mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

やはり野におけ蓮華草

2015-12-10 09:28:43 | 日記
 
 ギオルギ・シェンゲラヤ監督の『放浪の画家 ピロスマニ』(1969年)を観てきた。1969年制作のグルジア映画。46年前の作品である。
 
 画面は、映画の書割セットのような雰囲気で、なんだか平面的な印象が強い。これが、半世紀ほど前のグルジアの風景なのであろうか、それともこの監督の制作手法なのであろうか、それとも、半世紀前の映画の画面が、もともとそのように見える性質のものなのだろうか。ふと、思い出した。動く紙芝居だ。むかし観たチャップリンの映画に感じた印象と似たものを観ているようであった。ときどき声が途絶えるのも、御愛嬌。そう思えるくらい、この主人公の画家ピロスマニの生き方は、単純、素朴、質素で飾り気がない。
 
 絵を描くのは、あたかもそれ以外の生き方を知らないから、とでもいうように暮らしそのものである。ちょうど生計を立てるために陶工が粘土をひねるように、ワインを手に入れるために看板を書き、壁に絵を描きつけ、カンバスの絵を入口に架ける。そのうち町の人々は、絵を描く彼にワインを振舞い食事を提供する。画家ピロスマニは町の風景に溶け込んでいる。
 
 その絵が町を訪れた芸術家の目に止まる。値が付き、高く売れる。むろんピロスマニの中央画壇における評価も上がる。招かれて「芸術家」としてのことばを求められるが、彼は話す言葉を持たない。彼にとって中央画壇とか自分の書いた絵の評価が高くなるということが何を意味するのか、分からない。パブロ・ピカソが「私の絵はグルジアには必要ない。なぜならピロスマニがいるからだ」と言った言葉が、上映チラシのキャッチコピーで紹介されている。だがもう一つピロスマニのありようを象徴する言葉も付け加えられている。
 
 「一杯の葡萄酒と乾草のベッド グルジアは私のキャンパス」
 
 つまりこの映画は、「暮らしの中の絵画」が「芸術」として昇華するということはどういうことなのかを、その出立点からたどってみようとしている。町の人たちは(画商たちに)ピロスマニの絵を売る。それはピロスマニへの裏切りになる。むろん町の人たちは裏切っているとは思ってもいない。そうしてピロスマニは孤独のうちに絵を描くこともしなくなる。町の人たちは彼を閉じ込めてでも絵を描かせようとする。最後に描きあげた絵を放りだしたまま彼は家に閉じこもり、死を迎えるばかりになる。
 
 映画のフィナーレは町の復活祭。様子をうかがいにきた古い隣人が「どうしてるんだ」と聞き、「いま死ぬところだ」と応えるピロスマニを馬車に乗せて町の居酒屋へ連れ出す。片隅でぐったりとしているピロスマニを俯瞰して映画は終わる。復活祭の喧騒はつづいている。
 
 理屈を言えば、柳宗悦の生活芸術の発見になるのであろう。だが、それよりも、町のたたずまい、人々の暮らしにおける結びつき、その「かんけい」を気風として保ち続けていることが「暮らしの中の絵画」をそれとして生きたものとせしめる。ピロスマニという画家職人のインセンティヴ(魂)は、共同体の気風であった。そこに「芸術」が持ち込まれ「交換過程」に乗せられてしまうと、気風は壊され、「暮らしの中の絵画職人」は生きる足場を失う。人々の「かんけい」が交換関係によって取り結ばれるようになり、画家職人は(共同性に依存した)生計の道を失う。生計の道とは、生計の術(すべ)ではない。生計の術の根柢ともいえる「魂」が削がれる。それを「放浪」と呼んだのではないかと、映画のタイトルを見ながら思った。
 
 交換関係に入れば、画家は自らの絵を高く売りつけて暮らして行けると、反論があるかもしれない。だが絵を描くインセンティヴは「放浪」するほかない。それでも描き続ける(交換的)才覚の持ち主が芸術家として生き残っている、と言えるのかもしれない。
 
 動く紙芝居のような古臭さは、じつは「交換過程」が異様に進化した現代からみると、まさに遠くの「共同体」とその気風、それを土台にして生きていた時代の「人間」の姿を象徴している。半世紀前の映画が、こんな形で再演される意味はこの辺にあるのかな。
 
 やはり野におけ蓮華草という。だが、蓮華草が生きていける野は、どこにあるのだろうか。

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