mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

分業に分断された思索

2022-12-26 09:00:41 | 日記
 年賀を仕上げて投函した。後は、喪中葉書をくれた方のうち、ことに親しい人のそれに、「お見舞い」を書かなくてはならない。こちらは年賀のように概ね一様というワケにいかない。亡くなった人の顔と喪に服している人の顔を思い浮かべて、文面を一つひとつ書き留める。冒頭表題を「寒中お見舞い・・・」としておいたらカミサンが、それは正月松の内が明けてからよと言われ、では「喪中お見舞い・・・」にしようかと言ったら、聞いたことがないと返された。結局、表題は置かないで書き始めることにした。
 こうして考えてみると、祝いごとというのは、人によらず大雑把にメデタイで済ませて触りはないが、悔やみごとというのは、人の顔が個々別々に浮かび上がらないと失礼に当たると感じる。どうしてなんだろう。
 祝い事は須く、人と共に言祝ぐ。皆が集まってワイワイとやるから、祝い事の当人たちやその関係の人たちも賑わいの中に溶け込んで、一向に構わない。ところが悔やみ事というのは、喪に服する一人称の方もいれば、二人称の方もいる。見舞いをするのはたいてい、三人称の立場だから、その立ち位置に気を配ってことばを遣わなければならない。その違いが、言葉遣いに現れる。
 理知的に言うと、それらは冠婚葬祭と一言でまとめられる。だが、それは、行事儀式としての習わしやデキゴトを謂うのであって、ある時代とか社会的な習俗がどのように執り行われていたか、人々がどのようにそれに向き合っていたかと考察するときには、一般的な形をとりまとめて表現することはできるであろう。だが、暮らしの中で出来する一つひとつの祝い事や弔い事を、それと同じようにみなすのは、三人称のあしらいである。
 三人称と謂っても、たとえば故人の連れ合いにとって(故人の死は)は二人称である。だが冠婚葬祭は(故人の連れ合いにとっては)一人称である。悔やみをいう友人とか知人としては、故人の死は三人称であっても、冠婚葬祭は二人称になる。共にした空間や時間によっては、連れ合い同様に一人称の立場に置かれることもある。葬祭に参列する時、人は三人称というわけにはいかない。三人称ならば、参列羽することもない。三人称というのは、それらの死や弔い/葬祭を、超越的な視点から眺めている。つまり、どの人称をまとってその場に居合わせるかは、動態的なのだ。
 理知的に冠婚葬祭を考察すると謂うとき、その冠婚葬祭の一人称や二人称の当事者の心情をひとまず脇に置いて見るとはどういうことであろうか。そのようにみるとき実は、弔いの社会的形式を論題にしているのであって、弔いそのものが、その社会集団の何を弔っているか、そこに於いて魂とか身体というのは、どうみなされ扱われているかは、別問題として脇に置かれていると私は思う。脇に置いたことがじつは、人の社会的考察に於いては不可欠の重要性をもつ。しばしばそれを忘れて理知的考察を「限定」抜きで俎上にあげて、普遍的なこととして遣り取りするから、理知的な専門家は政治家に馬鹿にされ、市井の民は、その政治家も含めてつまらない人たちだと思ってしまう。今年の秋に行われた元宰相の「国葬儀」のように、「弔う」と謂うことが抜け落ちてしまって、言葉が取り交わされるようになる。
「知・情・意」と謂うとき、それぞれが独立して社会的な分業体制の中で登場することが多いが、それらが切り離されては意味を失うほどに、世の役には立たない。あたかも、知=専門家、情=庶民、意=政治家という分業が成立するかのようにみえるが、それらがバラバラでは、ほぼ役に立たない。「知・情・意」と分節された人のクセの有り様を、どう総合的にとらえるのか。そこに言及しないでは、どんなことに関しても、何かを言ったことにはならないのだ。
 世界は人がいなくても存在すると考えるのか、考えているのは誰かを抜きにして世界は存在しないと考えるのか。そういう哲学的に根源的なことが問われている。


毒気のマッピング

2022-12-25 09:12:41 | 日記
 人は言葉によっていろいろなことを伝えると言うが、言葉だけではなく、いや、言葉以上に、その背の高さ/低さ、がたいの大きさ/小ささの持つ雰囲気、立ち居振る舞いの粗雑/丁寧とか、声の高/低、響きの鋭利/平坦といった、その人の身そのものが持っている気配が伴って、コミュニケーションが成り立っている。人は言葉を聞くときすでに、相手が何を話しているかを半ば以上に察知して言葉を交わしている。それが人の多数集まる場となると、そこに屯する人々の気配が力関係を働かせて集団的空気をつくり、それへの同調を求めたり、違和感を醸し出したりする。
 つまり人は、存在感という身の「気」を働かせて、気配を交わしているのだが、多人数が集まっているところでは、気配が交雑して何やら賑やかとか、はしゃいでいたり、騒いでいるのがわかる程度に混沌とし、どの人の何がそうなってこうなっているのかさえ、わからなくなる。でも、何かひとつ集中点を持ってそこに人が集まるときは、自ずから気配が同調同期して、それがまたわが身に跳ね返ってきて、いっそう身の裡の気配を強めたりする。それが堪らなくうれしかったりするのは、(この歓びを言祝いでいるのは)独りじゃないという広がりを合わせて感じるからだろう。
 逆に、選挙の応援演説やヘイトスピーチなどに際して、醸し出される気配も、その場に居合わせた人々の集団的気配として、場の雰囲気の強度を強める。そうでなかった人も何となく同調同期して惹き込まれていってしまう。毒気に当たるのである。
 蝶の羽ばたきが竜巻を起こすとか、台風を呼び寄せるということも、そうした集団的毒気がその場にいる個々人の振る舞いから生じると、視線をフォーカスしてみせている。集団的気配地図上に個人の存在をマッピングした表現と言える。
 そのように考えると、スポーツにせよ、選挙応援の集会にせよ、イベントや野外コンサートなど、人が集まるってことには、必ずそういった集団的毒気に身を置きたいという衝動につき動かされている。おしゃべりをしながら宴会をすると、普段はそれほどウマイとも思わないお酒が度を超して飲み過ぎてしまう。これも、毒気に当たりたい衝動が然らしむるところであって、わが身のそうした衝動が潜んでいたのだなと、振り返って思う。これは、ヒトの無意識に身につけているクセとも言えることにみえる。
 それを意識化してどうにかなるということではないが、自分がそうした衝動につき動かされることもあるのだと知ると、その瞬間のわが身を見る目が備わる。時にはそれによってシラケてしまうことにもなるが、少しばかり集団的毒気から身を剥がしてマッピングする働きとなる。それがすっかり身についてしまって、たとえばストレッチ体操の講師が「はい、ここは笑顔で……」などといったりすると、それと逆の振る舞いをしたくなる天邪鬼になる。動作を巻き寿司になぞらえて「何を入れて巻きますか」などと問われると、気恥ずかしくなって、「煙に巻く」とか戯けて言ってみたくなる。困った年寄りになった。
 これも、世の中のメインのありようにどこかで「対峙」しているような、わが身の奥底の無意識が反応するのだから、いまさら更(あらた)めようもない。この反骨というか、世の中のメインの気風に同調同期したくないというワタシの毒気は、何に由来するのだろうか。もっとも手近に思い浮かぶのは、37年前に亡くなった親父の存在感。それに対する反発と、若い頃は思っていたが、歳をとって考えてみると、案外、親父自身が、出征を機に、世の中の権威や権力や、要するに主流の気風に、反発して生きる生き方へ転換したのではなかったかと思うようになった。つまり、親父への反発というのは、アタマで考えたこと。身の方はしっかりと有り様を受け継いで、息子も反骨的に生きてきたよと、彼岸の親父と言葉を交わしているような気分になっている。不思議気分の年の瀬だ。


飲み過ぎの翌日

2022-12-24 21:21:50 | 日記
 昨日は「男のストレッチ」の忘年会。なにしろ間もなく87歳になる方を最高齢者として80歳以上が半数以上を占める。辛うじて60代が1人いるが、後は70代。ワクチン接種も5回以上とあって、三密を心配もしていない。でも、ここ2年半集まることもなかったから、賑やかであった。芋焼酎の一升瓶を2本も開け、お湯割りをくいくいと調子よく飲んだせいで、帰りの足取りは本当に千鳥足。前へ進んでいるつもりなのに、身体はゆっくりと左へ傾く。バランスを取って倒れまいと左足が前ではなく左へ踏み出す。車の通りがくわめて少ない道だから良かったものの、道の半分くらいを右へ左へ揺れ動きながらのご帰還であった。
 何時に帰ったかわからない。風呂に入っていない。歯を磨いていない。パジャマに着がえるのがようやっとだったようだ。服を脱ぎ散らかしている。財布をみると、お金は昨日のまんま。支払っていない。こりゃあまずい。誰かが立て替えてくれているようだ。皆さんへのメールで、誰が立て替えてくれたのかと問い合わせる羽目になった。一番の若手で金銭処理に長けた方から返信が来た。幹事役のMさんが全額クレジットで支払い、私たちは1月に支払うということになったという。よかった。
 飲み過ぎて今朝は身体の動きがよくない。半分残している窓の掃除もとりかかる気持ちにならない。本を読んでいるとうつらうつらとしてしまう。そうだ年賀を仕上げなくてはならない。デザインと文面はできているが、印刷すると色が黒っぽくなってプリンタのノズルが詰まっているのかもしれない。ところがノズルの清掃を命ずる「プリンタ」の「設定」を開くが、「テストプリント」は文字ばかりで色合いが出て来ない。
 何度かやって、こりゃあプリンタがいかれたかと思う。もう5年にもなるか、前のプリンタが故障して修理に持っていったら、修理チェックだけで8000円が要り、それに修理費用がかかる。その説明をしながら、もし新しいプリンタを買うのなら、1万円以下でありますよと言われ、新規更新したのだった。5年も使うと部品もとってなく、壊れるものと業者は考えているようだ。まさしく使い捨て時代なんだね。
 朝早くから出かけていたカミサンが帰宅し、それをみせると、黒っぽい霞がかかったようなのも悪くないんじゃないというので、それで印刷にかかったところ、プリンタから出て来る毎にだんだん色合いが明るくなり、6枚目歩度からはモニター画面の色と同じようになった。なんだ、カラー印刷をするのが久しぶりってことで、暫く使わなかった色のノズルにインクが固まっていて、使うほどに改善されてきたってことか。
 こうして、年賀は無事に印刷が済み、住所の記載も終わった。ボーッとして過ごした割には、ひと仕事したような気分になった。


若気の至りと新しい時代

2022-12-23 05:16:40 | 日記
《冬至の今日は日の出から日没までの時間が9時間44分。明日からは、着実に明るい日中時間が長くなる。身が軽くなるのも、気分と相関している。/古稀時代とおさらばして傘寿時代へ身を移す。そう考えると、身も心も軽くなる。》
 こう記したのは、1年前の冬至の日。4月の事故以来リハビリをつづけ、ようやく前向きの気分が湧いてくるのを感じていた。そして4月下旬になって四国のお遍路に出かけ、2週間ちょっとで「飽きて」帰ってきた。思っていたより疲れが溜まっており、帰宅後しばらくは何もする気が起きなかったが、5月下旬にはすっかり元に復したように思い、デュピュイトラン拘縮の左手掌の手術をすることにして、心臓の事前チェックや検査を行い、それはそれでモンダイがみつかり年を越えて子細検査を行うことになった。一病息災ってことだね。
 こうして7月中旬、全身麻酔の手術をした。医師の判断では順調に手術も終わり、翌日には退院という運び。後はリハビリに通うようになった。ところが、手術部位の、強張りが解けない。確かに拘縮して縮まっていた部分は伸びるようになったが、指を折り曲げると、手の平に指先が付かない。人指し指の痺れは未だにつづいている。2週間毎に診察する医師も、首を傾げる。カミサンは手術の失敗じゃない? というけど、そう医師に確認するのは、とても怖くてできない。
 ただ2週に3回受けるリハビリは、わずか30~40分ずつだけど、一進一退、長い目で見ればほんの少しずつ効果があるようには感じている。でも、もう5ヶ月を過ぎた。左手掌が少々不都合でも山歩きには支障なかろうと、元気な頃なら思ったであろう。だが、身体のバランスは以前より不安定になっている。ストックを握るのに、指が手の平に付かないのでは、親指と人差し指に挟んで止めているだけ。小指や薬指がきっちり締まってこそ力も入るというもの。つまり左ストックを持っている意味がなくなる。平地を歩く分にはなくても構わないが、山歩きに右手だけでは心配になる。
 小指と薬指の拘縮を何とかしようと思った。痛みがあったわけではない。酷いときは残りの指も曲がってしまうことがあるというのに脅かされたわけでもない。寿命とどちらが先かはワカラナイと思っていた。ただ、「人もすなる手術というものを我もしてみんとてするなり」という軽い気分だった。先ずは利き腕だけでもやってみて、うまくいけば次は右手を考えていた。確かに拘縮した指は伸びるようになった。だがまさか、縮まなくなるとは思ってもいなかった。傘寿になるという身の程を知らない若気の至りであった。
 握力を測った。左手は15ほど。右手は30に少し足らない。確か還暦の頃の身体計測で図ったときには40ほどで、ずいぶん弱くなったなあと思った覚えがある。手術しようがするまいが、これじゃあ身体を支えるどころじゃない。左手掌の強張りが解けないのも、伸びた指が曲がらないのも、わが身そのものが、もうリミットよといっているのかも知れない。「治す」というのは、モデル型にすることではない。身にそぐう動きを常態にすることだとすると、今の左手掌のそれは、ほぼ「治っている」と言えるのかもしれない。
 1年前の「古稀時代とおさらばして傘寿時代へ突入する」気分の軽さは、振り捨てるしかないか。手掌の拘縮手術は古稀時代の若気の至り、傘寿時代はもう、そんな好奇心で手術でもしてみようかというほど、身体が若くはない。つまり回復するってことがないんだよと言っているのかもしれない。ならば、今の手掌の常態に身を適応させて、新しい年を新しい、初めて体験する傘寿時代として受け容れて過ごしていくほかない。


ヒトという動態的プロセス

2022-12-22 07:07:00 | 日記

言霊の実存性

  脳幹から紡ぎだされるオマージュ 深い沼の底の泥濘からぷくりぷくりと湧き起る気泡がゆるゆると水中を上り、水面でポッと弾けて言葉になったようなモノローグが差し......

 1年経って忘れていたと慨嘆したことを、2年経って同じように繰り返す。でも考えてみると、夢枕朔太郎の喰い・飲み・咀嚼した萩原朔太郎の言霊を、覚えているとか忘れているという次元で取り上げている限り、少しも身に染みこんでは行かない。
 考えてもみよ。私たちが口にした食べ物が、どう咀嚼され、どう消化され、如何にして吸収されて身についたものとなっているか。その過程を意識の俎上に乗せることができるか。それは38億年の生命史の中で培われ、自ずからなる身の働きとして行われて初めて、ヒトは、その余のことに意識を傾けて暮らしていくことができるのだ。
 とすると「知・情・意」と分節してヒトの活動を表現するのは、ほんのうわっペリのこと。その活動の底に流れている自動化されている生命体としての働きこそヒトの本体だと、上記の文章を読んだ3年目のワタシは思うようになった。
 でもヒトはごくごく表面的なありようで世の人と関わり、それが世間的な世を渡る手立てを交換手段として手に入れる。評判や権威や権力などがそれにまつわって力となるから、ついついそちらに気を取られて、それを本体の活動だと思ってしまう。そう思って表面的なヒトの活動の解析と解釈に力を入れ込んできたのが、科学や哲学などの欧米的な理知的活動であった。
 それとは別の道を歩いてきたのが、アジア的なヒトの考察であった。私が経験的に目にしてきたのはヒンドゥと仏教と儒教や道教の系譜にしか過ぎないが、アジア的自然観と私はひとまとめにして呼んでいる。つまり自然観が欧米のそれと違う。私がここで言う自然観とは、宇宙を含む世界の中のワタシとその世界をみているワタシとの位置づけ方である。
 それは、起点からして食い違う視点を、一つにして感知し、意識しているわが身の不思議を通してとらえ返そうとする試みである。それをしてもしなくてもヒトは生きていける。にもかかわらず、その不思議に心傾け、のめり込んでいく身の裡の衝動を感じている。つまり、世界を見て取りそこに己を位置づけてみようとしているワタシを、さらに違った次元のワタシがみているという不思議。その、とどまるところを知らない感情、思念、想像という人のクセの動態的プロセスを、いまワタシは歩いていると実感している。