HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

遊び場

2006年11月19日 | ELLEGARDEN
細美くんはライブ会場を「俺達とおまえらの遊び場」だと言う。ほんと私みたいな年の人間にはあまり遊び場っていえるところがない。日常の重圧の中で、もがいている場所の方が多いものね。だから、「遊び場」っていう響きがすごく心に滲みる。

本当に彼らのいる場所は「遊び場」なんだ。自分を開放する場なんだ。だからすごく楽しいの。今回のツアーはチケットが取れなかったから行けないけれど、それでも前のライブでの感覚は残っているから・・・

私ってロックが好きだというわりには今まで生きて来た中でそんなにたくさんライブに行っているわけではないな~って最近思う。それはお金が無かったり、時間が無かったり、チケットがとれなかったり、家族にストップされていたりといろいろな要因があったんだけど、その分行ったライブのことはしっかりと憶えている。メモリーの容量が少ない私の頭でもね(笑)


最近のELLEGARDENはかなりすごい状態になっていて、会場の規模もいろいろ言われているみたい。でも、細美くんももちろんファンもこれ以上は大きくしたくない。今でもちょっと大きな会場になると100%が完全な彼らのファンではないこともあるだろう。ただ、暴れたいだけで来るやつ。ゆえにそれでけが人が出たらと細美くんは憂うのだけど、それでも信じたいと願っているんだよね。彼は皆は大丈夫だ・・・って。


実際エルレのライブではときどき中断時間がある。というのは間でしんどくなった人を外に出してあげる作業があるから。細美くんは言うんだ「周りでしんどそうなやつを見たら助けてやってな」って。だから、ファン同士でそういう人を助けてあげているわけ。そんな時に心配そうに会場を見ながら、それには触れずに違う話をし続ける細美くん。そんな彼を見るとほんとにいろいろ心を配っていて、なんか・・・・・胸を打つんだよね。

きれいごとを言うのは意味がないかもしれない。でも、エルレのライブを果てしなく続けてもらうには絶対に大きな怪我人を出してはいけないんだ。皆が怪我なく楽しく帰れるようにそれぞれが責任をもっていかないとね。

絶対にいやだものね。ELLEGARDENのライブが見れなくなるのは。チケットとれなくて今はいけなくてもいつか行けるってずっと思っていたいもの。


遊び場をずっと守っていきたい・・・

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迷子

2006年11月19日 | TOKYO DROP
缶に入っているサクマドロップを思い浮かべてください。東京の街を歩きながら、ふとドロップが食べたくなりました。そこで缶からドロップを出そうとして、うっかりつまずいてしまって、ドロップが少し飛び出て、どこかへ・・・

飛び出たドロップはそこから冒険を始める・・・


真田さんが迷子になったというのを読んで、ふとそんなことをイメージしてしまった。

迷子っていうのは大人になっても結構恐怖だ。


私もかつて大阪の心斎橋あたりでそんな経験がある。心斎橋より少し手前の本町っていうところで働いていたので、そのあたりは知っているはずだったのに、ある日いつもと違う出口から長堀通りに出てしまった。すると、どちらが南なのか北なのかわからなくなってしまった。目の前には確かに大丸とかのビルが見えている・・・なのにもうパニックになってしまうと冷静ならわかるところも訳がわからなくなる。

まさにロストである。


大人だから、そして都会だからこそ人に「今ここはどこですか?」なんて聞けなかったりする。


でも、不思議・・・その時奇跡は起こった。当時一番好きだった人が向こうの方から歩いてきたんだ。

「何やってるの?こんなとこで」ってその人は私に声をかけた。


ゆえに迷路から無事脱出できた。あの日の事も忘れられないな~。


今どうしているんだろう?あの人は・・・


香港に駐在になり、私がイギリスへ行くと手紙を送ったら「行く前に香港に来てよ」って返事が来た。でも、私は行かなかった・・・行っていたらどういう人生がそこにあったんだろう?

私は行かなかったけど、当時すでにお見合いで結婚相手が決まっていたのにその彼に片思いだった会社の先輩が意を決して、一人で香港まで彼に会いにいった。その後、彼と彼女は結婚した。私はそれをイギリスで彼からの手紙で知った。

「おめでとう」って手紙を送って・・・泣いた。


あ~迷子の話から過去が浮かんで来てしまったではありませんか・・・


ドロップの冒険はまだまだ続く・・・
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おかん

2006年11月19日 | 音楽・映画・本
男の人はお母さんのことをどう呼ぶのかな~。「おかん」「母さん」「かあちゃん」「おふくろ」・・・私は母のことを「ママ」と呼んでいた。今は主語無しで呼ぶ(笑)。別に私が好きで「ママ」と呼んでいたのではなく、私の母が私にそう呼ばせるように物心ついた時にそう教えていたから。だから中学ぐらいの時に困った。友達とスーパーとかで母といる時に出会った時に「ママ」っていうのが恥ずかしくて・・・

最近の子は平気で「私のママが~」って言うけど、私はかっこわるいな~って思ってしまってた。ゆえに自分の子には絶対に「お母さん」って呼ばせようと決めていた。とりあえずどんな時にもオーケーってことで。

でも、結局どう呼ぼうが自分の親は親であって、なにものにも変えられない大切なものなんだよね。呼び名なんてどうでもいい。いつも「いなくなったらどうしよう」って思うんだ。

まだ幼稚園に行く前に昼寝から目が覚めると母がいない。いつもはいるはずの母がいなくて、泣きながら三輪車に乗って外に探しに出た記憶がある。その時の夕焼けやら景色やらがいまだに忘れられない。すると母の姿が見えて、泣きながら「どこいってたん」ってしがみついた。母は私が寝ている間にちょっと買い忘れたものを近くのスーパーに買いにいってただけだったのに。

それほど母親っていうのは絶対的な存在なんだね。


今もいつも心配ばかりかけている。しかも、ぜんぜん親孝行はできていない。

テレビでやっていた『東京タワー』を見ながら、そんなことを思い出した。リリー・フランキーの作品の映像化。映画もオダギリジョーで上映される。

テレビは本の後半部を主に描いていた。母役の田中裕子はさすがだな~って思った。そうそう、ここ1週間の間に二回も遭遇した名前の佐藤隆太も出ていた。彼の存在は私に何かのメッセージを送っているのかな?

テレビ見ててもやっぱり泣けて来た。親との別れ。これは誰もがいつかは体験することだ。できたらそんなことしたくない。だからこそ、誰もが心を共有できる気持ちなんだよね。あるいは親になって子を思う気持ち・・・これも今親の人なら共感することができるんだと思う。


今、たとえば東京で一人暮らししている人や親から離れて暮している人はこの番組見てて、きっと自分のお母さんのことを思い浮かべただろうな。


あなたも・・・君も・・・


でも、子どもの夢が叶って、その子が幸せになることがお母さんに対する親孝行なんだと私は思うんだけど。

夢がある人・・・がんばってください。

そういえば、マイケミカルロマンスの新譜の中に「ママ」っていう曲があったな。それにあのTHE CLASHのミックがかつて言っていた・・・「どんなことがあっても切り離せないのが母親だ」って。まだロックを知りたてだった私は「パンクなお兄さんもお母さんは大事にするんだ」ってなぜか強烈にその言葉が心に残っている。


とにかく、お母さんは大事な存在だ。

でも、センチメンタルになる夜こそ、大きな野望を夢見よう。



「夢がまことになるまで夢みよう」
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