先日リビアで米国大使が殺害されたのは、とてもショックだった。限られた情報だけでは判断できないが、普段見ているSecurityがかなりしっかりした米国関係者の、それも大使が殺されるとは、相当周到な準備をして狙っていたのだと思う。
Port au Princeのお寿司屋さんでの会食。要人が来られたので、お店の気合の入り方にびっくり(写真)。普段もこれくらいやってほしいが、その努力がわかる客はほとんど居ないから、仕方ないか。思わず皆で写真を撮った。
普段は現場の違うスタッフを連れて、例のPermanent Houseの現場へ。
エンジニアには計画図面と施工図面と実際の収まりの違いを教え、
Community Mobilizer(地域調整員とでも訳せる?:被災者や住民、行政のコーディネート担当)には被災者への啓蒙や周辺からの評判を集め、改善点を考えさせた。
1年前はこんなにたくさん居たスタッフが今はこんだけ(写真)。転職したり、移住したり、商売を始めたりする者もいるが、契約更新が切れると同時に無職になるものも多い。ハイチでの失業率が50%を超えているのだから仕方ないといえばそうなのだけれど、これまで2年以上やってきて、「はい、さようなら」とは自分としてはどうしてもできない。
彼らの(そして家族の)生活を思うとなんとかして、ファンドを取りたいと、もう少しもがいてみることにする。
エンジニアには計画図面と施工図面と実際の収まりの違いを教え、
Community Mobilizer(地域調整員とでも訳せる?:被災者や住民、行政のコーディネート担当)には被災者への啓蒙や周辺からの評判を集め、改善点を考えさせた。
1年前はこんなにたくさん居たスタッフが今はこんだけ(写真)。転職したり、移住したり、商売を始めたりする者もいるが、契約更新が切れると同時に無職になるものも多い。ハイチでの失業率が50%を超えているのだから仕方ないといえばそうなのだけれど、これまで2年以上やってきて、「はい、さようなら」とは自分としてはどうしてもできない。
彼らの(そして家族の)生活を思うとなんとかして、ファンドを取りたいと、もう少しもがいてみることにする。
熱帯性暴風雨だったIsaacは、その後勢力を上げて米国に上陸と、メディアが一斉に騒ぎ出した。日本でも、ハイチ大統領の訪問延期になったことや、2005年のハリケーン・カトリーナに絡めて意外と報道されているみたいだ(安否確認してくださった方々どうもありがとうございます)。
うちのハイチ人スタッフが、自然災害や暴動が起こったときだけハイチがニュースに取り上げられるのはオカシイと憤っていたけれど、その通り。常時の平穏な生活や豊かな自然も報道してほしい。
さてハリケーンの話に戻って、被害は少なかったというものの、壊れたテントや被害にあった人々は多く、一時的にも避難した人は15,812人。キャンプで被害に合った人は、55,552人とハイチ政府が発表している。(その数自体にどれだけ信憑性があるのかは置いといて、)結構な数の人々が影響を受けたことは間違いなく、政府はここで一気に海外からの支援を受けようと強気の姿勢でいる。
うちの仮設住宅に目立った被害はないようで一安心。
うちのハイチ人スタッフが、自然災害や暴動が起こったときだけハイチがニュースに取り上げられるのはオカシイと憤っていたけれど、その通り。常時の平穏な生活や豊かな自然も報道してほしい。
さてハリケーンの話に戻って、被害は少なかったというものの、壊れたテントや被害にあった人々は多く、一時的にも避難した人は15,812人。キャンプで被害に合った人は、55,552人とハイチ政府が発表している。(その数自体にどれだけ信憑性があるのかは置いといて、)結構な数の人々が影響を受けたことは間違いなく、政府はここで一気に海外からの支援を受けようと強気の姿勢でいる。
うちの仮設住宅に目立った被害はないようで一安心。
途上国で顕著に元気なのが、携帯電話会社とビール会社。宣伝も社屋もすごいのが一般的。ハイチもそうで、写真はDigicelという携帯電話会社の社屋。震災前から建っており、震災により被害はほとんどなかったと言われている。玄関上のアトリウムのガラスにひびが入ったぐらいとか。
震災で壊れたPort au Prince市庁舎がこのビルに仮移転しており、今日は会議に呼ばれて訪問した。内部もいたって平凡なビルなのだが、困ったことは3基あるエレベーター。利用者の常識がないというか慣れていないというか、ボタンの押し方から、エレベーターの出入りから、皆我が物顔同然でマナーが皆無。ハイチ国内にエレベーターがあるビルは5棟もないからと、ぐっと我慢して利用する。階段を使用した方が明らかに早かった。
震災で壊れたPort au Prince市庁舎がこのビルに仮移転しており、今日は会議に呼ばれて訪問した。内部もいたって平凡なビルなのだが、困ったことは3基あるエレベーター。利用者の常識がないというか慣れていないというか、ボタンの押し方から、エレベーターの出入りから、皆我が物顔同然でマナーが皆無。ハイチ国内にエレベーターがあるビルは5棟もないからと、ぐっと我慢して利用する。階段を使用した方が明らかに早かった。
ハリケーン(正確には熱帯性暴風雨どまり)の直撃はなかったものの、未明から翌朝にかけて雨がずっと降り続け、水に浸かった地域が出た。
家も停電し、愛用のラジオを聴いてすごす。大家に文句を言っていた発電機は直っておらず、蓄電池も調子悪いので、数日間は電気なしの生活か。ハリケーンの影響で昼間暑くないのは幸いだが、冷蔵庫のモノが腐っていったり、水洗トイレを毎回自分で流すのは、毎度のことながら気が重い。
調子の悪い友人の所に食料を持っていく途中の市内の町なみは、普段の何十倍も整然としていた(写真)。路駐も露天商も歩いている人々もほぼいないからだと気がついた。
今月27日から予定されていたハイチ大統領の公式来日はハリケーン対策で延期された。
家も停電し、愛用のラジオを聴いてすごす。大家に文句を言っていた発電機は直っておらず、蓄電池も調子悪いので、数日間は電気なしの生活か。ハリケーンの影響で昼間暑くないのは幸いだが、冷蔵庫のモノが腐っていったり、水洗トイレを毎回自分で流すのは、毎度のことながら気が重い。
調子の悪い友人の所に食料を持っていく途中の市内の町なみは、普段の何十倍も整然としていた(写真)。路駐も露天商も歩いている人々もほぼいないからだと気がついた。
今月27日から予定されていたハイチ大統領の公式来日はハリケーン対策で延期された。
数日前からの気象情報により、熱帯低気圧(命名:アイサック)が勢力を上げながら、今夜から明日にかけてハリケーンとなってハイチに上陸するという。上記のような図を見せられたら、素人目にも大変そうだとわかる。
ハリケーンによって暴風雨がもたらされる訳だが、それによっていろんな物が飛んだり、土や崩れが起こったり、洪水が起こって、必ずといっていいほど死者が出る。自然災害といえなくもないのだが、金具止めの甘い屋根や広告が飛んできて重傷を負ったり、水かさが増えて側溝と道路の境界が分からない場所を走った車が転倒するのは、人災に近いといつも思う。
そして、いつもとばっちりを受けるのは、浸水の恐れのある地域に未だテント暮らしをしている人々。その理由はともかく、ハリケーン上陸前に学校などに避難を勧める(輸送車も用意されている)のだが、ハリケーンを過小評価していたり、通過後に元の場所に戻れない(かもしれない)ことを危惧して、居座る人々も多い。短期にしろ、計画性のあまり感じられない政府側にもその非はあるだろうが、人が亡くなってからでは遅い、という議論はあまり通用しなくて、結構簡単に人が死んでいる(ように思う)。もちろん、不健康状態、医療施設の不十分さとか、負の効力が重なって起こるのだけれど。
被害が大きくならないことを願うのみ。そして工期は当然のように遅れていく。
ハリケーンによって暴風雨がもたらされる訳だが、それによっていろんな物が飛んだり、土や崩れが起こったり、洪水が起こって、必ずといっていいほど死者が出る。自然災害といえなくもないのだが、金具止めの甘い屋根や広告が飛んできて重傷を負ったり、水かさが増えて側溝と道路の境界が分からない場所を走った車が転倒するのは、人災に近いといつも思う。
そして、いつもとばっちりを受けるのは、浸水の恐れのある地域に未だテント暮らしをしている人々。その理由はともかく、ハリケーン上陸前に学校などに避難を勧める(輸送車も用意されている)のだが、ハリケーンを過小評価していたり、通過後に元の場所に戻れない(かもしれない)ことを危惧して、居座る人々も多い。短期にしろ、計画性のあまり感じられない政府側にもその非はあるだろうが、人が亡くなってからでは遅い、という議論はあまり通用しなくて、結構簡単に人が死んでいる(ように思う)。もちろん、不健康状態、医療施設の不十分さとか、負の効力が重なって起こるのだけれど。
被害が大きくならないことを願うのみ。そして工期は当然のように遅れていく。
Permanent Houseの進行状況。屋根をつけて(はって?)、塗装すればほぼ完成。写真の撮りようによっては、かっこよく見えるものだ。他の建築が構造的に怪しげなものが多いので、うちの住宅が際立って見える。目立てば目立てで、他の機関から金をかけすぎとか、行政から許可を取ったかとか、批判されるのはまあ仕方ないか。文書でやってきた意見のみ、文書で回答する。きりがないので。
出国手続きをして、搭乗口を前に、ふと搭乗券を見たら、別人の名前やった。
さすがにビックリしたというか(そういったミス自体には慣れっこなんやけど、もうすぐ離陸する飛行機に乗れんかったら困るという理由で)焦った。搭乗券が2枚あって、乗り継ぎ後の便は自分の名前やったので、気がつかなかったのだろう。「最初の便の搭乗券が間違っている」と近くの航空会社の係員に伝えると、搭乗券を持って走っていった。
で、戻ってきたら、最初の便も乗り継ぎ便の名前も、別人(それも女性名)のやつを持ってきた。向こうもさすがに焦ったのか、その航空会社スタッフの上司みたいな人が、再度走っていって、正しい搭乗券を持ってきてセーフ。謝るかわりに「もっと早く言いなさい」と予想通りの態度に出るので、怒鳴ってやろうと思ったがそのエネルギーがもったいなかったので「名前を教えてくれ、会社にクレームするから」と告げるとすぐに態度が変わり、わかりやすかった。日本人は大人しいからって、なめたらあかんで。
さすがにビックリしたというか(そういったミス自体には慣れっこなんやけど、もうすぐ離陸する飛行機に乗れんかったら困るという理由で)焦った。搭乗券が2枚あって、乗り継ぎ後の便は自分の名前やったので、気がつかなかったのだろう。「最初の便の搭乗券が間違っている」と近くの航空会社の係員に伝えると、搭乗券を持って走っていった。
で、戻ってきたら、最初の便も乗り継ぎ便の名前も、別人(それも女性名)のやつを持ってきた。向こうもさすがに焦ったのか、その航空会社スタッフの上司みたいな人が、再度走っていって、正しい搭乗券を持ってきてセーフ。謝るかわりに「もっと早く言いなさい」と予想通りの態度に出るので、怒鳴ってやろうと思ったがそのエネルギーがもったいなかったので「名前を教えてくれ、会社にクレームするから」と告げるとすぐに態度が変わり、わかりやすかった。日本人は大人しいからって、なめたらあかんで。
ハイチの震災復興関係の話を最近していなかったので、ここらでPermanent House建設の話題を(Permanent Houseは、開発業界の日本語にすると恒久住宅となるみたいだが、復興住宅と訳したほうが自分にはしっくりくる)。
大統領選挙や首相の決定が遅れて、政府がほとんど機能していない2010-11年であったが、昨年後半よりなんとか動き出して、それに伴い復興関連の事業も徐々に姿を見せ始めた。復興興住宅の基準も(何となく)できあがってきた。未だに国の目標戸数がいくつなのか、どこに建てるつもりなのかはっきりしないが、1戸当たり6,000米ドル(約50万円)というあたりまでは明文化され、他国政府や支援機関(世界銀行、国際NGOとか)の予算の目安となっている。
うちの職場でも、いろいろデザインを検討したが、6,000米ドル(工賃は含まれるが、援助団体の職員の給料とか経費は含めない)でできることは限られている、耐震基準も備えないけないし。土地の限られた都心部を対象に、2階建で12,000米ドルを予算とし、各階20m2の家を考えた(小さ!)。まあ、仮設住宅でも標準仕様の18m2が敷地に収まらず、削って12m2の奴を結構建てたので、しばらくこれで様子を見る。
今年4月から案を練り始め、5月から敷地と被災家族を選択肢し弁護士を通して土地問題を解決した後、6月にまず1棟を着工した。今日は2階の床スラブにコンクリを流し込む段階まで来たので、色見本で配色の検討(写真)。あまり選択肢がなく15分ほどで決めた。
ハイチでは被災キャンプを解消するために、仮設住宅を提供する以外の方法に、土地や戻る家がない人には、ある期間家賃を全額支援する事業が赤十字やうちの機関(他部署)で展開されている。日本の「みなし仮設(住宅)」とは、正確には違うけど、まあコンセプトは似ているかな。
で、その賃貸に出せる対象物件が、ポルトー・プランス都心部ではもう少ないということで、うちの機関がこれから建設する事業は、家が壊れた大家に1階(もしくは2階)に住んでもらい、行き場所のない被災家族に2階(もしくは1階)を数年間無償(もしくは微料の家賃)で提供することを条件に家自体を無償(他国民の税金もしくは寄付による)で提供するというものを展開予定。
復興住宅事業に関わると、スリランカ時代のように、赴任期間が長くなる傾向にあるが、まあこれも流れのうちか。日本でもアメリカでも全く報道されていないが、DRコンゴのKivu州(州都はゴマ)で先月より戦渦が激しくなってきて、異動どころではなくなった気がする。
大統領選挙や首相の決定が遅れて、政府がほとんど機能していない2010-11年であったが、昨年後半よりなんとか動き出して、それに伴い復興関連の事業も徐々に姿を見せ始めた。復興興住宅の基準も(何となく)できあがってきた。未だに国の目標戸数がいくつなのか、どこに建てるつもりなのかはっきりしないが、1戸当たり6,000米ドル(約50万円)というあたりまでは明文化され、他国政府や支援機関(世界銀行、国際NGOとか)の予算の目安となっている。
うちの職場でも、いろいろデザインを検討したが、6,000米ドル(工賃は含まれるが、援助団体の職員の給料とか経費は含めない)でできることは限られている、耐震基準も備えないけないし。土地の限られた都心部を対象に、2階建で12,000米ドルを予算とし、各階20m2の家を考えた(小さ!)。まあ、仮設住宅でも標準仕様の18m2が敷地に収まらず、削って12m2の奴を結構建てたので、しばらくこれで様子を見る。
今年4月から案を練り始め、5月から敷地と被災家族を選択肢し弁護士を通して土地問題を解決した後、6月にまず1棟を着工した。今日は2階の床スラブにコンクリを流し込む段階まで来たので、色見本で配色の検討(写真)。あまり選択肢がなく15分ほどで決めた。
ハイチでは被災キャンプを解消するために、仮設住宅を提供する以外の方法に、土地や戻る家がない人には、ある期間家賃を全額支援する事業が赤十字やうちの機関(他部署)で展開されている。日本の「みなし仮設(住宅)」とは、正確には違うけど、まあコンセプトは似ているかな。
で、その賃貸に出せる対象物件が、ポルトー・プランス都心部ではもう少ないということで、うちの機関がこれから建設する事業は、家が壊れた大家に1階(もしくは2階)に住んでもらい、行き場所のない被災家族に2階(もしくは1階)を数年間無償(もしくは微料の家賃)で提供することを条件に家自体を無償(他国民の税金もしくは寄付による)で提供するというものを展開予定。
復興住宅事業に関わると、スリランカ時代のように、赴任期間が長くなる傾向にあるが、まあこれも流れのうちか。日本でもアメリカでも全く報道されていないが、DRコンゴのKivu州(州都はゴマ)で先月より戦渦が激しくなってきて、異動どころではなくなった気がする。