續日本紀巻二十四「天平寳字六年762六月庚戌(三日)・・又一には朕菩提心發すべき縁に應るらしとなも念す、是を以って(第四十六代孝謙天皇は)出家し佛弟子と成りぬ」)
これは淳仁天皇が不孝であることをもって仏門に入ると表明したものとされます、此の時さらに国家の大事である政務を自分が執ると宣言しています。
称徳天皇は史上6人目の女性天皇でこの称徳天皇以降は、江戸初期の第109代明正天皇まで、850余年、女性天皇が立てられることはありませんでした。女性天皇である孝謙天皇が道鏡とちかしくなりすぎた反省もあったのでしょう。今も考えさせられます。