mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

甲州高尾山――山もワインも天気も良かった

2014-11-05 20:57:19 | 日記

 絶好の晴れ日和。8時40分に勝沼ぶどう駅に降り立つ。ホームには20人くらいの幼稚園児が並んで乗り込もうとしている。遠足だろう。お天気になって良かったねと、声を掛けたくなる。登山着姿の40代の女性2人も下車してくる。駅の東側は公園のようになっていて、蒸気機関車がおいてある。EF64・・という型式。静かな散歩道の風情。

 

 振り返ると、街並みを囲うように南の方に山が峰を連ねている。南アルプスの山々が(地図上の観念では)北から南へ広がっているのだが、東から西へと展開しているように見える。いちばん東側にとんがった甲斐駒ケ岳、その西に北岳、間の岳、農鳥岳へとつづき、赤石岳、荒川岳も識別できる。南アルプスがスカイラインを描いている。手元の山名表示板をみると、聖岳、笊が岳も見えはするが、どれであるかわからない。鳳凰三山や櫛形山、富士見山は、手前の黒々とした山塊となって見定められない。

 

 先へ進むとトンネルがある。これが「大日影トンネル遊歩道」かと思うが、入口全体を覆うような鉄柵に囲まれ鍵がかかっている。これが通れないのじゃ、今日のルートは変えなければならない。とみると、「9:00~16:00」とある。時計を見ると、あと9分。脇の「説明書き」を読んでいると、駅舎の方からぶらりぶらりと、小太りの60年配の人がやってくる。手塚漫画のヒゲオヤジのようなかっこうが、場に見合っていておかしい。

 

 「どこに行くのかね」と聞く。「甲州高尾山と棚横手山と宮宕山まで行こうか、と」と応えると、「7時間くらいかかるよ。それに、こっちから行くと登りがきついよ。たいていの人は、大滝不動までタクシーで行っている」と教えてくれる。まあ、きつい上りの方が下りよりいいからと、トンネルへ入って歩き始める。

 

 トンネルは、全長1400m近くある。入口から、小さく明るい出口が見える。ヒゲオヤジがスウィッチを入れると、トンネル右側にしつらえられた蛍光灯とランプがポッと点いて、足元はくらいが見える。トンネル中央に2本の線路と枕木、石も敷かれている。その両脇に幅1mほどの歩道が設えられている。20mおきくらいに、線路工夫の待避所が掘られていて、そこに、このトンネルの由来とか構造などの説明が添えられている。ちょっとしたを博物館の雰囲気がある。中間地点を示す距離表示、トンネル自体の傾斜を示す暗い勾配標、測量基準点(ベンチマーク)も置かれている。1.4kmをゆっくりと説明文を読みながら歩くと、だんだんとこれがつくられ開通した明治35年ころに、体ごと移行したような気分になる。

 

 トンネル中ほどに来たときにわかったことだが、中央部の枕木の下には水路が掘られている。湧水を集めてトンネルの外へ導いていくためだと説明。トンネル自体の傾斜も、東京寄りの深沢口から甲府寄りの菱山口へ、斜度2.5m/100mで傾いている。なるほど考えたものだ。壁は総煉瓦づくり。縦横に組み合わせ強度を高める。地元で焼いた煉瓦を用い、イギリスから技師が来て、トンネル構築に携わったと記している。日本の近代化の様子を彷彿とさせる気配が、漂っている。千と千尋の神隠しの最初の場面に登場するトンネルを抜ける気分だなあと、ふと思う。ところどころに、(たぶん)地元の芸術家の作った小さな塑像がおかれている。これは博物館の雰囲気にちょっとそぐわないと思うが、地元の人にとってはワケがあるのであろう。

 

 トンネルを抜けた深沢口の先にもう一本のトンネルにつづくが、それはワインカーヴとされて、いまは倉庫だ。帰るときに、甲府側から駅舎の方に近づいて分かったのだが、現在の駅舎の南側に昔のホームのの部分と、「勝沼かつぬま」と表示された駅名表示看板がそのまま置かれている。平成9年(1997)に新しい路線が、脇に作られて廃線になるまでの面影を残す。手入れされた草に覆われたそれは、「ふるさと」の匂いがするようであった。

 

 深沢口をあがると甲州街道が走っている。その手前に「←高尾山」とあり、その山裾の方へ曲がる。すぐに「沢楽の道 縁側カフェやまいち」の看板がある。道をすすむとそのまま農家の庭に出る。縁側はガラス戸が閉じてあり、まだ準備中のようだ。これは地元の人にとっては、どういう効果を発揮しているだろうか。山歩きの人が寄るよりも、地元の人が寄り集まって、おしゃべりのひとときを過ごす場となっていたら、面白いと思う。ぶどう棚がそちらこちらにある。葉も落ちかけているが、ぶどう棚の下を耕運機で耕している人がいる。やはり土をしっかり作らねば、ブドウもうまく育たないのかもしれない。

 

 甲州街道に出て北へしばらく歩くと、「←高尾山入口」の小さな看板がある。そこをあがると、「深沢分校」。コンクリート造りのしっかりした建物だが、もう使われていないのであろう。校舎北脇を上がる。ここから山頂までひたすらな上りになると、地図を読んだ。標高540m。石がごろごろしている林道をすすむと、右に鳥居がある。ここで道を間違った。鳥居をみながら先へ進んでしまった。わずかながら踏み跡があるから、急斜面を登って行ったが、登りながら考えてみると、どうみても登山道ではない。獣道かもしれない。着いてくるカミサンも閉口している。そう言えば、飯縄神社の参道と言っていたっけ。参道なら鳥居をくぐらねばならないわ、と引き返す。鳥居に近付いてよく見れば、飯縄神社と扁額をかけてある。

 

 ジグザグの急登。道は悪い。石ころ、草ぼうぼう、人が歩いていないらしく、乾いた土がどころどころ崩れている。標高差で500m上がれば林道に出ると思って、ひたすら上へ身体をあげる。標高800mほどに飯縄神社の社があった。そこだけ少し広くなって鳥居と社とが鎮座している。だが周りはカヤトに囲まれ、踏み跡さえ見当がつかないような状態。社の裏を登ると、このコースを案内した本に書いてあったことを思い出し、裏側に回る。裏側はいっそう道が分からない。ただ、カヤトが切れて歩き易いところと考えて、急斜面をたどる。潅木があるから、それにつかまって体を引き上げてはいるが、それもないと、滑り落ちそうな足元を踏みしめるだけでくたびれてしまいそう。いやはや、下りに使わなくて正解と思いながら、上へ上へ。

 

 ガードレールの切れ目を丸太で塞いでいるところに着いた。丸太をまたいで、舗装した林道に出る。南東に富士山が顔を出している。南西に甲府盆地の市街地が広がっている。朝見た、南アルプスの遠望も、まだ雲に隠れてはいない。黄色く紅葉した葉が目に飛び込んでくる。ウルシだというと、「よく見て。ヌルデよ」とカミサンが返す。葉は似ているが、葉柄に翼がついている、という。見ると、葉柄が丸くない。幅の狭い翼がついているようになって、平べったく見える。なるほど、と思う。やっと色が変わり始めたような気配だ。林道がぐるりと大きく回り込むところが稜線上で、左に柏尾山、右に甲州高尾山と、小さな標識が見える。植えたばかりの檜の幼木を脇に見ながら、高尾山へ向かう。

 

 嶮が峰1091m。そのすぐ先の1110mが甲州高尾山である。周囲を見渡せる。むろん富士山も手前の御坂山塊に下を隠しているが、雪を頂いた上半分は日差しを受けてキラキラと輝いている。三つ峠も黒岳も際立っている。11時40分。お昼にする。食事をしていると、今朝ほど駅で降りた40半ば女性2人が大滝不動の方からやってきて、お昼にする。尋ねると、駅から歩いてきたという。そうか、ちょうど半ばかと思う。棚横手山にはいかなかったというから、長い林道歩きが結構時間をとるのだと思う。

 

 お昼を済ませて出発する。棚横手山と宮宕山へ往復すると約2時間余計にかかる。なるほど、ヒゲオヤジのいっていた通り、7時間コースになる。カミサンは元気に下山してワインの丘に行きたいという。富士見台の手前から大滝不動への道を下る。しばらくして林道に出る。黄色く色づいたダンコウバイが陽を受けて、桧の樹林の中に際立っている。分岐に出る。左へすすみ展望台に行くが、樹林に囲まれて見晴らしはまったく聞かない。ただこの地の、滝と森の取り合わせが素晴らしいと、コマーシャルをしている。そう言えば、滝の落ちる音が聞こえる。

 

 分岐のところに戻り、大滝不動へ道をたどる。歩きやすい持ち場の道が緩やかに続く。ほどなく下の方に朱色の建物が見える。大滝不動の社が、色塗りをしたばかりのように鮮やかに見える。その先に、滝が落ちている。ふと見上げると、ずうっと上の山頂部のほうから、水が落ちる滝がある。大滝のようだ。標高差140mと、どこかに書かれていた。社殿の正面からまっすぐ下に降りる石段がつづく。この傾斜がかなり急。手すりもついている。その右脇に、先ほどの大滝から続く流れが、やはり滝のように急峻な水の下りをつくっている。その下に、車も通る林道が街中へとつづいている。

 

 ハウチワカエデが薄赤い色をつけて葉と枝を大きく広げている。黄色のダンコウバイが、やはり目につく。深い森の中にいる感触に満ちている。だがここからの林道が、3キロ以上にわたって山極に沿ってくねくねと下っている。「あの人たちここを歩いてきたのだろうか」とカミサンは不審そうな声を出す。先ほどお昼のときに顔を合わせた40代半ばの女性のことを言っているのだ。だいぶくたびれてきているようだ。

 

 大滝橋から大滝川に沿ってかなりの傾斜を下る。虚空蔵菩薩堂が鳥居をしたがえてお社であることを示している。キャンプ場管理事務所と記された建物がある。古びて、まるで廃屋のようにみえる。でも、水場の流しにはベニヤ板をかぶせて管理されている様子がうかがわれる。テント場の仕切りも、まだつかわれている気配がある。夏場だけのキャンプ場か、と思う。とほどなく、大滝不動尊前宮の社がデンと構えている。その少し先から広い道を大きく左の方へとって、駅舎の方へ向かう。

 

 ぶどう畑の間を抜ける道は、立派な車道だ。耕されているのもあれば、ブドウの実に掛けた紙が地面におちたまんまになっているところもある。収穫は終わっているようだ。ごく一部に、腐りかけたような実を残しているのもあった。ドイツの腐貴ワインを思い出した。まだ凍るには早い。通りの傍らに面白い水路をみた。通りは大きく下っている。脇の畑の石垣はしたがってだんだん高くなっている。そこの水路を流れる水は、まるで引力に逆らって上流へ流れているように見える。だまし絵のような場面である。

 

 線路を越えてふと、昨日までの連休があったので今日は休みではないかと、カミサンが言う。勝沼ぶどうの丘というところで、ワインを手に入れようと考えていたからだ。電話をする。「やってますよ」と元気のいい返事が聞こえる。だらだらと続く道を下り、まただらだらと続く道をあがってぶどうの丘に着く。追い越して行ったバスからたくさんの人が降りている。なるほどバスで来る観光地なのだ。

 

 ぶどうの丘の土産物屋はシャッターを下ろしている。広場には脚を取り払ったテントの屋根が行く張も並んでいる。昨日までのブドウ祭りがにぎやかであったことを示すようだ。でも会館の中は、人であふれている。「試飲用カップ1100円」を支払って、カップを首にかけワインカーヴに降りる。ワインをたくさん置いた棚が両脇に設えられている。通路の中央にワインの樽をおき、その上にコルクをとったワインがたくさん置いてある。勝手に飲んでいいというのである。右通路は白ワイン、奥がロゼ、左通路は赤ワインを中心においてある。白ワインのいちばん奥のところで、白く濁ったワインの蓋と格闘している白人女性がいた。どれどれと、私が受け取ってみたが壊れていて、うまくいかない。おいしかったかと聞くと、イギリスのクリスマス・ドリンクの味だという。日本語の上手なイギリス人だ。飲んでみる。ドイツのアイスワインほどではないが、そのような甘いワイン。熱処理をしていないので、スパークリングワインに用いるような蓋をつかっている。面白い。

 赤ワインの終わるところに、先ほどのイギリス人ともう一人の白人女性がにぎやかにワインを空けている。樽の上には何本も赤ワインがおいてある。どれがおいしいかと聞くと、指さしてこれ、という。でも中身がないので、新しいのを係の人に開けてもらう。あとで分かったが、これが一番値段の高いワインであった。新しいワインを注いであげる。「カンパイ!」とかのイギリス人女性が言う。寄ってきたほかの客も、推奨ワインを飲んで、ご機嫌である。イギリス人ならスコッチじゃないかと、近ごろの連続TV小説を思い出して、誰かが言う。いやイングランドはビールだと、日本語で彼女は応ずる。面白い。ワインが回って皆さんご機嫌なのだ。

 

 こうして、そこで買い物かごに一杯ワインを入れて購入。ザックに入れてかついで駅まで歩く。到着すると同時に電車がホームに入ってくる。いや何とも、いい気分で帰ってきた。山もワインも天気も良かった。


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