goo blog サービス終了のお知らせ 

in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

故郷は遠きにありて思うもの

2012年05月21日 | Rwanda
朝はRwandaの首都Kigaliでルワンダ事務所代表と歓談。本当は素通りしてもよかったのだが、後から知られて水臭いと言われるのもあれだし、これから向かう隣国でビザが下りなかったときにお願いするかもしれないので、自己紹介も兼ねて事務所にお邪魔する。この先、どこか別国でばったり出会ったりすることもあるだろうし(一度と自ら出向いて挨拶しておくと後がスムースになる、この辺は日本の組織でも一緒か)。Kigali事務所ではRwandaの概要を聞いて、紛争後に自国に戻ったルワンダ人の生活再建を日本政府が支援している事業についての説明を受ける。

その後、Kigaliから車で隣国へ移動。Rwandaの国土面積は四国と九州の中間ぐらいの大きさで、道路も舗装され電気も通っていて緑が多く、思っていた以上に国が機能している印象を受けた。小国なので国を統率しやすいと、ここで会った同僚が教えてくれた。ハイチも小国なんやけど。

四国をイメージしたからか、道中は夏休みでよく訪れた愛媛山間部を走っているように感じる。アスファルトで舗装された道が伸び、川沿いに集落や畑が並んでいるのを見ると(写真)、地元に近い能勢や亀岡に通じるものがあって「故郷は遠きにありて思うもの」とはよくうたったものだなあと思っていると、当時あの辺を一緒にうろうろしていた大学同期らからの「遠すぎ!」という声が今にも聞こえてきそうで、一人にんまりしていた。

そのうち茶畑も広がってきて、スリランカの山間部を思い起こさせる。国境間近かになって、昼食休憩で立ち寄った外国人向けの喫茶店のテレビが偶然にも、スリランカで刑務所に入っていたフォンセカ氏(前国防参謀長)が釈放されたとニュースで言っていた。あれから2年か。

Rwanda(ルワンダ)に到着。

2012年05月20日 | Rwanda
長い旅路を経て、Rwandaに到着。アムステルダムから乗った便はRwandaを経由して、再搭乗することなくそのままUgandaまで飛んでいた。機内放送では聞き間違いやすいからか、Kigali(Rwanda)に行くかKampala(Uganda)かと再三アナウンスしていた。それを聞いてハイチ出国前に思い違いをしていたのは自分だけではなかったとちょっと安心。

飛行機のタラップを降りて、空港ターミナルまで300mほど歩く(写真)。VisaもOnlineで事前申請していたからか(どうだか)30米ドルを払ってすんなり終了。スーツケースも無事にすぐに出てきた。そして出口で出迎えの現地スタッフと合流する。こんだけ長旅をしても初めての国でも、自分の会社のロゴを見るとほっとする。

JFK

2012年05月19日 | United States
ニュー・ヨークJFK空港にあるエーロ・サーリネン(Eero Saarinen)設計の空港ターミナル(1962年竣工)はいつ見てもかっこいい。周囲は増築や建て替えが進む中、この建物は空き家(ターミナル)になってしばらくたつ。なんとか使いながら残してほしいが、規模や設備的に難しいんかな。

Time to move

2012年05月18日 | Haiti
プロジェクトの最終報告書を提出した翌日の今日、今から数週間の予定で出張へ。修繕がぼちぼち進んでいるターミナル(写真)は思いのほか快適で、以前まで暑すぎてかいていたほんとの汗も、きちんと並ばない群集を前に搭乗時間に間に合うか心配でかいていた冷や汗もかくことなく、搭乗口に到着した。

運転免許証

2012年05月11日 | Haiti


しばらく国際運転免許証で運転していたのだけれど、職場の指示とサポートでハイチの免許証を取得(写真)。今年明けに申請してから結構時間がかかった。

地元ネタ

2012年05月10日 | Haiti
スリランカで、阪急千里線沿いに実家のある日本人と遭遇した時も驚いたが、今日はハイチで、コロンボの同じ通りに住んでいたスリランカ人と遭遇した。

仕事帰りにシンハラ語の入った会社のシャツを着たまま、最近UNの敷地内にできたジムで汗を流していると声をかけられた。話していくうちに、かなりご近所同士だったらしいことがわかった。あの角にある寺が派手すぎる、あそこのカレー屋が旨いなど、地元ネタ満載の会話をしているうちに、当時のことがとても懐かしくなった。

Forest Hills

2012年04月25日 | United States
いつになく忙しくて、延ばしていたR&R(rest and recuperation 要は休暇)を急遽取って、ニュー・ヨークへ。前から遊びに来いと言われていた知人を頼って、QueensにあるForest Hillsのアパートにお邪魔する。

パートナーは単身赴任中、本人も昼間は仕事ということで、朝から夕方まで一人で寝たりテレビを見たり食べたいものを作ったりと、自分の家のように好き放題。さすがに疲れが溜まっていたのか、最寄り駅から地下鉄で20分もかからないManhattanにも行く気になれず、久しぶりに徒歩移動のできる自由さ・快適さを満喫しながら近所を散策する(写真)。

駅も近いし、都心にも近いし、ちょこっとしたスーパーとか雑貨屋とか食堂とか歩いて行けるし、昼間歩いているお年寄りも多いし(これ、アメリカではとても珍しい)、千里ニュータウンみたいやなと思っていた。

1週間何もするわけではなく滞在しているうちに、街の計画を<誰が><いつ頃>したんやろうと気になり始めて、ちょっと調べてみた。なんとC.A.ペリー氏が著した『近隣住区論(The neighbourhood unit)』をまとめるきっかけとなった(彼自身も住んでいた)街だったことが判明。十年ほど前に論文のためにあんなに読み込んでいたはずの参考書の内容を忘れていたとは、自分の記憶のあいまいさにガックリした。それでも、自らその街に滞在できた偶然に感謝。


*近隣住区とは、「都市計画で、小学校を中心に店舗・レクリエーション施設などを備えた、人口8000~1万人程度の住宅地域。(大辞泉より)」。20世紀の住宅地整備(日本のニュータウン開発)に大きく影響を与えたといえる。

8年目

2012年04月12日 | Haiti
早いものでこの業界に入って丸7年が過ぎた。

日本から離れて生活して、何が懐かしいかと聞かれると、いろいろあるのだが、(ここで書ける範囲で)一番懐かしいのは、音楽のあった生活だろう。

学生時代からずっとオケ(オーケストラ)をやっていて、卒業しても市民オケに所属していた。職種や年齢の垣根を越えたメンバーで練習していた時間が懐かしい。毎週日曜日夕方6時から9時の練習、なんとなく義務で通っていた気持ちもあったけれど、あんなに平和で満たされていた時間はもうやってこない。そんなことは、いつも過ぎてから気づくものだろうか。

最近、ヴォーン・ウィリアムズの5番のCDが古荷物の中から出てきて、思わず聴きまわす。情景的な(と思う)曲調に、練習していた当時をはっきり思い出すと同時に、自分の今置かれている状況を当時を比較せざる得ない。失うことと得られたこと、そういうことか。


写真はKinam hotel。Victorian(ビクトリア朝)Gingerbreadという様式らしい。ハイチの震災前はこういった植民地時代の名残の建物が多く残っていたという。

選挙色

2012年04月08日 | Dominican Republic
隣国ドミニカ共和国の地方都市(タウン)Azua近くで見かけた大統領候補の選挙事務所(写真)。選挙戦に政党色でアピールするのは、多くの国で見られるが、ここまで徹底した選挙事務所は珍しい(と思う)。

写真家再訪

2012年03月12日 | Haiti
写真家の方にハイチに来ていただいて、うちの仮設住宅の写真を撮っていただく日程も佳境に入ってきた。今日は夕方から夕日後の明かりが点り始める前後の風景を撮影。今日は運良く電気が来ていた。

私のカメラでは暗すぎて取れないので、暗すぎになる前に個人的にシャッターを押す(写真)。この中に、20棟の仮設住宅が移っている。わかるかな。

それにしても、うちのスタッフ、よく頑張って建てた。

国籍釈明会見

2012年03月08日 | Haiti
今日の午後になって、突然、大統領が重大発表をするので、今居る場所から動くな、と指令が来る。

なんだろうと思い、事務所のテレビをつけてまっていると、大統領が出てきて、自らの国籍についてパスポートも見せながら説明する(写真)。

ハイチ人は二重国籍が許されていないので、Martelly大統領が実は米国籍を持っているのではないかと、野党から疑問の声があがっていた。

会見では、米国大使も出てきて「Mattely氏は米国人ではありません、ハイチ人です」と宣言する。

釈明が必要であったとはいえ、国の全ての経済活動を停止させるほど意義のある『記者会見』であったのか、大いに疑問が残った。

内戦避難民 故郷に戻る

2012年03月01日 | Weblog
以前、取材を受けたテレビ東京の番組『地球VOCE』が、今年の始めからスリランカを特集している。

<内戦避難民 故郷に戻る>を見ていると、2007年から2009年にかけて携わった地域のことがとめどなく思い出されてきた。

Fist-Bump

2012年02月28日 | Haiti
訪問客らを連れて避難キャンプを案内する。キャンプの子供がfist-bump(挨拶がわりに拳を付き合わせる)をしてきたので、こちらも応えた(写真)

Sushi in Haiti

2012年02月27日 | Haiti

首相辞任

2012年02月25日 | Haiti
日本じゃなくてハイチの話。3人目の候補者でせっかく決まったコニーユ(Conille)首相が就任4ヶ月で辞任表明。震災復興の方針で大統領や議会と対立したとかメディアには書かれているけど、政治経験のない大統領と国を統括していくにはかなりの忍耐と技量が問われたのではないかと想像する。

いずれにせよ、これでまた復興が遅れていく。。。。

『もだえ続けるハイチ』(時事通信)