mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

すでに春の三浦半島・大楠山

2019-02-08 17:00:58 | 日記
 
 昨日(2/7)の日和見山歩(CL:myさん)は大楠山。三浦半島にある里山。逗子駅に集合してバスに乗る。私は横須賀線は鎌倉に行ったときだけ。その先の逗子にも葉山にも横須賀にも行ったことがない。山よりも、その土地がどんなところか、興味が湧く。家を出るのも7時半とずいぶんゆっくりだった。
 ところが、朝食を済ませながら付けたTVが、「武蔵野線・南船橋~府中本町 運休中」とテロップが出ている。おいおい、どうすりゃあいいんだ。浦和駅まで4km、歩くと45分かかる。そうか、バスがあると、思い出す。バス停に向かう。すぐにきたバスは座席が空いていたが、止まるごとに通勤客が乗ってくる。やがて満員になり、乗るであろうお客がいても止まらずに走り、20分かかって浦和駅西口に着いた。乗ってから分かったのだが、「濃霧のため」武蔵野線や総武線が軒並み遅れているという。そうか、今日は気温が上がると言っていた。加えて昨日は、久々の雨が降って、関東南部にはたっぷりとお湿りがあった。
 逗子への行程を検索すると、上野東京ラインに乗り戸塚で乗り換えろと、「案内」が出る。車輛はボックス席のあるものだったが、駅ごとに乗り降りがあり、上野で座席に座る。戸塚で乗り換えて大船から横須賀線に入り逗子へ着いたのは、集合時刻の50分も前であった。
 ひとつ不思議だったのは、集合場所が逗子駅東口だったから、電車の進行方向左へ出ようとしたら、東口は右にあると表示がなされていたことだ。それじゃあ西口になるんじゃないかと、ちょっと方向感覚がくるってしまって慌てた。後で地図を見ると、大船から鎌倉を回り込むから横須賀線は西側から三浦半島に入り込んでいる。そしてちょうど逗子辺りで少し北向きに方向を変えて、三浦半島の東側へ横切り横須賀へ向かうとわかった。
 逗子は、私の暮らす東浦和よりも大きな町だ。横須賀線が回り込むのは、その東側に標高200mほどの小高い山が連なっているからだとみえる。駅ビルのコーヒーショップに入って、次々とやってくるバスの乗降客をみながら手持ちの本を読む。リュックを背負ったシニアも目につく。集合の少し前に駅の出口へいくとkwrさんが手を振っている。彼は新宿湘南ラインで、池袋から一足でやって来たそうだ。集合時刻にはほかの方々もきた。「上野東京ラインで楽だったわよ」とにこやか。「ああ、これこれ」とmyさんが指さすバスに乗る。
 バスは葉山の御用邸前で進路を変え、三浦半島の西側に沿うように海沿いを南下する。「ここは標高3m」と表示があるのをkwrさんがみつけ「津波が来ると逃げようがないね」と、地形に思いを馳せる。海へ注ぎ込む小川があるらしく、「〇〇橋」と名づけられたバス停が何カ所も出てくる。海が見える。その向こうに富士山が下の方を雲に隠すようにぽっかりと浮かんで見える。
「おっおっ、あれ、江の島よ」
 とkwrさん。富士山の南に山並みがつづく。ひときわ高く、雲に浮かぶのは天城の連山のようだ。ずうっと海の向こうには、大島が霞んで見える。
 30分ほども乗ったろうか。前田橋というバス停で降りる。ここから東へ向かい、大楠山242mに登る。海を背に川の上流へ歩を進める。この前田川の流れに沿って、川床に木道が設えられている。流れを遮らないように飛び石が置かれ、それを踏み渡って川床に降り立ち、砂利と石を踏んで「前田川遊歩道」を1.4kmほどすすみ、大楠山へ向かう。面白いルートだ。CLのmyさんは二度ほどここを歩いている様子だ。迷いがない。
 ゆっくりした上りがやがて少しばかり階段になったり、傾斜が現れる。例によってmrさんが山道に悪態をつく。こうやって彼女は、ご自分を励まして、ここ6年山を歩いてきた。照葉樹林の木の葉がキラキラと陽ざしに照り輝く。羽毛服は脱いでいたが、さらに一枚上着を脱ぐ。前を歩いていた女性の3人組が道を譲ってくれる。上から降りてくる人たちとすれ違う。朝早くから登り下山しているのか。あるいは、この山が散歩に親しまれている里山なのか。
 スミレが咲いている。タンポポも。まだ2月。三浦半島は、春が早いのだ。樹木が密生しているようにびっしりと身を寄せ合っている。スイセンが花をつけている先に、菜の花畑がある。花をつけて満開の風情。と、灯台のようにすっくと立つ高い塔が現れた。当の一番上は、丸いドームのようになっている。近づいてみると「国土交通省 大楠山レーダー雨量観測所」とある。レーダー・ドームだったのだ。半径120kmの雲にレーザーを当て水滴の含有量から雨量を推測して計測しているようだ。埼玉県はほぼ全部が含まれている。ちょっぴり群馬、栃木、茨城の南部が囲われた地図がつけてある。その傍らに展望台が設えられている。通りかかった地元の方らしい人が、ここの展望台のほうが、あっちよりいいですよと、指さす先に、大楠山があった。上ってみる。
 くるくるとらせん状に上がる。先に登ったkwrさんが富士山が見えると声を上げる。裾野の丹沢山塊から箱根、伊豆半島への山並みを従えて、雪を置いた頂を天に向けて屹立させて、悠然としている。その前に広がる相模湾の江の島が、灌木の枝に邪魔されながら目に入る。目を南に転ずると油壷から城ケ崎に至る三浦半島の突端が、のっぺりと海へ張り出す。そのさらに先には、ぼんやりと島影が浮かぶ。大島のようだ。春の海ひねもすのたり♫という言葉が思い浮かぶ。
 東をみると、浦賀水道を挟んで、房総半島の突先、洲崎だろうか。視線を北へ移動させると、林立する煙突と背の高い建物が並ぶようにみえるのは、千葉県の工業地帯だろうか。航空機が列をなすように飛び立つ。羽田空港が近いのだ。
 ウメ一輪かと思ったら、サクラが咲いている。一輪どころではない。ポツンポツンとだが、何輪も花開いている。カワヅザクラだよと誰かが言う。コスモスと菜の花の種まき時期と満開時、刈り取り時期を記した看板がある。「自然と菜の花畑 大楠観光協会」と明示している。観光協会ができるほど大楠山が親しまれている。まさに里山。
 そこから200mほどの南に高台をなしている大楠山へ登ると、たくさんの人がベンチに、芝地に座り込んなるほどで、暖かい日差しを浴びながらおしゃべりをしている。なるほど鉄製の見晴らし台がつくられているが、こちらの方は、風が強いと登りたくない。南に樹木がなく視界が開け、太平洋が店長に上がった陽ざしを受けてキラキラと輝いている。西の風が強い。東側のくぼ地の芝に腰かけて、お昼に取りかかる。12時だ。こちらにもサクラが花をつけている。kwrさんがサクラの葉のすでに開いているのに気づく。ヤマザクラなのだろう。そうか、大楠山はサクラの山なのだ。満開の時期になると、きっと大勢の人でにぎわうに違いない。
 20分ほどのお昼タイムを過ごして東の方へ下山にかかる。つまり、三浦半島の西側から登り、東側の横須賀の町の方へ下る。「大楠山ハイキングコース」とルート表示がある。階段状の下山路の上に金網の屋根が掛かっている。左手側が「葉山カンツリー倶楽部」というゴルフ場になっている。そのボールが歩行者にあたらないようにネットを張ったのだろうが、こちらに打ち込んだ人はそうするんだろう。ボールは藪の斜面に落ちてしまう。
 「衣笠城址3.3km→」の表示にしたがって下る。豊かな樹木に囲まれ、なかなか風情のある道がつづく。その先に「迂回路のお知らせ」が立っている。ごみ処理施設を建築するために、従来のルートが閉鎖され、新しいルートが指示されている。四車線の広い「横浜横須賀道路」を横切ってもっと東側へ出るのだ。myさんがスマホの地図を見て「こっち」と信号の先を左折する。畑の向こうに表示看板があり、上りの階段がつづく。
 白梅の咲く農地の間を歩き、いつのまにか密生する樹々に覆われた道をすすむと、大善寺というお寺の境内に出た。その脇の階段を上がった小高い丘の上に衣笠城址はあった。石碑がぽつんとあるだけ。前九年の役で功労のあった三浦氏にこの地が与えられ……と大善寺の看板に記されていたから、おおよそ一千年近く前のこと。以後相模の国三浦郡を拠点にして源氏に味方して勢威をふるった三浦氏の居城が、この衣笠城であったとか。そうか、それがこの半島の名の由来であったか。ここもサクラの名所らしい。
 ひとたび衣笠公園に入り、そこの案内標識にしたがって、衣笠駅へ向かう。樹々の合間から街並みの建物とその向こうの東京湾の海が見える。木製のムササビがぽつりと立てられていて、市民公園という感触が漂う。下校中の中学生に道を聞き、ほどなく衣笠駅に着いた。きぬがさえきは、これまた、東浦和よりも大きく賑やかな感触だ。太平洋岸がこのように明るく開けているのは、都市化の進んだ順序に由来するのだろうかと思いながら、下山祝いのビールを、ギョウザをつまみに空けて、横須賀線の電車に乗った。kwrさんは横浜から東上線への直通に乗るという。ほかの人たちは上野東京ラインの宇都宮行快速に乗り換え、仕事帰りの方々に混じって浦和駅へ5時過ぎに到着したのでありました。
 そう言えば立春を過ぎていた。今日は、ずうっと暖かいまゝの、いい日和見山歩でした。