mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

雪の少ない奥日光

2019-02-16 21:33:36 | 日記
 
 今年3月に定年を迎える昔の同僚・Uさんを、昨日(2/15)奥日光に案内した。朝7時前に駅で待ち合わせて、私の車で東北道に乗って向かう。16年ぶり、車中のおしゃべりが愉しみであった。
 彼はシティボーイのアウトドア派。フルマラソンに挑戦したり、鉄人レースに出場して、川口市の彩湖で泳いだり、サイクリングツアーに出かけたりしていた。横浜ベイスターズのファンで試合を見に行ったり、水泳部の監督を務めたりと、外へ向かう旺盛な意欲を、いろいろな方面に発散していた。私は彼にクロスカントリースキーのレースに誘われて出場したことがあるし、東京湾のアジ釣りに連れて行ったもらったこともある。彼に父親が、私の卒業した大学新聞会の10年ほど上の先輩であったことも、のちに分かって(父子関係はそれほど良さそうでなかったが)、仕事の面ではたいへんシンパシーを感じながらかかわってきた。
 定年退職すると年賀にあった。2月になれば、少し暇になるのではないかと思い、ちょうど私が来週の奥日光スノーシューの下見に行くついでに、よろしければ同行しませんかとお誘いした。
「スノーシュー行きたいです」
 と、一気に昔の交際をほうふつとさせる返事が返ってきた。
 駅のタクシープールにやって来た彼を見て、一瞬、あれ? あんなに背が高かったかなと思った。まさかね。40歳代の半ばから背が伸びるなんて聞いたことがないから、シティボーイの服装なのだろうか。風貌が年を取ったことと関係あるだろうか。だが言葉を交わすと、一挙に隔たっていた距離が縮まる。 
 奥日光までの2時間があっという間に過ぎるようであった。9時前に赤沼に到着。彼は運動用のタイツに履き替え、雨着を着る。私のスパッツをつけてもらい、雪が靴に入らないようにする。スノーシューを出すが、じつは、雪が少ない。これから歩くルートも、高山に差し掛かるまでは人が多く歩いているから、道が圧雪されていて、壺足で何の障りもない。彼は自転車レース用のほんとに小さい
リュックを用意しているだけだから、スノーシューを袈裟掛けに肩に懸けるように細引きを出して結んでもらう。私のそれは、ザックに縛り付ける。
 たしかにスノーシューが要らないくらい、雪はしっかり締まっています。ほんの15分ほどでシャクナゲ橋を渡り、冬場は通行止めになっているバス道路に出る。道路にほとんど雪はない。Uさんは快調に歩く。
「早すぎますか?」と聞く。
「いやいや、いい調子です。汗をかかないように歩いてください」と応じる。
 斜面になったら、歩き方もまた、変わるだろう。30分で、車道から高山へ向かう分岐に出る。ここからはしっかりと雪がついている。ところが、先行者がいるのか、踏み跡がある。二人連れだろうか? 壺足の踏み跡に足を置くようにして、高山峠へ向かう。ところがすぐに、踏み跡は途絶える。引き返している。
 ここでスノーシューをつける。踏み跡の上に雪が降り積もって新雪のように見える。Uさんに先頭を譲る。雪を踏み崩しながらシラカバの林を抜ける。
「いや、気持ちいいですね。空気がいい」
「それに、どこでも歩けますね。地図がないと道がわからないなあ」
 とUさんはご満悦だ。じつは車の中で地図を渡した。彼はちらりと見ただけで、僕は地理に弱いからと言って、仕舞ってしまった。全部私にお任せだ。
 私は、この先にあるシカ柵を心配していた。去年逆コースを歩いたとき、シカ柵のドアを開けるのに、雪かきをしなければならなかった。降り積もり凍った雪が鉄製のドアの枠組みを押さえて動かなくしていたのだ。それでも、向こうからやってくる分には、手前に雪をどかせばよかったが、こちらから向こうへ行きをどかすわけにはいかない。誰か通って除雪してくれていたらいいのだが、さてどうなるだろうと思いつつ、Uさんの後ろを歩いた。
 シカ柵に差し掛かると、何と、鉄製のドアがなく、網のカーテンが吊り下げられていて、容易に向こうへ抜けることが出来た。ドアは最初から開いて、通行できるようにしてくれていたのだ。ありがたい。
 Uさんは雪の上の動物の足跡をみて、
「これ、なんですか」
 と尋ねる。
「これはテン、4つの足跡を結ぶ線が平行四辺形になるでしょ」
「おや、これは肉球の後がついてる。犬かな」
 とUさん。
 こちらはウサギですねと言いながら、すすむ。
 斜面を登るようになる。少し息が切れている。ゆっくりでいいですよと声を掛けながら、今度は私が先行する。去年はすっかり雪に覆われていたルートガイドのロープが、雪の上に出ている。
 高山峠に着く。倒木が雪の上に散乱している。下から登って来たのであろうか、壺足の踏み跡が一筋ついている。だが高山へ登った様子はない。ここまで来て引き返すというのも変だ。壺足だから、古い踏み跡が残ったのだろうか。しかしそれを辿ると、谷間に入り込んでしまうようだ。もう少し、稜線の尾根を辿るように、去年は下から上った記憶がある。少し左の方へ踏み込む。Uさんのスノーシューが外れたらしく、付け直している。彼を待って、降る。急な斜面だ。先が見えないから、盛り上がった雪の先は切れ落ちているように思える。だが、一番高い所に立ってみると、倒木を回り込んで、ヘアピンカーブになっているのが分かる。ついて来ていたUさんがまた、スノーシューを直している。バランスも危うくなるから、木につかまっていいだよと声をかける。
 去年、あまりの急斜面に深い雪が溜まっていたものだから、下から来た一人が上がれず、雪が崩れては滑り落ちていたところに来た。去年は用意の短いロープを出して上から引っ張り上げた。そこを過ぎると、ジグザグに歩いて緩やかに下れる。雪がたっぷりあると、滑り落ちるように降りるのが面白いと期待していたのに、残念だ。Uさんは懸命についてくる。
 やっとなだらかな所に来た。「中禅寺湖0.8km→」の標識がある。またUさんに先頭を歩いてもらう。右へ左へ凸凹の尾根上をうまく辿るようにして、どんどん中禅寺湖の方へ下っていく。しばらく黙っていたUさんの声が聞こえる。やはり下りのほうが上りよりは楽なのだ。向こうに湖面が見える。時刻は11時20分頃。熊窪に着いた。出発してから2時間。
 ここでお昼にする。波打ち際の倒木に腰かけてお昼を食べる。私はサンドイッチ、彼はおにぎり。ココアを入れて、身体を温める。20分ほどで済ませ、スノーシューを脱いで千手が浜に向かう。ここから千手が浜のルート上に、ひとつ難しいところがあると、奥日光のガイドをしている方の情報があった。それがどんなものか見ておきたいというのが、下見に来た目的でもある。大量の雪が降った去年の湖岸の道は、雪崩れてきた雪が凍り、湖まで落ちていている。そこを通過するのに、スノーシューの横滑りを防止するフックを利かせないと、落ちてしまいそうになって、ひやひやしたものだ。でも今年の小雪で危ないというと凍っているのかと考えたから、私は軽アイゼンを持ってきた。
 ところが案に相違して、千手が浜まで少しも危ないところはなく、さかさかと25分ほどで歩いてしまった。穏やかな湖面の向こうに男体山がくっきりと見える。ここからのバス道路が長かった。外山沢沿いをたどり、1時間かけて小田代ヶ原の入口にある峠の下に来る。予報は曇りだったのに、陽ざしがある。一枚脱ぐ。Uさんはさほど疲れをみせず、
「でも、飽きちゃいますね、こういう道って」
 とぼやきながら、相変わらず早い足取り。疲れを自分に見せると、歩くのが嫌になってしまうと思っているのかもしれない。
 小田代ヶ原が明るい。貴婦人がすっくと立っている。3人連れのクロスカントリーのスキー板をもった人たちが、先を歩いている。小田代ヶ原から赤沼への道に踏み込むと、たっぷりの雪があり、彼らはそこでスキー板を履く。挨拶をして、私たちが先行する。相変わらず壺足で歩く。それほどに圧雪されている。少しばかり凸凹とした傾斜を登るがほとんど平坦なルートは、休みなく走るレースに似ている。Uさんはクロカンのレースにでも出ているように、わき目もふらず先へ急ぐ。イヤ急ぐわけではないが、早く片付けてしまいたいのかもしれない、と思う。
 こうして赤沼に着いた。お昼を入れて、行動時間は5時間。歩いた距離は、14.5km。短いのか長いのかわからないが、6時間を予定していたのに、ずいぶんと早かった。車に乗り、また、おしゃべりをしながら帰途についた。駅でUさんと別れたのは、4時半前であった。