「自他の識別―排除」は生物の宿命
昨日(4/4)の朝日新聞に「キクイモの苗 自他を識別」という記事があった。東大農学部の助教が解明したもの。キクイモを栽培すると、同じ親イモから育てた苗は、違う親イモから育て......
一年前にこのように書いたことを忘れていた。これを読むと同時に、一昨日(4/3)の朝日新聞に掲載された福岡伸一の「動的平衡――ウィルスという存在」を思い出した。福岡は、「ウィルスは自己複製だけしている利己的な存在ではなく、ウィルスこそが(宿主の)進化を加速してくれる利他的存在である」とみている。もともとウィルスは生命体の一部であったが、それが戻ってきて、生命体の内部の細胞膜と融合させ、ウィルス内部の遺伝物質を細胞内に注入して、進化の遺伝情報を垂直方向だけでなく、水平方向に、種を超えてさえ伝達しうると、存在意義を仮定している。
これは、自他の識別と同様、生命体が生み出した進化過程における絶妙の作用であり、「病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ」と、ウィルスに感染することのもたらす個体の死すら、「その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である」と生命体の進化継続過程において不可欠の存在だとしている。
つまり私たちは、ウィルスと共存する法を考えて、それをいかに穏やかに受け入れていくかを思案するところに立っていると指摘している。むろんウィルスに感染することを自然に任せておくわけにはいかないが、それは人間活動を根底的に反省して、生命体の根源に立ち返って具体的に「日常批判」をするように仕向けていると思われる。
となると、まさに過剰に蔓延った人類の現実が批判にさらされているというほかない、と思う。70年以上も生き延びてきた存在は、まず、それ自体が批判されているということかもしれない。