される。これが全国一斉に行われ、それに触発された一律的反応が更に報道され、政府の行動を拘束するようになる。昨今の原発問題、また、今回の領土問題しかりである。

その中で、国家と国民を同一レベルにおいて行動をけしかけているのが佐藤優氏である。http://blogos.com/article/45408/?axis=b:1
「韓国の横暴な対応に、国家と国民が一体になって反撃しなくてはならない。」「首相の親書を送り返してくるということが外交的に持つ意味は、日本国家と日本国民に対する侮辱以外の何ものでもない。」との発言になる。しかし、「国家と国民が一体」になれるわけがない。国民は社会の住人であることを基本とする。国(政府)は税金によって運営され、国民を守ることを負託されている。政府はそれを実行する義務が有り、出来なければ、国民は政府を変えることが必要になるだけだ。何故なら社会は平和であることを望んでいるからだ。

では、平和へ向け、“社会”が国の行為から離れてなすべきことは何だろうか?

それは、世界がグローバル化によって相互依存を増していくなかで、国を超えて「人間関係のネットワーク」を広げていくことだ。デマゴーグ・佐藤優の巧みな言葉による誘導に乗って国家と一体になって反撃することではない。国家には国家としての役割がある。従って、反撃することが必要だと判断すれば、それは自ら実行すれば良いだけだ。

しかし、社会の役割は別にある。情報空間が拡大し、相互の有する時間・空間が密接に結び合う世界のなかで、それぞれ異なる社会間のコミュニケーションは密接になると共に誤解、紛争の拡大も伴う。そのなかでトランスナショナルな領域を広げ、平和の中で活発な活動を行っていく基盤になるのは、信頼に基づく人間関係のネットワークである。

インターネットが発達して、誰とでも直ぐに情報を交換できる世界になった時に改めて気が付くことは、共同体験と人間的接触によって得られる情報の質的性格と信頼関係の重要さである。これを家族、友達から更に仕事等の交流を通して広げていくことが社会の存立基盤になっていくのだ。従って、先の地域少年サッカーでの交流が国家関係によって妨げられることの愚かさ、マイナス効果が実感として判るはずだ。

『孤独な群衆』(みすず書房)で著名なデービッド・リースマン『二十世紀と私』(中公新書672)の解説において、永井陽之助は、リースマンの最大の資質は偉大な教師であり、教え子は全世界に散在するとして次のように言う。
「教授の人柄と思想は、グローバルな規模で広がる人間関係の濃密なネットワークを通じて、ずしりと思い存在感に支えられている。現代世界で信頼しうる唯一の実在ともいえるその人間関係の網の目は、目に見えない不断の増殖を確実につづけて、やがて世界を確実に変えていくであろう。」


国民的エネルギーの喚起・統合・道筋化~近代化における顕教と密教~

2012年08月05日 | 政治理論
蒸気船によって太平の眠りを覚まされた中、尊皇攘夷で徳川幕府から権力を奪取した薩長連合は、一転して開国によって危機を回避し、その危機をバネにして維新を展開する明治政府に変貌し、第一の離陸を達成した。
空襲・原爆による生活の戦争化の中で、日本軍の降伏は、国民にとって敗戦ではなく、終戦を意味した。それ故、マッカーサーによる占領は、一面、陸軍による占領から国民を解放したことになる。解放軍によるその後の民主化改革は、高度成長経済のベースとなり、日本は第二の離陸に成功した。

しかし、この二つの離陸には変わり目において、それぞれ「攘夷から開国」、「占領から解放」へと大きな意識の転換が含まれることに注目する必要がある。その転換「開国」「解放」が外の世界に対するもので、この概念が国民的エネルギーを喚起するために働いた、と考えられるからだ。

今、その間に築いた有形・無形の財産を生かしながら、財政再建を国家として実施し、少子高齢化、人口減少社会に対応しようとしている。政治の混迷が指摘される現在、過去2回の離陸を捉え直すことは今後への示唆を含むであろう。
戦後日本政治における顕教と密教」(2011/9/23)はその試みであるが、源は明治政府の体制を論じた『現代日本の政治思想』(久野収、鶴見俊輔絵著、岩波新書)にある。ここでは、その概要を紹介し、総括を試みる。

顕教とは大衆アッピールに用いられる通俗的な象徴体系であり、密教とはエリート集団に対する高踏的な象徴体系である。しかし、顕教と密教は相互に対照的な概念であり、一体として機能する。
久野、鶴見両氏は顕教と密教を含む明治政府の政治体制を芸術作品と呼んだが、それによって、伊藤博文を中心とする明治政府の元老たちは、日本の近代化という課題に対し、国民的エネルギーを統合すると共に、その発揮に向けて道筋をつけるという、政治的奥義に近い微妙なコントロールを試みたのだ。

国民に対して、天皇は「現人神」であると共に政治的支配者であることを小中学校の教育及び軍隊で徹底的に教える。絶対的な一君万民のシステムは封建的な身分制度からの解放をもたらし、天皇の前では平等を保証し、これによって国民すべてに立身、出世、栄達を可能にし、そのエネルギーを喚起した。

一方、宗教的権威によって万民に対し、天皇を心身的な献身と帰依の対象とし、エネルギーが国家目標に向けて集中する道を開いた。更に、明治国家の特色は、国民すべて、天皇を「補弼する」「翼賛する」という形式をとった。これにより、失政はすべて、補弼の責任にできるシステムになり、天皇親政そのものは批判から免れ、国民が反体制へ向かう道を遮断できる。これが顕教である。

しかし、これだけでは近代国家として実際の行政は成り立たない。また、優れた人間を政治・行政の中枢に登用することに対しても十分ではない。国民的エネルギーを道筋化する官僚機構は立憲君主のもとで作動する必要がある。建前としては絶対君主であっても。大学、高等文官試験で「天皇機関説」に当たる密教だ。

しかし、この体制のなかで軍部と衆議院だけは伊藤の苦心にも係わらず、それぞれ違った意味でのサイズに合わない歯車として不気味な音を立てていた。軍部だけは国家機構の密教体制の中で顕教を固守しつづけ、大衆化と通信網の拡大で「密教」の顕教化(大衆レベルへの下降)が始まると、文部省を従え、顕教による密教征伐(国体明徴運動)を始めた。一方、衆院は普通選挙の実施により、国民の代表機能は強化され、翼賛システムからはみ出すようになった。結局、軍部と政党連合が日本型「草の根デモクラシー(草莽ラディカリズム)」を把握し、天皇の反対さえも押し切り、戦争への道を歩んだ。

「戦後日本政治」においては先に掲げたエントリで論じているように、「顕教・厭戦ムード平和思想」と「密教・憲法第9条を盾にした経済復興」という暗黙の保革協働戦線になる。これが国民的エネルギーを統合し、経済ナショナリズムとして道筋化した。その先兵たる企業戦士による経済活動は米国大衆ジャーナリズムから膨張主義を言われるまでに成長したことは確かだ。

現状は第二の墜落に至る懸念はあり、失速を避け、スムースな着陸を目指すイメージを持つ。しかし、それでも国民的エネルギーの喚起・統合・道筋化は必須であろう。これまでの顕教と密教のように、その間の乖離が大きければ最終的な破綻は免れない。また、未来に対する予測不可能性は本質的であり、政策変更を含めて少数者による意思決定という政治的構造は残るはずである。

従って、ビジョン提示から政策決定に至るまで、素早い情報開示を通して多数者を説得する積極的な政治スタイルが必要になってくるのではないか。

有効な支配を継続する分岐点~橋下徹・制度型への移行は可能か?~

2012年05月05日 | 政治理論
大阪都構想の柱である24行政区の基礎自治体化において、区長の公募が初めの一歩として注目されている。公募が1千5百人を超え、それを39人まで絞り込んだことが報道されている。本格的な市政改革素案の策定も済み、6月に最終案がまとまる予定である。

しかし、世間の耳目は本来の大阪市の仕事では無くて、株主としての役割に集中しているかのようである。大飯原発再開問題では8ヶ条の申入れを政府に行い、その過程において特別顧問の存在とその意見に注目が集まった。

一方、突如のように、「家庭教育支援条例案」なるものが大阪維新の会市議団よりリークされ、その内容について、ツイッター上を駆け巡ると共に、橋下市長が言い訳に終始せざるを得なかった。

この二つの問題は、これまで政治判断の優位性と決断の政治を主張し、大阪市の問題を対立要素も含めてマスメディアに晒しながら、歯切れよく決定した政策を説明してきた橋下氏の政治スタイルが「曲がり角」にきたこと、リーダーシップとしても分岐点であり、制度型あるいは機構型への移行時期、にきたことを示唆している。

橋下市長の考え方を示す自身の発言を「つぶやき2011/10/31」から引用する。

「維新の会の政治理念」…現体制から権力を奪取し市民に戻す
「大阪都構想」…大阪市役所の有する権限・財源をより区民の近くに戻す
「公務員制度改革」…公務員が特権身分にならないように
「教育基本条例」…教育委員会が独占している人事権・学校評価権を保護者にも関与
「君が代条例」…教員公務員に教育委員会が決定したルールを守らせる
「議員定数削減条例」…議員という特権身分を適正規模に抑える
「独裁発言」…権力側と対峙するには、力が必要という現実的な認識
「橋下氏の権力行使」…市民ではなく、役所・公務員・教員組織など体制側に向ける
「権利行使の問題」…他者の不利益を伴い、調整を図ることが根本、バランスが必須

「現体制から権力を奪取し市民に戻す」という理念は将に“革命”そのものである。しかし、暴力は国家が独占しており、かつての連合赤軍のように武力闘争は極めて困難である。更に、大阪という地方自治体の問題であるから“ちぬらざる革命”は必然である。ここで市民に戻される権力は「大阪都構想」に示される「大阪市役所の有する権限・財源」であって、それも市民ではなく、区民としての住民のより近くへ戻すのである。

しかし、問題は仮に選挙で「権力を奪取」しても、その時点から行政上の実務で「区民に戻す」までは一定の時間が必要である。すなわち、既存権力側と激しく対立しながら、合法性の範囲ギリギリの処まで活動を広げ、変革すべき既存の“制度”の一部を融解させて状況化し、選挙で「権力を奪取」した後に“制度”を抜け殻にして状況化を完成させた。

また、その間に併せて、新たな“制度”の方向性を定めた。状況化とは制度が中に浮いている状態だからである。明治維新で言えば、「大政奉還―江戸城開城―西南の役」あたりまでだろうか。少なくてもそこまでは対立を含む状況型リーダーシップになる。

「公務員制度改革」「教育基本条例」「君が代条例」「議員定数削減条例」は、旧体制(役所・公務員・教員組織)に対する橋下氏の権力行使である。マスメディアを利用して「対立」を見事に演出して住民の関心を集める手法の効果は世論調査にも良く表れている。

しかし、新たな制度を作り上げていくのであるから、状況型リーダーシップが続くわけではない。現状は有効なリーダーシップ(支配)を継続する変化の「分岐点」にきたと考えられる。そのリーダーシップは“制度型”と“機構型”に分けられる。

自治体改革における制度型の典型例は三重県の北川正恭知事(当時)によって示されている。職員と協調し、行動様式を成員間のなかで互いに了解していき、内発的改革を促す方法である(『生活者起点の「行政革命」』(ぎょうせい)2004年)。これには時間の積み重ねが必要である。一方、機構型は、法律(条例)・組織を上から固めて統一行動を促す方法である。

注意すべきは、両者ともに必要であり、また、相互に影響を与える。区別は、どちらに重きをかけているのかによって判断される。先に引用したように、橋下市長は条例を連発することによって、「行政革命」を進めて行く方向を示し、機構型リーダーシップに移行していくように見える。

しかし、法体系・組織体系を構築しても、それを動かす “制度”としての行動規範を醸成していかない限り、長期的には安定した体制は望めない。現在の橋下市政では、特別顧問体制を活用してトップの意思決定に資している。政治上位によって行政機構を引っ張るようであるが、手が広がるにつれて、どこまで一貫性を保ちながら進めることができるのか、不安な要素である。

有識者が特別顧問を引き受けるのは、トップが提案を受入れるからである。これによって特別顧問の意義を実証することになる。そこで、特別顧問はチャンスを生かすため、トップの意思を忖度して受入可能案を提出することにもなる。これがトップに対する過服従にも繋がる。

特別顧問には大阪府知事時代からの上山信一氏のように百戦錬磨の方もいるが、急増されたなかでは、いわゆる知識人もいる。上記のメカニズムは作用しやすいだろう。例えば、「8提言」を政府に提出した大飯原発再開問題において、古賀重茂明氏が特別顧問になって、従来の自説を覆したと池田信夫氏は鋭く指摘している。

更に橋下市長は、対立を含む状況型リーダーシップの部分を国政と関連させながら創り出している。次期衆院選の公約「維新版・船中八策」を策定し、維新塾も開講した。それと共に、民主党を初めとして各政党に対して、法改正を迫り、地方制度調査会も大都市制度の一環として取り上げるようになった。

橋下市長のなかでは、国政も大阪都構想も一つの枠組として整理されているだろうが、二つを同時に追いかけることによって関連するプレーヤーを増やし、複雑化すると共に、関心も分散させることにもなる。

その間隙を縫ってか、始めに述べた「家庭教育支援条例案」が大阪維新の会市議団から提案されるとの報道があった。その案を筆者も読んだが、ビックリ仰天、開いた口が塞がらなかった、の類いである。問題は突然、提起されたその背景にある。おそらく、先に述べたように条例を連発する橋下手法に乗っかり、「教育基本条例」の具体化の一つという理由で出されたと推定する。

再確認すると、状況化とは制度を抜け殻にした状態、あるいは制度が中に浮いている状態である。すなわち、“制度的真空”になっている。この真空を埋めるべく、様々な思惑を持った機会主義者が入り込もうとしている。これを超人とはいえ、橋下市長ひとりで捌くのには無理がありそうだ。

橋下市長は「決められない日本の政治」を批判している。何故決まらないか、意見が食い違うからである。しかし、制度をリセットした大阪市の状態では、様々な意見が噴出しても不思議ではない。だとすれば、国政への関与はよりも、大阪都構想における“制度”を構成することに専念し、それもしっかりとした実務部隊による内発的改革を進める必要があるのではないだろうか。




熊谷・千葉市長の際だった政治姿勢~正確な知識と現実的な対応で信頼を得る

2012年04月13日 | 政治理論
原発由来の放射線問題に対する熊谷・千葉市長のツイッターが話題になったそうだ。筆者も4月8日のツイートに反応し、熊谷市長に返信すると共に、5,6個のリツイートをした。実はリツイートとしたのは始めてではないのだが…。

8日のツイートでなるほどと思ったのは、
「私は公務と私生活に支障の無い範囲で反論をしているのは、商売目的・妄想・愉快犯の方々が広めた事実と異なる話によって善良な人々が日々怯えて生活をせざるをえなくなっている点を憂慮しているためです。こんな事故ですから危険は存在しますが、意味の無い危険を煽る人たちは許せません」。

続いて、
「心配して下さる皆さまありがとうございます。私も反論相手自体は殆ど説得不能だと理解しています。しかし、こうした方々の言説で不安に思う方がそれなりにいらっしゃることは行政として無視できないのです。危うきに近寄らずで放置した結果、善良な方々に影響が出るのは困るので公開して反論しています」。

一般の住民は基本的に情報の受け手である。

日々マスメディアから流される情報によって知らずのうちに、自分のなかに“時代風潮”“偏見”等を蓄積せざるを得ない。更に最近では、ツイッター等での簡易で短い発信機能が電子媒体ネットに普及し、人々の不満の捌け口として攻撃性を誘起する。この「負」の側面は、必然的に罵詈雑言を含めた無責任な言論を横行させるようになる。

従って、事実と異なる話によって善良な人々、すなわち普通の人々が日々怯えて生活をせざるをえなくなることは現代的な問題であり、それが原発問題で突き出したのだ。そこで、“確信者”を説得するためではなく、その言説によって不安を感じる住民が出るのを防ぐことを課題としたのは、住民に身近な自治体の長として、鋭い感覚の持ち主と言える。

これを読んで思い出したのは『「私が何らかの真実を語るのは真実を知らない人々にそれを確認させるためではなく、真実を知っている人々を弁護するためである」という詩人ウィリアム・ブレークのモットーを自分自身の自戒の言葉にしている』との一節である(D・リースマン「個人主義の再検討」(ぺりかん双書P14)。

D・リースマンが語りかける読者層は「自律を求める少数者」であるが、彼らを孤立させるのは必ずしも外部からの圧力ではなく、情報シャワーのなかで無意識のうちに抱くようになる不安感に起因する処が大きい。

一方、熊谷市長が地域の基盤である生活者たちに話かける。これをサイレントマジョリティと呼ぶのは間違っている。本来、基礎自治体の長からは顔の見える存在であり、この人たちが不安感を持つようになれば、その自治体は危機と言えるだろう。

対象は異なるが、それは役割の違いからくるところであり、アプローチに共通する処を注目したい。対象となる人たちに直接的に啓蒙するのではない。これでは上からの目線になるだけである。正確な知識と現実的な対応を示すことにより、不安を持つ人たちの周りの空気を新たにしていく試みである。

なお、ツイッターについては、山内康一衆議院議員「政治家のメディア中毒の罠」が示唆的である。
また、橋下・大阪市長のような追随者の攻撃性を誘起するような内容を含むツイッターよりも格段に優れたアプローチのように思う。

熊谷市長のツイートをリツイートしたのは始めてではないと最初に書いた。
実は昨年の7/28に、下記をリツイートした。日本全国の知事、政令市長が草木もなびくように孫正義氏の提案に乗っかったのには驚いた。この試みに不参加という常識的な行動を取ったのは、ほとんどいなかったはずだ。残念ながら神奈川県・黒岩知事も同じであるというか、自らの選挙公約を盾に取られて載せられたという感じだ。

さて、熊谷氏は言う。
「ソフトバンクという一株式会社が主導するエネルギー協議会とやらに参加していないだけで自然エネルギーに対して消極的だと捉えられるのは予想していましたが不思議なものです。ソフトバンクと違い既に実績のある事業者やシンクタンクが一社も入っていないことも残念です。」
「大事なことは、既に自然エネルギーに取り組んでいる企業はたくさんあり、これから参入する企業も予想される中で、公的機関が一企業が事務局を務める協議会に参加し、お墨付きを与えるのは好ましくないということです。」

    


『スイミー』としての橋下徹(3)~状況型リーダーシップの登場~

2012年03月05日 | 政治理論
この2回、過去のスイミー論を振り返った。
4年前の改革知事集団「せんたく」も、2年半前の「首長連合」も、複数人もの一国一城の主が集まっては無理があったのだ。

結局、橋下氏が大阪都構想をまとめ、大阪維新の会を立上げて『スイミー』が誕生した。このモデルのポイントは「同じ領域に集まり、同じ方向を目指し、同時に行動する」こと、“集合・指向・同時”と指摘したことを振り返れば、この“統合力”が、小さい集団であっても大きな効果を発揮し、停滞した感のある政治状況に風穴を開けたことになる。

橋下氏が他の首長(経験者)と異なるのは、自治体のみならず、国の機構も改革すべきことを積極的に発言し、行動していることだ。これまでは、地方分権、国への批判を主張しても、現状の制度的安定を前提に代表的リーダーシップとして国へ要望するスタイルから脱していなかった。これに対し、橋下氏のスタイルは現状打破を目指す状況型リーダーシップになる(「現代政治学入門」(有斐閣)P76)。

状況型リーダーの持つ基本的な政治イメージは「動乱」である。制度が不安定化し、社会的な不安、不満が高まるなかで登場するのであるから、流動的な政治状況に主体的に対応する柔軟な構えが必要である。

当然、手段を最終的な政治目的に従属させるから、革命のリーダーシップと似てくる。明確な敵づくりと激しい言葉による攻撃などである。また、法体系の枠組のなかで、統治機構の変革を革命ならざる維新として進めることから、そのシステムに対して目一杯の解釈をして自らに優位な戦略を冷徹に遂行する。

これらのことは、従来の地方自治体政治家のスタイルに慣れた人には奇異に映り、批判を生むことにもなる。しかし、これは橋下氏の状況認識とアプローチの枠組が従来の方法と異なることを意味しているに過ぎない。

状況型リーダーは創造型と投機型に分かれる。橋下氏はビジョンを持ち、ヒットラーのような投機型とは対極的な創造型である。とは言っても、創造型と投機型はメダルの表裏のような関係にもある。政治学と精神分析学の素養があれば容易に理解できるであろう。

小説「ジキル博士とハイド氏」に描かれるように、揺れ動く状況のなかで判断を迫られる現実の人間としてのリーダーには、両方の型が共存しているであろう。どちらと決めつけるわけにはいかず、問題はその“両義性”を処理する仕方にかかる。

従って、ハシズム論争は仕掛ける方も、受ける本人にも実りはなく、マスメディアも含めて不毛の増幅による疲労だけが残る。政治学者・山口二郎氏と精神科医・香山リカ氏が一緒になっても、橋下氏に対する冷静な理解ができなかった。イデオロギーが先行したのか、自らの学問分野だけに関心が向いているのか…両方のように見えるのだが。

ともあれ、橋下氏と大阪維新の会は、大阪の政治的権力を掌握した。大阪都構想の実現は必達であり、また、真の成果は成長戦略も含めた経済政策に尽きるが、一朝一夕にいくとは思われず、行き詰まりも有り得る。更に、橋下氏は国政への参加を表明し、憲法問題も含めて政策も公表、世論調査においても全国的に期待が高まっている。

これら政治課題の全体像を考えれば、前例のない状況に今後も遭遇することが予測される。このとき、創造性を働かせ、投機性向を抑止することが必要だ。この視点から、次の点を指摘しておきたい。

1)急速に膨張する集団には政治的オポチュニストも存在する。従って、その発露を抑えることが必要になる。小泉・小沢両チルドレン、減税日本の例もある。「市職員からの維新市議団への苦言」との報道も一例かもしれない。

2)討論を越えた過剰な言語による攻撃は、橋下氏にとって計算済であろうが、そのやりとりを情報として受けとる不特定多数の有権者に対し、ネガティブな攻撃性を助長することが想像できる。これが1)にフィードバックされると悪循環になる。

最後に、大きな機構改革を目指すことに伴い、そのプロセスとして、政治学者・京極純一氏、永井陽之助氏の言う“機構信仰” (『平和の代償』(中央公論社)P176))を抑え、将来を構想する議論を起動させられるのか、注目したい。

ここで、機構信仰とは、憲法あるいは基本法体系を国家機構の規定に止まらず、個人の内心の基準とすることである。冷泉彰彦氏が「from 911/USAレポート2/12号」において、国旗へ礼をすることなどを批判している。筆者は機構信仰の形式化した表現かと考えているが、政治のトップが公式の仕事の一環としてやることに、ある種の不気味さも感じている。

顧みれば、小泉改革、民主党旋風、そして橋下氏への期待と、私たち有権者は、政治的判断を揺れ動かしてきた。判断を固定させず、都度、浮動させることは必要だ。しかし、進化と安定を両立させた政治を可能にするには、私たちは自ら情報を検証し、考え、選択する“主体的浮動層”として政治的に成熟していくことが、更に大切であろう。




状況型リーダーシップ~橋下徹市長の統治機構変革

2011年12月25日 | 政治理論
状況型リーダーシップとは、現状打破を目指す処からでてくる。
以下、橋下氏のtwilog より引用しながら説明する。
(T〇/×は http://twilog.org/t_ishin/asc の〇月×日付を示す)

橋下氏は『地方分権とは国から権限を奪う権力闘争』(T11/9)と、きっぱり言う。続けて、『大阪維新の会には国の仕組みを変えるだけの力はない』しかし、『国のかたちは外圧で変わる。地方の政治力も外圧の一つである』として、『まずは大阪のかたちを変える』と大阪維新の会の活動を位置づける。

ここでは、地方分権は、国から権限を奪うことであって、要望等によって国へお願いして譲り受けるものではないことを宣言している。更に、大阪維新の会は地方から国へ外圧をかけるものであり、明治維新とのアナロジーを想起させる。これは、地方分権を奪う権力闘争が、国のかたちを変えるための一つのアプローチであることを示している。

従来の地方自治体改革は、基本的にその自治体内部にクローズされており、行政改革、財政改革を主体とした、言わば一つの企業体の改革と同じであった。しかし、橋下氏の示す処、これまでの地方自治体改革と一線を引く新たな目標を設定している。改革というよりも国のかたちを変える革命に近くなる。但し、体制の変革ではなく『政治のシステムが悪く…統治機構を変える』(T8/24)のであるが。ここが、次に述べる状況型リーダーシップを生む所以である。

このリーダーシップの展開について永井陽之助氏は、『中国革命における毛沢東の持久戦論がその最もいいモデルを提供している』(『平和の代償』P19)と述べる。詳細は引用文献に譲るとして、その基本的イメージは動乱である。そのなかで、「敵」を設定し、「味方」を結束させ、中立者を巻き込んでゆく、冷徹な政治戦略が当然のように展開される。その行きつくところは「体制の変革」であり、ロシア革命、中国革命から、最近の例では、「アラブの春」を想起すれば良い。
しかし、今の日本において、後進国革命にみられる暴力革命はあり得ない。また、資本主義・民主主義などの体制の変革でもない。現状の法体系の枠組のなかで、統治機構の変革を革命ならざる“維新”として進めていくことになる。

橋下氏は以下のように言う。
『統治機構のシステムの再設計は、政治の専権事項』(T8/24)、
その政治は『選挙で選ばれた者が決定権を持ち、責任を有する』(T8/23)。
決定権の行使では『議論すべきもの、突破すべきもの、その優先順位、スケジュール感、これが政治的マネージメント』(T8/1)、
『マネージメントの当否は、選挙で判断してもらえばいい』(T8/1)。

従って、選挙で選ばれることを第一義として「大阪維新の会」を設立し、その政治目的を阻むものは、「敵」としてチャレンジする。議会のシステムは二元代表制であり、首長と議会との緊張関係で成り立つとの批判に対して、現状の議会は機能しておらず『新しいものへの揚げ足取りではなく、旧いものとの比較が重要』(T8/1)と現状の弱点を突く。
その結果、大阪府議会で多数派を形成し、大阪市議会で第一党になる。そして、今回の大阪市長選で平松氏及び市役所を「敵」として圧勝する。選挙で選ばれた場合(大阪府、そして大阪市)、政治の専権事項として役所の改革を断行する。その一方で、国の政治に対しては、既存政党の弱点を突きながら、政治的影響力を行使する。あくまでも自らの権限、及び政治的影響力を駆使して突破を図る。

以上に述べたように、状況型リーダーシップは、その名のように流動的な状況に対応できるように柔軟な構えが必要であると共に、現状のシステムを打破しようとすることから、そのシステムに対して目一杯の解釈をして自らに優位な戦略を冷徹に遂行する。
手段を最終的な政治目的に従属させることは、革命におけるリーダーシップと似ている。明確な「敵」づくりと激しい言葉による攻撃、権力を取得したときの権限行使は、これまでの地方自治体政治のスタイルに慣れた人には奇異に映り、批判を生むことにもなる。しかし、これは橋下氏の状況認識とアプローチの枠組が批判する人の枠組と異なることを意味しているに過ぎない。

この状況型リーダーシップは、創造型と投機型に分かれる(『現代政治学入門』第3章「政治的リーダーシップ」P61)。しかし、いずれにしても両方が共存し、状況との関連でどちらにもなり得る。言ってみれば、ジキル博士とハイド氏なのだ。結果論として、成功すれば創造型、失敗に終われば投機型と言われるのかもしれない。しかし、私たちは学問、報道の立場ではないから、混沌とした状況のなかで判断を欲する。

創造型と投機型を分かつ契機は次の二つであろう。
(1)ビジョンがあり、それが適切性を持つ
(2)目的と手段のバランスが取れている
これに対する判断基準は人それぞれである。しかし、自ら判断はできる。ビジョンそのものに賛成しなくてもそれがビジョンであることを認めることはできる。また、目的に対して手段が急進的でも許容の範囲内と判断することもできる。
その意味で、筆者は橋下氏の政治活動を創造型リーダーシップと判断している。
 
では、(1)(2)共に賛成か
(1)『大阪都構想』、特に基礎自治体と広域自治体の考え方に賛成する。既に、何度か筆者のメルマガで取り上げている。
 第112号 2010/1/16 地方主権では、政令指定市解消か?独立か? 
 第144号 2010/12/3 「地方自治法の抜本見直し」に関する意見応募 
(2)手段として「大阪維新の会」を立上げ、議会で勢力を築いたことは優れた実行力を示している。

一方、政治目標に絡みながらの政治スタイルには、若干の懸念をもっている。
今回の選挙で大阪府市については、「維新の会」が両首長をとり、府議会過半数、市議会第1党を占め、圧倒的に権力者の立場に立った。今後は、大阪都構想の実現、地方分権の確立へ向け、内では権限行使、国へ向けては権限奪取という使い分けをしながら政治運動を進めていくことになる。
このような形態の政治運動は日本では初めてである。今後、具体的な政策を展開することになるが、過半数を巡る争いでは圧勝であっても、具体的な政策では様々なバリエーションがあり、意見の統合を図る必要がある。

橋下氏はマスメディア、ネットメディアを介してのイメージつくりによって圧倒的な支持を集めている。橋下氏に対して争点、論点が提起された場合、それを十分理解できていなくても、メディアの情報によって浮動する「客体的浮動層」は橋下氏を支持する可能性は大きい。また、その支持に乗って争点、論点を『突破すべきものとして政治的マネージメント』を実行することは十分考えられる。

議員の間接的な支持よりも有権者の直接的支持を重視する『首相公選制』を主張し、『バカ言ってんじゃねえ。今まで首相は、あんたがた国会議員が選んできたんですよ。』(T8/2)と主張を感情も含めて有権者へ直接さらけ出す政治的スタイルは、勢いをつけるかもしれないが、対立を激化させる要素も含む。それを承知の作戦であろうが、コントロールをしているようで、波に巻き込まれる可能性もないとは言えない。冷静なフォローが肝心であろう。