mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

第11回Seminarのご報告(2) 他人との向き合い方と人々の気質

2014-12-07 10:44:58 | 日記

 中断して、失礼しました。玉野の現地同窓会や私事の始末で「Seminarのご報告」に手が付けられませんでした。再開です。

 

★ 夜目遠目傘の内

 

 「ご報告(1)」の切り出しは「夜目遠目傘の内」という話でした。つまり、中国に対する好感は、本で読み、漢字文化の源流域という尊崇の念もあり、大人(たいじん)の国という茫漠とした印象でかたちづくられてきておりました。ところが、国交が回復し、ヒト・モノ・カネの行き来が頻繁になってくると、夜目遠目ではなくなり、匂いも音も仕種も、いちいち気になってきます。そうなってみると、好感が嫌悪感に変わり、外務省の調査が示すように、好悪が逆転してしまうということでした。中国が近くなったのですね。

 

 「夜目遠目傘の内」という人に対する見方は、案外、奥の深い意味合いを持っているのではないかと、一瞬胸中に「思い」がよぎりました。私たち高校の同窓生が、寄り集まってこういうSeminarをもつことができるのも、2か月に1回というペースというのがいいのではないか。還暦になるまで互いに何をしているかもわからずに過ごしてきたこともあります。それなりに敬意を表して向き合って、言葉を交わすという応対の雰囲気(エートス)が、ほどほどの傘の内になっているのではないか。

 

 それを逆にして考えると、よく長く家庭という狭い世界で、文化の違うカミサンとやってきたなあと、これまた、好悪を離れて思います。この応対に感じる感覚の逆転の「狭間」に、己を無にする極意があるのではないかと、一瞬間にひらめいたのです。

 

★ 賄賂の効用と文化の土台

 

 その話がまだ、つづきます。「江沢民以降は賄賂賄賂賄賂、ワイロだらけだよ」とTくんが加えます。「江沢民が転機か」とHmくんが口をはさんでいました。

 

 小平の後を受けた趙紫陽や胡耀邦は民主化に好意的でしたが、1989年の天安門の処理を誤って失脚、共産党の保守派を代表する江沢民が登場することとなります。しかし江沢民は、小平の南巡講話の意向を受けて「改革開放政策」の積極推進にかじを取り、「社会主義市場経済」へと邁進しました。その結果、国内的には「豊かになるものから先に豊かになればいい」とワイロと無駄遣いの横行する国有企業と中央、地方政府の共産党支配が常態化していきます。Hmくんの「転機」というのは、中国共産党の権力闘争と中国政府の大きな路線転換を指そうとしていたのかもしれません。そのあとを継いだ胡錦濤、温家宝政権は(対日的にも好意的であり)、「世界の工場」としての地位を確立し、グローバル経済における中国の位置を高めていったわけです。

 

 「サミュエル・ハンチントンがインドネシアのケースを取り上げて、賄賂によって近代的な手続きのすすまないものが潤滑剤を得たように進むと評価していて、そういう見方もあるのかと思った」と報告者のF。Tくんは「行き過ぎたからだよ」と現在に焦点を当てています。確かに、中央・地方の共産党有力者が賄賂を求め私腹を肥やし、一族の利益を図ることが目に余るようになっています。それに対する人民の憤懣が、習近平政権の最近の党内粛清という対応を生み出していると言えるようです。先に問題になり終身刑を受けている薄熙来や、目下告発されて党籍剥奪を受け裁判に掛けられているかつての7人のひとり周永康の話も出されました。

 

 しかし日本でも、産業資本主義の初期段階では、賄賂が横行したのではなかったか、と話しは転がりました。江戸の商業資本主義勃興期には「お主も悪よのう」とか、「役人の子はにぎにぎをよく覚え」と揶揄されるような「潤滑剤」の蔓延もあったのではないか、と。「行き過ぎ」というのは、何を基準に判断しているのだろうか。政治家の政治資金報告書のなかの、重箱の隅をつつくような「不正」を摘発するよりも、それを通して何をしているのかという政治家本来の「存在意義」を俎上にあげる方が大切ではないかと思ったりするのは、上記のモンダイに関連しているだろうか。

 

 中国の人々の「憤懣」は、「国家を指導する」立場の共産党幹部たちが、人民の暮らしの困窮を放置して蓄財に向かい、不正を放置し、正義を抑圧しているということに発しているでしょう。中国では「天の命革まる」といわれますが、人民の憤懣の沸点をどうみるか、暴発をどう収めるか。総じて、混乱へ向かうエネルギーをどう治めるか。これが、中国政府の喫緊の関心事であることは、想像に難くないと思いました。

 

 

 天の命革まる日本の時期の話も、ありました。外国人の研究者が「明治維新における下級武士の振る舞いは理解できない。自分たちの収入減が断たれるのに版籍奉還をしている」と指摘しています。下級武士は自分たちの食い扶持を自ら断った、と。下級武士が(戦のない)日常には畑を耕して自らの食い扶持をつくっていました。貧しかったことが影響しているのかもしれません。あるいは、「葉隠れ」に記されるような武士道の精神に、己の利得・栄光を求めず他人のために尽くすというような、利他の精神があったからなのでしょうか。「無常ということ」に表される心裡に底流する気質が、宗教性を通して培われて来たからでしょうか。そんな気質というか、ネイションシップというか、人々の持っていたエートスにまで、思いは及ぶように思いました。(つづく)