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HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

レゴ☆

2005年01月27日 | スポーツ/芸術/コラム
今日TV東京系の番組TVチャンピオンで「レゴブロック選手権」があった。実は私はレゴが好き。それゆえこの番組は見ない訳にはいかない(笑)レゴはおもちゃというより1つのアートだと思っている。自分の世界がそこで表現できるから・・・。家には結構レゴがある。というかかなりある。いつか大きな作品を作ってやろうと部品をかなり集めてたりする(笑)かなり古い、今では手にはいりにくい部品もあったりする。そんな1つ1つの部品が愛おしい。まあ、音楽でいうと♪といっしょだろうな。1つ1つの組み合わせで大きな素敵な作品ができてしまう。しかも自分しか作れないものが。アメリカのバンド「ホワイトストライプス」のPVにすべてレゴで表現したものがある。すごい!の一言だ。音楽の世界にもレゴは認められているんだね。しかもロックシリーズというのがあって、それはブロックではないけど、TシャツやかばんやMDケースなんかにレゴで作ったギターをモチーフにした絵が描かれたものがある。なかなかかっこいいし、実はTシャツもMDケースも携帯のCDケースも持っている。さらに大きなレゴブロックというような形のCDケースも家には積み重ねられている。そして、小さなフィギュアもかわいい。おさげの女の子のは今ではレアもの。顔の表情も作られた年代とかで違うんだ。結構昔の方がかわいかったりする。そうそう時計もあるんだ。腕時計も目覚まし時計も。目覚まし時計なんか自分でいろいろ手を加えて好きな形にできてしまう。でも、最近は忙しすぎてレゴもほったらかし・・・今日テレビ見てたら、久々になんか作ってみたくなった。さあ、何を作ろうかな~☆そうそう、今日のTVチャンピオンで見事チャンピオンに輝いた秋長さんは私がもう何年か前からお気に入りのHPに入れていた『Let's LEGO』のHPをやっている女性だ。HP見ているだけでも楽しくなってしまう。秋長さん、おめでとうございます☆
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一人暮らし

2005年01月23日 | スポーツ/芸術/コラム
実は人生において今まで一人暮らしをしたことがない。留学中もホームステイか寮生活だったので同じ建物に誰かいた。日本ではいつも家族といっしょだ。一度だけ1人暮しを試みようと住むところを探したがお金が無くて断念した。だから、病気の時でも誰かがいて心強い。

そんな私だから、1人暮しの大変さはあまりわからないのかもしれない。でも、1人暮しの人が病気だと知るとものすごく心配になる。実は「大丈夫かな~」ってずっと考えている。ご飯は食べれているのかとか、熱でうなってないかとか。自分がその立場だったら、すごく辛いと思うから。でも、いらぬおせっかいをしても迷惑な話だし・・・複雑な心がぐるぐる回る。ほんと私が近所のおばちゃんなら「ちょっとごめんよ!」(ってなぜか東京の下町風・笑)って野菜やらたんまり入った袋を持ち込んで、勝手にあつかましく台所で「これ使わせてもらうよ!」って人の家の包丁やら鍋やら使って栄養つく料理を作った後に「じゃ。帰るわ。ちゃんと食べて体あったかくするんだよ。」って有無を言わさず、バタバタと片付けて帰るんだけどね(笑)そういう下町情緒っていうのも最近は無いのかな~。結構私の母は料理が好きで、何やら作ったら近所に分けて回っていた人だし、今だにそうだ。1人暮しの老人にもなんか作ってもっていってあげるような人だ。見習うべきなんだろうな。

とにかく1人暮しの人で病気になったら、どこかにS.O.Sを発信してちょっとぐらい助けてもらおう。我慢せずに・・・
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異国の地での病☆

2005年01月21日 | スポーツ/芸術/コラム
私はイギリスに留学していた事があるのですが、留学して1ヶ月ぐらい経った時に病気になってしまいました。まあ、いわゆるカゼです。でも、そこに今考えるとホームシックなるものも加わったのでしょう。微熱がなかなかとれなくて、もう本当に情けなくて、悲しくて、このままの状態なら日本にも帰れないな~なんて自分の部屋のベッドに寝て天井を見つめながら、涙したものです。でも、その間、日本人の友達はもちろん、隣の部屋にいたインドネシア人の友達、トルコ人の友達などが心配してお菓子とかアイスクリームとかいろいろ持って部屋を訪ねてくれるのです。すごくしんどくてだるくて辛かったけど、なんかそんな皆の心遣いがすごくうれしかったし、国を超えた人間の優しさを身をもって感じた時でもありました。どうにか微熱もさがって、でも以前から遊びにいくと約束していたロンドンに住む友達(私はその時はケンブリッジの近くにいたので)に体調が悪いからと断りの電話をかけたら、その子は「無理してでもおいで。気分も変わるよ」と強く来ることを勧めてくれたのです。そこで、しんどかったけどロンドンにでて、彼女が大学の仲間とシェアしている家に泊まりにいきました。そこにはドイツ人、イタリア人、アメリカ人と日本人の友達も含め男女計6人の大学生が共同生活をしていたわけですが、みんないい人で、私が調子悪いというとイタリア人の女の子はもぎたてのイタリアントマトを友達が届けてくれたからと私にも食べさせてくれたり、ドイツ人の子はジャズのライブに行こうと誘ってくれたりして、気付くとすっかり私は元気になってました。日本人の友達も私のためにうどんなどを作ってくれました。私はほんといろんな国の友達に元気づけられました。病気は気からといいますが、この時ほど友達のありがたさを感じた時はありません。特に異国の地で、不安な中・・・いろんな国の人たちのさりげない好意が私をすっかり元気にしてくれました。その後は病気することもなく、充実した留学生活を続けることができたのはいうまでもありません。だから、祈るのです。世界中が争うことなく、思いやりで繋がることを・・・個人個人で出会えば、本当にそこに友情が生まれるし、愛が生まれるのですから。
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ステッドラーの鉛筆

2005年01月10日 | スポーツ/芸術/コラム
歌詞を書く時ってどんな筆記用具を使っているんでしょう?以前、ラジオでレミオロメンの藤巻君が緑のペンで書いているって言ってました。それで私も緑のペンを買ってみました(笑)まあ、歌詞を書いているわけではないけど、ときどき詩を書くんです。急に書きたくなる時だけ。中学の頃から実は書いていました。もちろんまだ残っていて、たまに見直すとこんな事当時考えてたんだと、なんか感心したり(笑)私はとにかく子どもの頃から鉛筆にお世話になっています。まず、小学生の頃は転校が多かったので文通相手があちこちにでき、それで手紙を書く訳で、その時は間違えたら消せるように鉛筆で書いていたんです。そしてマンガを描くのが好きで、それもペンとかは使えず、鉛筆で書いていたわけで、小6の時なんか、休み時間にはマンガばかり描いていたんですよ。しかも怪奇もの(笑)机にはノートが山積み。よそのクラスの子からも「描いて」と要請があって、まるで売れっ子作家のようでしたね(笑)中学になると、それこそ詩ばかりノートに書いていました。何せロックに目覚めた頃だから。いろんな洋楽の訳詞にすごく興味があって、自分でも英詩を辞書を見ながら、文法無視で分けわからない日本詩に訳したものです。(まったく意味が通らないのも多々あったけどね)高校では美術大を目指していたので今度は絵のデッサンに4Bの鉛筆を愛用してました。そして大人になっても今度はシナリオの原稿を書くのにやっぱり鉛筆を使ってました。

そんな鉛筆は実はドイツで生まれたんですね。300年ほどの歴史があるらしいです。そんな歴史ある鉛筆にステッドラー社の鉛筆があります。今でも普通に売られているので誰でも手に入れられるんですよ。LOFTとかにちゃんと置いてあるから、機会があれば手にとってください。鉛筆なのでそんな高いものではないですよ。妙なもんで、この鉛筆を使うとなんか素敵な事が書けてしまうような気がするんですよ。それで持っています。あと、日本ではトンボの消しゴムつきの黄色い鉛筆が好きです。最近100円ショップで3本セットで見かけて買いました。このトンボの鉛筆も歴史があるんです。消しゴムで今ではメジャーなMONO消しゴムってありますよね。あれって実はトンボのMONOという高級鉛筆のノベルティとしてついていたのが最初らしいですよ。それが今では一人立ち。しかも定番の消しゴムとして愛されてますよね。鉛筆ってなんかぬくもりがあって好きです。私は鉛筆と紙で作れるものが好きなんですよ。詩もシナリオもお話も・・・そして絵も。ときどき色鉛筆も使いますけどね。実は色鉛筆でアーティストの似顔絵とかも描いてたんです。今度はそこのあなたをモデルにして描こうかな(笑)
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マッキントッシュのいす☆千年の恋

2005年01月04日 | スポーツ/芸術/コラム
マッキントッシュというとAppleコンピューターを思い浮かべる人が多いだろうな。私が今思っているのはチャールズ・R・マッキントッシュというスコットランド出身の工業デザイナーであり画家の事。彼の代表的な作品に背もたれが高~くて和テイストな格子のようなデザインのいすがある。きっとどこかで見かけたことがあると思う。CMにもPVにも映画にもありとあらゆるところに置かれるいすだから・・・私はこのチャールズに恋をした。そうもうだいぶ前だ。といっても彼の存在を知った時にはすでにこの世に彼はいなかったわけだから、過去の人に恋をしてしまったわけだ。100パーセントの片思いだね。彼を知ったのは美術史でアール・ヌーボーという時代のアートを勉強していた時。彼のデザインした家や家具やファブリックや室内装飾にとにかく惚れた。私は当時スコットランドのエジンバラ大学というところでスコットランドの文化を勉強していた。その中の授業で「建築」というのがあって、そこで彼の事をより詳しく知った。日本にいる時から少しは知っていたのだが、知れば知るほどもっと彼の作品に触れたいと思った。そこで授業をさぼってまで、私はエジンバラから高速バスで(料金が安いし、あちらはバスを使う手段が進んでいて便利なんだ)片道3時間かけて3往復すなわち3日間グラスゴーまで通った。

彼のデザインによる代表的な建物はグラスゴーアートスクール。ここ出身のバンドもいくつかいる。たとえば、トラヴィス。最近ではFranz Ferdinandも確かそうだったと思う。私はそこへ一番に行った。構内は頼めば案内してくれる。どうやらそこの学生がアルバイトでやっているようだ。見るからにアートなスタイルだったもの(笑)1室1室案内されるとそこに広がるマッキントッシュワールド。ワードローブはまるで衣紋掛けのようなデザイン。図書館は天上から吊るされている電燈が日本の家屋を連想させる。そして私はその図書館の椅子にすわりながら「かつて彼もここに座ったんだろうか・・・」と胸を熱くさせた。彼が作ったもの、触れたもの、すべてが愛おしい。
見れる範囲で町を歩き、また郊外まで足を伸ばして、1つでも多く彼の作品に触れようとした。彼がすべて家のデザインから内装や庭まで手掛けた(ベッドのカバーや枕カバーに至るまですべてだよ!)一戸建ての家を訪れた時、私は彼のぬくもりを確かに感じた。彼に包まれているような気がした。そんな時、あるイギリス人の人に声をかけられた。「あなたの国のイメージがすると思いませんか?」そう、まさに日本の伝統の建物のテイストがちりばめられていたんだ。私は思った。きっと私が生まれ変わる前にあなたと出会っていたんだ。そしてその時に私の国とあなたの国の文化が融合したんだ・・・って。千年越しの恋はいつかどこかで実るのかな?アートを介して・・・
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