すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 花火のような花・・・ 民主主義再生のための政治教育を

2007年07月31日 07時58分41秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  

 

 ちぎり絵の  花火のような  花が咲き

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 7月31日Tue 午前6時半 29.1℃ 湿度77%、

今朝は少し涼しい。蝉も鳴かない朝である。

 わが7月最後の日は、静かである。


 暦の夏は、あと十日足らずで終わる。

 もうすぐ立秋である。

 この、猛暑をいとおしむべし。


 炎天の路傍に、初めて見るアジサイにも似た花が咲い

ていた。

 まるで、山下清のちぎり絵に見る花火のような花だっ

た。

 そういえばこの時期、花火が競って夏の終わりを彩る。

 花火大会・・・、天然の天才の絵がうれしそうだった。



 芸術もスポーツも、天然自然の魂の躍動こそが魅力で

ある。

 

  

 

  

民主主義再生のために政治教育は重要である

 野党大統領のアメリカに追随して、日本もねじれ国会

という足かせがかけられた。

 民主主義の政治効率の悪さがこの激動の時代に対応

きるのか、ねじれの時代が3年間続くことになった。

 

 これからの三年間で、参議院がいかに政治の危機を招

か、また、ミンシュ党が政争によって国政をいかに

滞させるか、観察する必要がある。 

 左翼的NHKを使って、自民党による『現代と民主主義』

とでも題して教育番組を企画してはどうか。

 各政党で、政治教育の魅力を競っても良いではないか。

 番組で正式に政治献金を募ってもよいのではないか。


 民主主義にはお金がかかる。

 したがって、政党には資金獲得活動が許されなければ

ならない。

 それを政治とカネの汚い関係などと言うべきではない。

 その資金を公費で賄うべきでもない。

 民主主義は、市場原理でもあることを認めるべきであ

る。


 マスコミは民間企業でも国民個人でもなく、権力の所

在である。

 その責任は民主政の原理で追及されるべきである。

 報道の自由とは責任政治を意味するのである。

 

 国民の政治的見識が問われているのである。

 政治教育は、民主主義の再生と強化の要諦である。

                            

       梅士 Baishi

  

 

 

                                                                          

 

 

 

 

 

 

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+ 敗戦の夏・・・ 自民党大敗の理由と責任

2007年07月30日 20時22分00秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  

 森々と   大和敗れし   夏はあり 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 7月30日Mon 30.5℃、湿度79%。

 クマゼミのせみ時雨は今朝も元気である。
 

 朝のニュースは、参議院選の結果を伝えている。

 予想以上の自民党大敗が、してやったりといわんばか

りに喧伝されていた。

 太平洋戦争の敗北の夏のようではないか。


 負けるべくして負けたと説明のつく敗北であったろう。

 敗北の相手はミンシュ党ではない。

 年金問題に対する国民の怒りであり、これをあおった

マスコミである。 

 

 

自民党大敗の理由

 参議院選挙夏の陣は、想定外の、安倍・大和政権大敗

の結果に終わった。

 年金問題が争点にされたこと自体が位負けしたのだ。

 ならば、逆手にとって、公務員リストラという思い切

った政策を打ち出すべきだった。

 そうすれば、国民の怒りは、自民党支持という追い風

となったであろう。

 

 しかし、社会保険庁と一緒に、何とかしますという選

挙をした。

 年金問題への国民の怒りを敵に回したのだから、大敗

しても仕方がない。

 大敗の責任は取るべきである。


 総辞職か、保険庁職員を中心とする公務員リストラの

断行宣言か。

 社会保険庁職員の退職金返納、ボーナス廃止、全員解

雇予告という、民間企業なら当たり前の責任追及をしな

かった。


 その安倍内閣の方針が変わらないのなら、退陣するべ

きである。

 そのことが明白になった。


 敗因のもう一つは、憲法改正の準備が整っていないと

いうことである。

 だから、本気の勝負をかけなかった。

 しかし、今後、二~三回の参議院改選で、三分の二以

上の議席を確保しなければならない。


 6年後、あるいは、9年後には、新憲法制定を確定し、

国民投票に付する。

 2015年以降、新憲法制定を目指すべきである。

 そのためには、憲法草案、憲法教育、選挙制度改革、

マスコミ対策などを整えてゆかなければならない。

 


 責任とは、退陣ということである。

 大伴家持、現代の試練は、万葉の時代よりはるかに巨

大である。

 そのとき、絶唱三歌に逃げてはなるまい。

 

                           梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

  

 

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+ 7月29日参院選挙・・・ 現代の奴隷階級  スポーツと観光  体育の空洞化を放置するな   

2007年07月29日 09時25分56秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

  

 せみ時雨  子どもの頃の  山聞こえ

   馬糞 Bafun

 

  

 

 

 2007年7月29日 31.1℃、湿度84%、薄曇。

 参議院選挙の朝、細腕の都会の立木が一斉に鳴き始め

ている。

 蝉しぐれは夏の元気である。

 冷夏でなくてよかった。

 

 しかし、猛暑には、たらたらと汗が流れる。

 暑さは試練でもある。

 そろそろ、馬糞の旅に出たいものだ。

 旅の楽しみは、温泉と温泉プールである。

 ところが、スポーツは観光資源にはなっていない。


 『スポーツ立国論』は、スポーツ観光による地域戦略

が有効である。

 

 

 『スポーツと温泉、これが九州の観光である。』

 そうなってほしい。

 フットサルを市民スポーツに導入した佐賀県武雄市は、

「がばい」ばあちゃんと市長によって、大注目である。

 

 

投票率に反映する、市民階級と奴隷階級

 午前7時、小学校の投票所が開いた。

 新鮮な一票が先陣を競っていた。

 この日、市民階級と奴隷階級が投票率に反映される。

 民主主義の世の中にあっても、その自由選択によって、

政治に参加する市民と、そうでない「奴隷階級」に分か

れる。

 

 投票を怠るならば、自ら奴隷階級のペナルティーに甘

んじるべきである。

 その投票権は剥奪されるべきである。

 その分、重い税負担を受けるべきである。

 国民主権とは責任でもあるのだ。

 その責任をあいまいにしてはならない。


 選挙権失権制度を設け、活性市民と不活性市民に身分

差別するべきである。

 それが、責任民主主義のけじめというべきではないのか。

 

 

主権者教育改革論

 同時に、政治教育、基本法教育を徹底しなければなら

ない。

 主権者教育には欠かせないことである。


 ところが、これを教えられる教師はごく少ないであろ

う。

 ゆえに、教職資格を自由化し、政財界、法曹の中から

しかるべき見識をもった人材に、主権者教育科目の教育

を委ねるべきであろう。

 陪審制度よりも教育参加制度を充実させるべきなので

ある。

 

 教職員に、公務員資格を与えるべきではない。

 校長は、人事権を持った経営者としての資質をこそ問

うべきである。

 教職員の資格は、文武両道と社会経験を要求されるべ

きである。


 4年制大学卒ではあまりに不足である。

 教職採用試験には、三年以上の兵役または、五年以上

の社会経験を資格要件とされるべきであろう。

 他方、年齢制限は設けるべきではない。

 政治家が務まるなら、教職も勤まる。

 70歳でも良いのである。

 

 さらには、体育の専門教職を大量に採用し、文武両道

の学校教育体制を再構築するべきである。

 体育授業のできない教職は片手落ちであろう。

 文武両道は、教員の要件でもあると言うことである。

特に小学校においては徹底されなければならない。



 スキャモンの発達曲線を見ても、運動神経系の成長は、

幼児期から始まって、9歳から12歳という小学校の年

代に完成する。

 プレゴールデンエイジとゴールデンエイジと言われる

年齢である。

 この間に、運動音痴の素人教師に体育授業をやらせる

など、もってのほかである。

 これを、「体育の空洞化」というのである。

  

 学校長は、一般企業で10年以上の管理職経験者の中

から任命するべきである。

 顧客との信頼関係を失うマネージメントを放置すべき

ではないからである。

 企業型経営の論理が、教育現場にも適用されるべきで

あろう。 

 

 かくして、参議院選挙の日、結局は教育改革に思い至

るのであった。

 

                               梅士 Baishi

                          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 天道直下・・・ 立会い演説 「不平不満の民主主義とするな、政治とは神聖なる命がけである」 

2007年07月27日 10時25分41秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  

 太陽の  太く上りし  天下行き    

           馬糞 Bafun

 

 

  

 猛暑二日目である。

 室内温度、31.6℃。

 CO2の排出はない。

 太陽は正中し、蝉たちは、太陽電池パネルの羽をいっ

ぱいに広げて大いに鳴き競っている。


 偉大なる太陽を、これほど近くに体感することができ

のだ。

 これが、夏の魅力である。

 思えばありがたいことである。

 

  

 

  

天道直下・自己変革の時代に 

 その天下の大道に立って潔くあれ。

 『このままであって良いはずがない』のである。

 それが、創造の精神である。

 創造とは問題意識であり、変革への問題提起である。

 それが、自己変革でもある。

 


自己変革の一矢を放て


 『みなさん、われわれは、このままであって良いので

しょうか。この激動の時代にあって、このままであって

良いはずがないのです。われわれは、変わらなければな

らない。』

 

 『変革するのは、他人ではありません。独立した他人

を変える権限はないからであります。しかし、われわれ

は、自分を変えることはできる。自己変革こそは、世の

中を変える挑戦であります。』 

 

 変革の時代は、試練の時でもある。

 試練とは、挑戦である。

 試練こそは、チャンスの姿にほかならない。

 これを恐れ、不満としてならない。

 試練に立ち向かう自分こそは、自己変革した新しい自

分にほかならない。


 不平不満を言い連ねることが国民の立場ではない

 自助努力こそは、自立した国民の立場である。

 国民としてのプライドである。

 プライドとは、学業の試練、仕事の試練、経済の試練、

老後の試練として既に立ち現れている


 経済とは、他人のために心を尽くす創意工夫にほかな

らない。

 その努力も力尽きて倒れるならば、それも本望という

べきでないである。

 所詮人生は未完である。

 未完のうちに倒れても、それを誰が責められようか。


 
だから、経済的試練を恐れることはない。

 人生は未完であっても活路である。

 未完のままに倒れるかもしれない志に生きることが、

潔い人生というべきである。

 そこに、正義が実現されているものである。


 政治家は命がけで国民を守ろうとするものである。

 それが、国民の負託を受けた政治家の志である。

 それが、民主主義のあるべき姿である。 

 民主主義を不平不満の声にしてはならない。

 悪口雑言のマスコミに同調してはならない。

 

 幸福実現党候補は伝道者でもある。

『天道直下の夏、太陽の熱い志をわが志として、参議

院選挙に臨んでおります。政治とは神聖なのです。だか

らこそ、命がけで臨んでおります。

 自己変革の決意の一票を志の矢につがえて、放とう

はありませんか』


 投票箱にも国家再建の希望は臨んでいるのである。



梅士 Baishi 

 

                          7月26日 福岡天神 水天宮の池

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 大暑の冷麦・・・ 参議院選挙の重大な意義とは

2007年07月26日 21時12分49秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 冷麦を   湯気立てて食い   ホーとして

   馬糞 Bafun

 

  

 

 大暑から2日後、博多は猛暑となった。

 烏が、直射日光に、じりじりとねじりこまれ、カーァ、

カーァと悲鳴を上げた。

 これが待ちわびた夏なんだと納得しつつ、歪みそうな

アスファルトを右往左往してたどり着いた昼飯は、冷麦!

 このオアシスに食欲が蘇った。

 

 この冷麦ときたら、アラブの王様になったような満足

であった。

 金に糸目はつけない、500円。


 この6月は、田植えにも困った空梅雨だった。

 台風の後も、一向に梅雨が明けない冷夏気味だった。

 このままの冷夏なのか、それともエルニーニョの猛暑

か、天気予報のスーパーコンピュータも、とうとう下駄

を投げた。

 

 博多は猛暑!

 最期は直観である。

  

 

 

 

  

参議院選挙の意義

 自民党が大敗したら、安倍総理は退陣するのが当たり

前だというキャンペーンをNHKはじめとするマスコミが

展開している。

 だったら、自民党が圧勝したら、NHKも民放も、経営

陣は総退陣して辞めるべきである。

 強引に、そういう論点を立てた責任は重大である。

 

 本来、参議院選挙の最大論点は、新憲法制定を進める

か否かにある。

 日本の建て直しのためには、避けては通れない道であ

る。

 新憲法制定に、偽憲法の「憲法改正条項」は無意味で

あるが、無血革命として憲法制定するなら、偽憲法の高

いハードルを軽く越えてみせるということも、維新の心

意気というものである。

 

 そのために、参議院の総議員の三分の二以上の議席を、

自民党が確保する必要があるのだ。 

 これこそが、今回参議院選挙の、最大の争点である。

 安倍総理は、正々堂々と、国民に訴えるべきなのだ。

 そうでなければ、政治的無関心を放置することになる。

 

 選挙を面白く、楽しく、有意義にするためには、世紀

の憲法制定への参加を、国民に呼びかけるべきである。

 白黒をつける時なのだ。

 それがなければ、小選挙区制は正当化できないであろ

う。

 

 国家の危機管理としては、チャイナの侵略的勢力に備

えなければならない。

 北京オリンピックなど、スポーツの穢れである。

 これに尻尾をふるなど、もってのほかである。

 スポーツマンシップなどかけらもないのがチャイナで

はないか。

 彼らにとって、スポーツもまた、侵略の武器なのであ

る。

 そのことを、忘れてはなるまい。

 

 チャイナはすでに、世界の敵となっている。

 かつての日本のように警戒され、憎まれている。

 やることのえげつなさ、露骨さは、独特である。

 このまま、チャイナに資本を注ぎ続ければ、やがて愚

かな、対日侵略、対米戦争を仕掛けさせることにもなり

かねない。

 

 だからこそ、独立国家日本の確立は急務である。

 憲法改正を困難にする議席配分とならないよう、今回

の選挙では、自民党の圧勝を選択しなければならない。

 そういう、差し迫った危険があることを、国民に告げ

知らせるべきである。

 

 本来、それが、マスコミの責任であったものを。

 だから、マスコミにM&Aを仕掛け、放送企画者の総

入れ替えを進めてもよいのである。


 政治家に勇気が残っていることを示していただきたい

ものである。

                     

                          梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 登仙の蝉・・・ 激動の時代を生きた父、84歳の誕生日

2007年07月24日 23時32分00秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

  

 老いつつも  おたくさ花の  ように咲き

   馬糞 Bafun

 

 

  

 父は、満州で徴兵され、敗戦からシベリア抑留という

理不尽な辛酸をなめながら、命からがら引き上げてきた。

 しかし、生還した母国には親の財産は奪われ、仕事も

なかった。


 だからと言ってこびへつらうこともなく、勝手知らな

い炭鉱夫になった。

 大怪我をしたり、大病を患ったり、これでもか、これ

でもかというような試練かいくぐりながら、家族の生活

を支えてきた。

 愚直な人生かもしれない。

 その父が、今日、戦後61年の7月24日、84歳に

った。 

 

 なんという激動の日本であったことか。

 なんという試練の時代を生きてきたことか。

 修行者のような父に、敬意を表したい。

 

  

 

 

  せみ時雨   木々も林も   山も鳴き  

      馬糞 Bafun

 

  

 

 しかし、現代は元禄の太平の世ではない。

 多様性の中に選択を迫られる時代である。

 何をしたいのか、何をなすべきなのか。

 迷路もなお激動の時代である。

 あっちに揺れ、こっちに揺れて、地球規模で右往左往

している。


 田畑を耕すとき、まず何をなすべきかを考えてみよう。

 作物を植えつける前に、汗を流して雑草を刈り取り、

土を掘り起こし、畝を作るのだ。 

 何を植えつけたらよいのか分からなくても、田畑を耕

すべきではないのか。


 なんでも植えられるように、よく学び、鍛えることだ。
 

 戦争の苦しみに比べたら、何と夢のある、楽しみの多

い苦労であることか。 

 この劇的な時代に生きること、挑戦すること、構想し、

創造することを大いに楽しみたいものだ。

 

                           梅士 Baishi

 

 

 

 登仙の   木霊となりて   蝉は鳴き 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

                            

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 芙蓉咲く・・・ 脱、欲望メタボリック社会  伝統美にめざめゆよ

2007年07月23日 23時22分15秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

  つゆ明けし  すずりの箱の   芙蓉かな

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 せみ時雨のしぶきの下で、芙蓉の花がさいている。

 大和の花には歌心がある。

 すずり箱の絵のようでもあり、襖絵のようでもあり、

奈良の都のいとしい姫のようでもある。

 

 芙蓉の花は、今も昔も、夏に咲く花である。

 季語では、秋の花であるらしい。

 ちょっとずれている。


 原爆記念日の頃、直射日光に焼き付けられそうな道沿

いに見かけたのが、キョウチクトウであり、葵の花だっ

た。

 ああ、また、暑い夏になったなあ、と思ったものであ

る。

 それが、子供の頃からの風景だった。

 

 ああ、あの葵ねと思っていたら、芙蓉だというので

る。

 芙蓉といえば、屏風絵のような、高貴なイメージであ

る。

 そんなに、身近に咲いているとは思いもよらなかった。

 

 

  

 

芙蓉についての考察

 芙蓉といえば企業グループや企業名に好んで使われて

いる。

 芙蓉グループといえば、旧安田財閥の名称である。

 かつての富士銀行グループもその一角にあった。 

 なぜ、こんなにも芙蓉の花が日本人に好まれているの

か。

 何を象徴している花なのだろうか。


 芙蓉は、徳川家が用いた葵の仲間であり、古来から愛

された日本の花である。

 さらに驚いたことには、南国のハイビスカスも、野菜

のオクラも、いわば芙蓉グループだったのである。 

 芙蓉は、美と繁栄を象徴する日本伝統の花である。


 あるいは、しとやかさの中にもりりしさを持った武家

の娘、あるいは奈良・平安の都のふくよかな女性美を感

じさせてくれる花である。

 

  

  

 芙蓉花   まさきくあれと  栄えけり    
   馬糞 Bafun

 

 

 

 


 芙蓉の魅力を知ると、日本の未来が見えてくる。

 この喧騒の時代にあって、大量のプラスチックの商品

にあくせくしている時代にあって、あらためて、ゴミに

閉塞された欲望の国民生活を反省しなければならないと

思う。 

 スリム化されるべきは、公務員組織ばかりではないの

である。

 メタボリック化した、われわれの生活もまた、物離れ

をしてゆかなければならない。

 

 

 「物欲から心の豊かさへ」

 心の豊かさを生み出すことが、すなわち、文化である。

 文化の原点は、自然の美しさへの感動にある。

 自然の美しさとは、個々の美意識が、調和の美に、通

じているということである。


 花も蝶も、木々も鳥も、調和の美に満ちている。

 個々が美しく、全体の景観としても美しい。

 それが自然の美である。

 神の創られた世界は、ミクロでもマクロでも美しく、

合理的である。

 調和された世界、それが、神の創造世界である。

 

 プロダクトデザインもまた、これを学び、求めなけれ

ばならない。

 漆塗りのすずり箱のように、家電商品も、住空間も、

建造物も、都市の景観も、和の伝統美に目覚めるべきな

のだ。

 本物志向というのは、プラスチックを離れて和の伝

美に回帰することであると思うのである。

 

 大工も建築家も、調和の美観を忘れてはならない。

 観光ホテルが、欧米流のコンクリート建造物では不調

和である。

 それは本物ではない。

 日本の観光は、和の伝統を伝えるものでなければなる

まい。

 そのためには、寺院建築にも公費が用いられて良いと

思う。

 「公設民営化」は、都市再構築のキーワードでもある

と思う。


 アントニオ・ヴィヴァルディの「調和の霊感」が語る

ごとく、 日本の伝統美の文化に立ち返らなければなら

いと思う。



 伝統美の原点に立ち返るとき、新しい時代のコンセプ

トが見えてくるはずである。

  

 

 

 

 せみ時雨  庭に栄ゆる  芙蓉花

   馬糞 Bafun


   浴衣の裾に  咲いたる花も

              馬草 Magusa

 

 

 

 

 

 

 

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+ 花と蝶・・・ 美しい国日本、「美」とは何か  

2007年07月21日 21時21分21秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 鬼百合に  黒蝶舞いて  鬼神たり

   馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 文月の  短冊に書き  花と蝶

   馬糞 Bafun


 

 

 一輪、また一輪と花を落としていた鬼百合だが、最後

の花を咲かせたとき、天から舞い降りてきた蝶が、一さし、

舞って行った。 

 一期一会の舞であった。

 人もまた、美しくありたいものである。

 

 美とは、表現するものである。

 表現とは、その心を表すものである。

 女が美しいと願うならば、その心の内を清めるべきで

ある。

 女性の美しさもまた、まぎれもなく、その心の表現で

ある。

 外見に奢らず、外見に嘆かず、老いてもなお女性ら

い心の美しさは表現されるものである。

 美のありかを、見失ってはならない。

 美しい国、日本もまた、日本人の、心の表現であるの

だ。

 心を磨くためにこそ、人は生きている。

                           

 Bafun 

  

 

 

 

       

 

 

 

 

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+ 小菊咲く・・・ 選挙の目的は政治の感動を伝えるところにある。 

2007年07月19日 22時33分01秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  初蝉や  夏を計りて  風を吸い 


    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 クマゼミが一斉に鳴き始めたが、三分咲きだろう。

 朝の空気はまだ夏色には染まっていない。
 
  種を植えて二年目の小菊が咲き始めた。

 浴衣が似合いそうな十八の小菊である。

 

 菊には想い出がある。

 高校生の頃、学習月刊誌の短歌・俳句の欄に作品投稿をしていた。

 その頃、くだらない授業や尊敬できない高校教師に反発して、最大

限に授業をサボっていた。

 その間は、神主でもあった漢文の先生に俳諧を教えていただいて

いた。

 

 先生の俳号は、「馬耳東風」である。

 この師匠の「馬」の字を頂いて、馬糞 を名乗っているというわけだ。

 

 当時の俳句・短歌の選者は、今は亡き寺山修二氏、劇団「天井桟

敷」で一世風靡した劇作家であり、詩人だった。

 その寺山先生に何度か入選させていただいた。

 今から思うと稚拙な俳句だったが、懐かしい。

 

 そのうちの一つに、教室に飾られた菊の花を歌った作品が入選し

て万年筆を戴いた。

 

 

 菊の部屋 黄色き声の 放射さる

 

 

 

 寺山修二の人生は、未だ手付かずの課題である。

 ただ、演劇は詩的な情景を表現しているのだなとは思う。

 心象風景が絵のようにステージセットで表現される。

 省略の技法はまさに詩である。 

 

 しかし、詩の世界はどうも、感傷的で自虐的な詩が多くていけない。

 神を賛美する歌、神の創られた世界に感動する歌、

 これが一番だ。

 

 

 

 

 

 

  十八の   小菊咲いたり   夏祭り

 
      馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

選挙の目的

 福岡天神にも大物政治家が街頭演説に立ち始めた。

 「安部総理と握手してきましたー」

 女子学生が公約のパンフレットを握ってうれしそうにしゃべった。

 ばんざーい、という感じだった。

 

 えっ、大伴家持と握手してきたとー・・・

 「はいっ」

 俺もゆくんだった・・・

 
 選挙の目的は、政治の感動を伝えるところにある。

 若者に政治の魅力、国を思うことの情熱と感動を盛り上げること

にある。

 小難しい政策課題を説明する必要はない。

 命がけで演説するその思いを、そうしてでも国民を激励し、国のこと

を熱く思う。

 その思いを語ることである。

 

 公約はシンプルでインパクトを持つことが肝要だ。

 日本の独立、そのために、新憲法を作るのだ。

 責任公務員制としての処断、公務員の無駄を残して消費税アップ

などはしない。



 治安なくして教育なし、教職員の非公務員化と責任処断。

 これでよいのである。   

                               Bafun 

 

 

 

 

 

 

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+ 稲育つ・・・ 農業改革、責任マスコミ制改革への準備を

2007年07月16日 19時30分22秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国


 

 

 追い山の   しぶきし雨に   稲育ち

 
   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 田んぼの稲が、
 台風のめぐみの雨に、やっと元気が出てきた。

 稲は、やまと民族の主食である。
 伝統の作物である。
 その稲が、
 収量を増やすために、農薬で育てられている。
 その一方で、
 米を作り過ぎないようにと、減反も行われている。

 政府買上米は、無農薬に限るべきである。
 農薬の使用状況を、大きく表示させるべきである。
 違反者には、米作禁止の厳罰で臨むべきである。

 無農薬というブランドを、
 政府は大いに推奨し、
 同時に、無農薬栽培技術の開発にも投資を怠らないことである。

 農業は、変わらなければならない。

 

 


 

 田に立てる やまとの稲よ 強くあれ


   
馬糞 Bafun

 

 

 

 

 地球温暖化も、核兵器も、公務員の腐敗も、子供たちの心の荒

廃も、マスコミ権力の傲慢も、悪霊悪魔の蠢きも、何もないかのよう

に、山笠が終わり、名残の雨が降っている。

 

 しかし、そうもゆくまい。

 天下のことは万民のこと、万民のために思い、学び、物申し、事を

起こすは、民主主義の志、男子の本懐。

 奴隷ならざる、市民の立場である。

 

 

責任マスコミ制改革の準備を!

 マスコミは独占的な政治の道具である。

 すなわち、権力である。

 その権力に関わる者は、選挙による国民の選定と、行動責任を問

われなければならない。

 にもかかわらず、そうした民主的統制を受けていないのがマスコミ

の矛盾した実態である。

 

 参議院選挙が始まったが、共産党女性候補者の街頭演説で、「福

岡オリンピック反対運動を展開し、指揮をとりました・・・であります」

なんてことを誇らしげに喧伝していた。


 なるほどね。

 

 

 

 

 


 
 『オリンピック反対の「市民運動」が各地で盛り上がっています
と報

じていたNHKも仲間ということですよね。

 「市民運動」というのは、たいがい、主婦を装った共産党婦人部の

運動なんでしょ。

 そのスポークスマンがNHKという構図ですよね。』

 

 ニュース編集は誰がしているのか、誰の記事なのか。

 これは個人名で公表すべきです。

 それが、責任放送の初歩ですよ。
 
 公務員もまた、しかりです。

 個人名で、責任を取るべきです。



 集団責任制が責任者をごまかす煙幕になっています。

 集団責任というなら、全員解雇ですよ。

 社会保険庁関係公務員は、今年もボーナスをたんまりともらった

んでしょう。職業倫理に反しませんか。

 番組制作関係者は、いわば政治家ですから、責任を問われなけ

ればなりません。

 新聞記者も個人名で記事を書き、その責任を問われなければなり

ません。

 それが、民主主義ですよ。表現の責任が問われるのです。

 だから、必要以上に、政治家の言葉尻を捕らえて「責任をどう取る

のか」と迫っているんでしょ。

 

 政治家には、言論の自由がないというのが実態ですね。

 そうしているのは、マスコミ権力に他ならないわけです。

 その根拠は何なのでしょうか。

 同じ理屈で、マスコミ関係者個人個人の言論責任も、少なくとも番

組での発言や記事については厳しく責任追及されるべきです。



 マスコミは一国民ではなく、権力組織ですから。

 言論責任もまた、個人名で政治責任追及されなければ筋が通りま

せん。

 

マスコミの政治責任を毅然として問うというのは、言論の弾圧とは

違いますからね。

 政治家に認められなくて、マスコミには野放しという理屈は通りま

せん。



 政治家が責任を問われるように、マスコミ言論人もまた、言論責任

を問われてしかるべきです。

 毅然として、正論を立てる内閣であって欲しいですね。

 

マスコミの民主化、これは、新憲法制定前の仕事になるのではな

いでしょうか。

 そのとき、マスコミは、子飼いの憲法学者を立て続けに出して、言

論の自由の危機を訴えるでしょう。

 

 憲法学者の「憲法」とは、植民地憲法のことですから。

 憲法の正統性も分からない人たちです。

 マスコミにおもねる学者たちを批判し、間違った憲法論理を教えた

責任を追及するべきでしょう。

 そうした戦いにも、準備をするべきです。

 


 さらには、インターネットです。

 これはさらにやっかいです。

 国際的な権力と心の闇が支配を及ぼそうとしています。

 この地獄世界にいかに法治主義を及ぼすか。

 今後、大きな政治課題になると思います。



 倫理道徳教育、基本法教育、政治教育、体育教育、これが基礎と

なるでしょう。

 安部総理には、期待しています。

 麻生外務大臣にも、期待しています。

 維新政治の中核ですから。

                             Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 追い山去りて夏来る・・・ 年金問題の本質(マスコミに注意)

2007年07月15日 22時07分09秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 




  夢うつつ  追い山遠く  走りけり


     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 午前4:59、追い山こそは、山笠と男たちが神一体となる奉納の

走りである。

 しかし、雨が・・・。



 追い山が奉納の走りを終えた頃、テレビ桟敷で追い山を追った。

 常勝の東流がぬかるんだ。

 5番流、ひいきの千代流が32秒台で最速の櫛田入りを果たした。

 さすが、千代流!



 この表情はテレビでしか見ることができない場面である。

 あくび三昧で出かけても、入り込む隙はない・・・。

 言い訳しながら櫛田入りを見納めた。

 かくなる上は、自分が走って櫛田入りするしかない。

 

 山笠は終わった。

 こうして、博多はクマゼミの鳴く夏になる。

 また、一年、地道に仕事に精を出す。

 精力を注ぐ一年の目標は必要である。

 

 

 

 

 

 

 

老後の不安をあおるな。年金問題は公務員リストラの狼煙

 

 報道2001を見ても、相変わらず、年金問題が最大の論点であ

るがごとく、不安をおあり、政争をあおっている。

 しかし、事の本質は二点である。

 まず、公務員のダニ化を示すものであり、公務員リストラの狼煙

と知るべきである。

 

 もう一つは、少子高齢時代の老後にどう向き合うかである。

 老後が長くなると、生活できるだろうかと心配になる。

 自己保身は心配のパンドラの箱である。

 しかし、人間は必ず死ぬ。

 死ぬ前に一勝負する気概を持ち続ければ、きれいさっぱり、あ

の世には渡れるものだ。

 生老病死の四苦に生きてはならない。

 心配性の老後を送るべきではない。

 

 追い山のごとく、良く働き、潔く生きることだ。

 そのような教育、そのような国つくりを目指すべきである。

 そのような政党に政権を委ねるべきである。

 

        Bafun 

 

山笠応援サイト
http://www.club-9.com/yamakasa/f_index.htm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 博多祇園山笠 集団山見せ(7月13日)・・・ 八百万の神走る 

2007年07月14日 20時57分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

    

 

 

  山のぼせ 今栄えけり 櫛田前

 
      馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 7月13日(金) 博多祇園山笠・集団山見せの各山が、接近

する台風四号を追い風に、博多の町を疾走した。

 櫛田入りの山は、集団山見せのその時も、男神の真髄という

べきオーラに輝く。

 公務員の天下りとはふざけた言い草だ。



 山笠の男たちには、まさに神々が降臨するのである。

 15日の早朝、台風4号が梅雨を払った博多を走る。

 山笠の男たちの鬼神の走りが、現代の邪気を駆逐する。

 いよいよ、追い山である。

 

 よ、九州国のを。 

 

 

 

 

 

  走らんか おいさおいさあ 西流


      馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 常にトップ争いを演じる名門西流の力走は大迫力である。

 山のぼせとは言うが、八百万の神々が降りて走るのだ。

 病人だって、走り出すに違いない。

 老いてよし。いざ、走らんか!

 

 

 

 

 

  防人を 見よ山笠の 清い水 


     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 万葉の時代は防人の町であった。

 その博多に、かつての防人たちが国を守っている。

 防人たちが、八百万の神となって博多の町を疾走しているのだ。


 過去世、防人を束ねる長官であり、防人歌を歴史に残した大伴

家持だった安部総理は、この山のぼせたちを見て懐かしく思わない

だろうか。


 安部総理にとって、博多は懐かしい遠い記憶の地である。

                             
     Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 土居流の夕べ・・・  安部総理よ、毅然とせよ。選挙は神事である。

2007年07月13日 12時37分13秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 山笠に 神力満ちて すわりたる 

  
        馬糞 Bafun

 

 

 

 

  今日13日は、いよいよ、集団山見せである。

 台風四号が接近しているが、雨は天下の力水、風は博多の神

の風。

 嵐の山笠は神聖にして見ごたえがあることだろう。

 

 名門、一番山笠土居流が座っているのも明日までである。

 山の年輪が刻まれてゆく山のぼせたち。

 その潔い夏が、一気に咲いて、散ってゆく。

 

 

 

 

 

  山のぼせ   博多の夏に   咲いており

    
      
馬糞 Bafun

 

 

 

 

選挙の争点をごまかすな

 博多祇園山笠は勇壮で潔い男祭りである。

 この間、飾り山が立ったと思ったら、もう、集団山見せ。

 日曜の朝にはもう痕跡もなく消える。

 

 それに比べて、参議院選挙放送の愚かさよ。

 そして、党首たちの歯切れの悪さよ。

 日本の争点を何だと思っているのか。

 

 選挙は、博多祇園山笠以上に、国家の命運をかけた、神事であ

る。

 その神聖な政を、マスコミの仕掛ける泥仕合に応じて、汚しては

ならない。

 政治家よ、毅然とせよ。

 政治家よ、神の前に、潔くあれ。


 

 選挙を前にして、マスコミの傲慢は目に余る。

 「年金選挙」などと勝手にタイトルするテレビ局もある。

 政治家も、それに乗せられて対談する。


 

 問題の本質は、保険問題ではない。

 公務員リストラ問題である。

 保険庁関係公務員全員の責任をどう処断するか、どうけじめを

つけさせるか、根本的に、累積し続ける財政赤字の責任として、

公務員リストラをどう進めるのか。



 公務員の無責任を放置して、行政改革はないであろう。

 公務員は、行政権力を行使する特権階級である。

 公務員の無責任を放置してはならない。

 その責任は厳格に追及されなければならない。

 

 教育能力のない公務員教員、無法地帯となった学校職員の責

任は問わないのか。

 教職員の公務員身分は剥奪するべきではないのか。

 
 責任を問わずして、行政改革はない。

 行政改革は組織責任として問われることである。

 ところが、与野党共に歯切れが悪いのである。

 なぜなのか。

 それが、選挙民主主義の暗黙の了解だとでも言うのか。

 


 さらに争点として忘れてならないのは、国際問題に対する姿勢で

ある。

 危険と不正がいっぱいの国際問題に対して、どう立ち向かうのか、

 それが問われている。

 

 北朝鮮問題はその一角に過ぎない。

 世界の核兵器保有をこのまま許してはならない。

 チャイナの核保有問題、北朝鮮支援国問題、環境破壊問題に対

して、どう立ち向かうのか。

 チャイナ貿易を優先して、触れずに済まそうというのか。



 エネルギー問題は、地球温暖化の危機の最重要課題である。

 環境破壊大国チャイナの非行を助長しているのは、ほかならぬ

日本の責任でもある。

 


 チャイナから資本を引き上げて冷却すべきではないのか。

 チャイナの拝金主義、帝国主義を許してはなるまい。

 野党は、これに対して、どう答えるだろうか。

 マスコミは、こういう問題提起はしないものである。



 

 日本の低金利政策は、国内問題ではない。

 国際問題である。

 無法のM&Aが暴れ龍のように経済秩序を破壊している。

 それでも、国際基準を無視した低金利政策を続ける日銀に対し

て、よきに計らえというのか。

 これも問われている重要な問題である。


 

 それにもかかわらず、事務所経費問題で、政権政党を選択せよ

というのか。

 政治に金がかかるのは民主主義の宿命である。

 金を集め、経費をかけるのがおかしいというなら、民主主義を放

棄することだ。



 そもそも、マスコミは国民の代表でもないのに、どう、世論を決め

るというのか。

 1億の有権者国民の意見を、2000人程度の聞き取り調査で認識

できるというのか。 

 

 これだけ危機的情勢の中にあって、日本の国際的リーダーシッ

プが問われる時代にあって、マスコミの仕掛けるくだらない泥仕合

政治は、もう、いいかげんに止めて欲しい。

 

 安部総理には、マスコミに対して、節操のない民主党党首に対し

て、もっと毅然としていただきたいと願うものである。

                             

      Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 7月9日、全流、お汐井取り・・・ 八百万の神々走る

2007年07月09日 22時14分41秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 


 

 

  土居流 浜の清めの 汐を取り

 
     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 7月9日は全流れのお汐井取り、清めの汐を得て、いよいよ、
博多祇園山笠の山が連日、勢いを増してゆく。

 10日は流れがき、
 11日早朝の朝山と午後からの他流がき、
 12日午後3:59からの追い山ならし、
 13日午後3時30分からの集団山見せ、
 14日夕方の流がき、そして、
 15日午前4時59分からの追い山笠のフィナーレとなる。

 今年の一番山は土居流。
 午後7時過ぎ、そのお汐井取りの大部隊が帰陣する「おっしょい」に
遭遇した。

 う~ん、めでたい!

 

 

 

 

  奉納の 博多祇園の 八百万
                           
(やおよろず)


     
馬糞 Bafun    

 

           

 

 

 博多祇園山笠は、奉納神事である。

 私は、現代のイベントというのを好まない。

 イベントは、祭りでなければならない。

 祭りとは、神事である。

 神との対話である。



 ところが、最近の夏祭りときたら、安易な人集めの花火大会である。

 盆踊りもめっきり少なくなった。

 現代は病気である。

 魂を忘れ、神を忘れた病気である。

 

 博多祇園山笠は清めの神事である。

 走る男たちは、「山のぼせ」といわれるが、現代の博多に健在の

八百万の神々というべきであろう。

 

 櫛田に集う、博多の八百万の神々よ、博多の夏を清めたまえ!

 

     Bafun 

 

 

 

  

 

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+ 鬼百合と雷神・・・ 安部を選ぶか、小沢か、参議院選挙の争点 

2007年07月08日 19時38分49秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国


 


  鬼百合の 姫かんざしに 雨光り


     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 さすがの空梅雨も、小暑あたりを素通りはできず、天のじょうろ

から梅雨らしい雨を降らせてくれた。

 今年三年目の鬼百合がぐんぐんと背丈を伸ばして2m近くにも

なった。

 鬼百合姫の豪快な簪(かんざしに恵みの雨が宝石のように輝いた。


 
 雲の上に載っているのが雷神の鬼であるならば、鬼百合姫にく

れた力水、恵みの雨というべきか。

 百合の花は古来より、美と権威を象徴するいわれのある花である。

 その力水を得て、いよいよ明日から、山笠が走り始める。

 明日は、総流のお汐井取りである。

 


 オニユリ⇒ http://www2.odn.ne.jp/~cap47570/hasimoto/gallery/gall9_01.html

 

 

 

 

 

 

 

  雷神に 博多の山も 動き出し

      馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

言論の責任

 マスコミに操られない国民でなければ、民主主義ではない。

 初の防衛省大臣だった九間氏が言葉尻をとられて、マスコミ

から大臣を罷免された。

 参議院選挙を控えているだけに、マスコミの暗黒裁判が猛威を

ふるう。

 それを野党が助長する。

 異様であり、愚かなことである。

 弁明も修正も許されないとは。

 選挙もまた、暗黒裁判の集大成というわけである。

 

 そのような暗黒裁判というべきマスコミ権力と戦う気概を持た

なければ、安部政権は信頼すべき支持者を失うであろう。



 そもそも、国民の良識を信頼できるように政治教育を充実す

る必要がある。

 そこに、民主主義教育の目的もある。

 久間発言については、誤解を招く発言を撤回し、正論を吐け

ばよかったのである。

 ある意味ではチャンスであった。

 

 原爆投下の罪は重い。

 戦争終結のためにやむを得なかったという詭弁を許してはな

らない。

 実際、すでに昭和天皇は敗戦を認めていたのだから。



 同様に、核兵器の保有を許してもならない。

 北朝鮮だけのことではない。

 アメリカにこそ、核兵器撤廃への最終責任がある。


 久間氏は、改めて、そう宣言すればよかった。

 それで、日米関係がどうということはない。

 なにしろ、真相を無視して反日決議をする国なのだ。



 アメリカは、中華どんぶりに負けないどんぶり勘定の国である。

 核兵器の全廃は、口だけのことで済ませてはならない。

 核保有は大罪である。

 そのことを国際政治の場面で強く主張していただきたい。

 

 

 

 

 

  鬼百合の めでたき花よ 龍の雨

 
      馬糞 Bafun

 

 

 

 

参議院選挙の争点

1. 減税をめざす公務員リストラ法、公務員責任法の方針。

2. 独立国家としての新憲法制定。
   憲法を新しくするべきであれば自民党へ。
   反対なら民主党へ。
   安部を選ぶか、小沢を選ぶか。

3. 学校の治外法権の否定と、法治主義の回復宣言。
   公設民営化を含むガラス張り
の教育改革方針。

4. 核兵器保有に対する非難決議。国連責任追求。
   核兵器撤廃条約の提言(九間発言を転じて)。

5. 地球温暖化防止のリーダーシップ宣言。
   新エネルギー開発政策投資の方針。

 

 思い切った政策方針を打ち出して、新しい日本つくりの決意を

国民に問う選挙を志して欲しい。

                             Bafun 

 

 

 

            

 

 

 

 

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