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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・8/39

2025-06-17 | 先祖供養

観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・8/39

八石間寺の叡効捨身幷弘法大師雲識が捨身を救ひ玉ふ事及び清水の舞台より捨身せる人の事

釈書に曰く、叡効と云人あり、何の人といふことを詳らかにせず。早く園城寺に入って教相を学し後に石間寺の観音の霊感を聞きて来て昼夜無言にして法華を誦し夜に観音を禮すること三千拝、六時に法華の秘決を修し三歳の間に法華三千部を満じて此の浄行を以て極楽浄土に往生せんことを欣ひ彼の善導の往躅を慕ひて寺の西南の大葛樹に上って身を投げるに神人袖を以て承て地に落とさず別處に置く。至心に願を発して又上て投ぐるに又承く。此の如くすること凡そ三度なり。叡効余命未だ盡ざることを知りて三井寺に帰るに禁中より是の由を聞しめして僧官を授け玉ふとかや。

(元亨釈書巻十二「叡効は早く園城寺に入って教法を学し後に石間寺の観世音の霊感を聞きて彼に往き、昼は他語を絶し法華三千部を読み夜に像を禮すること各三千拝、六時に法華密供を修し三歳を過ぐ。此の浄行を以て安養の資と為す。即ち道場の西南の大葛樹に上って身を投ぐ。時に神人袖を以て効を受けて地に下さず別處に置く。効又投ぐ。神人又受く。是の如く三度。効の至らざるを思ひ三井寺に帰る。朝廷是を聞しめして僧官を授け玉ふ。此の像泰澄法師の刻む所葛樹は像材の餘栟なり。賛して曰く、梵網に曰く、皮を剥いで紙と為し血を指して墨と為し骨を折って筆と為し佛戒を書写せよと。(梵網經盧舍那佛説菩薩心地戒品第十卷下「若佛子。常應一心受持讀誦大乘經律。剥皮爲紙刺血爲墨。以髓爲水7析骨爲筆書寫佛戒」。)楞厳に曰く、其れ比丘あり、発心決定して能く如来形像の前に於て身に一灯を燃じ一指節を焼き及び身上に於て一香柱を熱せば、

無始の宿債一時に酬ひ畢んぬ。乃至、若し捨身微因を為さざれば縱ひ無爲を成すとも必ず人に還生し其宿債に酬ひん。

(大佛頂如來密因修證了義諸菩薩萬行首楞嚴經卷第六「若我滅後其有比丘。發心決定修三摩提。能於如來形像之前。身然一燈燒一指節。及於身上爇一香炷。我説是人無始宿債一時酬畢。長挹世間永脱諸漏。雖未即明無上覺路。是人於法已決定心。若不爲此捨身微因。縱成無

爲必還生人酬其宿債。」)

法華に曰く、若し菩提を得る事を欲する者は能く手足の一指を燃やし佛塔を供養せば三千大千珍宝の供養に勝らん。(妙法蓮華經藥王菩薩本事品第二十三「若有發心欲得阿耨多羅三藐三菩提者。能燃手指乃至足一指供養佛塔。勝以國城妻子及三千大千國土山林河池諸珍寶物

而供養者。」)諸修多羅此の類多し。故に先佛鴿を救ひ虎を飼ひ、七所に刃を受け千瘡灯を燃やすは枚挙に勝ず。是大士の忍慈交発の見者也。・・」以上元亨釈書引用終)。

この像は泰澄大徳の刻むところ、彼の叡効の上って身を投げられし樹は観音を造りし木の栟なりといへり。効師の捨身は早く安養に生ぜんことを願ふ故なり。

高祖大師稚児にてわたらせ玉ふ時、正法弘通の為に大願を発し讃州多度郡出釈迦の嶽にて捨身し玉ふ時に諸天降りて天衣を以て承けたりといへり。其の例同じきものか。又泉州槇尾山にも捨身が嶽という有。又延宝の初め(1673年)に備後国安名郡曽根原村寶泉寺(今も広島県福山市にあり)の弟子雲識といふ僧年十八歳なりしが心少しそぞろにて定まれる事なし。然れども深く弘法大師を信じ奉りければ或る夜の夢に一人の僧告げて曰く、汝四国遍禮すべし、其の内讃州白峯の稚児が嶽に臨めば本心になるべしと。雲識不思議に思ひ夢に任せて延宝九年(1681年)の夏四国に渡り讃州丸亀より遍禮の札を納め白峯に至り稚児が嶽を尋ねける所に高松の商人寺に居あわせて同心せんとて打ち連れて嶽に至る。時に雲識商人に云けるは、我はこの嶽より捨身すべし、此の路銀の残りを寺へ奉りて我が跡の回向を頼み玉へとてやがて上より身を投るに中ほどの少し出たる岩蔦蔓に懸り留りて下へは落ちず。重ねて飛べども猶落ちずして居る。時に何くともなく黄色の衣を著たる僧来たり玉ひて雲識を連れて上の岩に飛び上がりて助け玉ふ。少しの疵も著かざりけり。其れより酔の醒めるたるやうに心正しくなりぬ。此の黄衣の僧は大師の影向し玉ひたるならん。(眞念「四国徧禮道指南」に「(八十一番白峯寺)この寺に児が嶽とて百余丈の嶽あり、備州安那郡曽根原の寶泉密寺の雲識、歳十八、高祖のいときなき捨身のお誓いをや学びけん、この嶽より飛び落ちけるに、うつつに黄衣したる僧半腹にまして受け止め給うこと再び、(略)思いもよらぬ後ろの谷より伝い道もなき百余丈の底を飛び出でてきにけり」)。予其の年讃州高松に住して明に寺僧の説を聞けり。又出釈迦の嶽は高さ三十丈(120m)もあらんと見る大岩嶽なり。白峯の稚児が嶽、槇尾の捨身が嶽は少し木なども生ひて出釈迦の嶽の懸崖ほどにはなけれども捨身せんと思ふ志も希に、又夢の告げも奇怪なり。又清水の観音の舞台より飛び降落ちる者五三年の間には必ず一両人あり。予聞けり、京都に一人の貧士あり、俄かに癩病を受けて人に交はらんことも憚りあれば一七日断食して清水に籠り、業病若し癒るものならば命を全ふせしめ玉へ然らずんば速やかに死なんと祈る。七日に満ずる夜の夢に老翁現じ玉ひ汝疲倦たるならんと手にて撫でさすり玉ふに身心安楽なり。即ち起きて舞台の高欄の上より身を投るに少しも損ぜず、安く歩みて家に帰りければ五七日の間癩病すきと癒へたりけり。嗚呼たのもしきかな大師擁護の力、乱心の者を正気ならしめ、薩埵大悲の光癩病の人を本復せしむること。苦悩死厄を救ひ玉ふ趣一般なる者なり。

 

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