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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・9/39

2025-06-18 | 先祖供養

観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・9/39

九金剛山実相院舜海僧正の修験幷真言の功力疫神を払事。附けたり王宮の御室及び地蔵の霊験の事。

さて泰澄の雷神を縛して盟せ玉ふ事は近頃にも其の例あり。金剛山実相院(御所市高天国見城跡地にあった寺)舜海大僧正は天正年中(1573年から1592年)の人。和州宇智郡(奈良県五條市)の産にして当時に並びなき修験者なり。其の頃播州姫路の城を太閤秀吉公の築かれしに城中に種々の妖怪ありて殿主には人登る事を得ず大に祟りけり。太閤実相院の効験を聞て祈祷を乞ひ玉ふ程に舜海法印姫路に至り城中に壇を建てて六字明王の護摩(六字経法。六字神呪経・請観音経によりて調伏又は息災の為に修す。本尊は六字明王、釈迦金輪、聖観音、六字明王等の説あり。護摩壇に調伏炉を置き弓一張に箭十二本等用意し金剛界法にて修す・・)を修せらるるに容顔美麗なる若き女房二十人ばかり衣服を粧りて出て、あらっ殊勝やと云ふ。舜海即ち捉へて三鈷杵にて撃んと入るに即ち消失せぬ。又暫くあって齢八旬に餘りたる白髪の媼二十人ばかり腰をたはめて出るを即ち捉て加持するに彼の媼の曰く、此の城は昔男山女山とて二の小岡なり。是我らが住所なり。然るを輙(たやすく)崩して城を築き玉ふ故に祟りを為すなり。然れども今高僧の修験を懼る。必ず我等を苦しめ玉ふことなかれ、と。舜海の曰く、此の城主一代は汝祟りを作す事勿れ。然らずんば今追払ふべしとありければ、能く肯諾ぬ。其れより妖怪息めたりとかや。其の後池田三左衛門(池田輝政)此の城主たり。太閤大に感じて何にても望みに任せて賞せらるべしとありければ寺領をも望まず僧官を求るに依りて大僧正になされたり。其の時の修法の壇炉久しく実相院にありしが壇は失せて炉と三鈷杵は今にあり。平生六字明王の法を修して効験を得たる人なり。彼の城の神を小酒邊と云ふ老狐なりとかや。僧正は慶長六年(1601年)二月八日七十二歳にて遷化なり後三日ありて堂内より弟子の法眼を呼ぶ聲あり、法眼即ち答て堂に入りて見れば僧正存命の時の如く禮盤に坐せられたり。法眼大に驚きて曰く、師は蘇生し玉ふかと問ふに、僧正の曰く、汝に密法を伝授すること畢りと雖も未だ水施餓鬼の法(水を餓鬼に施す法。大鈎召印、水食加持印、施無畏印、阿弥陀大呪、馬頭印にあびらうんけん、定慧二手和合、撥遣等)を傳へざるが故に今暫く帰り来たれりとて、即ち施餓鬼の法を授け終わりて掻き消すやうに失せ玉へり。其の法今に実相院に傳はれり。其の後も尚堂内にて念珠擦り玉ふ音聞ふといへり。又河州錦部郡清水村(大阪府河内長野市)予が祖父宗悦十六七歳の時、疫癘を病みて大に苦しむ。頭痛甚だしきは疫神鑿と槌とを以て頭を穿つと見ゆ。又食を食せんとするに疫神長押の上を馬に乗て駆けり馬糞椀飯の中に堕ち入りてなかなか食すべからず。縁に出て食せんとすれば屋根裏を馬に乗り馳せ馬糞碗の中に堕ちて臭ふして食すべからず。同村に中嶋新左衛門と云人あり、此れを呼んで刀を抜いて切払はしむるに病人の眼には見ゆれども新左衛門の眼には見へず。そこよここよとて切り回らしむれども切得ず。是非なしとて金剛山大僧正を請じに人を遣はすに彼の疫神に人あり。相語るやう、実相院を呼びに人を遣したり、僧正もはや鳩原村(河内長野市鳩原)まで来り玉へり。彼の僧来らば我等をここには居くまじ。出去んと思ふ何処へかいくべき。中嶋新左衛門め、我等が切り払ひたるが憎かりつる程に彼處へ行んとて鑿と槌を葛箱(つずら)に入れて持ち去ると見て病癒へぬ。やがて新左衛門大に熱病を病む事宗悦に異ならず。此の事晋の成公の病、秦の医緩を恐れて二人の童豎の形となり膏肓の間に隠れんとしに異ならず。(春秋左伝成公十年「晉侯、夢む、大厲(杜注:「厲」は「鬼」なり趙氏の先祖なり、八年、晉侯、趙同・趙括を殺す、故に怒るなり)、髪を被りて地に及び、膺(むね)を搏ちて踊りて曰く、「余の孫を殺せしは、不義なり。余、帝に請うことを得たり。」大門と寝門を壊して入る。公、懼れて室に入る。又戸を壊す。公覺む。桑田(桑田は晉の邑)の巫を召す。巫の言、夢の如し。公曰く、「何如。」曰く、「新を食らわず(今年の新しい麦を食べる前に死ぬであろう)。」公、疾病なり。醫を秦に求む。秦伯、醫緩をして之を為めしむ。未だ至らず。公夢む、疾、二豎子と為りて曰く、「彼、良醫なり、懼らくは、我を傷つけん。焉にか之を逃れん。」其の一曰く、「肓の上、膏の下に居らば(肓(コウ)は横隔膜の上、膏(コウ)は心臓の下)、我を若何せん。」醫至る。曰く、「疾は為む可からず。肓の上、膏の下に在り。之を攻むるも可ならず。之に達せんとするも及ばず。藥は至らず。為むる可からざるなり。」公曰く、「良醫なり。」厚く之が禮を為して之を歸す」。)彼は俗医なれば治し得ず。是は法験を恐れて早く出去りしこと大僧正の修力の程推し量るべし。予が外祖父の事なれば面会に聞ける正しき事なり。因みに記す。同郡下里村(河内長野市)に一村疫病して家家皆病みければ種々の祈祷し大般若を転読して払ふ程に村翁五七人同じく夢見るやう、疫神共集まりて、かやうに我等を追禳ふなれば去なずんばあしかりなん。何處にか行かんと云ふに、一人の疫神の曰く、鉢が峯(鉢ヶ峯は堺市の南部に位置する丘陵地帯にあり)に往くべしとて去りぬ。其れより下里の疫癘は止みて鉢が峯村に諸人大に煩ひけり。凡そ疫神は皆餓鬼の類なり。故に施餓鬼すれば多くは疫癘も瘧疾も癒るものなり。

昔五の宮の御室性信親王

https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/7e693609d5140ffa86bd385789374ea6

 

夕方に寺の縁に出玉へば長さ一尺七八寸(68.0cm)ばかりなる鬼神、足は一にて顔は大方人に似たるが来たりて云ふやう、我は餓鬼にて水を飲むことなりがたければ人に取り付き熱病を病ませて人の飲湯水を飲むものなり。然るに宮の御筆跡を持ちたる人には著くことを得ず。願はくは守りを施し玉ふ事なかれと云ふ。宮あさましく思し召し水飲みたく思はば飲むべしとて手水鉢の水を飲まめ玉へば口差著けて皆飲盡す。尚飲むべきやとて灑水の印を結び水差しを彼の口に指し入れ玉へば吸事甚だし。大に痛みければ息玉ふとかや。されば疫癘瘧症等には河池の邊にて施餓鬼の法を作せば多く平癒するものなり。

又元禄十四年(1701年)の夏江戸に或る針医師在り。天性佛法といふこと少しも信ぜず、僧を供せず神をも敬はざる僻者なりしが或る夜夢見らく、大河の邊に到る一人の若僧あり。彼の河を歩みにて渡る。此の人も同じく渡らんとするに彼の僧誡め玉はく。汝渡る事勿れ、若し強いて渡らば命を失ふべしと。此の人思ふやう、この小僧すら易く渡る河なるを我何ぞ渡らざらんと、尚聞き入れず渡る程に中流にて事の外に深くなる。時に彼の僧曰く、汝は嗚呼(をこ)の者かな。予が渡るなと云へば渡るべからずと捉玉ふに、尚も用ひず組合ふと思へば夢覚めて傍に居りつる看病人と組合ひぬ。さて放ちて不思議ながら又睡るに足の傍に一人の豎子(わらは)の十二三ばかりなるが立り。此の人、汝は何者ぞと問ふに、豎子(わらは)の曰く、我は疫神なり。此の夜は決定して君が命を取らんとて来たりつるにはからざるに地蔵菩薩君が命を助け玉ふ故に取る事を得ず。我今去んと思ふ、と。此の人曰く、疫神ならば早く出去れと云へば、門を出しが又立帰りほどに、何に帰りたるぞと云へば、床に杖を忘れたり。此の杖を残し置かば家内に猶病人断つべからず故に取り去る、とて三尺ばかりなる杖をついて出ず。此の人問ふ、是より何地へ行くぞ、と云へば、上州何の郡とやらんに行くとて出去りぬ。さて夜明けて後に身心爽やかになりぬ。怪しく思ひ看病人に云ふやう、我思旨あれば薬を用ひじ、と。諸人尚勧めけれどもつと薬を飲まず。七八日の間に病すきと平癒せり。さて親類朋友を招き集めて饗応し悦び祝ひて後に談話するは、我今まで佛法を信ぜず又地蔵とやらんに一華一香を供せし覚へなきに我を助け玉ふは不思議なりとて其れより信心を発起せられたり。予推するに其の家来か又は親友の中に地蔵或は愛宕へ参りて病の平癒を祈りたる故ならん。其の医師の名も聞きしかど憚り多ければ斥さず。

又河内石川郡甘南備村(富田林市)に一家悉く疫癘を煩ふ。親族の僧憐みて大随求陀羅尼

https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/c19e6b3cf4ab9e7f8d3773e2de0fa94a

を書写して是を浄水に影を写し病人に飲ましむるに忽ちに病癒へぬ。その夜夢みらく、長さ七八尺ばかりなる大入道右手に槌を持ち左に大なる嚢を持ちて家を出去る。時に隣家の長四郎と云者に此の嚢を持てと云へども持たざれば自からひきずって持出去りぬと。是は摩怛利神(玄旨帰命壇における本尊で、阿弥陀経および念仏の守護神ともされる。)とて疫神なり。槌は疫神の持物、嚢は摩訶迦羅神(大黒天のこと)の持ち物なり。各疫鬼神なり。真言の利益寔に在り難き事なり。末世なりと雖もおろそかに思ふべからず。されば光明真言土砂加持の土砂を服すれば難産の婦女も安産し瘧病を煩ふ者も土砂を服すればそのまま越智の泰澄の修験に因みて心に移りゆく。よしなし言をそこはかとなく石間寺の叡行、稚児が嶽の雲識が身を捨てしこそ葛木やその岩橋の言はずとも心の中は久米の谷水の流れ、舜海僧正の法験も六字章句観音

 

の霊験なれば疫神退散の物語までを取次(しどろもどろ)に書続るものなり。読まん人言の拙きを呵することなかれ、穴賢穴賢。

 

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