mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

第11回Seminarご報告(3) 後発先進国日本が占めるべき国際的な地歩とは

2014-12-08 14:13:13 | 日記

 さて、ここまで「いやな中国人」についてやりとりをしてきました。いよいよ、尖閣諸島の領土問題の本題に入っていきます。

 

★ 日本と中国の主張のすれ違う点

 

 尖閣編入に関する日本政府の見解を、外務省のホームページから引用して紹介していきました。まず最初に、戦後秩序による正統性から説明しています。サンフランシスコ講和条約でアメリカの占領下におかれ、1972年の沖縄返還協定に含まれて尖閣諸島は日本に返還されている、と。つまりまず、戦後秩序に従っていますよというわけ。文句があるならアメリカに言えと言っているようです。
 ホームページはつぎに、近代の国際法に準じて日本に編入した経緯を説明。10年にわたる調査を経て1895年1月に標杭を打った、と。「先占の法理」と国際法では言うらしい。先に占有宣言したもののもの、という意味。

 

 それに対して中国側の論理は、「人民網日本語版」(2012年7月28日)にアップされている清華大学当代国際関係研究院・劉江永副院長の「産経新聞」への反論が紹介されました。当局がじかに「説明」することはほとんどありません。それによると、サンフランシスコ講和条約はソ連も加わっていない片面講和であること、また、「先占の法理」は欧米スタンダードで決定した「国際法」であって、認められない、とも。しかしこの論理は、中国にとっては痛しかゆしであって、台湾政府がもっていた国連の拒否権は受け継いでいたりして、とりあえず、文句が言えることは何でも言っておこうという姿勢だとも言えます。

 

 ただ、私たち(庶民)がどの時点から「領土」を確定するのがいいと考えるかには、私たち自身の判断とその根拠が必要です。日本領ということでいえば(とりあえず)好都合だから、近代法の「先占の法理」を指示するということはできます。しかし日清戦争下の標杭の設置は、「力の強いものが勝つ論理」が背景にあったことは確かです。私は(東アジアにおいて)先んじた近代化のご褒美と了解しています。

 

 そもそも「近代(法)」が欧米発のもの。日本は欧米の論理にしたがって近代化をすすめて、不平等条約など、ずいぶん苦汁をなめました。そういう意味では、力の強いものが基準であるという論理を、日本が超克していくことが必要ではないか。そこにこそ、欧米の重圧を押し返して欧米以外で初めて近代化を成し遂げた日本の、後発先進国としての誇りと矜持が生まれる源泉があると思えます。第一次大戦後のヴェルサイユ講和条約で日本が「人種差別撤廃」を提案したのは、後発先進国の矜持の最後の輝きであったように、いま思うのです(その提案は葬られましたが)。

 

★ 入会権という新しい国際法の理念

 

 日本政府は「領土問題は存在しない」と主張しています。これは「領土問題が存在する」と認めたら、その時点から中国側の主張とどちらが正しいか五分の関係に立つと考えているからでしょう。中国側も、いまは日本の実効支配を承認している段階なので、それを五分の関係に持ち込めば、とりあえずは前進とみているでしょうから、筋の通らない(相矛盾する)理屈を述べ立てています。

 

 ところが、日中国交回復時に、田中角栄が尖閣問題を持ち出した時に周恩来が「次の世代が解決するでしょう」と「棚上げ」した発言があります。これに関して、社会学者・宮台真司が「主権棚上げ」「実効支配(施政権)は日本」「資源の共同開発」という三つが基本の柱があった、と述べています。これをベースに、尖閣諸島に入った漁船は「逮捕・起訴」するのではなく、「拿捕・強制送還」することが、自民党政権時代、小泉政権までつづいていました。

 

 どうしてこのような「黙契」が成立したのでしょうか。近代国際法に基づく「領土」が確定する以前には、台湾も中国沿海も琉球の漁民も、「領土、領海」という感覚を持っていませんでした。彼らは自分たちの暮らしのペースに合わせて、尖閣周辺でも漁をし、天候が荒れるときは尖閣に避難することもしていたでしょう。ときに競うこともあったでしょうが、援けあうこともあったと考えるのは、不思議ではありません。「領界」は国家のものであって、庶民の暮らしの端境は自分たちの共同性感覚の及ぶ範囲に限られていました。あとから「国民国家」という領界が心裡に生まれ、「日本」とか「中国」とか「台湾」という国民国家が意識されるようになってから、領土・領海が発生したと言えるからです。

 

 つまり、欧米の「国際法」というのも「先占の法理」を構築することで、自分たちが(力で、あるいはそういう観念をもたない世界に持ち込んだ理念によって)占有した領域の正当性を、理屈化しただけなのです。それ以前の、人々の暮らしの中できずかれてきた「入会権」とか「古い慣習法」を、国際法は組み込んでいないのです。それを認めるということは、欧米発の「先占の法理」に風穴を開け、あたらしい国境概念を構成する端緒になる可能性を秘めています。そういう理念的な、次の一歩を踏み出してこそ、米中いずれの国ももつことのできない地歩を、国際秩序の中に占めることができるのではないかと、思ったりしました。

 

★  中国の国内問題が転嫁されている「尖閣問題」

 

 大柳さんは「反日暴動の補償はどうなっているのか」と問うていました。それについての報告もありました。もっぱらインターネットの「情報」を通じてです。詳細は省きますが、「補償」は政治的な判断の機能するところは、わずかであるけれども、「修繕」や「補修」というかたちで若干は実施されていますが、全般的に言えば、ほとんど行われていません。それどころか、今回の「反日暴動」は日本政府が引き起こしたものであるのだから、企業の休業などで支払われなかった給料などの「補償」を日本政府に求めたいという論調もあったということです。

 

 しかし、北京在住のフリーランスライター・ふるまいよしこ氏が送ってきた(当時の)メールマガジンでは、「反日暴動」のデモの人数などを記して日本の報道機関は過剰に騒いでいるとし、むしろツウィッターの「反日つぶやき」にたいして、自分の置かれている状態をよく見てからものを言えと批判的な「つぶやき」が返ってきていると、中国内のITの様相を報告しています。すなわち「暴動」は、「反日」というよりも「反政府」の色合いが濃いということです。中国政府が、2010年に逮捕され帰還した船長に対して報道もさせないし、逮捕されたショックでなくなった船長の母親に対しても、弔問もしていない。あの船長の振る舞いは、明らかに中国政府にとっては意図に反する行為であったという姿勢を見せていると言えます。

 

 ところがここで、もう一つのモンダイがHmくんから指摘されました。「長谷川慶太郎によれば、あの船長は軍人であった」と。つまり、中国の人民解放軍と中国政府の意思が異なり、軍部が独走しはじめているのではないか、という点です。もしそうなると、「反日」という人々の気分に乗じて、軍部が尖閣を舞台に「日本軍との衝突を挑発」しているのではないか、と懸念されます。あるいは衝突ならずとも、再び逮捕・起訴という国家間の法理争いになるような場面の再生を挑発している、と。つまり、中国国内の政治闘争に「反日」や「尖閣」が利用されて、日中の衝突が発生する恐れがあるのです。

 

 こうして「尖閣問題」は、中国の「国内問題」として見て取る必要が生じてくる、というわけです。(つづく)