mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

ぶらり遍路の旅(1)へんろみちの変遷をぶらり

2022-05-11 10:20:54 | 日記

 遍路の旅に出る前、ある種の不安に襲われていた。行程を組んでみたら、5月末に岡山で開かれる予定の「同窓会」までに歩ききるには、毎日平均30kmの行程を組まなければならない。宿があるかどうかを考慮すると25km~35kmの幅が必要になる。たぶん山の事故を起こす前ならば、これくらいは大丈夫と踏んだと思う。そこで日々平均25kmで行程を組み直した。「同窓会」までに善通寺辺りまで行けそうと分かる。善通寺は岡山へ出るのにちょうど良いし、弘法大師の生まれ故郷でもあるし、何より私の生まれた香川県に入っている。そうだこれで行こうと一旦安堵した。
 ところが出発が近づくにつれて、計算上の行程と実際の行程が違うことも気になる。なにより毎日25kmを何十日も続けるということができるかと自問自答することがあった。これまで山へ入った最長期間は、30日。インドヒマラヤの無名峰へ向かったとき。一週間ばかりの停滞を挟んで、ほぼ毎日山を歩いた。体重も7キロくらい落ちただろうか。下山したときは、ぜんそく気味になって、インドの医者に診てもらうこともあった。それ以外、二週間を越える山歩きをしたことがない。若い頃は回復力があった。だが今は間違いなくそれが衰えている。そういう不安が昂じてきた。もう一度組み直し、日々平均20キロ程度に設定し直して、やっと心穏やかに出発を迎えた。
 これは、結果的に見ると正解であった。実際に歩いてみると、「遍路道」はこれと決まっているわけではなく、何処を通っても「目的の札所」へは行ける。車で行く人もいれば、自転車の人もいる。昔の「遍路道」がはっきりしているところもあれば、トンネルを抜けたりショートカットして新しい道路が設けられているところもある。プランニングの時に私が参考にしたのは、2005年頃に編輯された「へんろみち地図」とネットで手に入れた「四国遍路巡礼マップ2020」であった。前者は地図自体の(情報量の多い)描写が複雑さを増していてルートを見て取るのが難しく、結局つかわないままであった。後者は山の地形図の5万図のような感じで大雑把に見るにはいいが、子細はずいぶんズレが出るようであった。
 プランニングでは後者をつかい、実際に歩くときにはgoogle-mapの「経路ガイド」を用いた。これは出発前にスマホの購入店へ行って使い方を教わり、使いながら、その「経路ガイド」の見方を知り使い方に慣れるという馴染み方をした。「目的地」へ行くルートはいくつも選ぶことができる。複数のルートを示す点線が表示される。ルートの一つには「*分遅れ」などと表示がつく。なんだコイツは、歩く速度にまで標準を押しつけてくるのかと最初思った。違った。ある一つのルートが最短、それとは違うルートをとると「*分遅れ」と時間がかかることを示しているのだと分かったのは、5日ほど経ってからであった。また私が好んで主要な自動車道路を外れて田舎道を歩くことを察知して示すのかと思ったほど、回り道をする。どこにいても経路を示し「*分遅れ」は大きくなり、すっかり違う方向へ進んでいたこともあった。つまり私の「ぶらり」がどんどん道を外してしまっていたのだ。
 結果的に今回歩いた全行程の、当初計画355km行程が実歩行422kmであったという、25%増しの歩行距離になっていた。それは前回の報告に記したとおりである。この25%増がぶらり遍路のぶらり部分、そう考えると、最短距離を歩くよりも面白いルートを歩いたなあという感懐が、ひときわ増してくる。
 実を言うと、昔の遍路道を記した「へんろみち地図2019年版」が見やすい印刷物となって刊行されていることも分かった。ほとんどの歩き遍路の方々はそれを見ていたのだが、それに記されたルートは私の歩いたルートよりも更に長く、道路が新設されてトンネルを抜けるところも、山を越え海辺に降りて砂浜を歩くというように、昔日の経路を丁寧に記しているようであった。
 こうして不安の中でスタートしたぶらり遍路の旅は、出会う人、出逢う場所によっていろいろなことを教わりながら始まったのです。