朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

パスタ「アマトリチャーナ」を食べて義援金を!

2016-09-15 | 食べること、レストランなど

渋谷にある大学で友人たちと研究会を開き会議の後、イタリア料理店に行きました。

へんてこりんなシンボルマークですが、

CENTO ANNI という系列店の本店です。シチリア料理がメイン。

料理を選んでいて、店の人に教えられました。

【8月26日 AFP】イタリア中部で8月24日未明に発生した大地震で壊滅的な被害を受けたアマトリーチェ(Amatrice)村を支援するため、飲食店が同村生まれの人気パスタ料理「スパゲティ・アマトリチャーナ」をメニューに加える活動が広がっている。これまでに国内の料理店700店以上が賛同した他、海外へも広がる動きを見せている。

このレストランでも、この運動に賛同して、1皿につき200円を寄付するとのこと。

さっそく、「スパゲティ・アマトリチャーナ」を注文しました。

 

ワインは、珍しいシチリア産のものから、白と、後ほど赤を選びました。

前菜盛り合わせ3種。

カウンターに大皿に盛りつけてある料理から、これとこれという風に指差して注文します。

まあ、京都のおばんざい料理店みたいなものかな。

メイン、セコンドは、この白身魚とムール貝、あさり。

なかなか美味でした。

赤ワインが余ったので、チーズ各種もデザートに取りました。

おされな渋谷、桜丘、セルリアンタワーのもっと奥にある静かな場所でした。

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博多・福岡 観光

2016-09-12 | 国内各地の風物

地元に在住の友人に短時間でしたが、案内してもらいました。待ち合わせ場所は地下鉄「祇園」、むむ、京都にもある地名。・・”駅近くの櫛田神社に奉納される博多祇園山笠”から、町の地名が祇園となったらしい。

まず、博多町家ふるさと館を見学。このあたりは「博多」らしい(福岡ではない!)

入場料を払い、2階で博多人形の先生が実演していると聞き急いで、エレベータへ。そのコーナーでは女性数人が絵付けの最中でした。お客さんは、マレーシアから。ジョホールバルらしい。先生が筆を入れると、絵柄がパット映える、さすがにプロです。

昔の博多の町並みや、山笠祭りのビデオをゆっくり鑑賞できました。博多と福岡の地名の由緒も。黒田藩の管轄地と、独立した自治港町でした。(どっちがどっち?)

”江戸時代に黒田氏が入国し那珂川を挟んで城下町福岡を築き、二極都市”が形成されました。川の両岸が別の町名とは、世界にもよくあります。例えば、ブタペスト、ミネアポリス・セントポール。

博多織りの実演も隣の町家で見学。お話し好きの実演女性でした。

いよいよ、



櫛田神社に参拝。

山門の天井にはこんな円盤があります。



今年の恵方を示す矢印がありました。 ・・・で、恵方って何? 巻きずしのプロモ?




このあたりで、先ほどのマレーシアグループに追いつかれました。通訳ガイドを連れていたので、「はい、ここで小銭を出して、賽銭箱に入れる。二礼二拍手一礼」と作法を英語で説明してました。




境内の山笠の展示。これは飾り山笠なので、背が高い。

一方、お祭りの時に町内を引き回すのは引き山笠で、背が低くて電線にひかからないようになっているそうです。引き手はふんどし姿となり、この時期、博多の夜はふんどし男で一杯になるとのこと。

力士が奉納した石。



これは古い時代に構築された土塀。ただし修理はしてある。



アーケード繁華街に移動して、別の山笠を見学。とても立派。

この山笠に飾っていいるのが博多人形で、これを作ることで現代の人形師の生活と伝統維持が成り立っているようです。 現代の日本人の多くの家には、床の間とか飾り棚が殆どなくなったので、この種の装飾品は飾る場所がありません。センスも変わった。東北の「こけし」も同じかな。



さて、歩き疲れたので、とあるホテル地下のアイリッシュパブにて休憩。

キルケニー・ビールを楽しみました。(ギネスと違い薄いブラウン色)

その後、別の友人と特別な小さな居酒屋へ。 新鮮な地元魚介類の盛り合わせ、地元の珍しいウニも箱で出てきて、さらになんとクジラの各部が盛りつけられていました。特別な銘柄焼酎も堪能できました。

これが福岡出張の楽しみ。(案内してくれた友人は、福岡育ち九大出ですが、家族は東京にいて今はフクチョン族です)

その料理や酒内容と店名、場所は特に秘す。



店を出て、広い通りを地下鉄駅に歩いていくと、


歩道には屋台が並び、人気店には行列ができたいました。




さすがに、食べ物と飲み物の大都会、博多福岡でした。

この稿、終わり。

 

 

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博多名物

2016-09-11 | 国内各地の風物

”博多の みやげにゃ~ 二◯加 煎餅がいちばん 上等たい”



というわけで、博多駅の売店でこれを購入しました。



いわゆる瓦煎餅の味です。すこし甘みが強めなのが、昔風でしょうか。一箱に3枚入っていて、それぞれ表情が違います。

誕生から110年だそうです。二◯加、「にわか」と読みます。




 

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広島カープ

2016-09-10 | 国内各地の風物
仕事で福岡出張の帰り道、新幹線の窓から野球場が見えました。



昨夜は巨人が勝ったので、今日は東京ドームで巨人に勝てば、25年ぶりの優勝。

さて、どうなるかなぁ。

もっとも、その後にクライマックス何とかも有るので、優勝の意味わからずです。



初めて「みずほ」指定席に乗りました。
2+2の座席配置で、ゆったりしています。



のぞみは16両編成ですが、みずほは、何と8両です。さくらはもっとも短い。つばめ、懐かしい列車名です。

〜〜

山陽新幹線はトンネルばかりで、車窓の楽しみがありません。リニア新幹線はもっとトンネルばかりになるのでしょう。
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台風13号

2016-09-07 | 京都の文化(秋)

今、NHKニュースで台風情報を伝えています。

今は、四国の南会場を東に進んでいるようです。



自宅のベランダから南東の夜空です。

先程はそれなりの雨が降っていました。



この後どうなるのかな。

明日午後に東京で仕事があるのですが・・・

 


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酔芙蓉

2016-09-05 | 京都の文化(夏)

昨日のブログに掲載した、近所の花が本当に夕方になると紅色になるのか気になったので、見に行ってみました。



綺麗なピンクの花が咲いていました。



この木の全ての花と、隣に同じ大きさの酔芙蓉が茂っていますがその花も同様です。

少しネットで調べてみると、名前にはこんな由緒があるようです。

”・・酔芙蓉は、朝のうちは純白、午後には淡い紅色、夕方から夜にかけては紅色になります。酒を飲むと顔色がだんだんと赤みを帯びるのに似ていることからこの名がついたといわれています。・・” (http://www.geocities.co.jp/junfumihp/suifuyo.htm 京都山科にある大乗寺)

昨日早朝の白い花を再掲しておきます:

~~

ブログにコメントを頂いた「りんご」さんの言葉に思い出したので、石山寺の近くで見た酔芙蓉の写真も再掲します。

 

過去のブログへのリンク: http://blog.goo.ne.jp/geneve1992/e/b641a7ae15d606c8a8c7598bbffc8552

 

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早朝散歩

2016-09-04 | 京都の文化(夏)

朝早く目が覚め、気温が下がってきたので、散歩にでかけることにしました。

あと2日ほどすると関西か、その北側にある日本海に台風12号が到来する予報がでています。



右手に比叡山が見えますが、頂上付近には雲がかかっています。

左手は宝ヶ池。国立京都国際会館がある場所です。



白鷺が遊んでいました。



秋の空と薄い雲。



犬を散歩させる人。ジョギングを楽しむ人。散歩の夫婦。



とある住宅の庭に咲く酔芙蓉。朝なので白い花ですが、昼になると薄く赤みを帯び、夕方には紅色になる一日花です。

 

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MICE とは、何?

2016-09-03 | 国内各地の風物

Mouse(はつかねずみ)の複数かな!?

学会のML(メーリングリスト)で、大阪MICEのセミナー・展示会の案内が配信されてきました。その講演の一つに「IoT、観光・MICE産業、オープンデータ」(講師:坂村健・東大教授)と、霞が関関係省庁課長のパネルがあり、無料なので参加しました。

会場は、ウメキタのグランフロント、ピカピカの現代的ビルの中でした。

坂村先生の講演。 さすがに話し慣れています。

テーマは、IoT。

東京で、2020年に向けて、電鉄会社、バスなど全ての公共交通機関を巻き込んで、運行データや設備地図など公開して、交通系ICカード、デジタルサイネージ、スマホなどを活用してIoTを実現するプロジェクトの紹介でした。

次は、お役人のプレゼンがあり、溝畑宏氏(大阪観光局理事長)のパワフルな講演。

大阪は関西の中心都市として、MICE資源にとても恵まれていると強調しました。

ところで「MICE」とは:”MICE(マイス)は、Meeting(会議研修)、Incentive(招待旅行、travel, tour)、Conference(国際会議・学術会議)またはConventionExhibition(展示会)またはEventの4つの頭文字を合わせた言葉である。ビジネスと関わりがあり多数の人の移動を伴う行事という、企業などの会議セミナー、報償・研修旅行、国際会議や総会学会、展示会・見本市・イベントなど、観光および旅行の観点から着目した総称で、・・・” (出典:Wikipedia)

私の経験ですが、約40年前に京都の国際会館を会場にして2000人規模(外国人が半数以上)の学術会議の事務局で実行班を担当したことがありました。当時は、このような支援業務会社はほぼゼロ。唯一、JTBが外国からの旅行手配、ホテル予約、観光イベント手配を担当しただけでした。インターネットもまだなかったので、国際郵便、国際テレックス、国際電報で参加者の登録やビザ支援を実施。論文集(プロシーディング)は電話帳のように分厚く紙に印刷して2分冊ありました。PCも一般的ではなかったので、英文タイプライターでタイプして、指定の原稿フォーマットに糊で貼り付けました。

さて、大阪の現在状況です。

2015年には、大阪を訪問した外国人が急増しました。今年、2016年はさらにそれを大幅に上回る勢いで、上半期だけでも驚くほどだそうです。

講演会が終わって、その後、パーティが始まりました。このパーティは、MICE業者さんの実演も兼ねていました。

まず、福娘の会場入口での歓迎。

可愛くて、華やか。純日本的ですが、・・・

本来のレセプションでは、入り口には「主催の責任者」が、多くは夫婦で並んで、握手しながら歓迎の意を表しますね。

どんと、ビリケンさん。 食べ物の飾り付けと内容は、さすがに大阪です。 

出展している飲食業、ホテルが、それぞれ飲食品を出していました。

たこ焼き。 飾り付けは見事でしたが、冷めていて食べるとうまくなかった。

主催者、大阪観光局溝畑氏の熱意のこもった挨拶。もと霞が関官僚の天下りのようですが、その話術はなかなかのものでした。

今回、特別に作成した大阪MICEのロゴを形どったポロシャツをお召になっていて、さっと上着を脱いで、ロゴのご披露をされました。

鏡割りや、何人かの挨拶、観光局の支援機能の紹介がありました。

目玉は、マグロの解体ショー。

その後、マグロの刺身が振る舞われました。

ただし、本マグロではなくてビンチョウだったので、まあシンプルな味でした。

大阪の外国訪問者の急増は、恐らく、関西空港に発着するLCCがアジアから運んでくる人々でしょう。お荷物であった関空が、意外な救世主(LCC基地)とアジア新興国の経済成長に救われたわけです。問題は2,3年後とその先だと思います。

今回の感想、観光庁(霞が関の女性参事官)や大阪観光局理事長の主張は、日本もやっとここまで変わってきて、やっと欧州に追いついてきたかなと。ユニークベニュー(美術館、博物館、文化的建築物など)を学会や企業イベントのパーティ会場に許可することの開始など。

貴重文化財は保護も必要だが、それを活用して収入につなげる(それを財源にして維持管理)、お客さんには宿泊(できるだ長く)してもらってもっとお金を使わせる、特に富裕層むけになど・・・これらの要点は、D.アトキンソン「新・観光力行論」にすでに1年少し前に主張されていることです。アトキンソン氏の講演会も聴きにいったことがあります。

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俳聖殿(三重県伊賀市)

2016-09-02 | 油彩水彩画、雑誌の表紙

 世界でも珍しい超短文詩である俳句を確立した松尾芭蕉は農家次男として伊賀に誕生した。経済が安定した江戸時代に俳諧は武士や裕福な商人の知的遊戯であった。

 芭蕉が少年のとき、伊賀城主の若き嫡男の話し相手に登用されたことから、俳諧に親しみ後の俳句文化の発展に繋がった。 (ITUジャーナル Sep.2016)

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伊賀市は筆者の生まれ故郷です。ですが、父の仕事の都合で生まれてすぐに関西各地に転居し、大人になってからは東京など関東に住居しました。芭蕉さんは「忍者」だったのではないかとの友人のコメントで最近、少し本を読んだところ、農家の次男坊がどのような機会に恵まれて、俳諧を学び、江戸に出て神田上水の普請請負など力仕事もこなしながら、最後には日本独自の文学を代表する俳句を創作したのかを知りました。

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