mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

高齢者の山の会、8年

2020-04-05 11:38:41 | 日記

 私の主宰する山の会が満8年を終え、9年目に突入した。新型コロナの外出禁止の呼びかけはあるが、公共交通機関を使わず登山口までのアプローチを行って、上って帰ってくるのなら構わないだろうと、3月も2回実施。4月も2回予定している。会員企画のお花見山行1回は公共交通機関を使わないわけにはいかなくて中止にしたが。元気に野外活動を行うのは、健康維持のための散歩と同じってわけだ。
 
 8年間を総覧してみると、勢いの盛衰がわかる。8年前までやってきたNHKカルチャーセンターの山行企画が終わるときに、「何とか継続できないか」という声にこたえて発足したのが、この山の会であった。十数人という小人数限定で始めたときには最高齢者が71歳、一番若い人はまだ50代の後半であった。その後若干の入れ替わりはあったが、おおむねそのまま年を経て、皆さん8つ年を取った。今、最高齢者は89歳、一番若い人は62歳か。平均すると古稀は十分超えている。高齢者の山の会と呼んでも構わないであろう。
 
 勢いの動きは矛盾するように見えるかもしれない。2012年4月から2016年3月までは、年度当初に私が企画する半年分の月1回山行プランに、参加できる人は参加するというふうにして、実施してきた。ほとんどお天気にかまわず実施していたから、歩き始めから下山するまで雨が降るずぶぬれの平標登山だったこともある。私は「雨男」の異名をもらうことになったが、山ってそういうものよ、と構わず続けてきた。
 だが、実施回数は同じでも宿泊山行が入るようになり、山中日数は毎年増えていった。歩きながらもっぱら山の話をする。山への意欲はなかなかのものがあると感じた。徐々に歩行時間が長いものから、足場に注意を要するものなどを組み込んでいくようになった。冬も同じように実施するから、軽アイゼンをつかったりスノーシューを用いる雪山山行も入れて、山の面白さを味わってもらうようにしていった。
 高齢の同行者の一人は、鉄人レースなどにも参加するアスリート。若いころにはある種目でナショナルフラッグを背負って活躍した人であったから、身体の作り方については、いわば専門家であった。歩きながら、体幹の作り方やトレーニングの方法についても言葉が交わされるようになり、次第に月1の山行では鍛錬にならないと思う人も出てくるようになった。自主トレもはじまったようであった。
 
 他方で、私の企画する山行を厳しいと感じる人も出てくるようになって、やはり歩きながら言葉が交わされる。私は、講中が自分で企画してそこへ皆さんで行く「日和見山歩」を提案し、月ごとの担当者を決め私の山行企画とは別に実施することにした。その結果、2016年の4月から、この山の会の山行は月2回になった。年間の山行回数も(8月は日和見山歩の計画はいれなかったから)ほぼ倍増した。
 これが良かったのは、講中の意欲にあった山行を立案できることであった。山への意欲を燃やしていた人たちにとっては、ますます行きたい山へ行けるようになる。そこまでのめり込めない方には、そこそこの山行に参加できる。私の企画する山行計画でも、苗場山、箱根外輪山縦走、鳥海山、浅草岳・守門岳など、宿泊を伴うものが増えた。岩場の編笠山や乾徳山も歩いた。
 と同時に、こんなこともあった。冬の御正体山に行ったとき、駅で脚を傷めていたRさんが(出発前の予定通りに)お昼を取った中途で下山することにしたとき、同行の二人を除いて皆さんが(寒いから)下山すると言いだし、帰途に就いた。むろん下山地点の車の中で、残りの私たちが登頂した戻ってくるまで待っていたのであるが、この時のサブリーダー役を務めていたkzさんは「隊を分散する山歩きは危険だ」と後に私を強く批判して、言葉を交わした。たしかに、そう言われても仕方のない一面はあった。だが、なにより、この山の会がそういう二層の講中によってかたちづくられていることが、このモンダイを引き起こしていると私は考えた。ただ一概にそう言えないのは、「日和見山歩」のなかにも雪の三つ峠山の企画が入るなど、結構厳しいものがあったから、くっきりと二層に分かれているわけでではないのだ。
 だからそれが現実なら、二層は二層のままに山の会はやっていくしかない。そう考えた。2018年度の私の計画では、さらに宿泊を伴う山行が増えたばかりか、「日和見山歩」のなかに甲斐駒ヶ岳と仙丈岳を2泊3日でのぼる企画が入った。
 
 それと逆の事象も起こってきた。2017年度までに「中止」になった山行は、台風接近による1回であった。だが、2018年度の「中止」は6件。私の企画が3件だが、「雨」と「台風接近」の外に「私の体調不良」で取りやめたものがあった。また「日和見山歩」の中止にも「参加者なし」とうのが、出来するようになった。古稀を過ぎて腰に不安が生じたり、お孫さんの世話が忙しなくなったり、ご家族に不都合が生じたりするようになった。これも高齢化による不都合といえるかもしれない。
 じつは2018年の秋、心臓に不具合が生じていると言われて、私は救急治療室でカテーテル検査を受けたことがあった。結果は何もなかったのだが、以来、週1回の単独山行には「十分注意してね」とカミサンのことばに送出されるようになった。76歳、ぼちぼち何があっても不思議ではない年齢になったということであろう。
 これまでいつも心強いサポート役であった鉄人・Khさんの体調に不都合が生じ、よほど用心しなければ山を歩けなくなったことは、青天の霹靂であった。冬の奥日光の雪山には毎年つきあってくれているが、講中の体調管理に関していろいろとサポートしてくれていただけに、多くの講中にとって自己管理して行かねばならない局面に立たされたと言える。逆に、長いデスクワークから解放されて山歩きに取りかかったRさんが日に日に強くなり、5年かけて身体をつくって来たことが支えになってきた。山に関してはむしろ先達である奥さまのkwmさんとともに、私の山に同行してくれる。週1回のトレーニング山行も、欠かさないようにしていた。
 
 そうして2019年度の山からは、私が行こうと考えているトレーニング山行のコース案をR夫妻に提示する。彼らがその企画の中から選んで、実施時期を設定して私に送り返してくる。それに詳細のアクセスと行程を書き込んで、「山歩講1年間計画」を山の会の皆さんに提案するというようにした。あわせて、日程を緩やかにしたり、コースを変更したりして、最終の山行計画を決め、実施するようにしたから、月1回ではなく「日和見山歩」を除いて、月2回くらい。2020年度は12月までの9カ月間に24回の山行という月3回、「日和見山歩」を加えると週1回はどこかの山に入っている格好になった。
 また山行に参加を希望する人たちで(天気予報も参照しながら)相談して日程を動かすようにもした。2019年度も「中止」するより、ほかの山に登ろうと行き先を変更したこともあった。そういう自在な組み方ができるようになって、身体的な不安は、行動の仕方によってうまく調整されていくように思える。
 
 さあ、2020年度の山行は、はたしてどうなるか。新型コロナへの対応も加わって、「外出禁止」となるのか、野外で、かつ公共交通機関を使わないならば、健康維持のためにも推奨すべきことではないのか。感染してしまえば、重症化しても面倒は見てもらえそうにない70歳以上の高齢者のこと。放っておいてといえばいいのかどうか。笑いながら、こうした事態に向き合っている毎日です。


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