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+ 臨時の舟・・・ 体育教育批判~ 小学校に体育教員がいない

2012年09月01日 08時05分36秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

   

  風の盆  胡弓の風に  舞うそうな  

   梅士 Baishi

 

 

  

  

   

   

  「お~い、舟が出るぞ~」 

 三途の川の渡し舟である。

 え、なぜ?

 今日から九月であるが、旧暦7月15日、旧盆なのである。

 

 ここ数日、朝夕がめっきり冷え込んで、すっかりおくんちのような気

配である。

 台風一過、涼しい風が吹いている。

 風の盆は、なぜか胡弓に合わせて緩やかに踊る。

 帰化人の盆なのだろうか。

 

 さて、涼風に乗って、仕事に出るか・・・。

 では、朝顔さん、行ってきます。

 

 

 

 

 

 

 

体育教育批判~ 小学校に体育教員がいない 】 

  

  新しい人権としてのスポーツ権論争があるが、自由権というよりは、

社会権として議論したほうがよいだろう。

 自由権としてのスポーツ基本権は、学問の自由と同じように考えて

よかろうと思う。

 むしろ、教育を受ける権利としてのスポーツ基本権、スポーツ福祉

を充実すべき国家責任としてのスポーツ社会権というのが実態に即

しているであろう。


 そこで、体育教育の意義と実態が問題となるのである。

 昨今、中学体育の必修科目として武道に続き、ダンスが追加され

たということで文科省の枝葉末節、支離滅裂ぶりに唖然としている

状況ではないだろうか。


 そもそも、ダンスを教えられる教員がいないから、マニュアル本と

外部講師の臨時採用で実施せよというのであるが、科目を教える

教員がいない学校というのは一体何なのか。

 莫大な人件費を浪費しているにもかかわらずである。  

   

 体育教育の根本問題は、小学校体育の形骸化というところにある。

 なにしろ、日教組教員は、保健体育と称してセックスの技法を人形

を使って教えている有様である。

 体育嫌いの教員は、日傘をさしての見物という授業である。


 しかし、運動の必要性は、運動神経の発達期であるゴールデンエ

イジ、小学校低学年のときにこそある。

 にもかかわらず、体育の形骸化が著しく、体育教員がいない体制

に、体育嫌いの根本原因がある。

 さらには、陰湿ないじめの温床が巣くうことにもなり、ますます体育

嫌いが増えるという悪循環である。

   

 本当に子供の健全な成長を望むのであれば、科学的で楽しい体

育教育を実施することを学校教育の体制としなければならない。

 体育を教えられない教員は、小学校では採用しないことだ。

 でなければ、知育と体育それぞれの専門教員を採用することだ。


 軍事教練を小学校から必修化することをおすすめしたい。

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

          

 

 

 

  

  

  

  

  

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