これは島田雅彦の小説のタイトル。これは彼のデビュー作の『優しいサヨクのための嬉遊曲』の続編といえる作品。彼は『サヨク・・・』の時はまだ大学生で独身だったわけだが、今や子どもを持つ親となっていて、これらの小説も主人公と彼が微妙に重なってみえることがある。前にも書いたけど、私は彼の作品が好きで、読めるだけ読んでいる。彼は独特の作風で妙なつぼを刺激するし、発想が実にユニークで、はまる人ははまる。最近は時間がなくて、新作を読むのがだいぶ滞っていて、この『子どもを救え』あたりで止まってしまっている。また時間を作って、全部読破したい。
さて、『子どもを救え』というタイトルはどこから来たのか。それは彼が親となって、今の世の中での子ども達の災難に憂い、そしてそんな世の中に憤りをもっているからだ。
ほんとにこのところ幼い子どもたちの命が奪われている。もう胸がはりさけそうだ。なぜにまだ人生を歩み始めた子どもたちがその未来を奪われなければならないのか。
よく、動物虐待から大きな犯罪に結びつくことがあると言われるが、ならその動物虐待から厳しく処罰すればいいのではないか?と思ったり・・・江戸時代にバカ将軍扱いされた綱吉の「生類憐れみの令」って今思うとそれなりの意味があったのではないかと思ったり。
「子どもを救え」という点では最近ちまたで腕につけている人をよく見かける「ホワイトバンド」運動を思い浮かべる人もいるかな?これについては賛否両論あるけれど、どうなんだろう。
私個人の考えでは、そんなに目くじら立ててバッシングすることはないのではと思う。売名行為だとか金もうけとか・・・そんなことどうでもいいじゃない。ミュージシャンやスポーツ選手とかが誰もが皆そんな気持ちでチャリティライブしたり、活動したりするわけないし。極端な話、たったひとりでもその中に「貧しい国や地域の子どもたちを助けたい」と心から思う人がいるなら、それはそれですばらしいことだと私は思う。理屈をこねて何もしないより、できる何かをしようとする方が立派ではないのかな?
300円というのは10代前半の子どもにしたらそんなに安いものではない。でも、それをつけている子は「自分も役にたてるかな?」って純粋に思うんだよ。もちろん、好きなアーティストがやっているからかっこいいとまねて買う子もいる。でも、本当に「飢えた子を助けたい」と願う子がいれば、それですばらしいことではないのかな?
ライブ8にしても「最悪」なんていう人がいるし、音楽雑誌でも酷評が書かれていたりする。もちろん人にはいろんなポリシーがあって、いくらライブ8みたいなことをやっても、貧しい子たちにはほとんどその収益金は届かないから、ミュージシャンの知名度アップで終わると考える人もいるだろう。でも、あのライブ8よりずっと昔にライブエイドがあったからこそ、今世界中でいろんなチャリティライブが行われ、12月1日のAAA(アクト・アゲインスト・エイズ)のようなライブも行われる基礎を作ったのではないのだろうか。なら、それで花が咲かなくても、種を蒔くということも必要に思うのだけど・・・。
大人の心なんてもうどうしようもない。実際のところチャリティにうさんくさい時もある。でも、子どもたちは純粋にそんなライブを受け止める。その心が大切だし、人を助けたいと願う心を育てるにはこういうライブはあっていいと思う。やさしい、思いやりの子を世界規模で育てていくことが犯罪を減らし、そして戦争を減らし、平和をもたらすんだと私は思う。
さて、『子どもを救え』というタイトルはどこから来たのか。それは彼が親となって、今の世の中での子ども達の災難に憂い、そしてそんな世の中に憤りをもっているからだ。
ほんとにこのところ幼い子どもたちの命が奪われている。もう胸がはりさけそうだ。なぜにまだ人生を歩み始めた子どもたちがその未来を奪われなければならないのか。
よく、動物虐待から大きな犯罪に結びつくことがあると言われるが、ならその動物虐待から厳しく処罰すればいいのではないか?と思ったり・・・江戸時代にバカ将軍扱いされた綱吉の「生類憐れみの令」って今思うとそれなりの意味があったのではないかと思ったり。
「子どもを救え」という点では最近ちまたで腕につけている人をよく見かける「ホワイトバンド」運動を思い浮かべる人もいるかな?これについては賛否両論あるけれど、どうなんだろう。
私個人の考えでは、そんなに目くじら立ててバッシングすることはないのではと思う。売名行為だとか金もうけとか・・・そんなことどうでもいいじゃない。ミュージシャンやスポーツ選手とかが誰もが皆そんな気持ちでチャリティライブしたり、活動したりするわけないし。極端な話、たったひとりでもその中に「貧しい国や地域の子どもたちを助けたい」と心から思う人がいるなら、それはそれですばらしいことだと私は思う。理屈をこねて何もしないより、できる何かをしようとする方が立派ではないのかな?
300円というのは10代前半の子どもにしたらそんなに安いものではない。でも、それをつけている子は「自分も役にたてるかな?」って純粋に思うんだよ。もちろん、好きなアーティストがやっているからかっこいいとまねて買う子もいる。でも、本当に「飢えた子を助けたい」と願う子がいれば、それですばらしいことではないのかな?
ライブ8にしても「最悪」なんていう人がいるし、音楽雑誌でも酷評が書かれていたりする。もちろん人にはいろんなポリシーがあって、いくらライブ8みたいなことをやっても、貧しい子たちにはほとんどその収益金は届かないから、ミュージシャンの知名度アップで終わると考える人もいるだろう。でも、あのライブ8よりずっと昔にライブエイドがあったからこそ、今世界中でいろんなチャリティライブが行われ、12月1日のAAA(アクト・アゲインスト・エイズ)のようなライブも行われる基礎を作ったのではないのだろうか。なら、それで花が咲かなくても、種を蒔くということも必要に思うのだけど・・・。
大人の心なんてもうどうしようもない。実際のところチャリティにうさんくさい時もある。でも、子どもたちは純粋にそんなライブを受け止める。その心が大切だし、人を助けたいと願う心を育てるにはこういうライブはあっていいと思う。やさしい、思いやりの子を世界規模で育てていくことが犯罪を減らし、そして戦争を減らし、平和をもたらすんだと私は思う。