mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

街に出て、自然に暮らそう(急)

2020-04-20 11:24:45 | 日記

 上記の「気鋭の研究者」が歩いた暮らしの「王道」こそ、高度消費社会がもたらした恩恵でした。だがそれと引き換えに私たち(の子どもたち)は、「暮らしの基本」を損なってしまっていたのです。それはたぶん、いまコロナウィルス禍によって就職が白紙になって途方に暮れている若い人たちも、同じように損なわれて育った世代と思います。
 「年寄りが分かったふうに言うのは気が引ける」のは、じつは私たち自身も、半世紀の暮らしの変化進展のなかで、「基本が損なわれている」ことを感じているからです。私は野良仕事ができません。畑を耕したり魚介を獲ったり、獣を解体するような作業は出来なくなっています。もちろんやり方さえわかれば丹念な手順を経て執り行える作業なのでしょうが、そういう作業に身体がついて行かなくなっているのです。
 とどうじにその「暮らしの基本」を含む身のこなしは、どこかで備わってきた覚えのあることです。戦中生まれ戦後育ちの私たち世代にとっては、幼少時の身に刻まれた記憶です。ただ、自ら取り仕切るほどの技術に高められていることではありませんから、いまとなってはノスタルジーにしかならないのですが、身の裡のどこかで「それが(おまえさんの)原点だよ」と囁く声も響いてきます。
 気が引けながら、だが、若い人たちに思い切って言いましょう。
 街を出て、自然に暮らそう、と。
 
 コロナウィルス禍がもたらした事実は、私たちが自分の食べるものも、着るものも、住むところも何もかも、ほんの断片しか自分で賄えないということなのです。もちろん「市場の交換」という仕組みを通じていまは「調達」しているのですが、コロナ禍がそのネットワークを断ち切ったことによって、自給するということからほど遠く暮らしていると、思い知らされたわけです。戦後窮乏期の暮らしのなかには、まだ、交換経済のずいぶん発達した中とは言え、自前で賄っている実感をともなっていました。子どもも労働力であったり、家事手伝いであったりしたからです。「子どもは勉強するのが仕事ですよ」などというセリフは、高度経済成長が落ち着いてからの親のことばでしょう。「本なんか読んでないで、手伝いなさい」といわれたし、だからこそ親の目を盗んでは、遊びに興じていたものでした。子どもは子どもとして「まるごと」の暮らしを満喫していたともいえましょう。それは日常の遊びの傍らに、「暮らし」がともにあったからだと、振り返って思います。
 大正デモクラシー期に育った親世代は、知的であることに憧憬を抱いていましたから、子どもが(学校の勉強が)できることにそれなりに誇らしさを感じてはいたのでしょう。その上の爺さん婆さんの世代は、それすらなく、目の前の役立つことに目端が利くようでした。だから孫の私が中学生の時、町のアメリカ人から英会話を教わろうとしたとき、「商人の子が英語なんかやってどうするんだ。そろばんをやれ」と強く行って、やめさせたということがありました。親の世代は英会話が次の時代の教養と考えていたかどうかは聞いたことがありませんが、そう思っていたのでしょう。祖父母の世代は、それよりもう一歩、感覚が古かったのだと思います。
 
 暮らしの基本をわが身が具えていないと、私が親になってからも思い続けていました。
 先日、私の半世紀前からの知人が、一冊の立派な「歌集」を贈ってくれました。その一節に「火影の闇」というのがあり、その冒頭の一種が次のようなものでした。

 生活(たつき)とふ侮りがたき存在がわが愛(を)しむべき時を奪えり

 これを読んだとき、ああこの人は、私と逆を向いていたんだと思いました。私にとっては「愛しむべき時」は「生活」のなかに求めるものだったのだと、想い起したわけです。もちろんこの人の向上心を否定しようと思っているわけではありません。ただ「生活とふ侮りがたき存在」に対して、敬意を感じないではいられないほど、私の身は暮らしからほど遠く、カミサンや社会的な関係によって助けられなければ、ほとんど何もできない無能の人だと思っていたからでした。その思いは、したがって市場経済が行き渡り、日々の暮らしに浸透すればするほど「快適」になり、らくちんになっていきましたが、身の裡のどこかでいつも(それでいいのかい?)という声が響いていました。それが、「暮らしの基本」の欠落です。
 この年になってそんなことに思い当たったからといって、どうにかなるものではありません。せいぜい、食後の洗い物をする程度のことくらいで、勘弁してもらっているのですが、わが身の始末もできないで、何をやってきたのだろうと、世の中の人々の達者な暮らしぶりをみるごとに、思い知らされているわけです。
 
 むろん私は、今の市場経済を棄てろと言っているわけではありません。ただ、自然に身を投げ込むと否応なく、「暮らしの基本」を自分でこなさねばならなくなります。個体にとってのそれは、社会的には農産物の生産であったり、魚介類の養殖や採取であったり、木材の切り出しや加工であったりします。これらは、コロナ禍にかかわりなく「暮らしのインフラ」ともいえる基本です。ネット社会ですから、工業生産品は、それなりに注文し手に入れることはできます。ただ、過疎化する地方で暮らすときの社会的なネットワークを設えておくことは、コミュニティ性とかかわって必須のものです。そうしたイメージを抱いて、若い人たちにはぜひとも、町を出て、自然に暮らすことをおすすめしたい。
 ことに就職が白紙になった人たちは、目を転じて、自然とともに暮らす道筋を探ってみるといいと思います。私たちが農業や漁業、林業などについて暮らしてきた遺伝子は、たぶん身の裡のどこかに残っていると思います。自然に対する畏敬の念や懐かしさを感じる思いが、その証のように思います。
 ぜひ私の身の裡の文化的遺伝子を信頼して、一歩を踏み出してほしいと、思っているわけです。


街を出て、自然に暮らそう(破)

2020-04-20 10:12:22 | 日記
 
生きていくということ

  昨日(4/18)の朝日新聞社会面の記事は、切ないものであった。「気鋭の研究者 努力の果てに」と見出しを付けた7段抜き。将来を嘱望された日本思想史の研究者が、経済的な苦境から......
 

 コロナウィルスによって浮き彫りになったのは、高度消費社会に育ったことによって「生きることの基本」の何が損なわれたかが、この「気鋭の研究者」の生き方に現れている。この記事を、このように書いた記者の視線も、いまだ「損なわれた」ままのように思える。

 年寄りが分かったふうに言うのは気が引けるが、この「気鋭の研究者」を育てた親の世代として、「損なわれたもの」を反省的に、真摯にとらえ返す必要があると、ウィルス禍の渦中にいて思う。


街を出て、自然に暮らそう(序)

2020-04-20 10:11:28 | 日記

 新型コロナウィルスの収束が収まるのに数年かかるという。また、そのコロナウィルスの感染の波は、繰り返しやってくると見込まれている。今は緊急事態時だから「三蜜」を避けて静かに暮らすというのでいいかもしれないが、いずれ落ち着いたとき、これまでの暮らし方でやっていけるかどうかわからないというのが疫学専門家の見立てだ。
 しかも今年、就職が決まっていたのに採用が見送られた人が多数輩出した。来年以降の採用が行われるかどうか、企業の方も見通しを立てにくくて困っている。就職してこれからの人生を築いていこうとしていた若者たちにとっては、がっかりするだけでなく茫然自失の状態というのも、納得できる。
 
 いきなり話を将来像にもっていかないで、現在地点から順々に道筋を辿ろうか。
 新型コロナウィルスに関する「緊急事態宣言」とは、どういうことか。簡略にいうと、「医療崩壊」しないように社会全体が注意しましょう、ということだ。このウィルスに社会の6割が感染すれば、「集団免疫」ができると専門家は口にする。だが、集団免疫ができても、ウィルスへの感染は起こりうるし、感染すれば「持病持ち」は重症になる可能性は、たぶん先も変わらない。ただ「集団免疫」ができれば、「三蜜」の濃厚接触があっても、症状が出ないか軽症で済むケースが多くなり、ま、今のインフルエンザのように「気を付けましょう」で向き合っていけるだろうということだ。だが6割が感染するまでに何年かかるか。昨日(4/19)、全国で1万人の感染者といって騒いでいるが、2月中頃からと計算すると、2カ月で1万人。これが算術級数的にすすむとは思わないが、1年で20万人と想定し幾何級数的に増えるとしても、8000万人ほどが感染するにはおよそ9年ほどかかる。
 その間にワクチンができるであろうから、緊急事態の解除はもっと早く進展するであろう。まずその何年かを我慢すれば、社会関係を元に戻せるかというと、そうはいかない。
 
 ひとつは、インフルエンザのように季節性の流行病ではないこと。天然痘やポリオ、あるいはHIVのように、常時感染に気遣わなければならないウィルスの一つになるのかもしれない。伝染性がそれほど強くないことからすると、ノロウィルスとかに対するのと似たようなレベルの注意で済むかもしれない。一般的には、そう言える。
 しかし、その「緊急事態期間」を過ぎても、通常のインフルエンザの10倍以上の致死率をもつ新型コロナウィルスの「脅威」は、消え去らない。ワクチンによって致死率は弱められるだろうが、心臓病や腎臓病、糖尿病という持病を持つこと自体が、これまでと違って一挙に死に近づく病となる。個体としては、常時健康に気遣って暮らしをつくって行かねばならない。高度消費社会と浮かれてばかりもいられない、暮らし向きの大転換が必要になる。
 
 今回の世界的な「封鎖」や「往来の自粛」、つまり8割方の往来密度の低減と考えてみると、世界的な分業と協業の関係を見直さなくてはならない。社会的なインフラストラクチャーともいえる「産業製品」は自給できる態勢が必要だ。マスクばかりではない。医療機器も、施設も、食料や日用品も、安ければいいというので労賃の安い途上国に頼っているわけにはいかないことが、よくわかる。日本の製造業界は、ガラパゴス化していたと反省的に語られることが多かった。ガラパゴス化というのは、国内需要だけを視野に入れ国内企業だけを競争相手として製造企業が百貨店的に展開することだ。グローバル化が叫ばれ始めて以来、日本の製造業はこの「弱点」を克服しようと、中小企業を含めてどんどん海外へ製造拠点を移してきた。だが、ひょっとすると、この視野の狭いと言われる「弱点」が「国内自給」をする「強み」になるかもしれない。つまり、インフラ的必需品を国内生産によって自給する割合をあげていくことなども、社会設計として必要になることが、今回のことでよくわかる。それは、資本家社会の論理の成り行き任せにしておいては、果たせぬ夢になる。どうそれを設計し、展開するか。そういうところを政治や経済の専門家たちに思案してもらいたいと思う。
 
 では、個体としてはどう「生き方」を考えるといいか。そんなことを考えていたら、ちょうど一年前にこのブログに記した「生きていくということ」(2019-04-19)が目に入った。それにまず、目を通していただきたい。人が生きるということの「基本」がどこにあるか。高度消費社会で育つということが、その「基本」の何を損なっているか。それを育てる側から考えてみようとしたエッセイである。