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HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

光と陰

2007年02月21日 | Weblog
光と陰。

どこにでもある。自分の中にも。

光を際立たせるには陰が必要。

だけど誰もが自分は陰より光になりたいと思う。

私だってそうだ。

陰でいるより光でありたいって・・・



でも、大事な人といる時は自分は陰でもいいと思う。
その人が光輝くために陰が必要ならば、私は陰になろう。

もしも、そうしてずっと大事な人の側にいられるのなら
陰であっても幸せなのかもしれない。
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Can you hear me?

2007年02月21日 | Weblog
ティーンエイジャーの頃からなぜかこのフレーズが好きだった。

今日はなぜかふとこの言葉が浮かんだ。

Can you hear me?

聞こえる?


人それぞれに感じ方があって、うるさい雑踏の中で話をしていて「聞こえる?」っていう風なイメージを持つ人もいるだろうし、実際そういう場面でもふつうに使われるごく普通のフレーズだ。

でも、

私は違う。

これは

私の心の声を聞いて!

っていう時に使う言葉だと昔から思っている。


そう実際には発せられない言葉。
心の叫び。
あなたに伝えたいこと。


そして、自分自身に問う言葉。


Can you hear me?

この思い、君にはわかる?
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砂の城を何度も作り上げよう

2007年02月12日 | Weblog
砂の城って作っても作ってもすぐ波にさらわれて崩れてしまう。
それでも、どうしても完成した城を見たくて、また一から作っていく。

そんな事していて何が残る?

って言う人もいるだろう。

でもその人に言いたい。

「何も残らないってどうして思うの?」

毎回、毎回自分の理想の城を描いて作っていく。
でも、同じ城は絶対に作れない。
同じ砂で作ることも無い。
まったく同じ場所でそれがそびえ建つこともない。

いつも、違っている。
同じじゃないって、悪いことじゃないって思うんだけど・・・

毎回、毎回いろいろ考える。波の来る時間だとか、砂の種類とか。
あるいは作り上げる場所だとか。

こうして、知らず知らずに何かを考えて、より良いものを作り出そうとする。


それに意味はないって?
私はそうは思わないな。
それがあってこそ前に少しづつ進めるんだと思う。


何度も流されれば、何度も作り上げる。

結局、砂の城が完成する日なんて来ないんだ。

でも、それが人間の生きているってことなんだと思う。

完成しようとして、何度も何度も壊れたものを再生させていく。


君も私も懲りずに「砂の城」をまた作り上げていこうね。

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あなたがここにいてほしい

2007年01月27日 | Weblog
昨日は会社の契約社員と派遣社員の人だけでの新年会があった。私は喜んでいくというよりは付き合いで行く感じかな。何せ、うるさい御年配の方がしきられているので・・・。もちろん、いっしょに行く子の中には話していて楽しい子もいるので、それと食事は楽しみにしていたわけだ。

だいたい昨日来ていたのは20代の後半からトップは50代前半まで世代はすごく幅広い。しかも独身率がかなり高いのも特徴的だ。なんと13人中4人だけ既婚者。なんか日本の社会の今を見るようだ。

皆を取り仕切ろうとしている二番目に御年配の方は結婚して子どもさんももう27、8才というからかなりの人生キャリアだ。

しかし、絶対にあんな風にはなりたくない・・・といつも思うわけ。


同じ年令ぐらいでも、世の中には素敵な人はいる。人生経験豊かで、自然にいろんな事が身についている人。さらに仕事ができたら、最高だし、いいお母さんならそれも素敵だ。


まあ、その人は良いお母さんなんだろう・・・知らないけど。
まあ、その人は良い奥さんなんだろう・・・知らないけど。
まあ、その人は仕事がんばっているんだろう・・・いいとこ取りで、自己中で勘違いが多いけど。
まあ、その人は他人の悪口大好きなんだろう・・・それしか話題が無いんだろうけど。

私は運良く(笑)部署が少し離れているので、仕事上ではそう関係ないので、まだ救われている。しかし、ある時、同じ契約社員の人との壮絶口バトルを見てしまった時にはぞ~っとしてしまった。


そういう人が仕切る宴会なので、どうも皆がお愛想しているようでいやだ。本当にその人に人間的に惚れ込んではいないくせにね。彼女とプライベートでもおつき合いしなさいと言われたら、絶対に逃げる癖に。


ついついそういう状況を冷めた目で見てしまうのは私の悪いところだ。適当な会話に適当に加わって、適当に相づちを打つ。あまり、自分からは話題を提供しない・・・ってどうせ通じないからね。変わっているから・・・私は(笑)

彼らの話題は火曜か金曜か知らないけど、サスペンス劇場の話だったり、冬ソナの話だったり、テレビショッピングで買った「しわ伸ばし」の話だったり、会社辞めた人やいない人の悪口だったり・・・私のいない時は言われているのかもしれないな・・・って思った。


誰も、もちろんELLEGARDENなんて存在知らないだろうし、マイケミだってもちろん何の事かわからない。映画の話は少しは通じる人はいるけれど、個人的に話せる雰囲気はないし、くだらない話にただただ、うなずきん・・・だ。

たとえば、ミスチルについてだったり、スピッツについてだったりもできる隙間はない。本の話も将来の夢についても語ることはない。何か刺激を受ける話はどこにもない。ただ、生産性の無い会話だけがぐるぐる回っている。

20代はまだしも、30代を過ぎるとこんな会話の中で生きている人が多いんだろうか?


お金が有る無しではなくて、経験というものは自分から動かないと絶対に得られないと思う。だらだらと人生を過ごしていくと、結局こういう会話でしか生きられないんだろうね。

でも、自分から動くというのはすごくパワーがいるもので、案外しんどい。ゆえに逃げてしまう人が多いのも確かだ。


そんな時に自分を引っぱり出してくれる人が側にいたらラッキーだ。

年令は関係ない。たとえ10代でも60代でも。

とにかく、心の経験の豊かな人が一番だ。そういう人と出会ったら、ほんとに自分自身を見つめられるというか、わかってあげられるチャンスが巡ってくる。


ただ、そういう人にはめったに出会えない。


そして、たとえ「心に響くメッセージ」といいながらも団体で献金とかを取ろうとするような怪し気な人たちには騙されてはいけない。


本物はだいたい一匹オオカミだから・・・


ちなみに「あなたがここにいてほしい」・・・これはマイケミも聴いていたピンクフロイドの曲「WISH YOU WERE HERE」の日本語タイトルだ。そういえば、去年ピンクフロイドの初代リーダーのシド・バレットが亡くなった。まだ60才だった。天才と狂気の人。

でも、彼みたいな人ならきっと何かを心にプレゼントしてくれるだろうな。

「あなたがここにいてほしい」というのは実は脱退したシドに対して他のメンバーが書いた曲なんだ。

いなくなった後もシドの影響はずっとピンクフロイドに残っていて、素晴らしい作品がその後も作られていったんだね。








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なんだか・・・

2007年01月10日 | Weblog
去年の11月の下旬に新しいビルに職場が移って、うれしがっていたくせに日が経つにつれて、仕事へのパワーがなくなってきてしまった。そう、気が抜けてきたというか、やる気がだんだん失せてきたというか・・・

なんでだろう?こんなにも新しい場所にいて。


古い骨董品のような前の建物はあっという間に壊されて、その様子は隣にそびえるその新しい社屋の窓から見おろせて、「あ~あのあたりは私がいつも座っていた場所だ」とか「あそこでお弁当を食べたな~」とか、そういう空間がケーキを切り分けるかのようにばっさりと無くなっていく。2階建てのその鉄筋でできた建物も案外あっという間に粉々となる。


その建物は私が生まれる前からあって、その間にきっといろんな人の人生がそこにあって、建物としての生きざまもそこにあって、だからなんだか温かさがあって・・・薄暗くても使い勝手がよくなくても、なんか懐かしさがあって・・・


今の建物は色も今風にきれいで、ガラス張りの休憩する場所があって、すごく広くて・・・でも、何か落ちつかない。新しいのはいいけれど、なんだかそこにまだ心が宿ってないそんな感じだ。

きれいだけじゃだめなんだよね。心がそこにあたたかく存在してないと。
かっこいいだけじゃだめだんだよね。人を思いやる懐をもってなければ。


ついつい新しいものやきれいなものに目がいってしまうけれど、古いものにも少しくすんでしまったものにも素敵なものはあるんだ。


もう20年以上はたっている今で言うならスキニーパンツを最近押し入れの引き出しの奥から出してはいてみた。「あれ、まだいけるじゃん」って喜んで一日はいていた。

家族には「本当にそれはお気に入りなんだ」って感心された。


そう、私は妙な古いものを大切にもっていたりする。昔の『りぼん』の付録のノートとか、高校時代に「ある人と再会ができますように」って底に「会」っていう字をマジックで書いた小さなこけし(なんでこのこけしを持っているのかわからないけど、きっとその会いたかった人と関係しているんだろうね)とか・・・見事再会できて、今度はその人からもらった斑尾高原スキー場からのおみやげのウサギのついたストラップとか、高校生の時に友達が作ってくれたフエルトのマスコット人形とか、誕生日にくれた「トムとジェリー」のカップアンドソーサーとか。中学生の時に千本中立売近くにあった(今もある気がするけど)文具屋さんで買ったペンとか、その近くのアクセサリー屋さんで買った髪飾りとか・・・


新しいカップアンドソーサーとかはよく割ったりして、すぐに消えてしまうのになぜか古いものの方が長く残っていたりする。不思議だな~。


すべての新しいものが悪いわけではないよ。そこに心を寄せていけばきっと素敵なものになっていくわけだから。

この今ブログを書いているマックももうずいぶん買ってから経ったけど、相変わらずかわいいやつだ。だんだん見れるHPも限られてきたけれど、それでもこの子が好きだ。


あと、家には古いステレオがある。ほとんど物置き状態でかわいそうなんだけど、まだレコードは聴ける。だから、ときどきレコードを聴く。たまに針が飛んだりしても、なんかあったかい音を出すんだよね。今はDJさんとかがレコードを使っていろんな音を作り出すけれど、私はなんだかレコードが可哀想に思えることがある。それとももう聴かれなくなったレコードは新しい人生を歩めて喜んでいるのかな?


結論的に・・なんでもすぐにお払い箱にする人はいやだな。あと、人を年令で判断する人。


あ~それにしても、仕事に力が入らない。どうしたらいいんだろう・・・そういえば最近ビルの外に出る機会が少ない。だから、郵便のおじさんや倉庫のお兄さんたちの笑顔が見れない・・・

そういうのもやる気を無くすひとつの要因なんだろうね。


「笑顔」・・・大事なもの





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お得なのかな?

2007年01月03日 | Weblog
元旦の日は毎年初もうでに京都の上賀茂神社に家族で行きます。私が小学生の頃からずっとそれは続いているので、かなりのもんです。毎年同じ場所で写真を撮るので、自分の年取り具合がよくわかります。

二日目はだいたいいつも神戸に行きます。なぜかそうです。

そんな中、デパートではバーゲンが始まっていました。福袋を買うには朝早くから並びに行かないといけませんが、別に並ぶ気はないので、ふつうの時間帯にデパートに行きました。ゆえに福袋は完売かと思いきや、デパートのオリジナルの福袋はまだ残っていましたね。でも、ああいうのは買う気がしません。まあ、中身は教えてくれているのですが、つまんないものばかりで・・・

それならショップごとの福袋の方がいいのですが、これらはさすがに売り切れ・・・と思ったら中には少し残っていたところもありました。

こんな私も昔、福袋に並んだことがあります。京都の伊勢丹でマーガレットハウエルの福袋のために。彼女はイギリス人のデザイナーで定番なトラッドっぽい服が多いので、極端にはずれることはないと確信したのと、ふだんあまりにも高額で欲しくても、バーゲンですら高くて手に入れられないから福袋しかない!と一度がんばってみたわけです。その時は10袋のみだったので、かなりの倍率でしたが、なんとか整理券をぎりぎりゲットして念願のマーガレットハウエルの服などを手に入れたわけです。10000円で10万円ぶんぐらい入っているんですからね。これはすごいですよ。まあ、サイズはMしかなかったのですが、運良く(笑)私はMサイズだったのでスカートもジャケットも大丈夫でした(笑)

去年はポルトバザールってところで、とあるブランドの福袋がなぜかぽつりと残っていました。それでそのブランドも好きな方だったので、エイって感じで買ったら、大当たりで、重宝しております。なんか私を待っていてくれたの~って感じでしたね(笑)


そして、今年は別の場所ではありますが、しかもデパートの中のとあるブランドの福袋がまたぽつりと残っていたので、そのブランドの店にある服の形とか色とかを見て、これならはずれないかな~って買ってしまいました。で、開けると相当の数の服が・・・ざっと計算して7万円分。それが一万円で買えちゃうんですから。そして、色とかも大丈夫なものばかりで、私の好きな色のも入っていて今年も当たりでした(笑)

新年早々、どうでもいい話で申し訳ありません。ただ、うまく買えば福袋はかなり服を安く買えるものになりますよって言いたかっただけです。お薦めはしませんが、自分の嗅覚に自信のある方は(笑)是非来年トライしてみてください。


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初笑い

2007年01月03日 | Weblog
弟子Bが正月早々にこの私にこんな事を言った。

「すぐに本気にするんだから・・・」



そんな彼が私をこう呼んだ

「本気ちゃん」

私の頭の中で音楽が鳴り始めた。

♪~おはようさ~ん、皆さん準備はいいですか~。元気、本気

  ホンキ、ホンキ、ホンキッキーズ~


        (編集済み)
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新年明けましておめでとうございます☆

2007年01月01日 | Weblog
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

結局、ELLEGARDENを聞きながら、大掃除をぎりぎりまでして年越しそばを食べて、無事新年を迎えました。

皆様にとって素敵な2007年となりますように・・・
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THE END OF 2006

2006年12月31日 | Weblog
このブログをよく読んで下さっている皆様、通りすがりにちらっとご覧になった皆様。一度でも読んで下さった方に改めてお礼を申し上げます。

読んでくださって本当にありがとうございます。


来年もできる範囲で書いていきたいと思っていますので、また良ければ遊びに来て下さい。

2007年も皆様にとって、心も身体も元気で充実した一年となりますように・・・

ではよいお年をお迎えください☆
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最高という言葉

2006年12月28日 | Weblog
ついつい「最高」っていう言葉を安易に使ってしまうことってありますよね。それゆえ、実に軽い言葉になってしまって、なんだか自画自賛で自分に関する何かに「最高」って言う人がいると「それほどでもないんじゃないのかな」って思うのは私だけでしょうか?

ただ、ライブとかで「今日のライブ最高!」とお客さんが言ったり、ステージからミュージシャンとかがファンに向って「おまえら最高!」っていうのはぴったりくるな~って思うし、言い換えれば「最高」っていう言葉が居心地のいい場所は一度っきりしか出会えない場所なのかな・・・って。

ライブはその日その日で完結するものであって、そこにおいて「最高」は一つしかないわけで・・・

一方で、ものを作る立場の人が「今度の作品は最高のができた」って言うと、一回ぐらいなら「そうなんだ」と思うけれど、毎回「最高」って言われると「また・・・か」って正直、もう期待しなくなるんです。「最高」って聴くとそれぞれ人によっては感覚が違うから、とてつもない想像をめぐらし、「すごいもの」を頭に描くわけです。で、実際見たり、聴いたりしたら「え?」ってなったとたん、その「最高」はその作り手の感覚の「最高」であり、それがつまんないものだったら、「あ~この人の最高はこんな風なんだ」とそこで気持ちは離れていくわけです。


ところが、「今の俺ができる最高のものを作りました」としっかり自分を見据えている人の「最高」は説得力があり、そういう人の作品に限って、「なんだよ。最高っていうもんじゃないよ。超越してるよ」ってな具合のすごい感動をくれたりするんですよね。不思議です。それに本当に苦労して生み出した作品に対して「やり遂げました、最後まで」って言うミュージシャンにこそ「君は最高だ」ってこちらが言いたくなりますよね。もちろん、それは私自身の中での最高なんですが、それが何人も何十人も何百人もが同じように「君は最高だ」と感じるなら、それは本物のかなり高い「最高」なんじゃないかと。

きっと私も多くの音楽あるいは芝居あるいは絵画あるいは映画のファンも安っぽい「最高」はいらないんです。クオリティの高い、本物の「最高」を求めているんです。


一体私が何をいいたいのか・・・


「最高」は自分の作品に関しては自分で言っては危険だと・・・「最高」って思ってばかりいると次のステップにはいけないと。だって、そこが頂上ならもう降りていくしかないでしょ?

「まだまだここではない」って言う気持ちが次へのエネルギーの貯え口になって、いつもハングリーな気持ちでいるからこそ、「いい音楽を」「いい芝居を」「いい絵を」「いい映画を」っていう力を自分の中に起こしてくれるわけではないでしょうか?


「最高」っていう言葉は自分で発する言葉ではなく、自分以外の人から発せられる言葉にすべく、多くのクリエイティブな人たちがいつか多くの人たちから「最高」という言葉の花束をもらえることを願ってます。

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