mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

私の平成時代(3)向き合う社会階層の違い

2019-02-19 05:47:03 | 日記
 
 1989年に昭和が終わり、平成がはじまった。1月6日が、わが息子の20歳の誕生日であったのでよく覚えている。それと、もうひとつ。私は高校3年生の担任であった。卒業証書の準備は、12月からはじまる。卒業予定者の記名はしたが「昭和」がそのまま続くかどうかがわからないから、そこの部分を空白にして、のちに書き込めるようにおいた。それが「平成」になり、予測通りに書き込みができるようになったと、書道の教師が喜んでいたのが印象に残っている。
 
 全日制の高校であった。私にとっては、21年間定時制の教師を務めたのちに、はじめて2年次から担任した全日制の学年であったから、この二年間は新鮮な驚きの連続であった。まず、屈託のない生徒たちに驚かされた。理解も早い。というか、私のふつうに使うことばが簡単に通じる。ある生徒には「先生は(表現が)くどい」と叱られたことがある。定時制の生徒たちに意を伝えようと噛み砕いていう癖が身について、それが煩わしかったのであろう。
 
 もう一つ、教師たちが順接的に生徒に接しているのが驚きであった。ほとんど落差がない。ことばが同じ地平にいて通じるということが、じつは、象徴しているのだが、教師と生徒の文化的な落差がほとんどない。それなりに教師は、生徒から敬意を受け、教師は自分の知的道徳的力量で生徒の尊敬を得ていると思っている。私は長い間の定時制生活を通じて、制度的に保障された立ち位置によって(言葉を変えて言うと、教壇が高いことによって)教師面できていると思ってきたのであった。
 
 一般的に言うが、生徒が教師を信用するポイントが違う。定時制の生徒は、教師が建前と本音を使い分けていると見透かしている。そして生徒も(教師に対するに)、建前と本音を使い分けて心裡をさらけ出さない「賢い」生徒と、ダブルスタンダードで平然と通す教師に対して反発する生徒とに、大雑把に言って半々に分かれる。あるいは、教師の振る舞いが威圧的であることに「本能的に」反撥する。知的な分野ではかなわないとみているから逆らわないが、道徳的なことや世の中的なことでは教師の常識の底が浅いのを見てとって、バカにする。つまり「かんけい」的に警戒しながら感触を察知し、敵なのか味方(とみてもいいの)かを見極め、断片において教師と向き合う。そういう人間関係の厳しさにさらされて15年~19年、あるいは20年以上を過ごしてきた生徒たちが発する言葉は、原点的であった。
 「なんで(オレたち)勉強してんの?」
 「数学なんてやって、役に立つの?」
 と問う。それに対して教師が、世の中的なタテマエを発するとせせら笑われる。
 
 こうも言えようか。定時制高校の生徒は、まず自分が全幅の信頼を教師から受けていると思っていない。小中高と児童・生徒体験を積み重ねてきているから、どこがどうだったというのではないが、どちらかというと教師の視界の隅の方に置かれていると感じ続けてきた。それが、当の生徒が教師を見る目にも反映される。教師の視線に、自分への敬意とか尊重の気配をまるで感じないといおうか。あるいは蔑(さげす)む気配を敏感に感じ取る。つまり教師の棲む世界と自分のいる「せかい」とのつながりがあると実感できないのかもしれない。
 
 ところが私が赴任した全日制高校の生徒たちは、知的であることに対する敬意を、基本的にはもっている。親もそうだという身近なモデルがあるからか、そうした人々がもっている見識とか判断に、日常的に接しているからなのか、自分と順接的な「せかい」を感じているように思える。わが身の将来をイメージするとき、教師の語る「進路」イメージを、わりと率直に受け入れることが出来る。だから「なんで勉強ってするんだろう?」という自問は、哲学的な色合いを帯びた問いとして発せられているように見える。「数学が役に立つか」ということも、どのように人の思索や世界のとらえ方に意味を持つのかと考えているように思えて刺激的であった。
 
 こうした学校種の違いによる生徒の現れ方の違いは、いま振り返ってみると、大きな時代的変化のように思える。定時制高校の生徒たちは昭和時代を象徴するようであり、全日制高校の生徒たちは平成時代を表象しているようであった。ここでいう昭和時代というのは、刻苦勉励、自分を励まし世の中の変化に合わせて自分を励まし、一歩ずつ暮らしをよくするために頑張るという構図だ。
 
 私が教師仕事を始めた1960年代後半の定時制高校の生徒たちは、「金の卵」と言われた、中学卒業してすぐに、故郷を離れて働き始め、定時制に通って学歴を高めていこうとする人々であった。高度経済成長を経たのちの1970年代の半ばになると、生徒の勤めている現場でもクオリティ・コントロールとかゼロ・ディフェクトと呼ばれた品質管理が声高に叫ばれ、いま思うと、ほんの十年前の中国の製造業界のようであった。「安かろう、悪かろう」を乗り越えねばならない壁に、製造業界が突き当たっていたのである。
 
  ところが平成時代は、バブルの頂点に達した時期にはじまった。高度消費社会の実現したのちの日本社会の豊かさを体現した若者たちであった。私からすると、物資的豊かさにおいて、人類史的菜頂点に達したのではないかと思っていた。人と競うよりは、人それぞれが固有の人格を持って尊重されるという地平から生まれ落ちてきていた。この育った環境の違いがもたらす「人となり」への反映は、多分に、時代の変化というよりも向き合っている社会階層の違いによるものであった(と今になっては思う)。それは同時に、私の向き合う社会階層の変化でもあったから、それが私の「平成時代」を彩ることになったのであった。(つづく)