HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

文章の不思議

2006年11月04日 | Weblog
文章というのは不思議だ。さりげなく書いていてもその書き手の持ち味や性格や人間性やいろんな事を指し示す。

たとえば、ネットで見るいろんな人の日記や掲示板などからもそれは伺い知れる。

私はネットで知り合った人と会うことはあまりない。でも、音楽関係ではライブを見に行った時にそのアーティストと会ってお話したり、ファンの方とそこで挨拶したりすることはある。

そんな時に先にそのアーティストやファンの方の文章を読んでいて、そこから感じたものはだいたいお会いするとその印象のままだったりする。

それが不思議なことだ。


逆に文章を読んで「なんか軽薄そうだな~」とか「なんか自分勝手そうだな~」とか「冷たい感じだな~」とか感じた人とたまたまなんらかの時に出会って、最初は「なんだ私の思い違いか。よかった、そうじゃなくって」と思っていても、その後だいたいはやっぱり文章で最初に感じたその性格や人間性の人だったとわかることとなり、がっかりする。

こう思うと文章を書くのはちょっと恐い。

私の文面からも性格やら人間性やらを鋭く分析している人もいるだろう。実際私を知っている人は「書いていることと違う」と思っている人もいるのかもしれない。


ただ、どう思われようが、私は文章を書く時にはやはり心を込めている。それはいい時も悪い時も。ものすごく怒っている時なんかはそのままに書きなぐってしまっていることもあり、それを読んで不快な気持ちになる人もいるかもしれない。そういう時は申し訳ないと思うけど、そうすることで自分の中のガス抜きをしているわけだ。


あるいは嫌われるような文も書いていることもあるだろう。でも、好かれることも嫌われることもない文を書くことはできるだけ避けたいなという願望がある。もちろん、どうってことのない文を書いてしまうこともある。でも、そういう時は自分で読んでつまらないし、気が入ってないな~って思うから、読み手もつまらないな~って思っていると思う。


人に嫌われても好きになってもらえても、それがマイナスとプラスのエネルギーであっても、それだけ私に向けてパワーをくれているというのはある意味幸せなのかもしれないな~って思ったりする。

なんとも思わない。ふつう・・・とか言われるより「おまえなんて嫌いだ」って言われる方が自分の存在を感じられていいのかもしれない・・・って最近思う。


まあ、今はある程度の大人の世界にいるので、あえて面と向って「おまえなんて嫌いだ」っていってくる人はいないけど、「嫌われているな」って感じる態度をとる人はいて、そういう人には内心「はっきり言ってくれよ」って思ったりする。なんか陰険な態度の人は嫌だな。はっきりしている人が私は好きだ。たとえ「嫌いだ」って言われても。


だれからも好かれようなんて少しも思っていないし、だれにでもいい顔して同等に付き合おうなんても思っていない。ただ、いつも私は心を人の中に探している。本当に信じられる心を持っている人を。たくさんいらない。ほんの数人でいい。思いやりの心をそこに持っている人を。たとえ迷ったり揺れ動いたりしながらも、人のうわさ話だとか悪意に満ちた助言とかには左右されずに、最終的には自分で感じたことを優先して判断し、選択できる人を。

私は自分が出会って、なんらかの形で繋がった人たちそれぞれに対して同じように接したりはしない。それぞれの人に対して敬意を払い、それはもちろん年令も関係なく、職業も関係なく、男女も関係なく、できるだけその人と私のオリジナルな関係をいつも築いていこうとしている。


人の心っていうのは見えないけど、私には生きている今はなによりも大切なものに思えるんだ。見えないんだけど、感じるんだ。素敵な心を持っている人は胸のあたりから光が放たれるのを・・・


たまに京都駅の雑踏の中で、ふと行き交う人たちのそれぞれの胸にいろんな色の光が放たれているように感じてしまうことがある。もちろん妄想にすぎないけど・・・

今まで出会った人の中にきれいな色の光を放つ人を見つけた時は、できるだけずっと友達でいたいと思う一方で、これから出会う人の中にもそんな光を放っている人がいっぱいいたらいいなと願っている。


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