降伏のこと、
さる程に夜明けぬれば二十一日朝、海の面を見やるに蒙古の船皆皆馳せ戻りけり。是を見て「こはいかに、此方は此方へ、彼方は彼方へ後合に落ることこそ心得へね。今日は九国に充満して、人種無く滅び死なんずと終夜こそ歎きしに、何とてかくは帰るらん。只事ならぬありさまかな。」と泣き笑いして、色出来り、人心ぞ付けにける。異賊の兵船一艘、鹿の島に懸りて、逃げやらで在りしにも、余に怖気て左右なく向かうもの無し。蒙古の方より手を合わせて、助けよと云ひけれども我ゆかんというものなし。助け舟を寄せぬは降をゆるさぬにこそと思うて大将は海に入って失せにけり。歩兵共は此方の地に渡り着く。弓矢を捨て、甲を解くその時に当たって、我も我もと寄合せ、高名顔にぞ生虜りける。水木の岸の前にて引きならべて頸を切る者百二十人とも聞へけり。蒙古すでに退散しぬと云ひしかば、此処かしこより群集といえども、親は子を求め、夫は妻を失いて泣き歎く。家所は焼かれぬ、資財はなし、何くに立ち寄り身を隠すべきとも覚えず。焼亡の灰は浦風にふきあげられて天に散り、目も開けられず。「乱世の民は泥土に陥ること火炭に陥るが如し」とは、是を謂へるなるべし。落ちにし事は昨日ぞかし、夜の間にもかくかわりはてぬる栖かな。仙家に入りし山人は、半日を経て出でしに、旧里は廃れる。博多を逃げにし落人は、一夜を過ぎて帰りしに、本宅更に替りはつ
さてもその中に筥崎宮は本の穂浪の社に御座けり。・・・・
つらつら上代を思えば、仏法王法盛んなれば天下幸甚にして国家安全なるべし。たとえ兇徒異心を成すとも、「天子道に在るときは、守り海外に在り」と云ば、其の恐れあるべからず。公家衰え人民力弱からんとき、異国の逆人競いきたらんとすと云うとも降伏し給うべきとの御誓い、末代薄徳の我らがため殊にたのもしうこそ覚へけれ。貞松は年の寒さに露るるが如く、神慮は人の危うきに見えたり。去ればこの度既に武力つき果ててて若干の大勢を逃げ失いぬ。今は角とみえしとき、夜中に白張装束の人三千人ばかり、箱崎の宮より出て、箭峰を整えて射けるが其のことがらおびただしくして、身の毛よだちて怖ろしく、家家の燃ゆる焔の海の面にうつれるを、波の中より猛火燃え出たりとみなして、蒙古の寄るときには海端に火を焚くことあり。日本の軍兵一騎たりとも引へたりしかば、(八幡)大菩薩の御戦といわずして、我高名して追い返したりと申しなまし。一人なく落ちうしないて後、多くの異賊怖恐して逃げしかば、神軍の威勢厳重にして不思議いよいよ顕れたひけり。・・この合戦八幡大菩薩定の弓、恵の箭を放ちたまはんに、凡夫愚悪の異国人前後を失い、東西に迷いしことをはかり知りぬべし。ご託宣に「定恵の力をもて自然に降伏すべし」とある。誠に違はざりき。定の徳のゆえ、火生三昧に入り、恵の力の故に反逆を砕きましましき。
さる程に夜明けぬれば二十一日朝、海の面を見やるに蒙古の船皆皆馳せ戻りけり。是を見て「こはいかに、此方は此方へ、彼方は彼方へ後合に落ることこそ心得へね。今日は九国に充満して、人種無く滅び死なんずと終夜こそ歎きしに、何とてかくは帰るらん。只事ならぬありさまかな。」と泣き笑いして、色出来り、人心ぞ付けにける。異賊の兵船一艘、鹿の島に懸りて、逃げやらで在りしにも、余に怖気て左右なく向かうもの無し。蒙古の方より手を合わせて、助けよと云ひけれども我ゆかんというものなし。助け舟を寄せぬは降をゆるさぬにこそと思うて大将は海に入って失せにけり。歩兵共は此方の地に渡り着く。弓矢を捨て、甲を解くその時に当たって、我も我もと寄合せ、高名顔にぞ生虜りける。水木の岸の前にて引きならべて頸を切る者百二十人とも聞へけり。蒙古すでに退散しぬと云ひしかば、此処かしこより群集といえども、親は子を求め、夫は妻を失いて泣き歎く。家所は焼かれぬ、資財はなし、何くに立ち寄り身を隠すべきとも覚えず。焼亡の灰は浦風にふきあげられて天に散り、目も開けられず。「乱世の民は泥土に陥ること火炭に陥るが如し」とは、是を謂へるなるべし。落ちにし事は昨日ぞかし、夜の間にもかくかわりはてぬる栖かな。仙家に入りし山人は、半日を経て出でしに、旧里は廃れる。博多を逃げにし落人は、一夜を過ぎて帰りしに、本宅更に替りはつ
さてもその中に筥崎宮は本の穂浪の社に御座けり。・・・・
つらつら上代を思えば、仏法王法盛んなれば天下幸甚にして国家安全なるべし。たとえ兇徒異心を成すとも、「天子道に在るときは、守り海外に在り」と云ば、其の恐れあるべからず。公家衰え人民力弱からんとき、異国の逆人競いきたらんとすと云うとも降伏し給うべきとの御誓い、末代薄徳の我らがため殊にたのもしうこそ覚へけれ。貞松は年の寒さに露るるが如く、神慮は人の危うきに見えたり。去ればこの度既に武力つき果ててて若干の大勢を逃げ失いぬ。今は角とみえしとき、夜中に白張装束の人三千人ばかり、箱崎の宮より出て、箭峰を整えて射けるが其のことがらおびただしくして、身の毛よだちて怖ろしく、家家の燃ゆる焔の海の面にうつれるを、波の中より猛火燃え出たりとみなして、蒙古の寄るときには海端に火を焚くことあり。日本の軍兵一騎たりとも引へたりしかば、(八幡)大菩薩の御戦といわずして、我高名して追い返したりと申しなまし。一人なく落ちうしないて後、多くの異賊怖恐して逃げしかば、神軍の威勢厳重にして不思議いよいよ顕れたひけり。・・この合戦八幡大菩薩定の弓、恵の箭を放ちたまはんに、凡夫愚悪の異国人前後を失い、東西に迷いしことをはかり知りぬべし。ご託宣に「定恵の力をもて自然に降伏すべし」とある。誠に違はざりき。定の徳のゆえ、火生三昧に入り、恵の力の故に反逆を砕きましましき。