mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

啓示か予感か単なるこじつけか

2019-04-08 16:16:10 | 日記
 
 ふと、思い出した。今日4月8日はお釈迦さんの誕生日、花まつり。子どものころ、近くのお大師堂へいって、甘茶をごちそうになった。キリストの生誕祭というような、知意識的な行事ではない。日常の風景のなかに溶け込んだ、緑の山の中腹にあったお大師堂の白壁が思い浮かぶ。お釈迦さんが何をどうなさった方かも知らず、ただあるがままの「われ」を包み込むような気配を、好ましく感じていたように、振り返って思う。いま思うと、あれが私の宗教的体験のひとつなのかもしれない。安心してわが身を委ねる心地。それは宗教的体験の原型と呼ぶようなことだったかもしれない。
 
 私はいまでも、不信心者で、問われれば無宗教とさえいえるかもしれないし、汎神論的でありとあらゆるものに魂の宿ると思うアニミズムの自然信仰者ともいえる。これという宗派的所属をもたないものにも宗教が認められるなら、私は後者だと、これは自信を持って言える。いいか悪いかは知らないし、そんなことはどっちでもよい。私の内奥のたしかな核をなしている。
 
 そう言えば昔、目にした文芸雑誌のなかに「下北半島における青年期の社会化過程に関する研究」というふうなタイトルの作品があった。いや目にしたのか、誰かから聞いて耳にしたのかも、おぼろで分からない。誰が書いた、どんな話かは、いうまでもなく記憶にない。だが、覚えているのは、それが論文ではなく、評論でもなく、小説だったことだ。ドキュメンタリーじゃなかったと思う。なぜそんなことを覚えているか。表題のような研究が、とどのつまり小説仕立てでしか記し置くことが出来ないことに、意表を突かれる思いがして、印象深かったのだ。逆に、これも誰の小説だったか忘れたが、もっとずうっと昔、「寝る方法」という短編小説を読んだ覚えがある。「ベッド側面部を背にして立ち……」とはじまる。まことに寝る方法を手順を踏んで記し置く、文章修業的な作品だったが、目撃したことをこのように想起し、対象化して記すということは、自分の見ていること/見ていないことの隅々までを、一つ一つ丁寧にチェックすることであり、すなわちそれは、「自分」の輪郭を描き出すことだと思って印象に残っている。
 
 私たちの記憶は、時と所と人と出来事とそれらの比喩や暗喩や、ときには思わぬ飛躍によってつながれて、想起したり埋没したまんまだったりする。そして、ひょいと思わぬ時に思わぬところで思い起こされて、それが案外、目下の思念の中心的なテーマに依りついていたりする。これも、わが身の裡の外部であるともいえる。
 
 その想起することごとが、ちかごろ、なんとなく一つのテーマに凝縮していくような気配を感じている。私は研究論文を書いているわけではないし、ひとつのテーマを追い求めているわけでもないから、少しも無理をしないで、過行くよしなしごとをまとめようともしないで、ぼんやりと眺め暮らしているわけだが、それでもなんとなく、ひとつのテーマとでもいうような塊になりつつあるような感触を感じている。それがなんとなく「私の平成時代」を象徴するような気がしているのは、啓示だろうか、予感だろうか。あるいは単なるこじつけなのだろうか。

気息をとらえる目撃録

2019-04-08 09:28:57 | 日記
 
 朝井まかて『落陽』(祥伝社、2016年)を読む。図書館の書架に合ったものを、ふと手に取った。ちらちらとみると、明治末から大正期のことを書いているらしい。借りてきた。私の父母がいずれも明治末の生まれ。父は亡くなって34年、母は5年になる。母が亡くなってのちに、どんな時代を生きたのだろうかと関心を傾けはしたが、せいぜい大正デモクラシーとか大正教養主義といった概念的なことだけ、母の書き遺したものや生前の話などと噛みあうところを切りとって理解したような、半端な気分が、私の裡側のどこかに残っていた。それがこの作品を通して、見事に描き出されていると感じた。
 
 物語は、明治天皇の崩御とその後の明治神宮の造営、明治神宮の森づくりをめぐって展開している。だが、この作者の描き出したいのは、(よく描かれたきた)この時代を生きた人々の「気概」ではなく、その根底を流れる無意識の「気息」。いわば日本の近代をつくった人たちが、どのような心もちに突き動かされて転換期に臨んだか。舞台回しは、一歩、ステップアウトした新聞記者たち。大新聞ではなく、小新聞と呼ばれる読み売りの、いわば活版印刷の「かわら版」の記者たち。
 
 その記者たちのみてとる光景は、日本の近代化の奔流の底を流れる人の気性へ向いている。国家や政治の中枢というよりも、庶民の気息とクロスする在処を探り当てたところに、明治天皇が位置している。京のお公家さんが東の都に担ぎ出され、日清・日露と富国強兵路線を突っ走る最先端のシンボルに担ぎ出された明治天皇が、しかし、日露戦の多数の戦死者を見つめる視線の悲哀に、三文記者が庶民の感懐を重ねて受け止めようとする。時の流れを取材して、庶民の気息の流れから文字通り刻みつけて置こうとする「目撃録」にほかならない。その二重三重の物語の設えが、人の心もちにしっかりと焦点を合わせた視線をもち、それを描き出すたしかな腕を感じさせる。
 
 時代の流れの由来を簡単には省略できないから、明治維新のころから明治の終わりの風の流れ、その後造営されていく明治神宮と森の「自然林」を育てるという「事業」。それが150年先を視界においた試みであることを明治という時代の気息として受け止めると、国家の隆盛どころか、産業振興や景気浮揚まで含めて、近視眼的に見える。とても樹木が成長して森をかたちづくるであろうイメージに追いつかない。そういう息の長い世界観を、自然と一体化する感性の中で、かつて私たちは身に着けていた。近代化という自然から離陸する世の中で私たちは「自然」を忘れてしまっている。
 
 神宮という森厳な雰囲気を醸し出すのは針葉樹でなくてはならないという既成の観念に対して、その地にあった天然樹木を植え、手入れをしなくとも鬱蒼たる森をかたちづくる150年後のイメージを懐いて、樹木を育てる。しかも、「明治」という時代(日本の近代化)の歩みの根底に流れた人々の気息を吸収するように、全国からの献木を、枯らさないように丁寧に処方して、すべて植え付けていく。そうした相矛盾する作業を合わせて、神宮の森の生育が、いわば人々の心もちを統合する象徴のようにつくられていく。
 
 作者・朝井まかての、「自然」と人生の有為転変と社会の変容とをひとつながりのものとして視界に収めようとする「せかい」のとらえ方に敬意を表するとともに、そのあたりに、今の日本がこれから歩む道筋があるように感ずるのだが、どうだろうか。