朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

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2015-11-18 | もろもろの事

用事があって昨日近所の大きな郵便局に行きました。こんな看板がドンと表に掲示してありました。



ああ、そうなん、いよいよ京都市の中でも配達が始まったようです。窓越しの写真です:



特別のコーナー、テーブルと人員を貼り付けています。

配達時に在宅していたらそのまま受け取れるし、再配達の要求もできると思います。・・が、

平日の昼頃に続々と受け取り客が来ていました。・・そんなに急がなくても、ねえ、特に「年金生活」の人にとっては。




職場でも、こんなパンフが配布されていました。

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曼殊院 紅葉2015

2015-11-17 | 京都の文化(秋)

洛北の散歩の続きです。圓光寺から集落の中の細い道を20分くらい歩くと、曼殊院に至ります。

勅使門。この両側の外壁に沿って何本ものカエデの大木が並んでします。

今年の紅葉は、まだら模様でした。赤い葉もあれば、まだ青い木もあり、枯れて落ちた葉も。

門前にある弁天池と弁天島。

ここは拝観料がいりません。

弁天堂、緋毛氈の赤と紅葉、池と石橋。右手に茶店があって蕎麦、うどん、菓子、お茶がいただけます。

ここはお寺の周囲で紅葉を楽しめるので、今回も境内には入りませんでした。

外塀の苔が見事でした。

帰路、農家の無人スタンドで。柿3個を100円で買いました。

 

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圓光寺 紅葉2015

2015-11-16 | 京都の文化(秋)

朝方は小雨模様でしたが、昼ごろには青空も見えてきたので散歩にでかけました。(11月15日)

座敷からこの「額縁」で鑑賞する紅葉の庭(十牛之庭)で有名なお寺です。

日曜日だったので沢山の観光客で賑わっていたのですが、一瞬だけ人のいないタイミングがありました。

水琴窟。この水盤の地下に瓶が埋め込んであり、上から滴り落ちる水滴が共鳴してピーン、ピーンと音が響きます。周りが騒がしいかったので、左にある青竹の筒に耳を当てると聞くことができました。

数年前に撮影した動画・音声は、ここに。

庭を半周して、裏山に登ります。

竹林もよく手入れされています。

境内と、洛北が一望できました。愛宕さんも遠望できます。(実は今住んでいるマンションも)

それなりには有名ですが、東福寺、嵐山、永観堂や清水寺ほど紅葉知名度はないのでゆっくりと鑑賞することができました。

まだ青もみじもある一方で、苔の上にはカエデの落ち葉も散り敷いています。

昨年は、テレビ中継が入ったと記憶します。

宝物殿には、円山応挙「雨竹風竹図」屏風一双があります。

木活字で現存する日本最古だとのことで重文です(1599年)。仏教や儒教などの書籍を木版印刷するために作られました。徳川家康の指示で僧俗の教育のための学校があったようです。

 

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33年に一度の秘仏ご開帳

2015-11-15 | 国内各地の風物

三重県伊賀市島ヶ原にある観菩提寺正月堂で、秘仏のご開帳があったので拝観してきました。(11月8日まで)

33年に一度だけということは、ほとんど一生に一度の出来事ですから。

伊賀市は奈良県、滋賀県となんと京都府とも山地によって接しています。遠来の友人と京都から車で出発しました。思いついて、新名神高速を滋賀県の信楽ICで降りて、多羅尾へと山の中を抜けて行きました。 

神君伊賀越え」、つまり徳川家康が本能寺の変の直後、明智光秀軍の襲撃を避けるために三河に避難する困難な移動の場所です。

(引用:http://www.amazon.co.jp/玉繭の道-仁志耕一郎/dp/4022511095

家康は、当時堺に遊んだ後、京都に戻る途中、四條畷(大阪府)で急報を聞き急遽、間道を抜けて伊勢に向かいました。この時に山中の案内と警護を担った伊賀忍者、特に服部半蔵が後の徳川幕府で江戸の警護を任命されます。現東京の「半蔵門」の由来。

この道を進むと、伊賀盆地を眺望できる「御伽峠(おとぎとうげ)」が現れました。

伊賀市の西端にある島ヶ原にあるお寺に行きました。

古刹です。聖武天皇の勅願寺。

楼門には、

仁王が二体。

本殿「正月堂」。國寶の石柱がありますが、旧制度の国宝で現在は重要文化財です。

本尊の十一面観音立像は、撮影禁止だったので、パンフレットとチケットの写真です。

境内には地元の人々がテントを張って案内や、地元産物の販売をしていました。

本殿の裏山に「西国三十三観音」の石仏めぐりの参詣路が作ってあります。

古い時代に奉納したものらしく、石組みが傾いたり崩れた石仏がありました。

 

 

紅葉が始まっていました。

*****

 

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信貴山 朝護孫子寺

2015-11-14 | 国内各地の風物

名前は聞いたことがあるのですが、まだいったことのないこのお寺を東京から来訪した友人と参拝しました。(11月1日)

川の対岸の駐車場からは、こんな立派な歩行者橋があります。その名も「開運橋」。

登録有形文化財になっている、昭和6年に完成した当時の最新式工法であったようです。

参道には、トラ、虎、とら、寅のモニュメントが出迎えます。これは、大寅。

子虎は千両箱を踏みつけています。商売繁盛のシンボルのようです。

年代を感じさせる石の大寅と小寅たち。

 

お堂の中では、護摩木をボンボン燃やして祈祷中でした。

その中庭でも、護摩焚きの準備がされていました。

石段をいくつも登って行き、ようやく本堂に到着。

御朱印を沢山押した白いハッピを着た信者さんのグループが集団で参拝していました。

この舞台からは、奈良盆地が一望できます。

「戒壇巡り」、真っ暗な本堂の床下を手探りてめぐるちょっと怖い参拝ですが、入ってみました。たしかに真っ暗でした。錠前と像のところだけ少しだけ明かりが灯されています。

ご本尊は毘沙門天王です、

信貴山に来た理由は、この「信貴山縁起」の本物を拝見することでした。このポスターは来年4月-5月に奈良国立博物館で公開されるイベントの告知です。

”醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました。” (http://www.sigisan.or.jp/about.html

この由来を、絵巻物にしたのが「信貴山縁起」、全部で3巻になっていますが、この日は第1巻の実物を霊宝館で拝見することができました。2巻と3巻はレプリカで一部が展示されたいました。

我々が入館した時には、ほかに見学者がいなかったので、館内担当者の方から実に懇切丁寧に解説してもらいました。この絵巻の意味とその表現をゆっくり鑑賞することができました。

本堂や境内にはあふれるほどの参詣客がいるのに、宝物殿(300円)に来るひとはほんの少数です。奈良博で開催すると山ほど見学者がならぶと思います。信貴山にお参りする人々の多くは、現世利益だけなんでしょうか。

霊宝館の人にお寺の由来を詳しく聞いたので、命蓮塚と開山堂まで足を伸ばしました。

この開山堂の中は、

(http://www.sigisan.or.jp/keidai.html)

こんなふうに、信貴山開祖 聖徳太子、弘法大師、命蓮上人 歓算上人と、四国八十八ヶ所のご本尊が立体的に配置されていて、非常に迫力がありました。

八十八カ所各寺のお砂も敷いております。お砂踏みめぐりをされ、心洗われる仏縁のひとときをお過ごしください。開山堂の厄除ローソクは、白:息災(除災招福・当病平癒・交通安全等)、黄:増益(開運招福・学業成就・商売繁盛等)、白+黄で「開運厄除け」になります。”

(http://www.sigisan.or.jp/keidai.html)

お堂前の売店のおばちゃんが面白おかしく詳しく解説してくれました。特に、厄除けローソクの供え方など。

この日の昼食は、開運橋横の渓谷を見晴らす食堂で、うどんを頂きました。(奈良県生駒郡平群町信貴山)

 

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ナンキンハゼ

2015-11-12 | 京都の文化(秋)
昨日の京田辺で見た紅葉です。



大きな歩道橋で鉄道を渡るところにあるので、木の上までクローズアップで見ることができます。



白く真ん丸な実がついています。
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関空アクセス

2015-11-11 | もろもろの事
こんな看板を見ました。


安いなあ。
天六や天下茶屋の乗り換えは、エレベーターかエスカレーターがあるのだろうか。荷物が重いと心配。

LCCが増えてきたし、国内便も関空からが増えています。
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山の辺の道、長岳寺

2015-11-10 | 国内各地の風物

黒塚古墳を見た後、食堂を求めてJR柳本駅に行きました。が、駅前には食堂もコンビニもありません、飲み物の自販機があるだけ。・・・・

このあたりで最も著名な名所「長岳寺」の門前に行ってみることにしました。

門前に「そば」の看板が見えたので、やれやれ助かったと向かいました。

が、

着いた時、扉を開けた途端、「今日はこれで終了です」と断られました。まだ、13時57分だったのに・・・奈良の「大仏商法」なんでしょうか。

その向かいに「たこ焼き」の旗を見つけたので、そこで店番のお爺さんにたこ焼きを作ってもらい、缶ビールも買って、遅めの軽いランチとしました。

このお寺では狩野山楽筆「極楽地獄図」の特別公開(11月30日まで)をしていることを、黒塚古墳展示館で教えてもらったのです。お寺では地元ボランティアガイドさんが丁寧に説明してくれました。

全部で9幅、縦3.5m、横11mにもなる大作です。解説を聞きながらじっくり見ると、とても怖い地獄だと実感しました。

(引用:長岳寺ウェブ http://www.chogakuji.or.jp/bunkazai/zigokue/zigokue.html 以下同じ)

火炙り地獄。

やっと、極楽に行ける。

境内を一周して、帰路につきました。

・・門前の蕎麦屋さん、せめて土日祝や、特別公開の期間ぐらいは午後1時55分でL.O.ではなくて、午後4時位まで営業すれば延長の人件費くらいは稼げて、観光客にも喜ばれるだろうと。(たこ焼き屋の妨害になるかな?)

さてJR柳本駅に戻って、電車に乗りました。土曜日の夕方でスポーツ大会参加の生徒さんたちや観光客でかなり混雑していて、奈良まで立ちっぱなし。

JR奈良駅で降りると駅前にこんな看板が。

京都が、リニア新幹線の誘致で最近、かなり運動をしています。

さすに「大仏商法」の奈良も、三重県とタッグを組んで控えめに奈良県を経由することをアピールしているようです!

 

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黒塚古墳

2015-11-09 | 国内各地の風物

山の辺の道、桜井までのほぼ中間地点で昼食を取るために、JR柳本駅方面に向いました。

 (フジテレビ 2008年1月放送のドラマ「鹿男あをによし」ポスター)

実は、ここ柳本には黒塚古墳があるのでこれを見学したかったこともコースから外れた理由です。

ここには天理市立黒塚古墳展示館があるので、さっそく入館しました(無料!)。

1997年に本格的な発掘調査が行われたところ、幸い盗掘が殆ど無く(古い時代に起こった地震で棺を囲む石が崩れて中の構造がわからなくなった)、三角縁神獣鏡33面と画文帯神獣鏡1面が、副葬当時に近い状態で発見されました。

実物は奈良県立橿原考古学研究所に保管されているのですが、ここには全ての銅鏡レプリカがずらりと展示されています。

例えば、この鏡ですが青銅で作られています。縁の断面が三角形、漢字で銘が刻まれていて三つの神様と五つの獣が描かれた鏡です。儀式に用いられたようです。

実際に、触って重さや大きさを確かめることのできる復元模型(実物と同様の金属で作成)があります。結構重いですよ。

これは古墳の内部の模型。真ん中に棺と遺体があっと思われますが、長年の湿気と酸化で全て消滅していました。棺の内部に1つの鏡、周辺に33面の鏡が発見されました。周囲を固めている石は二上山のあたりにある石と判明しています。

この遺物の学術研究から、このあたりは「卑弥呼」が住んでいた場所であるとの「証拠」かもしれないといわれています。

黒塚古墳自体は、その後、元のように埋め戻されていますが、頂上に登ってみることができます。

頂上からの葛城山方面の眺望。

****

さて、冒頭の「鹿男あをによし」のポスターが、この展示館の壁に張ってありました。

なぜか?

実は、ドラマのシナリオにおいて、この黒塚古墳展示館と銅鏡が重要なキーワードになっていて、実際ここでロケが行われました。

一緒にハイキングした東京から来訪した友人ご夫婦が、TVで(再)放送されたビデオDVDを貸してくれたので、後日にしっかりと見て楽しみました。あらすじは、ここに。原作は万城目学のファンタジー小説です。もちろん奈良がメインの場所で、奈良女子大学の本館がテレビには出てきます。

以下に、テレビ場面からの引用で画像を並べてみます(最終回の場面から):

 

最初の5枚のバックにあるのは飛火野の中央に立つこの木だと思います。

ドラマでは、この木の右手、南側から撮影したのかな。

南側、高円山の方角です。

その後の場面は、浮見堂。最後の二人が立つ、場所は、ご存知の若草山の頂上です。

 

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殖産興業

2015-11-08 | もろもろの事
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」見ていました。



明治初期に欧米諸国の軍備と経済に出遅れた日本にとって、産業を近代化することと、



さらに、



既得権益や従来の方法に固執する有力者を変革することは、場合によっては強権が必要だったと思います。



現代では、前)通産省、経産省、あるいは農水省のミッションですね。
(画像引用:NHKテレビ画像)
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