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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

沸点超え

2008年08月27日 | 学校建設
施工業者の対応の酷さに、さすがの自分も我慢の限界を超え、電話口で怒鳴り散らす。つい事務所内でやってしもうたものやから、スタッフ達はどんびき(日本語あってます?)でしばらく居心地が悪かった。おまけに、就業後に被災者への心のケア担当スタッフが何気にやってきて、ちょっとしたカウンセリング。まあ、雑談みたいなものやったけど、今日は派手にやりすぎてしまったなと反省。

境界線はどこだ

2008年07月17日 | 学校建設
校舎の基礎工事はそれなりに順調に進んでいる。一方で、敷地境界線上に柵をつくろうと境界線を敷地上に確定していく作業が難航している。

もともとの図面と約3年前に地面にひかれた敷地境界線と、今回測量して出てきた線がそれぞれ異なる。あるはずのない建物が敷地に建っている(写真左)。

学校長はこの線、この線と無責任に主張し、地元行政は教育省に聞けと言うし、教育省はどこも国の土地なんやから多少の誤差は多めに見るからと。誰も決めないし、口頭でしか回答しない。測量士と数日で終わるはずの作業が、早1カ月経過した。

学校の建設現場

2008年07月09日 | 学校建設
Batticaloaの学校の現場にやってきた。Colomboから車で約8時間でBatticaloa市街地の宿に泊まり、翌朝さらに2時間かけてVakaraiの現場に到着。飛行機で日本に帰る時間とあまり変わらない。

さて気になる現場は、着工再開して1ヶ月経過。まあまあの進捗具合。重機などは使わず、おそろしく人力作業が多い(写真)。時間がかかっても人件費のほうが安いから(日当600円ぐらい)なんやけど。地域の人々の雇用促進という意味では貢献しているのか。

業者が雇っている現場作業員は今日は72名。うち15人は休憩中(就寝中)。。。夜中に作業をしたからということらしい。

またテロ、そして延期

2008年06月06日 | 学校建設
出勤前に、Colombo郊外のMoratuwa近くで、路線バスが爆弾テロに合ったと携帯にメッセージが入る。最初は数人と報告された死亡者数も、徐々に20名近くに増え、被害の酷さを知る。うちの職員は無事であったが、職員の知り合い、他機関の職員などが帰らぬ人となった。

午前中はKalutara中心とした水害地区への支援についての会議に代理で出席する。先週から降り続いた雨は至る所で洪水を起こし、今週にかけて食料品、生活用品の配給が行われた。水が引いた現在、以下の項目について検討される。
 1)井戸の清掃
 2)便所(肥溜め)の清掃
 3)家屋の清掃
これって(特に1と2)、行政の仕事ちゃうの?って常識は通用せず、どこの機関やNGOが支援するか、希望団体を募っていた。保健省の役人も来ていて、活動時にはスタッフの技術指導を受けるように、と高圧的に発言していたが、「自ら、率先して動かなあかんのちゃうの?」と言いかけてやめた。個人の発言を所属団体の発言と取られてはいけないからだ。気をつけよう。

その会議の途中で、電話やメッセージが携帯にバンバン入り出す。無視していたが、どうも出ざるを得ない雰囲気で、対応し出すと、月曜の学校着工式はBatticaloaでの治安に問題があるので延期となった。がっくりする。

職場に戻って、着工式延期の旨を、ドナー、関係会社、役所、大臣、現場事務所等々に電話連絡もしくは書面連絡する。その合間に、Colombo事務所でその学校に関する工事契約書の業者とM大ボスの間での調印式があった。考える暇もなく、2.5億円の契約書にWitness(連署人)として署名する。

いくつかの事業終了のため、今月末で解雇される十数名の職員の2名から相談を受け対応する。進路相談というよりも、何でもするから解雇通知を取り上げてもらえないかと懇願に近い内容であった。自分にはどうすることもできないので、上に伝えることだけを約束する。

津波復興時は「質より量」が優先され、さまざまな人材が採用されたが、ここにきて優秀な職員ばかりに淘汰されてきている。経験の少ない職員でも、語学や文章がきちんとできたり、勤勉であったり、言われたことはきちんと守る職員は別の機会が与えられ、これまで胡坐をかいてきた職員たちは窮地に追い込まれている。

Trincomaleeの別プロジェクトの始動に関して、図面や書類を揃えていくが、思考回路が停止しつつあり、とりあえずの資料を現場に送り、週明けに対処することを詫びる。

そんなこんなで激しく散らかった机上を片付けていると、Kandy近くで夕方の通勤客で込み合う路線バスが爆弾テロに合い、数名死亡というメッセージを受け取り、さらに気が滅入る。

明日の結婚式用に裾上げを頼んでおいたズボンを、一ヶ月近く取りに行っていない事を思い出し、閉店間際に滑り込む。

明朝、日本に帰国されるお世話になったKさんの送別会に顔を出し、一日が終わる。疲れた。疲れた。

ようやく開始

2008年06月05日 | 学校建設
来週月曜日の着工式に向けて、除幕式用の看板がようやく作成(写真)。現場に向けて、配送される。何度もやり直し、駄目出しをくらった。シンハラ語(中段)とタミル語(下段)は、スタッフらに確認を任せる。

Batticaloa中心部の治安は先週からあまりよろしくない。予定通りの式の開催も危うくなってきたが、とりあえず進めていく。

前向きに検討します

2008年04月04日 | 学校建設
昨日の大統領の弟の部下と名乗る男とその連れが、学校建設事業の詳細を聞きたいと突然やってきた。普段なら、面会の約束がない業者には出直してもらうが、昨日の電話の後、M大ボスに相談し「大統領弟に会う機会を設けらえるようにうまくやってくれ」と言われていたので、簡単な資料と共に説明する。

昨日電話で話した男は英語がつたなく胡散臭かったが、もう一人はそこそこ有能そうな感じで、少々意見を交わした結果、後日もう一度他のスタッフと会うこととなる。と、そこで終わればよかったのだが、学校事業の入札に参加している一業者を必要以上に推してくる。ムカッときたが、政治家には政治家らしい対応で、「前向きに検討します(We'll think about your suggestion.)」でお茶を濁す。こっちには決められたTender Evaluation過程があり、もちろんそれ通りに事を運ばせる。

別れ際に、「スリランカ国内の何処でも行きたい所へ連れて行ってあげます」と露骨に言ってくるので、「行きたい所はすべて行きました」ときっぱり断る。一応、こちらも公務員なのでそうしたやり取りには一切関わってはいけない。津波の復興支援時にも似たような誘いは業者からあったが、こうした上の身分の人が聞いてくると幻滅する。

きたきた

2008年04月03日 | 学校建設
大統領の弟の部下と名乗る男から、学校建設の問い合わせが来る。今日は事業詳細についての簡単な電話での質問であったが、何か企んでいる気配。たとえば特定の業者を指名するようにプレッシャーをかけてくるような予感。これまで周辺が静かすぎたの気になっていた。そんな圧力には屈しない。

面接

2008年04月02日 | 学校建設
Bid Evaluation作業の合間に、Btticaloaの現場監督候補者の面接を行う。新聞に募集案内を出し、集まった50近くの履歴書の中から6人を面接に呼ぶ。当日来た4人を面接し、コンピューターが使えるかどうかのテストも行い、一人に絞り込む。

もう30回以上、150人近くを面接してきたが、採用するかどうかは、賭けやなと思う。人事部のトップも同感していたので、間違いではないらしい。

今日の面接では、最終2名に絞込み、推薦状や健康診断書、犯罪履歴書の結果を待つことにする。




Bid Evaluation

2008年04月01日 | 学校建設
Bid Evaluationの作業が始まった。Bid Evaluationを正式な日本語でなんというのか忘れてしまったが、要は入札された価格、書類および計画を評価し、業者を選定するというもの。

入札に必要な書類が数100ページx9業者あるので、数人でやっていては終わらない。事務所スタッフ10名に加えて、Kosovo事務所からセルビア人技術士Nを2週間の出張で呼びよせ、総がかりで格闘する。

今日は最初の作業方針を彼らに伝える。いいとこを見せようとするNがいちいちうるさい。最初のうちは丁寧に応えていたが、はかどらないので途中から適当にあしらって、本題を進めていく。彼もそれに気がついたらしく、最後のほうは大人しくしていた。ある職員の勧めで呼び寄せたNだが、使いものになるのだろうか。不安。育った環境が違うとこちらも対応に慣れていないのでやりにくい。

さらに、この国にExcelソフトは、まだそんなに広まっていないからか、業者の計算間違いがかなりある。100万円単位でぼこぼこ間違えていると、「どないなってんねん。もっときちんとせえよ」、と他人事ながら各業者の能力について思う(スリランカでの平均年収は20万円ぐらい)。一方で「見つかったから良かった」と横で平然と感想を述べるうちのジュニアスタッフには、どつくまねをして事の重大さを知らせるが、伝わっているのかどうか。