12月10日のエントリ『独裁か、リーダーシップか』で「…地方自治体の先端部分は、国の支配から抜け出し、“暴力装置”を除くあらゆる権力と政治的影響力を駆使する時代へ突入している。
今回の大阪W選挙は、その先駆けであろう。」と書いた。“暴力装置”とは、仙谷発言で注目された表現であり、その是非、正確性について話題になった。ここでは単純に「警察」「自衛隊」を意味するのであるが、もう少し範囲を狭めれば、『警察の政治的活用』とでも言っておけば良い。もっとも、最近では「検察」も重要な一翼をなすかもしれない。
先ず、独裁を『最高権力を握ったものが、1.一元的支配、2.体制批判を取締、更に(3.少なくとも政治警察を積極的に活用)する政治形態』と定義すれば、地方自治体首長が独裁政治のなれるわけではない。そうすると、橋下氏の発言も、ハシズムも含めて平松側の発言も、単なる政治的レトリックにまで下がる。平松氏は「独裁でもないのに、独裁者を気取る橋下発言の軽さ」を揶揄すれば、一件落着であったかもしれない。
但し、政治的レトリックとしての独裁発言に危険が潜まないわけではない。この言葉に惹かれるオポチュニストが関心をもち、活動に参加することは大いに考えられる。
かつて、吉田茂氏は「ワンマン」と言われていた。今では、政治的に使われる機会にも乏しく、ワンマン社長などの使い方が残されている。しかし、この言葉にはマイナスのイメージだけではなく、積極的なリーダーシップを示すプラスのイメージも含まれている。
吉田茂氏が首相であった戦後復興期は、米国の占領体制から独立へ向かう日本の岐路を定める時期であった。今、国の支配から抜け出し、地方分権へ向かう自治体は自ら岐路を決めなければならない。
このアナロジーからいけば、橋下氏率いる「大阪維新の会」を選択した大阪府市の住民は「ワンマン」を求めたとの解釈も可能であろう。
『宰相吉田茂論』(中央公論1964年2月号)で高坂正堯氏は、独善、頑固と批判されたワンマンぶりを『恐ろしく不当に取扱われ』と述べ、『裏を返せば、決断力と信念の固さ』と評価し、『長所と短所を含めたすべての能力を投入して、ひとつの仕事に傾倒してきた』とその復権を図った。
橋下氏の「大阪都構想」は国家の命運をかけた「吉田ドクトリン」に比べれば、スケールは小さ過ぎ、本来、比べるにも憚る処がある。しかし、逆に小さいからこそ、実現の可能性は大きいはずである。更に、これをキッカケに国の統治形態を変革する可能性も当然、含まれる。潜在的な大きさがどこまで顕在化するのか、首都圏を含めて他人事ではない。
今回の大阪W選挙は、その先駆けであろう。」と書いた。“暴力装置”とは、仙谷発言で注目された表現であり、その是非、正確性について話題になった。ここでは単純に「警察」「自衛隊」を意味するのであるが、もう少し範囲を狭めれば、『警察の政治的活用』とでも言っておけば良い。もっとも、最近では「検察」も重要な一翼をなすかもしれない。
先ず、独裁を『最高権力を握ったものが、1.一元的支配、2.体制批判を取締、更に(3.少なくとも政治警察を積極的に活用)する政治形態』と定義すれば、地方自治体首長が独裁政治のなれるわけではない。そうすると、橋下氏の発言も、ハシズムも含めて平松側の発言も、単なる政治的レトリックにまで下がる。平松氏は「独裁でもないのに、独裁者を気取る橋下発言の軽さ」を揶揄すれば、一件落着であったかもしれない。
但し、政治的レトリックとしての独裁発言に危険が潜まないわけではない。この言葉に惹かれるオポチュニストが関心をもち、活動に参加することは大いに考えられる。
かつて、吉田茂氏は「ワンマン」と言われていた。今では、政治的に使われる機会にも乏しく、ワンマン社長などの使い方が残されている。しかし、この言葉にはマイナスのイメージだけではなく、積極的なリーダーシップを示すプラスのイメージも含まれている。
吉田茂氏が首相であった戦後復興期は、米国の占領体制から独立へ向かう日本の岐路を定める時期であった。今、国の支配から抜け出し、地方分権へ向かう自治体は自ら岐路を決めなければならない。
このアナロジーからいけば、橋下氏率いる「大阪維新の会」を選択した大阪府市の住民は「ワンマン」を求めたとの解釈も可能であろう。
『宰相吉田茂論』(中央公論1964年2月号)で高坂正堯氏は、独善、頑固と批判されたワンマンぶりを『恐ろしく不当に取扱われ』と述べ、『裏を返せば、決断力と信念の固さ』と評価し、『長所と短所を含めたすべての能力を投入して、ひとつの仕事に傾倒してきた』とその復権を図った。
橋下氏の「大阪都構想」は国家の命運をかけた「吉田ドクトリン」に比べれば、スケールは小さ過ぎ、本来、比べるにも憚る処がある。しかし、逆に小さいからこそ、実現の可能性は大きいはずである。更に、これをキッカケに国の統治形態を変革する可能性も当然、含まれる。潜在的な大きさがどこまで顕在化するのか、首都圏を含めて他人事ではない。