mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

春の気配の奥日光(2)ひねもすのたりの春の湖

2019-02-22 15:04:50 | 日記
 
 翌日(2/20)、まだ暗い外の雪景色を見ながら朝風呂につかり、7時の朝食までに荷物を整理する。朝食のバイキングは、テーブルの半分くらいが空いている。冬のウィークデイとあって、お客が少ないのかもしれない。宿泊料金も、「誕生月割引」というのがあって、二人も該当者がいた。8時15分に宿を出発。Kさんと私は、スノーシューを車に積んで一足先に赤沼へ向かう。その途次、Kさんが指さす先の木の枝に、ノスリが止まっている。わりと大きな猛禽類。車を止めてシャッターを押す。
 
 晴天。青空が広がる。外気温は4℃。羽毛服はもちろん、雨着の上も脱いで寒くない。バスの到着を待ち、スノーシューをザックにつけて壺足で歩く。積もった雪が融け、それが凍ってつるつると滑る。ストックでバランスをとり、まだ雪が残っているところを踏んで歩く。戦場ヶ原の入口の端を過ぎ、すぐ向こうの小田代ヶ原へ向かう太鼓橋を右にみて、湯川沿いにシャクナゲ橋へ向かう。Kさんが太鼓橋の上にまで行ってカメラのシャッターを押している。
 
 シジュウカラが何羽かいる。アカゲラが赤いお腹をみせて向こうの木の枝を渡っている。まるで春が来たように、鳥たちがさえずり、飛び回る。湯川も心なしか、水温む感じでのったりと流れている。シャクナゲ橋を渡る車道の雪はすっかり解けて、ところどころに水溜りが出来ている。後の方でswdさんとKさんが何かをしゃべりながらついてくるが、それも鳥のさえずりのように風景に溶け込んで、足元に雪を置いた周りのカラマツ林に差し込む陽の織りなす、木々の陰を讃えているように響く。春だなあと、また、思う。後から車が来る。止まって、最後尾のKさんと何か話している。千手が浜に住む方のようだ。「気を付けてと言ってた」とKさん。
 
 高山峠への標識のあるところから、車道を離れてたっぷりの雪の原に踏み込む。スノーシューをつける。何日か前に歩いたであろうスノーシューの跡が、少しの雪と暖かい気温に溶けてかたちが崩れている。テンやウサギの足跡がところどころについて、獣の世界に踏み込んでいる感触が伝わる。クマもいるんじゃないか、いや、まだ冬眠中だろうと、話す声が聞こえる。シカ柵の入口は、ネットを垂らして、人が通るのに不都合がないようにしてある。去年だったか、高山峠からこちらへ来たときには、鉄製の扉が閉まっていて、通過するのに、扉の根元の雪を取り除いてやらねばならなかった。でもそのときは、手前に引く格好だったから雪をどけることが出来たが、逆の方から来ると除雪もできない。そう思ってじつは、5日前に下見にきたのだった。どなたがそうしてくれたかわからないが、ネットを垂らすだけにしてくれていて、ありがたいと思った。
 
 そこを通過してから、斜面を上るようになる。swdさんが先行する。彼女は大股でガシガシとすすむ。私は一番後ろに回って壺足のKさんと話しながらついていく。斜面が急になるところで、ルートをガイドする杭とロープが雪の上に顔を出している。
「その左側を歩いて……」
 と声をかける。もっと急な斜面をジグザグに登るところで、私の前を歩いていたkwmさんに
「ここを直登すると、ショートカットだよ」
 と、そそのかす。kwmさんは、吹きだまった雪を一足ごとに踏み固めながら身を持ち上げる。積もり、気温で溶け、夜中の低気温で凍ってザラメのようにガリガリと固まっている。スノーシューの後が階段のようになって、ついて歩く私は、らくちんだ。
 
 kwmさんが先頭になって、高山峠に着く。去年に比べて少ない雪のためか、倒木がそちこちの斜面を塞いで、通り抜けるには、右へ左へとルートを選ばなくてはならない。いつしか私が先頭になる。谷への踏み跡があるが、そちらへ踏み込むと跡が厄介。高山から下って来る太い稜線の背中の部分へと、太い倒木を避け、雪の斜面をトラバースして下る。Yさんが後ろについている。はじめてのスノーシューにしては、急傾斜を怖がる様子がない。この度胸があれば、着いてくるのに不都合はない。やがて急な傾斜に雪が着いていないところに来る。枯葉の堆積を踏んで、木につかまりながら下るルートへ踏み込む。うしろのKさんが
「こっちの方へ下ってもいいかな」
 と声をかける。みると下に、ガイドの杭とロープがみえ、踏み跡もついている。
「いいですね。気を付けて」
 と応じて、でも、すでにこちらは降りる用意をしている。Yさん、つづいてswdさん、kwmさんが降りてくる。私はそこにとどまり、Yさんに、
「先に下って、下の広いところで待っていて」
 と声をかけて、先行してもらう。スノーシューの向きを違えるだけで、次の脚のおきどころに困って、滑り落ちそうになる。それらを考えながら、後の二人も順調に続く。
 Kさんと彼の後を踏んできた二人を通して、私は後に続く。日陰は凍っている。落ち葉の下が凍っていると滑るのだが、スノーシューの刃がアイゼンのように働いて、ストップしてくれる。
 
 そこからは緩やかに下る広い谷の凸凹を、あちらこちらと散らばって下り、前方に見えるようになった中禅寺湖岸、熊窪を目指す。高山峠からおおむね標高差200mを降って来たことになる。ちょうど中天に上がった陽ざしを受けて、中禅寺湖の湖面がキラキラと輝く。これも春の光だと思う。
 
 熊窪でスノーシューをとってザックに縛り付ける。11時10分。千手が浜への湖岸のルートをたどる。ここは雪も少なく、夏道のように歩ける。一カ所、危ないところがあると現地のMさんが注意してくれたところは、幅50センチくらいの細いトラバース道。左側が湖へ落ちている。右側は山肌が切れ落ちてきた崖。ここに雪が積もると、ルートがすべて急斜面の雪に塞がれる。それが凍っていたりすると、スノーシューのストッパーも利かない。以前にも別のところで、そのようなルートを歩いたことを思い出したか、msさんが「恐かったわよ」と話している。今年は枯葉が積もった快適な散歩道だ。カケスが二羽、ぎゃあぎゃあと濁声を出して飛び交っている。
 
 20分余で千手が浜に着いた。青空に男体山がくっきりと姿を見せる。穏やかな中禅寺湖の湖面が、ひねもすのたりの春の海を思わせる。お昼にする。軽やかなおしゃべりの声が砂浜へ湖面へと風に吹かれるように、陽ざしを浴びて流れていく。風などないのに。この雰囲気が私は好きだ。
 
 30分余を過ごして歩きはじめる。小田代ヶ原まで1時間20分と、声をかける。おおよその時間を頭に入れてないと、この車道歩きは長すぎて身に応える。車道は乾いている。両側に雪は積もっていて、お昼の日差しを浴びて明るく光る。前方の道路をサルが5匹、横切っている。後から何匹かがつづく。渡り切って山に登る斜面で、こちらを見透かすように眺めている。
 
 45分歩いて一休みをとる。
「これで8℃なんて信じられない」
 と誰かが言う。今日の最高気温の予報が8℃であった。
「えっ、まだ半分?」
 と、この地をよく知るKさんまでが、飽きてきたような声を上げる。彼はこの地でマラソンを走ったこともある。この地のガイド本をつくるために、私と一緒に自転車で走ったこともある。写真を撮るだけのために、独りで早朝にカメラをもって入ったこともあったようだ。彼が来ているおかげで、皆さんが退屈しないで、話題を次々と移しておしゃべりが絶えない。私はそういう世間話が苦手だから、ありがたい。

 kwmさんが小鳥を見つける。ヒガラとコガラのようだ。おおっ、キバシリがいる。コンコンコンコンとキツツキのドラミングが、樹間に響き渡る。雪原に立つシラカバとカラマツの林に陽が差し込み、長い木陰をつくって、暖かい春の訪れを告げているようだ。
 
 小田代ヶ原に1時間25分で到着する。swdさんが「ねえねえ、山の同定をして」と私に声をかける。右から男体山、大真名子山、小真名子山、太郎山、山王帽子山、三つ岳と一望できる。雪原を臨むベンチのところに5,6人の人たちがいる。swdさんが入り込んで「貴婦人」を見てくるが、後の人たちは、シカ柵の外側で待っている。そこから小田代ヶ原の南端を歩く車道がひどかった。雪が解け水が溜まり、あるいは凍りついてつるつると滑る。道の脇の残った雪に足を乗せて、滑らないように注意して歩く。そして末端のところで赤沼への雪道に踏み込む。
 
 皆さんのペースは衰えない。踏み固めた道。皆さんは壺足のまゝでさかさかと歩く。あとからひとパーティやってきて、追い越していった。私たちより若いグループだ。ガイドらしい若者が一番若かったが。朝方、脇を通った太鼓橋につき、そこを渡って赤沼はもうすぐだ。こうして、2時20分頃、赤沼に着いた。行動時間、おおよそ5時間半。お昼を除くと、5時間で歩いている。いいペースだ。まだまだ年には負けない。
 
 ここでスノーシューを車に収納し、皆さんはバスで帰る。外気温は10℃であった。私とKさんは車で借りたスノーシューを返しに久次良町に立ち寄る。1年ぶりに会うMさんは事務所にいて、受け取ってくれたばかりか、代金を200円差し引いてくれた。あとで皆さんに返さなければならない。帰り道の車の中、Kさんが話しかけてくれるから眠くならない。
「今日の高山から下るルート、あれは良かったねえ。ああいう緊張するところが1カ所あると、今日のコースが単なるハイキングではなくて、印象に残りますよね」
 と、Kさんが評価をしてくれる。Yさんがステップアップした様なことを話していたと付け加える。長年アスリートのトップを育てる仕事をしてきた彼にそう言ってもらえるのは、うれしい。
 
 順調に運転して無事に帰還した。気温ばかりでなく、鳥の声も、陽ざしも、佇まいがすべて春の奥日光であった。