山梨県勝沼にある大善寺は「ぶどう寺」とも言われています。
中央道、勝沼ICのすぐ近くにこのお寺があります。
立派な楼門をくぐり、石段を登っていくと、
このような建物、楽堂の下をくぐる抜けて、国宝の薬師堂を拝観することができます。
山梨県には数少ない国宝。このお堂の中にある厨子も国宝です。
この薬師如来は国宝ではなく重文(画像は大乗寺公式webより)。伝承により手にぶどうを持っています。秘仏となっていて5年に一度しか御開帳がありません。来年10月がその時期だとか。
お寺の由来によれば、あの行基さんがこの地にて大善寺を建立しこの仏像も造られたとか。
”養老二年(AD718)僧行基が甲斐の国を 訪れたとき、勝沼の柏尾にさしかかり、日川の渓谷の大石の上で修行したところ、満願の日、夢の中に、手に葡萄を持った薬師如来が現れました”
”以来、行基は薬園をつくって民衆を救い、法薬の葡萄の作り方を村人に教えたので、この地に葡萄が 栽培されるようになり、これが甲州葡萄の始まりだと 伝えられています” (http://katsunuma.ne.jp/~daizenji/engi.html)
中世時代に、葡萄が薬として伝来していたのが事実かどうかは、あくまで伝承のようです。
葡萄は中東では古くから栽培されていて、キリスト教の聖書にも出てきますし、その儀式にもぶどう酒が使われています。
さて、甲州における葡萄の由来には、次の2つの説があります。(http://www.pref.yamanashi.jp/koshuwine/about01.php)
1.行基説
奈良時代の高僧行基が修業中、夢枕に立った右手にブドウを持つ薬師如来の姿を木彫りにして今日の柏尾山大善寺に安置したところ、ブドウの樹を発見。これを薬草として育てたのち村人にも広まり、「甲州」となった説。
2.雨宮勘解由説
勝沼の雨宮勘解由説(かげゆ)が自生の山ブドウと異なる蔓植物を発見。自宅に持ち帰り植えたところ、5年後にやっと結実した種が「甲州」であったという説。
2番めの説がもっともらしいですね。
薬師堂の前には、菩提樹の大きな木が茂っていて、実がたくさん成っていました。
境内にはぶどう畑がありいま正に収穫の時です。
名所庭園を眺められる座敷では、お茶のサービスとともに、グラスワインの販売もしていました。この外国人の観光客はロシア語を話していました。
鉢植えの観賞用。
参詣客に葡萄の箱売りもしています。もちろん宅配申し込みも可能。観光バスで訪れていた団体のお客さんに飛ぶように売れていたようでした。
このお寺は民宿、宿坊もやっていて、広い食堂がありました。
明治維新の直前、板垣退助率いる新政府軍がいち早く甲府城に入ったため、近藤勇に新撰組と旧幕府軍はこのお寺の門前で戦い、近藤はここで敗れました。