クロユリを 博多の冬に 連れてきて
馬糞 Bafun
クロユリは、石川県の白山を西限とする高山植物である。
めったに見ることのできない神秘の花を、信州の店からネット
ショップで手に入れて一冬を過ごした。
博多で花を開いたクロユリは一層神秘で、はかなく美しい。
《神秘という道徳》
道徳とは、神秘への畏れである。
政治権力は、神秘の叡智によって正統となる。
美の本質は、神秘にある。
神秘は、偉大な宗教指導者の下に語られる。
教育は、宗教教育によって聖業となる。
神秘とは秘められたる神の創造世界である。
秘められたる叡智である。
人間が神秘への畏敬心を見失ったとき、堕落が始まる。
女から神秘の精神が見失われたとき、醜悪に堕してゆく。
そもそも、人の出現自体が、神秘である。
この世の存在が神秘である。
人間の努力は、神秘の発見にある。
創造は、神の叡智の発見である。
神の叡智を発見し、それをどのように使うかを神は人に許
し、その賞罰を神の法則に委ねたというべきか。
その法則が霊実在界の天国と地獄に展開し、あるいは、
計り知れない大宇宙の生成発展として展開しているのかも
しれない。
一切は、目的を持って存在し、原因結果の法則として展開
している。
存在の在り様は、神の意志によって始まり、神と人間の関
係、「神人関係」として、展開している。
即ち、存在の世界に『偶然』ということはありえないことであ
る。
《偶然と言う不道徳》
人間の登場を偶然だと説明するのがNHKの方針である。
「人間は偶然の産物であり、その本質は物質である」という
唯物論を「科学」と称して広めている。
「人間は偶然の産物である」というのは、不道徳の極地で
ある。
なぜなら、偶然に成立したというものに必然性はなく、目的
もなく、努力ということもありえないからである。
人間の生死も、目的なき偶然なのであり、それを否定する
根拠もないことになる。
それこそは、科学ではなく、不道徳であろう。
《社会主義放送・NHK・粛清の必要》
「唯物論的進化論」は悪魔の思想であり、これを広げよう
としているのがNHKである。
この悪行をこのまま、許しておくわけには行くまい。
NHKの粛清改革が求められる。
NHKを「公共放送」と言っているが、安易に公共、公益とい
う言葉を用いるべきではない。
因みに、NHKの公共放送とは、視聴料を強要する社会主義
放送という意味である。
決して、公益放送でもない。
「偶然」という不道徳は裁かれるべきであり、恥じて慎むべ
きであろう。
梅士 Baishi
http://www.pref.ishikawa.jp/hakusan/kuroyuri/index.htm
http://www.geocities.jp/mr_keik/hana060.html