mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

機能不全?の地方行政府

2020-04-26 09:31:10 | 日記

 新型コロナの陽性者で自宅待機していた二人が死亡した埼玉県。知事の会見もちょっとだけ報道され、かえって、県は何をしているんだろうと普請が増した。報道はまず、首都圏としてひとくくりにするから、日頃、埼玉県の首長が都知事のように発信している姿を見かけない。
 ところが会見で、二人の自宅待機者の死亡が確認されたことから、ホテルなどを借りて陽性者の収容ができるように検討すると知事は説明する。なるほどと思っていたら、なんと、一人の死亡は、もう一人の死亡の十日も前ではないか。ならばなぜ、その十日間の間に、ホテル収用などの手配ができなかったのか。東京都や神奈川県はとっくに、ホテル借用の準備に取り掛かっていたのに。しかし、記者会見でそれを問う質問が出たのか出ないのかわからないうちに、TVの話題は次へ移ってしまう。
 
 だから県民としては勝手に予想するしかないのだが、埼玉県の首長が自在に動けないのはなぜかと、推測するしかない。当然流言飛語が飛び交うようになる。
 知事が無能なの? と、身近にいる主婦は思った。そうじゃあるまいと、私は考えた。
 
(1)この、大野元裕知事は自民・公明の青島健太候補を破って当選した、立憲民主など野党系の候補であった。県政を動かすのに、県議会与党の自公を差し置いて勝手に何かをすることができない。予算など、すでに組まれていることを執行する分には、不都合はないし、それなりの対処はできるであろうが、「補正予算」を組む必要があることは、手足を縛られている。とすると、自公が、知事の手柄にしたくないためにブレーキをかけているのか。まずそう思う。
 
(2)この大野知事は、衆議院議員から鞍替えして知事になった。父親は「川口自民党」をバックに川口市長を長年務めてきた。つまり保守政治家の後継である。根廻しとか、議会対策とか、保守政治のやり方については熟知しているとも考えられる。だが逆に、一匹狼的に自らの政策を掲げて世論を領導するような手法を知らない。その点が、都知事とも、神奈川県知事とも違う。だから外から見ていると「無能なのか」と思われるほど、何もしていないように見える。突破力がない、ともいえる。
 「川口自民党」は、昔から、自民党のなかの独立独歩派であった。かつて来、川口市民は、「自民党川口支部」ではなく「川口自民党」だと肩肘を張るのを、好ましく思い支持してきた。それがあったから知事選でも、大野市長の後継者である立憲民主党の大野候補を「川口自民党」は全面支持して、埼玉県自民党の本部と対立した。そして、選挙で勝った。勝ったから余計に、自民党内ではしこりが残る。保守政治のやり方が大野知事には通用しない。
 
(3)埼玉県の官僚が、すっかり保守政治に感化されて、新規の事態に対応する力を備えていないのかもしれない。議会の主流に目配りするばかりで、今回のような感染症に緊急に対応することが及び腰なのではなかろうか。つまり官僚もまた、知事の指示による以外は、新提案をして乗り出していくほど、大野知事のバックは強固ではない(と官僚たちは見越している)。
 
(4)ことに今回の新型コロナでは治療サイドの当事者にあたる県の医師会などが、知事のバックになろうとしなかったのかもしれない。県内における医師会の力は強い。ことに個人経営の町医者が多くを占めるから余計に、コロナを敬遠し、大型医療機関にそれを押し付けはするが、それと連携することに及び腰であったかもしれない。「自宅待機」もそうだが、「ホテル収用」に切り替える場合にも、大型医療機関ばかりか、地域の「かかりつけ医」の協力を得なければ、患者を手厚く診ることはできない。その点で、医師会の協力を得ることができなかったのかもしれない。
 
(5)前知事の上田清司は、かつての「民主党」をバックに4期知事を務めた。上田は自民党、新生党、新進党、などを渡り歩き、民主党に身を移してきた保守政治家。2003年の知事選で勝利して以来、保守政治諸党の混沌の最中を泳ぎ渡ってきただけに、県政を取り仕切るにはなかなかの力を発揮し、議会与党の自公の対立候補を寄せ付けず、16年も知事の座に居て、昨年、大野元裕に禅譲した格好であった。
 上田は今回のコロナ対応について、政府対応の「あいまいさ」を指摘しておいてから、「知事権限で利用できる県の施設はいろいろあるから、それを(自宅待機代わりに)使うといい」と大野を励ましている。
 
 わたしたち庶民は、上記のような諸事情を勘案して「流言飛語」的に埼玉県政を推察するしかない。
 県知事は、まずは発信力をつけて私たちが読み取れるように、直面している事態を明らかにしてもらいたい。もしこの「機能不全」が議会与党の「不協力」のせいなら、それはそれが明白になるような手立てを講じればいい。
 自らの「不明を愧じる」なら、与党に鞍替えしても頼りになる力を背景に持った方がいい。
 即応力が足りないなら、それこそ、都知事や神奈川県知事がやっているようにマスメディアを味方にして、力をある人たちを動かす方法を見いだせばいい。それをやってこそ、政治家ってもんだろうがと、ちょっとばかり憤懣をもって言ってやりたい気分になっている。


言葉にならない「おもい」は、何処へ行くのか

2020-04-26 09:31:10 | 日記

 去年の4/22から5/3にかけて、このブログで、「言語以前と言語以後の世界」とタイトルを振って、4回にわたって思いを綴っている。その十日ほどの間に、山にも行き、「令和」に変わったお祭り騒ぎを「天皇制の劇場化」とみてとったり、大澤真幸の雑誌に載ったエッセイを引いて、日本人の無意識の根っこにある「天皇制と民主主義」について考えたり、読んだ本の感想を書いたり、5本のエッセイを記している。
 それらを読み返して想うのだが、わずか一年の間に、私の言葉になるのかならないのかわからない領域の「おもい」が、増えたように思う。言葉にするほど「おもい」が固まらないのか、そうするのが面倒なのかも、わからない。なんとなく、ぼんやりと「何か」が胸中を漂い、口をついて出る言葉はなんとも「つまらない」。その「何か」がなんであるかをとことん探究しようという気力も薄れている。
「混沌の海から(何かを手掛かりに)引きずり出してみたところ」で「ことば」になる。その「何か」は、誰かの本を読んでいるときに出くわした(よくわけのわからないこと)(でも、何かしら大切なことを言っている感触は感じる)違和感というよりも、「わたしにはわからない(とわかる)こと」。ああ、若いときにもっとそのたぐいの本を読んでいれば触れたかもしれない「世界」が、渺渺と広がっていることだけは感じとれるような感触。
 
 今日(4/26)の朝日新聞「折々のことば」は

《ヒトは自分の見たいものしか見(え)ない 下条信輔》

 を引用して、鷲田清一は「…人の判断には自分でも気づかない枠組みがあり、フィルターがかかっている…」と下条のことばを借用して、「まなざしに期待のバイアスがかかり、他人の動きにもつい惑わされる。厄介なのは、辻褄を合わせようとしてますます自信の判断に固執し、引き返せなくなること」とことばをつないでいる。この(下条のいう)「自分でも気づかない枠組み」というのを、鷲田は(無意識に傾いている)自分の「期待」に合わせてものごとを選び観ていると解釈している。
 だが「自分でも気づかない枠組み」というのは「期待」という(好ましいこと)だけではなく、(気にしている傾き)と(善し悪しを抜きにして)読み取る方が的確なのではないかと、下条のことばに共感を感じつつ、わが身の感じている「わからない(とわかる)」感触を重ねて、思っている。その違いが気になった。
 
 つまり下条のことばを私ふうに言い換えると、

《ヒトは自分に見えるものしか見(え)ていない》

 といえそうだ。
 そして歳を経てみると、「自分に見えるもの」の地平の端境が薄ぼんやりと見えてきて、その向こうに渺渺たる「無明」が広がっていることだけが感じとれる。すでにこの渺渺たる領野に踏み出している人が数多いることは、幾多の本を手に取っても、なぜこのようなことに首を突っ込んでこのように言葉を紡いでいるのか、その世界の常套句であろうジャーゴンをふくめて、皆目見当がつかないことがあるからだ。逆に若い人たちのアクティヴな活動に、似たような感触を感じることも、最近は多くなった。
 もちろん「見たいものしか見えない」地点からそれを一口で、(わけのわからないバカだ)とか(そういう人もいるよ)と達観したふうな言葉を吐いて片づけることもできなくはなかろう。それが鷲田のいう「辻褄合わせの持論への固執」だ。
 だがこちらはもう、持論を固執する歳でもないし、そもそも持論などというものがあろうはずもない。ただ、わが「せかい」が出会わなかった「世界」が、別に次元を異にするわけでもないのに、屹立していることをぼんやりと感じるだけの「言語以前の世界」が内心に揺蕩っている。
 それをそのまま放置して、わが「せかい」を閉じることになるんだなあと「おもう」ばかりである。