HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

物事の奥の奥

2006年08月08日 | Weblog
昨日は番組の流れで気付くとピンクのワゴンの出てくる番組が始まっていた。普通ならチャンネルを替えてしまうかもしれないその番組に昨日は釘づけになった。それは彼らが訪れた場所はかつて内戦で何千人ものセルビア人が殺された村だったからだ。その村には男の人がいない。大人子供問わずだ。皆イスラム人に虐殺されたからだ。それだけ聞くとなんてイスラム人はひどいんだと思うだろう。

次にメンバーはその近くにあるイスラム人の村に行き、ある家の人にこの虐殺の事を尋ねた。するとそのイスラム人はその虐殺は許される事ではないと答えた。しかし、そのあとの彼らの言葉は辛いものだった。彼らも家族をセルビア人に惨殺されていたからだ。

結局どちらが悪いなんて誰も判断できないんだ。政治的に力がある方がない方を悪者に仕立てあげる技をもっているだけなんだよね。

かつてベトナム戦争というのがあって南と北に分かれて殺しあったわけだけど、歴史として習う時、なぜか北は悪者で南はいい者のような印象を受けていた。子供心に北のベトコンが悪魔のように感じた。しかし、大人になって石川文洋さんの『戦場のカメラマン』を読んだ時、自分は何もわかってない事がわかった。どちらにも家族がいて、どちらも家族を殺された。北と南は勝手に旧ソ連とアメリカが線引きしたものでそのせいで親戚同士が分断され、兄弟で殺し合わなければならなかった。彼らは大国の代理戦争の犠牲者だったのだ。

今のレバノンでの戦いもそもそもイスラエルをあそこに作らせたアメリカとイギリスに原因があるわけで、どこに真実があるかは自分自身で見て感じないとわからないんだよね。

だから私は人がある誰かの事を悪く言ってたとしても、自分がその誰かと実際に接してその人となりを自分が知らない間はいっしょに悪く言ったりはしない。もしかしたら皆が間違っていて、その誰かはすごく心のきれいな人かもしれないもの。多数決なんて信じない。たったひとりでもその人の良さを感じてあげたいと思う。この目と心に忠実に生きたいと願うわけだ。

話を戻すけど、イスラム人の村でセルビア人に夫は殺され、自分はたまたま出産でその村を離れていたイスラム人の女性には無事生まれた息子さんがいて、その幼い息子さんはこう言った。

「僕はセルビア人の友達もいるし、彼を嫌いになんてなれない。」

そういう子どもたちが笑顔で過ごせる世界・・・これがこの青い惑星・地球の最大の願いだと思う。
コメント (2)
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見えないもの

2006年08月08日 | Weblog
昨日久しぶりにビストロSMAPを見た。あのスピリチャルで最近有名な江原さんが出ていたからだ。実はあまり私は彼の事を知らない。だから、ちゃんと彼を見るのは初めてだった。そしてなんで彼が人を引きつけるのかわかった気がした。

彼から放たれる温かいオーラがなんか疲れた心を癒してくれるんだ。ふと彼に会いたいと思った。私の中のドロドロしたものを彼ならきれいにしてくれそうな気がしたからだ。

ここまで書いた事を読み返すとちょっと宗教にひっかかりそうな危ない人と誤解されそうだが、それとは違う。

私には妙な第六感があって時々見えない力を感じることがある。ある見た目はなんでもない場所でも、過去にあった何かがふと目の前に浮かびそうになる。そんな時は怖くなってそこを逃げ出したり、違うことを考えてごまかしたりする。

こんな私だから目に見えないものが見えてしまう人に親近感を覚えるんだ。

音楽だって実際目に見えないし、果たしてその曲がそこにあったかなんてきっと誰も形あるもので証明できないだろう。そもそも感情というものもどこからきているのかわからないし。

たまたま新聞のコラムに作家の角田光代さんがこんなことを書いていた。

本に書かれている言葉より書かれなかった言葉に興味があるし、口に出された言葉より言われなかった言葉を感じたいと。そういう書かれなかった言葉が多いと感じる小説を彼女は好むらしい。それは読み手に考える空間を与えてくれるから。

なるほどなってすごく共感してしまった。

言わないけど、この思いをわかってほしいと今まで何度となく、伝えたことがある。通じる時もあれば、全くだめな時もある。でも、表に出さない大事なこともこの世には存在し、そういう事に気付ける人になりたい。そして・・・気付いて欲しい。
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